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2010年2月

参議院の存在

   今夏の参議院選挙に向けて与野党ともそれを意識した発言なり行動

   なりが目立つようになってきた。

   選挙が近づくにつれ、政治家の頭の中はそれ一色になるのも

   現実的な様相ではある。

   政党政治である限り、どちらが多くを制するかによって政治の世界が

   一変するのだからある程度やむをえないところもある。

   

   ところでその参議院だが、立候補者の公認は現衆議院(一部参議院も 

   含まれているが)の党幹部の手の内にある。

   政党政治だから当然そういうことになるのだが、その手順によって

   当選した党公認参議院議員は、本来の参議院議員としての使命を、

   しかも党議拘束というしばりのなかでどのように行使していくので

   あろうか。

   いやなたとえだが、自分の首根っこを抑えている人達(衆議院)に

   よって可決された法案(ということは党内で決定済み)を参議院として

   同じ党に属する議員(特に新人議員)は、参議院に課せられた本来の

   使命をどのように考え、どのように実行するのだろうか。

   又、衆議院で落選した人が、鞍替えして立候補するという場合の

   参議院というのは一体何なのだろうか。

   衆議院の被選挙権は25歳以上に対し、参議院は30歳である。

   この年齢差の本来意味するところを考えるにつけ、参議院の存在

   の重さは、政党政治のなかでどう維持、発揮されているのだろうか

   という率直な疑問がある。

   政党政治自体を否定しているわけではなく・・・、また参議院議員の

   中にも、その本来の存在使命のために苦闘されている人が

   いることを期待しつつ・・・。

「努力は裏切らない」か?

  目下冬季オリンピック真最中。

  頂点を極めたアスリートが、自らを振り返って「努力は裏切らない」と

  いう言葉を発する時、強い説得力を持って我々のこころに響く。

  ただ、どの分野においてもその領域から遥かに遠いところで、悪戦苦闘

  しているか、あるいはその苦い経験がある者にとって「されど・・」という

  気持ちがどこかに潜んでいるのではないだろうか。

  あらゆる事に挑戦するのだが、今1つ、モノにならなくて挫折することが

  多い者にとって(私もその範疇)、努力が足りないからと言われるのは

  当っているところがあるだけに切ないものがある。

  あたかも宗教家に「○○が得られないのはまだまだ信心が足りない」から

  と言われた人が感じるのと同じ空虚感かもしれない。

  私の周りでいろいろな事に挑戦し、みるみる上達し一定の域に達する

  マルチ人間のような人がいる。

  勿論見えないところでそれなりの努力をされているのであろうが、

  どうも成功に至るコツの有る無しではないかと思われるフシがある。

  同じ努力でも、山の麓で道に迷い同じところをぐるぐると廻っている

  ような人と、素早く頂上に至るコースをある種の感性で嗅ぎ取り、

  全エネルギーを注いでその道を歩む人の差かもしれない。

  

  それでもなお、頂上に達した人から、「されど努力は裏切らない」と

  言われると弱き人間は抵抗空しくフレ伏すしかない。

  

  ところで過日、ある方の「高校球児」に関するエッセーを読んだ。

  甲子園を目指す球児達の頂点に立つのは、何千とある高校のうち

  1校のみである。他は全てどこかの段階で敗者となる。

  だが敗者に至る多くの球児たちの3年間の汗と涙はなにものにも

  変えがたい彼らの宝である。という主旨であった。

  敗者の中にも「努力は裏切らない」という言葉が立派に生きている

  ことを改めて思い知らされた。

  正しく「目から鱗」である。

  

  

 

  

縦と横

   散歩の折、広い公園広場で各々のグループで子供達が遊んでいるのを

   見かけることがあるが、その様が我々の小さい頃と少し違うように

   感じることがある。

   今の子供達のグループは、ほとんど同学年の仲間同士である。

   たとえば中学生と小学生が同じ遊びに興じているのを見かける事は

   まずない。いわゆる横社会のつながりである。

   我々の子供の頃も確かに同学年の仲間で遊ぶのが主流ではあったが、

   結構、年上、年下混ざりあって遊ぶことも多かったように思う。

   いわゆる横プラス縦社会のつながりである。

   そこで自然に年上や年下の人に対する対応の知恵(悪知恵も含め)や

   均衡(バランス)の妙を身につけたように思う。

   特別にスポーツクラブ等で縦社会を経験することなく横社会だけで

   過ごした子供達が、社会に出てはじめて縦社会に遭遇する戸惑いを

   想像すると一寸考えてしまう。

   また、年上(大人)の人達の会話を聞くことの少ない子供は、

   常識的と思われる言葉や一寸した格言めいた言い回しが欠落した

   まま年を経ることになる。頭の良し悪しとは関係ないが日常生活から

   自然と身につける「常識」が抜け落ちる懸念も生じる。

   現場をよく知らないものがあれこれ言うのも気がひけるし、

   思っているよりも結構うまくやっているのかもしれないが、

   学校においても、たとえば常に学年単位ではなく、学年を超えた

   縦グループで1つのことを仕上げるということを経験させる行事なり、

   仕組みを検討してもいいのではないだろうか。

   広場で遊ぶ子供達を見ていてふとそんなことを考えていた。

   

   。

   

   

   

ここ1番!

    幸運(勝利)の女神は、ここ1番決めるときにビシッと決めるところに

    微笑むものである。

    日本サッカー界の話題から

    協会の会長が、「プレーもだらしないけど態度もだらしない」と

    先の東アジア選手権で3位に終わった日本代表に苦言を呈したと

    報道していた。

    同選手権の表彰式に言及、「ほかの国はビシッとしていたのに

    ダラダラと立っていた、会長として情けなかった」というものである。

    どうも最近の傾向として、礼儀正しいことがダサく、少し崩れている方が

    格好いいという考えが蔓延しているようである。

    これに似た話に、ある女子大生がコメントしていた内容について

    肯かされた。

    彼女曰く、「目下就活中、普段はいくらだらしない格好をしている私

    でも、企業訪問(面接)の時は不快感を与えないようビシッとして

    いくのは当然、思想、表現、個性なんて関係ない、理屈じゃないん

    だから」

    決めるときはビシッと決める。正しくおっしょる通り。

    ついでに日本サッカー界についてもう少し・・。

    決めるときにビシッと決めてくれるストライカーが育っていない。

    その選手にボールが廻った瞬間、観客が手に汗握って次のプレーを

    見守る、それがスポーツの醍醐味である。

    野球の長島も決めるところで決めたからミスターと呼ばれた。

    日本人の情緒として、目立たないところで黙々と役割を果たす影の

    力の存在を好む傾向もあるが、光のないところに影は出来ない。

    今後のサッカー界の浮沈は強力なストライカーの出現。

    首脳陣、指導者もよく解っていることではあるが・・・。

    米軍基地問題

    容易なことではないが、ここは1番決めるときはビシッと決めて

    下さい 総理大臣殿。

    政治はPowerである。

    民主的な政治は不動の基本原理であるが、

    それをベースにしながらも、政治的なPowerによって

    物事が決められていくことも政治の現実である。

    ただPowerといっても、腕力的、暴力的なものを指してはいない。

    あの人から頼まれたら応じざるをえない、あの人がいうのなら

    間違いない、あの人なら托せる。そう思わせる力こそ文字通り

    政治家としての政治力(Power)ではないかと考えている。

    まあ理屈抜きに、ここは1番ビシッと・・・・。

    

    

  

    

    

    

    

ファンサービス

    新聞の小さな記事で日本女子プロゴルフ協会がトーナメント規定で

    「ファンサービス」を明文化する。と伝えていた。

    「優勝者は待機しているギャラリーに対してサインサービス等

    快く応じなければならない。応じることが出来ない理由がある場合は

    優勝者自らその旨を説明し理解を得ること」

    というものである。

    なんとも複雑な気分でこの記事を読んだ。

    別に協会を皮肉るというということではなく、こういう時代に

    なったのかという思いなのである。

    明文化したものがないと協会の責任が問われるという時代なのかも

    知れない。

    以前より、顧客応接企業が社員のための「サービスマニュアル」を

    作っているのは承知していたが、「ファンサービス」はそれとも一寸

    違うのではないかという思いなのである。

    少し性格は違うが、そのうち車内でお年寄りに席を譲ることも

    明文化され「次に該当する人は・・・席を譲ること」という条例が

    車内に掲示される時代がくるかもしれない。

情報過多

    全く個人的な関心度、興味の類だが、

    オリンピック選手の服装問題。私にはあまり関心がない。

    意識的に新聞記事を追ったり、テレビニュースに耳を傾けても

    いない。

    だが、普通の日常生活を続けているだけで、その概要が

    自然に身についている。無意識(無意思)のうちに目や耳から

    情報が入っており、豆知識として蓄積されてくる。

    それが話題になると、その豆知識だけの「知ったかぶり」で

    「オレはこう思う」と言ってしまいかねない自分がいる。

    テレビのコメンティターも、案外そういう程度で意見を述べている

    こともあるのではないだろうか。

    それがまた結構世論の形成に影響を与えていることもある

    のではないか。

    情報過多の時代であるがゆえに、あえてテレビを一切見ない

    という人もいるらしいが、私にはそういう形で律することも

    できないし、やろうとも思わない。

    その時代、時代のなかで、適当に浮遊していくつもりである。

    ただ、情報の渦の中にあっても、時には立ち止まって

    自分の立ち位置の確認位はしておきたいと思っている。

    

    

    

大使館あれこれ

    今から10数年前、カナダ大使館、ソビエト(ロシア)大使館の館内を

    見学する機会があった。

    カナダ大使館は、それこそどこかの国の宮廷かと思わせる

    (といっても実際に知るよしもないが・・・)ほどの素晴らしい部屋で

    今も鮮明に記憶に残っている。

    1つ1つの調度品もなるほどとうならせるセンスのよさであった。

    ソビエト大使館も、エントランス左側から広いくの字形に曲がる

    階段があり、2階正面には大きな絵が飾られてある。

    丁度、「戦争と平和」の1シーンにでてくるような設えであった。

    入館前、名前と住所まで記帳させられたが、当時のお国柄が

    出ていて一寸面白く感じた。あの来館者リストは今も

    保存してあるのだろうか・・・。

    一頃日本の大使館で贅沢すぎるということが問題になったことが

    ある。

    常識的に見て不必要な施設や、度が過ぎた華美は、かえって

    品格を疑われるが、各国夫々「威信」をかけた創りは、民間企業に

    おける広告宣伝コストとも考えられる。

    お金を掛けなくても、流石と思わせるもの、センスが問われる。

    これも企業の広告に通じることなのであろう。

    今回、フランス大使館の旧館で解体前に「ノーマンズ展」を

   やっていたので覗いてみた。

    02120004

                フランス大使館旧館 中庭

     館内は、すでに大使館の面影はなかったが、

     新館ではフランスらしい、センスが練られていることであろう。

    

    

    

    

     

舶来崇拝

    戦後長い間、舶来崇拝の時代が続いた。

    それも、わが国の工業化が飛躍的に発展する過程で見事に

    払拭されることとなった。

    モノの世界では確かに消えたが、気持ちの上では未だにそれを

    引きずっているところがある。

    一旦染み付いた思いはなかなか消えることがない。

    政治の世界でも、国内でなかなか結論がでない懸案が、

    舶来(主としてアメリカ)から言われると、あるいは圧力ですんなりと

    決まってしまうことがある。とはよく聞く話である。

    世評でも、アメリカの世論ではこうだ!という声が幅を利かす。

    時としてアメリカの論調がわが国の世論を左右することすらありえる。

    例のトヨタ問題

    私には技術的なことはよく判らないが、

    国内のマスコミは自らどれほど技術的な検証をしたうえで

    情報としてまとめているのか疑問に思うことがある。

    たとえば新聞の見出しだけを読むと、あたかも「ブレーキの

    利かない(利きにくい)欠陥車」と誤解を与えてしまうような

    ニュアンスのものまである。

    決して国内企業だから庇えというわけではないが、

    アメリカ世論の後押しで、急に元気になり一緒になって

    足を引っ張っているように感じてしまうところがある。

    日本経済にも大きな影響を与えかねないだけに、冷静な

    取り扱いが必要である。

    勿論今回のトヨタの「企業イズム」は別問題である。

    引退した横綱がハワイで何をしているか、競争のように

    日々克明に情報を伝えることもマスコミの大切な仕事・・・で

    あるらしい。

斜め読み

    世間的な話題であっても、斜め読み程度が精々で、

    少しも興味が湧かないものが多々ある。

    たとえば大相撲の理事問題。

    正直のところ、私にはどうでもいいとは言わないが、我々が

    どうこうできる類の事柄でもなく、特定の組織内の話。

    結局当事者、関係者でよく考えて対処して下さいと冷めた目で見ている。

    それよりもメディアが、意図的にかあるいは無意識なのか、時の人、

    東京在住の貴乃花親方が京都宇治市の「龍神総宮社」で

    節分豆まきをしたとさらっと伝えていることに色々な意味で

    関心を持った。

    

    ついでに例の横綱引退問題。

    論評するほどの情報を持っていないが、斜め読みして気になった事。

    本人のことではなく、親方(協会)の存在について。

    部屋の親方というのは、力士で年寄株を持てば誰でもなれるらしい。

    特に資格要件(横審のような推挙認定制、指導者としての資質、

    能力等)もないらしい。

    過去の経験だけを頼りに、天下の横綱を指導、監督することが

    出来るのだろうかという、素朴な疑問。

    (プロ野球の監督も似たところがあるが、彼らは常に第三者の

    厳しい評価に晒されており、当然更迭もある)

    特定の親方のことではなく、現制度,体制の問題として。

    

    

    

    

    

      

東風吹かば

     梅は咲いたか、桜はまだかいな

     早や2月である。

     02010005

                2010 2 1   谷保天満宮

      谷保天満宮では、梅がすでにちらほらと咲いていた。

      写真左下は、山口 瞳文学碑である。

      流石に人影はまだほとんどないが、もう少しすれば

      この梅園も人・人・人になるのであろう。

      この時期に訪れるのも1つの風情である。

      天満宮といえば、福岡太宰府と北野天満宮であるが、

      先年北野天満宮に行った折、ここの前身,元々の

      「天神信仰発祥の神社」は「文子天満宮」であることを

      初めて知った。

      信仰の発端が文子(巫女という説もある)が受けた

      神の啓示(おつげ)というのも興味のある由来であった。

      

      

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