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2009年9月

政治主導

   最近面白い話を聞いた。政治主導についてである。

   俺たちも決して官僚の言いなりになっていた訳ではない。

   時には官僚の幹部を呼びつけ,○○について予算、助成金を

   付けさせたり地元の施設建設を決めさせたりして、官僚を使い

   政治家としての使命を果している。

   と言う大物政治家の輩がいるが、これらの行為を「政治主導」と

   いうのでは決してない。

   しいていえば「政治家主導」というものである。

   という話である。

   政治主導と政治家主導。たった1字違いであるが、

   政治(行政)改革を考える上で、示唆に富む話である。

   官僚主導から政治主導へ、というのは1つの法律によって

   昨日までの官僚主導が、今日から政治主導になります。という

   簡単なものではない。

   恐らく従来の政権与党内においても、多くの人がなんとか打破

   したいと思っていたテーマに違いない。

   それだからこそ最初が肝心、最初にボタンの掛け違いを起こすと

   がたがたになるリスクも内包している。

   金と人事権を振り回しただけでは人はいきいきと動いてくれない。

   明日から10月。

   特にこの3ヶ月、1手1手、如何に最善手を打てるか?

   錦秋の季節と同時に、方向が定まる政治の季節でもある。

天高く・・の秋

   ここ数日、早朝の空は文字通りの天高く・・・の秋空である。

   いつのまにかというところに季節の奥ゆかしさを感じる。

   四季の移ろいは、日常の過ぎ行く時間のハザマで、後追いに

   気付かせてくれるが、自然は忘れることなく周期を刻む。

   日本文化の源流を遡れば、春夏秋冬に辿りつくといったのは

   誰であったろうか。四季は紛れもなくこの国の無形の財産である。

   現実の社会に目を移すと、政権交代。

   様々な意見があろうが、戦後政治の大きな流れから見ると、 

   後世の識者は「この時期での」政権交代は必然とみるに違いない。

   あらゆる組織、体制の盛衰とはそういうものであろう。

   勿論、川の流れは永遠、これからも勝ったり、負けたり。

   このところの勝負の「あや」、キーワードは「現状打破」である。

   小泉政権は郵政民営化で「現状打破」を訴えた。

   鳩山政権は文字通り政権交代で「現状打破」を訴えた。

   それに多くの国民が乗っかった。

   根は1つ、戦後60余年。ここらで現状打破をしたいのである。

   それほどの現状ともいえる。

   強引な結び付けではないが、現状を打破することは、

   それまでの文化を否定することではない。

   逆に日本文化をもう1度改めて感応することである。

   そこから再出発が始まる。

   どちらが勝つにしろ、負けるにしろ、これからの政治は

   政治手法の巧拙ではなく、政治家としての

   知性、感性、教養の総和の勝負であって欲しいと

   願うものである。

不正経理に思う

   千葉県の総額30億円の不正経理について私なりの視点である。

 1. 前知事の「まったく知らなかった」発言

     この発言の心理は、もし知っていたらなんとか手を打っていた。

     知らなかったので手の打ちようがなかった。全く遺憾、という

     自己弁護的な意味合いが含まれているのであろう。

     しかし私は、「知らなかった」方がかえって問題の根が深いと

     考えるのである。

    「県民から預かった税金をどう使うか、どう使われているか」は

    県政のトップとしての最重要の職務であり、、常に目配りをする

    最大の関心事ではないのか。

    つまり「知らなかった」ということは「私はあまりそんなことに関心が

    なかった」ということと同義語にならないか。

    さらには、「私は知事としての最大の責務を怠った」ということにも

    なりかねないではないか。

    5万や10万の不正経理なら「知らなかった」で済まされるとしても

    事は億単位の金額である。

    ジャーナリズムも「本当に知らなかったのか」なんて三面記事的な

    追求よりももっと問題の本質に迫ってほしいものである。

 2. 原因は「今の予算システム」という発言

    このような不正経理が長年に亘って行われてきたのは、

    予算を使い切ってしまうという今の予算システムに問題がある

    という多くの論者の発言があった。

    全く同感であるし、それ自体正しい発言だと思う。

    ただもしそれが主因だとすれば、同じ予算システムの他府県も

    同様の不正経理が行われているとしないと、論理的に辻褄が

    合わなくなる。

    即ち、千葉県だけがこのような不正経理を続けていたのか、

    あるいは「恐らく他府県でも・・・」とするのか。

    もし、前者であれば千葉県独自の問題を明らかにする必要が

    あるし、後者であればより問題は深刻になる。

    そこまで踏み込まないと、文字通り評論家的発言で終わってしまう。

    なお現行の予算システムの問題点はすでに何十年も前から指摘

    され続けているが、今も改革されずにいる。

    実はこの方が遥かに大きく、深刻な問題かもしれない。

 3. 「納品の規定を速やかに整備する」という発言

    これは千葉県管財課の発言(コメント)である。

    一寸待ってくれというのが、私の視点である。

    勿論整備は大いにやるべきであり、それ自体間違ってはいないが

    事の本質は何かということである。

    一般的な組織の悪弊であるが、なにか問題が生じると、追求の

    矛先が組織の上から下の現場へ下ろされるという傾向がある。

    今回の問題も、数人の心無い人が不正を働いたということなら

    今後、納品業務(担当者。事務処理)のチェックシステムを見直し

    整備していく、ということでとりあえずの対処とはなる。

    ところが今回は、そんなレベルではないだろうというのが

    誰の目にも明らかである。

    言い換えれば、対応策の核心は、現場の改善というレベルではなく

    いかにこの際組織の中枢(予算システム、体質、風土、人事等)に

    メスを入れるかということが、試されている。と考える。

                                       以上

    

    

    

夢の島にて

   夢の島 といっても夢のような島のことではない。

   東京湾埋立地のあの「夢の島」である。

   今や地価相当の立派な大都会の一角ではある。

   その夢の島公園に「第五福竜丸」展示館がある。

   年配の方は、「あの・・・」とお分かりの船である。

   今回初めてその実物を見て、一寸驚いた。

   長さ30メートル弱、幅6メートルで、しかも木造である。

   実際自分の目で見ないと実感しないものである。

   昭和20年代、この小さな船で、太平洋遥か、マグロ漁船として

   活躍していたのかと思うと、改めて「現場」の迫力を思い知る。

   昭和もそのうち遠くなりにけり。

   今のうちに、昭和の歴史を自らの目で確かめておくために

   機会を捉えてはこつこつと歩こうかと思っている。

   「第五福竜丸」も、しかり、昭和の歴史は今日の問題そのものである。

   

      

不幸の正体

   「幸福論」は、あらん限りの知恵を絞っても1行もでてこない。

   これは哲学者にお任せするしかない。

   「不幸論」 これならなんとかなりそうだ。

   果して絶対的な不幸というのは存在するのか?

   居酒屋における酔っ払い仲間の極めて真面目(?)なテーマである。

   平均的日本人の特性として、「不幸」は相対的に、他者との比較に

   おいて認識される。なんて生意気な一応の結論。

                    A夫人は、夏休みに家族で箱根に2泊旅行。

        楽しい旅行から帰ってきた矢先、隣家のB夫人から 

        家族で北海道に行ってきたと聞かされ、たちまち一転

        塞ぎこむ。  私はなんて不幸なの・・・。

        内心優越感に浸るB夫人、ところが数日後

        C夫人から明日から家族でハワイ、と聞かされ

        それまでの幸福に満ちた思い出が一掃。

        私はなんて不幸なの・・・。

   物理的な距離が、幸、不幸のリトマス紙になることの不可解さを

   知りながらもその蟻地獄に落ち込んでいる人間の切なさ。

   絶対的な不幸とは・・・、このテーマで酒量に比例して大いに

   盛り上がる。

   なれの果てに、結局不幸の正体は・・・「嫉妬」という結論。

   ちょっぴり「哲学」的な雰囲気になったところで

   今宵の酒席も無事お開き。

   

   

再生のキーワード

   典型的な無党派層に属する立ち位置から、あえて自民党の再生如何に

   ついて考えてみたい。

   過去、一時的にしても市民から強力な支持を得た首長(たとえば鳥取、

   三重、岩手、宮崎、大阪)にはある共通点がある。 

   それは「情報公開」への愚直なまでの取り組みである。

   長年政権与党の立場を維持し続けた自民党は、「お上」意識の名残

   なのか、余計なことは知らしめないという垢が溜まってしまった。 

   この隠蔽体質こそ政治不信(自民党不信)への元凶であり、今回の

   自民党大敗の真因ともいえるものではないだろうか。

   たとえば年金問題。

   本来、政権与党であり、情報が得られやすい自民党が実態把握し、

   それを的確に情報公開し、この対応についてこうするという順序で

   問題解決に努めるべきところ、実態(社保庁体質)の隠蔽側という

   イメージを与えてしまったことは致命的であった。

   そこで今後の再生であるが、与野党という立場に拘わりなく、

   如何にこの隠蔽体質を排除し、「情報公開」に徹することができるかが

   政治への信頼、わけても自民党への信頼を取り戻す重要なキーワード

   かと考える。

   勿論、今後政権を担うことになる民主党についてもこのテーマが

   より試されることになる。

   いづれにしろ、オウンゴールでゲームが決まるのではなく、

   堂々と点を取り合って勝敗が決まるゲームを見たいものである。

   

   

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