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2009年11月

公孫樹の秋

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     私の知る限り、東京のイチョウ並木は、神宮外苑と

     昭和記念公園のイチョウである。

     毎年、可能な限り見頃の時期に訪れるようにしている。

     ああ今年もこの風景を・・・という単純な行事のようなものである。

     

     今年はある期間、迎賓館の前庭が開放とのことで、

     晩秋のある日、信濃町から四ツ谷界隈を散策することにした。

     確かエントランス正面に小磯良平の絵が飾ってある館内には

     入ることは出来なかったが、広々とした前庭に立つだけでも

     それなりの風景である。

     年間の稼働率は?なんて野暮なことを考えたりするのは

     ここ数日の「事業仕分け」に影響を受けた庶民の悪い癖か。

地位の重み

    偶には大相撲の話でも・・・。

    今場所6日目を終わって、5大関の成績は16勝14敗。

    市場独占団体だから持続しているが、市場競争下の組織なら

    崩壊の危機水域である。

    各々一生懸命なのは解かるが、勝ち負けがはっきりする世界。

    厳しいものである。

    

    大関は負け越しても来場所勝ち越せば維持という規定が

    あるらしい。

    この本来意味するところは、大関という地位の重みに対する

    畏敬が含まれている筈である。

    が、現実はセーフティネットになっているのでは・・・。

    この規定では、かど番で勝ち越すという条件であれば、

    1年6場所90戦のうち、24勝(勝率3割以下)で大関を維持できる

    ことになる。

    (勝ち越した次の場所で全敗しても、その次の場所で8勝すれば

    維持。即ち1年6場所のうち交互に8勝すればいいことになり

    1年24勝で維持できる。あくまで計算上の話であるが・・)

    勿論この規定導入時点では、考えもしないし、ありえない事で

    あったのであろう。

    それほど大関という地位には重みがあったのである。

    今の大相撲、後継者が見当たらず、したがって過酷なトップ争い

    もない興行の状態。良かれ悪しかれ、2横綱さまさま。

    品格云々なんていっている余裕はない筈。

     

    まあ、所詮部外者の戯言。

    深刻に論評することでもないか・・・。

東京という街

    ミシュランから東京の三ツ星レストランが発表され話題になっている。

    生憎(?)馴染みの店は1軒もない。

    値段を気にしながら、さも訳知りの如く食しているより、

    気のおけない仲間たちと旬の肴で一杯やっているほうが

    分相応というものである。

    フランスのお方にお教え頂かなくても、手頃で旨い店は

    当方で探せます、ということにしておきたい。

    さてそんなことよりも、ある統計によると、東京にあるレストランの

    総数は16万軒あるとのことである。

    一概に16万軒といっても、どう判断するか難しいところであるが、

    ニューヨークが2万5千と聞かされると東京の多さに一寸驚く。

    ただ、冷静に周りを見渡せば、如何に東京という街が飲食店で

    満ち溢れているかに思い知り、16万という数字もさもありなんと

    納得できる。

    確かに和食だけでも全国の郷土料理店をはじめ、鮨・鰻・てんぷら

    おでん・…等々 さらには中華・フランス料理・イタリアン・

    から居酒屋まで多種多様さにおいて圧倒的である。

    如何に日本人の食に対する貪欲さ、よくいえば探究心

    チャレンジ精神は見事なものである。

    この16万という1つの数字からも、日頃何気なく見落としている

    東京という街の特質が、また日本人の食に対する特質が

    浮かび上がる。

    他方、この16万軒から、日々出てくる大量の売れ残り、

    食べ残し等も東京という大都会が有する一面である。

    どの都会も常に光と影を内包して息づいている。

ある景況観

    長年の習性で、地方に出掛けるとその都市の景況が気になる。

    果して、京都はどうだったか?

    結論としては「良くない」の一言。

    いわゆる繁華街といわれるところの賑わいが低調である。

    中高生のグループが目立ち、一見にぎやか観はあるが、

    元々彼ら、彼女たちの消費には限界がある。

    肝心の中堅サラリーマン層が退社後街に繰り出していない。

    ミドルクラスの動きが鈍いと景気は上向かない。

    必然的に中クラスの飲食店が低調を余儀なくされる。

    安く、手じかな店に客足が移動していることが、街を歩いて

    いるだけで感じ取れる。

    夕方の6時台、平日ではあるが、席が1つも埋まっていない店が

    散見された。それなりに設備に金を掛けている店においてもである。

    一方、比較的高級な店には客が入っており盛況感がある。

    面白い現象ではあるが、いつの時代にでもレベルを落とす必要の

    ない金持ち連中が一定割合は存在するということか。

    但しこれらはいわば織り込み済みであり、全体の景気を押し上げる

    起爆剤にはならない。

    これらが数日滞在した京都の景況観である。

    所詮景況は第一印象が案外大事。

    長期滞在したからといって精緻に正しいというわけではない、

    といった言い訳で、京都在住の皆さんお許しを。

    

       

新空間

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               JR京都駅 構内

     今までにないもの(オリジナリティ)、すなわち

     新境地への挑戦こそが、芸術の本質という見方がある。

     確かに、芸術の都といわれるパリは、あらゆる分野において

     新境地への挑戦の歴史を背景としている。

     郷土自慢めくが、京都も、ただ古いものを守っているだけでなく、

     案外新境地への挑戦を続けている点でいい線をいっている。

     

     この京都駅についても、当初賛否両論あった。

     京都らしさ路線と、今までにないオリジナリティ路線との戦いである。

     新境地への挑戦にはどのような場合にも抵抗はあるものである。

     が、結局後者が選択され今日に至る。

     好き嫌いも含め様々な意見があろうが、今の京都駅、結構

     しっくりと収まっているように感じる。

     従来の駅舎というイメージから飛躍したオリジナリティを

     感じる。

     京都の街にも芸術のDNAが生きていると思いたい。

     

比叡の秋

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       11月初旬 京都への旅。

       紅葉には少し早い時期ではあったが、

       そこはそれ、京都に生まれ育った強み。

       迷わず比叡の山頂を目指した。

       期待に違わず、一足早く京都の錦秋を

       満喫することができた。

       日暮れてからの旧友との「酒と肴」は

       云うまでもない。

       

修行の地

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    親鸞修行の地に立つ。

    ここは奥深い比叡山の一角である。

    今でこそ京都市内から車で近傍まで1時間足らず。

    そこからここまで歩いてたどり着くまで結構な起伏。

    現代人の脆弱さが身に浸みる。

    然るに当時、

    彼は何を想い、何を感じてこの地に至ったのか?

    月と星の光だけの中で、雨風の夜は漆黒の闇のなかで、

    ぽつねんとひとり、対峙していたに違いない。

    書物だけで知りえたと思っていることが、

    ほんの一部であるということを、

    実際の地に立ってみて、しみじみと思い知る。

    

              

       

国宝の前で

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              西本願寺  唐門 (国宝)

 

      西本願寺と龍谷大学に挟まれた静かな道がある。

      車乗り入れ禁止で、人の往来も稀な道である。

      そのほぼ中程に同寺の唐門(国宝)がある。

      これを見るために地図を片手に訪れる旅行者を

      時折見かけるが、少なくとも団体客がどっと押し寄せると

      いうようなことはほとんどない。

      このため近辺では常に静かである。

      

      幼い頃、大人に連れられてよくこの道を歩いた。

      子供にとっては、恰好の遊び場でもあった。

      

      後年、京都を訪れる(帰る)度にこの道を歩く。

      いつのまにか自然にこの道を歩いている。

      考えるに、子供の頃、何思うことなく国宝の前で

      遊んでいたことになる。

      なんとも贅沢な遊び場である。

      国宝の前で遊んでいたからといって、決して高貴な

      人間に育つわけではないが、今もこの道を歩くたび

      育った環境に感謝し、暫し清清しい気持ちを

      取り戻させてくれる場所としての思い入れを

      忘れないでいる。

      

      

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