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2010年3月

出会いと別れ

   大半の学校、職場では、4月に新年度を迎える。

   今年は例年になく寒さが残っているものの、桜の季節に多くの

   出会いや別れがあるのは如何にもこの国の風情である。

   悲喜交々、希望と不安の季節。これもまた人生模様なのであろう。

   リタイアーした身にとっては、これといって変化のない日々ではあるが、

   長年浸みこんだ習慣なのか、特別の感慨を持って自然に生活の

   区切りにしていることに気付かされる。

   

   恒常的な出会いの機会はなくても、「モノは考えよう」

   1冊の本を手にすることで、古今東西様々な人と邂逅することが

   出来る。 未知の人は無限である。

   本を手にしなくなればそれが『別れ」

   出来る限り、多くの出会いを楽しみ続けたいものである。

   

   

   

   

外から内を見る

   為替の動きを1つだけの要因で説明するのには無理があり、様々な

   要素が絡まって複雑に動くことは一応承知しているつもりである。

   が、24日 2円の円安に大きく動いた要因として、今年度の予算成立が

   影響していることは十分考えられる。

   海外から見ると、予算の中身、たとえばこども手当、高校無償化等々

   ではなく、あくまで予算規模、それも歳入と歳出のバランス、財政状況

   それらが関心の対象であり、その結果としての円安(一時的な反応

   だとしても)ということであろう。

   内にいると、どうしても個々の事情なり背景、あるいは実情に精通する

   だけに いわゆる「木を見て森を見ない」状況に陥りがちになる。

   その結果、仕方がない、やむをえないと、納得することになる。

   その点、外の立場はドライで合理的である。

   結論(結果)だけで判断するので、妙に的を獲るということにもなる。

   決して外(海外)の声におもねることはないが、

   時には外から内を見るという姿勢も必要ではないだろうか。

   船内でポジション争いをしている人達には

   船が傾いていることに気付かないものである。

   

   

隣り合わせの危機

   3月20日 あの地下鉄サリン事件から15年が経つ。

   関係者には今も日々忘れる事のない悪夢であった事であろう。

   

   丁度私もあの日あの時刻、別の線であったが地下鉄に乗っていた。

   勿論事件の全容は後で知る事になるが、ある駅で乗り換えようと

   したところ、『お乗換えの方はこのまま○○駅まで行って下さい。

   この駅でのお乗換えは出来ません」との車内アナウンスがあった。

   この時点では事故とかなんとかの理由は言われなかった。

   恐らく何が起こったのか掴めていなかったのであろう。

   変なアナウンスだとは思ったが、まあなにかアクシデントでも

   あったのかと指示に従いそのまま乗り続けることにした。

   (その時点ではまだ全線とも不通状態ではなかった)

   もしそのアナウンスを無視して、電車を降り乗り換えの方向に

   向かっていれば「現場」に近づいていたことを後になって知った。

   また、身に降りかかる危機ではないが、1970年 市谷での

   三島由紀夫事件。あの日も偶然ごく近くの企業の応接室にいた。

   「なにかあったようですね」とか言っていた事を覚えている。

   当時はまだインターネットとか携帯電話が普及する前だったので

   リアルタイムにニュースが伝わるということがなかった。

   恐らく周りが騒がしくなっていたのか、あるいはヘリコプターの

   騒音だったのか、今では定かではない。

   長い間には、結構様々な予期せぬ出来事に遭遇するものである。

   新聞は日々大小様々な事件、事故、災害を伝えている。

   どのように気を付けていても絶対安全とはなりえない。

   『もしあの時・・・だったら」とヒヤリとした経験は誰にでもある。

   曲がりなりにもなんとかその危機を免れ、今日、命のあることを

   感謝したいものである。

   

   

アンコール

   「アルコール」ではなく「アンコール」の話である。

   鳴り止まない拍手に応えるようにやおら指揮者が舞台の袖から

   恥ずかしげに再登場し、アンコール曲の演奏が始まる。

   クラシックフアンにはお馴染みの「儀式」である。

   どうもあのアンコールという儀式に馴染めないでいる。

   根っからのクラシックフアンでもない私がとやかく言う事でもないが、

   それでも時々聴きにいくこともある。

   プログラムのラストナンバーが終わると、拍手、拍手・・・、それはそれで

   いいのだが、なんとなく気恥ずかしい拍手も混じって拍手が続く・・・。と

   いかにもタイミングを計っていたかのように指揮者がこれもなんだか

   気恥ずかしさを内に秘めて舞台に現れる。

   あたかも予定外という風を装って・・・。

   あのなんともいえない「知っていながら知らない素振り」というか、

   『計算通りを計算外かのように」演じる装いがかもし出す

   あの微妙な雰囲気がなんともどうも・・・・。

   「常連客」のようにすっきり溶け込めないのである。

   もう満腹なのに上手そうなデザートを出されると別腹と称して

   食べなきゃ損というときのあの気分・・・。

   予め決まっているのなら、プログラムに入れておいてよ、という

   単純にしてまっ正直な感想。

   あの微妙なデザートの出し方がクラシックフアンを魅了しているのかも

   しれないが・・・。

 

   最近落語会でも、アンコールに応えて短い噺をする事があるらしい。

   流石に歌舞伎では一寸考えられない。

   鳴り止まない拍手に応えて急遽短い一幕物・・・ありえない!

   勿論上手そうなデザート(聴きなれた小品)をアンコールとして

   頂戴するのも悪くないが、予め予定された曲を聴き終え、

   余韻を残しながら会場をあとにするのも、それはそれでコンサートとして

   気品があるのではと、密かに想っている。

   クラシックフアンから「『軽蔑の眼差し」を覚悟して・・・。

   

   

いつか行く道

   鎌田 實さんという方がおられる。先生とお呼びしたほうがいいのかも

   しれない。

   先生の病院(諏訪中央病院)のロビーに次のような言葉が掲げられて

   いるとの事である。それをここに記させて頂く。

        人格を尊重される権利

        平等な治療を受ける権利

        最善の治療を受ける権利

        知る権利

        プライバシーの権利

        自己決定の権利

   これほど患者側の願いの要点をしかも的確に表されているのは

   少ないのではないだろうか。

   また、この病院で行われている訪問看護の理念は次のようである。

        その人らしく生きることを支援する

        対象者とその家族を尊重する

        自立、自律への援助を行う

        最後まで共に歩む

   現場では様々な葛藤もあるだろうが、

   特に4番目の『最後まで共に歩む」というメッセージは、本人はもとより

   家族にとってどれだけ励まされ、勇気を与えられるかを想うと

   こころが熱くなる。

   高齢者社会を迎え、誰もが身近にいつかは行く道である。

   鎌田先生の医師としての理念は、「最も大切なもの」 がなんであるか

   を差し示してくれている。

   

   

   

        

付加価値という魔物

   この世に付加価値という魔物が住み着いた。

   生産者も消費者もその製品(商品)本来の価値よりも、それに付加

   されているもの、付加価値に踊らされるようになった。

   最早、製品(商品)そのものの良さを競う時代は過ぎたようである。

   誰も彼も、他のモノに比べ、なにが付いているか、なにが出来るか、

   いわゆる差別化という名のもとに、付加価値というモノサシで

   生、費双方が血眼になってきている。

   この結果、製品本来の品質に欠陥が見つかると、双方とも足元を

   救われたように脆いところを露呈してしまう。

   製品本来の品質向上を目指して研鑽している人達の目は、今も昔も

   純粋で輝いている。そういう人達がだんだん少なくなってきているという

   ことなのか。

   

   我々人間も同じではないか。

   中身のない、空っぽの人間がいくら外面で勝負していたとしても

   空しいだけである。

   本人もそれを取り巻く人達もそれを見抜く目を失くしつつある。

   付加価値を付けて一発勝負、売れれば勝ちの世になってしまった。

   名人落語は30年前の噺を今もやる。

   品質(名品)とはそんなものであった。

   付加価値という魔物はほっておくと益々増長してこの世を席捲する。

京の美術展

   今回の京都滞在中、2つの絵画展を覗いた。

   1つは、「アール・ヌーヴォーのポスター芸術展」 あと1つは

   「生誕110周年記念 山本丘人展ー魂の抒情詩ー」である。

   全く色合いの違う絵画展であったが、夫々に興味深く観た。

   前者はクリムトやロートレックのポスター類で、ポスター芸術といての

   地位を確立した時代の作品の数々。でそれなりに見ごたえがあった。

   後者は文字通り日本画の巨匠.凛とした格調のある作品。で

   値打ちのある絵画展であった。

   私の好みとしては、特に『地上風韻」が印象的であった。228_3_thumb

               山本 丘人  「地上風韻」

    なお、さらにアマチュアであるが長年絵画を趣味として親しんでいる

    義兄が作品展を行っていたので覗いてみた。

    身内の作品を見るのもこれはこれで楽しいものであった。

歴史の舞台

   昨年、山岡荘八の「徳川家康」を読んだ繋がりで、10年振り位で

   二条城を訪れた。

   ここは、中学時代運動部で城の周りを走ったことや、後年ほんの1時期で

   あったが近くのマンションを借り1人住まいをしたこともあり、なにかと

   思い出深い場所でもあった。

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   約千坪の二の丸御殿(国宝)はいつ訪れても圧巻である。

   各部屋を見て廻るだけで450メートルの廊下を巡ることになる。

   家康と秀頼が会見した部屋、大政奉還が発表された部屋など

   一時期の歴史そのものの舞台が目の前に現れる。

   時間を経ていても、その空間に身を置くことによってある種の

   感慨が湧き興味が尽きない。

   もし柱や廊下が言葉を発することができれば、生き証人として

   何を語るであろうかと想ったりする。

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              二条城 本丸 全景

   熊本や松本のように、市内を睥睨するかのように聳える天守閣も

   城として素晴らしいが、やはり奈良や京都には天守がない平城が 

   収まりがいいのではないか、高台から本丸の全景を見ながら

   そんなことも想っていた。

    別途  城とは全く関係ないが、ある親しい住職の「いたずら書き。」

        「  南 都 河 鳴 砂   鳴 歩 渡 双 海 」

      隆とした毛筆で書かれるとなんだか有難く感じてしまうが・・。

      それともやはり深い意味でも込められてあるのだろうか・・・。

      

風情と人情

   「そうだ、京都、行こう。」ということで明日から京都に出かける。

   といっても主目的は法事を執り行うことではあるが・・・。

   およそふるさとにしろ、何処にしろ,旅はその土地土地特有の風景なり

   名品、名産に直接接することであるが、つまるところ、それらを通して

   その土地土地の風情、人情、そしてそれらが一体として醸し出す表情に

   触れることではないだろうか。

   見知らぬ土地で、見知らぬ人に道を尋ねて、一言教えてくれたその

   言葉、顔の表情が、ふんわりとした想いとして残ることがある。

   そんな些細な旅の途中の出来事が、その土地の連想として最初に

   出てくるイメージにすらなりえる。

   風情、人情、表情に触れるため、我々は旅にでるのかもしれない。

   そんなわけで、このブログも1週間ほど旅行中・・・。

   

   

   

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