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2009年12月

大晦日雑感

    若い頃は、各家庭で餅をついたものである。

    家々で餅をつく日が決まっており、我が家では毎年28日。

    さらに晦日には何、元旦には何と年末年始に行う事柄が

    定まっていた。

    いわゆる京都のしきたりめいたものであるが、それも親父の代までで

    私の代ですっかり様変わりになってしまった。

    時の流れというやつである。

    そんな訳で、今年はお世話になったある先輩の墓参りに出かけた。

    暫し思い出にふけりながら、静かに合掌。

         上を見れば、上は青天井。

         下を見れば、下は底なしの沼。

         一喜一憂しながら、60有余年。

         元気に新年を迎えられることこそ晴朗である。

         両親はじめお世話になった方々に感謝の念。

    墓参帰りでの雑感である。

                 2009 ・ 12 ・ 31

    

    

稀有の人

    毀誉褒貶様々あるが、

    田中(角栄)さんは、専ら自らの政治的才覚で「金」と「力」を手に入れ

    総理の座まで上りつめた。

    他の元総理達も似たりよったり、「金」と「力」が苦労の種。

    悪戦苦闘を経てそのポジションを掴み取っている。

    これに対し現総理は、自らの手をあまり汚さず両方を得、

    今の地位に収まった稀有の人である。

    当たらずとも遠からずであろう。

    「金」は母の慈愛によって、「力」はある人の豪腕に支えられ・・・。

    誠にもって、生まれながらにして幸運にして強運の人である。

    勿論、強運も実力のうちである。

    こういう人には「友愛」という言葉がよく似合う。

    少なくとも、田中さんはじめ他の総理経験者には似合わない。

    (似合わないというのは、政治権力闘争の場においては

     誉め言葉でもある)

    願わくば、この強運をわが国の行く末にも、そして我々庶民の

    生活にも分かち与えたまわらんことを切に祈る。

                         クリスマスを前にして

漱石とおにゃんこ

    若い頃、大阪で勤務していた頃の話である。

    当時はまだ土曜日も午前中出勤(半ドン)であった。

    ある土曜日、仕事を終えて大阪厚生年金会館に、ある劇を観に行った

    ことがある。

    ところが会館近くまで行って驚愕した。

    当日券は十分買えるとタカをくくっていたのに、なんとすでに

    数百人とも思える大勢の人達がずらっと並んでいるではないか。

    予想もしなかった光景に一瞬唖然とした。

    仕方がない、諦めて帰るかと思ったが、待てよ、なんだか変なのである。

    並んでいる人達がほとんど若者なのである。

    そんなに若者が殺到するような劇ではない筈なのに・・・。

    怪訝な面持ちで、ダメ元と列の先頭の方に歩いていった。

    売り場は2つあり、彼ら、彼女らは大劇場の方の入り口に

    並んでいたのである。

    そこには「おニャン子クラブ」云々と大書されていた。

    小劇場の窓口はと見ると、並ぶまでもなく次々とチケットを

    買った人が館内に入って行く。

    私もすぐに買って中に入った。

    漱石の「こころ」の舞台化であった。(主演 加藤 剛)

    漱石、おにゃんこに敗れる!

    どうみても興行的には圧倒的な差をつけられての敗北である。

    今もなお、売れる企画が幅を利かすのは仕方のない事である。

    だが、1つのモノサシで全てが覆い尽くされる世界は味気ない。

    一遇には常に「こころ」を大切にしている人達がいる。

    

    

    

初めての邦楽

    昨日は、Y氏夫人が出演される箏、三絃の会が国立劇場であり

    聴いてきた。

    直接こういった会で邦楽に接するのは全く初めてであった。

    

    初めてスキー板を履いて雪の上に立った人に雪質を尋ねても

    答えられないのと同じように、門外漢の私にはどの曲も同じ様に

    聞こえ、又、洋楽や合唱ならある程度曲によって自分なりの好みや

    出来不出来が感じられるが、そこまでの感応力が当方にはない。

    勿論演奏者は邦楽界著名な方々・・・。あくまで当方の問題である。

    いずれにしろ初めての経験。今まで使ったことのない脳細胞が

    動く出すような奇妙で、面白い機会を得ることができた。

    それなりの年を重ね、この世の中分かったような面をして

    生きているがその実、何も知らないことばかり。

    1%にも満たない狭い世界で生きている事を改めて思い知る。

    偶には未知の世界に首を突っ込むのもいいものである。

    (学んで己の無学を知る)

潤沢な時間

    他愛のない事が妙に気になって、小骨のように

    ケリが付かないことがまま有るものである。

    今年松本清張生誕100年ということで、氏原作の往時の映画が

    テレビで特集としてやっていた。

    そんな中で、偶々「黒い画集」を観た。

    主人公は丸の内にある会社の中堅サラリーマンである。

    気になったことは、実は映画の中身ではなく、彼ら勤め人が

    明るいうちに(恐らく5時頃)仕事を終え、それぞれビルから

    出てくるシーンが何度かあったことであった。

    主人公はその後、映画を観て(当時は2本立て)家に帰り夕食を

    食べるのである。

    それが決して特殊な事情ではなく、日常的な光景として・・・。

    

    「そんな時代もあったねと・・・」口ずさみたくなるような

    場面がどうも気になったのである。

    当時の方が今よりも、遥かに国民全体としては貧しかった筈である。

    その後、高度成長を経て、今の方が遥かに住環境も、物質的にも

    豊かになっている筈である。

    そういえば当時、どのデパートでも週1日定休日があった。

    正月にはほとんどの商店が休み、世の中全体がゆったりと

    新年を過ごしていたような気がする。

    一体、経済や社会が高度化するということはどういう事なのか?

    豊かな生活、豊かな人生とはどういう事なのか?

   

    現役を離れた身では、どうでもいいことかもしれないが、

    「黒い画集」の1場面をきっかけにそんなことを想い巡らせている。

    

    

実態との乖離

    経済が深刻である。

    教科書的には、日銀の景気政策は、公定歩合、公開市場操作

    (買いオペ、売りオペ)、預金準備率操作の3つ、と教えられた記憶が

    あるが、限りなくゼロ金利水準にある現状で、公定歩合操作が

    その有効性を発揮するとは考えにくい。

    また、金(かね)の余剰がストレートに設備投資や消費に結び付かない

    状況では、買いオペ、売りオペ、預金準備率を操作したところで、

    目に見える効果は期待出来ず、精々「精神安定剤」程度である。

    さらには、グローバルな経済状況の中で、国内政策だけでは

    舵取りにも限界があるという要素が益々加重化してきている。

    さあどうしますか?日銀。

    少なくとも、昭和の時代に学んだ経済学(政策論)が

    通用しなくなってきているのではないか。

    勿論、国内有数の頭脳集団のこと。日銀内においても

    日々研究、研鑽されていることとは思うが、

    相当思い切った発想の転換が必要ではなかろうか。

    政府内一部に、「政府紙幣」の発行検討・・・ということが

    漏れ聞こえているが、多々デメリットがあるとしても

    これ位のことを思い切って前向き検討する気運は可としたい。

    いずれにしろ、外科医が使えるメス(政策)を失くして、

    検査(分析)ばかりしていても患者(国民)は助からない。

    

読了

    今年4月から読み始めた、山岡荘八の「徳川家康」(全26冊)

    本日(12月5日)読了することが出来た。

    約8ヶ月掛かったことになる。

    なんとか年内に読み終わりたいと、月3冊のペースを目安に

    してきたが、まずは予定通りにてホッと一段落である。

    今回完読は2回目であったが、記録メモによると、1回目は

    昭和52年に読んでいる。

    その時は6月14日に読み始め、9月23日に読了している。

    約3ヶ月で26冊を読み終えており、当時如何に若かったか!

    逆に言うと、今回、年はとりたくないものと感慨一入。

    なんとかゴールに辿り着いたという感じである。

    なお、作者の山岡荘八は40歳から、2年間準備段階に入り、

    42歳から執筆開始、60歳にこの作品を仕上げている。

    なんと働き盛りの約20年間、この作品に費やしていたことになる。

    それを思うと、読み手側はあまりああだこうだと言えなくなる。

    1回目とは全く異なる読後感なり、視点を持つことになったが

    それはまたおいおいという事で、今宵は1人静かに盃を傾け、

    読後の余韻にでも浸ることにしましょう!

    

    

今年の映画

    書棚を見れば、その人の内面が解かる、とはよく聞く話である。

    映画もそれと似たところがあるのかもしれない。

    あえて今年、映画館に足を運んで観た映画を記してみると

            感染列島

            グラントリノ

            おくりびと

            7つの贈り物

            マテルフィ

            火天の城

            ビィヨンの妻

            沈まぬ太陽

    といったところである。

    書物の場合は、直接本屋に行ってパラパラと感触を確かめ

    選択できるが、映画の場合はそういうわけにはいかず、

    特に昨今の映画は、題名だけでは、ジャンルすら分らないものが

    多く、どうしても風評等に頼るところがある。

    ところで、長年映画は専らテレビ画面で観ることが多く、

    映画館に足を運ぶことはほとんどなかったが、

    「違いが判る」年齢(?)になり、できるだけ映画館に足を運ぶ

    ようにしている。

    今年の場合、選球眼はまずまずであった。

    我々の世代では、旬の俳優とかどうとかは、全く関係なく、

    要は自分の感性に合うかどうか、その直感で選んでいることが多い。

    そういう意味では、書物と同様、より「人間がでる」のかもしれないが、

    自分で自分のことが見えるわけでもない。

    なにを観たか、そのリストと少しの余韻が残るだけである。

    

    

    

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