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2010年4月

霊気漂う

   霊気とか霊感といった類には鈍感な方であるが、今まで訪れた所で

   普段の空気とは明らかに違うと感じたところが3ヶ所ある。

   その1つが伊勢神宮である。

   霊気そのものが明確に解っていないので、短絡的には言えないが、

   明らかに空気が違うのである。

   見えない世界の様相なのか、歴史の重みを伝える佇まいなのか、

   参拝する人達が醸し出す精神の総和なのか私には解らない。 が、

   やはり何かが違うのである。

   本殿に向けての写真撮影は禁止と記されていた。

   「何故?」と教えを乞うた。勿論クレームの質問ではない。

   難しい教理をやさしい『言葉」で確認したかったためである。

   そんな当たり前のことを質問する人は珍しいのであろう、怪訝な顔を

   されたが、親切に説明して頂いた。

   私なりに、『人間は神の前ではただ頭(こうべ)を垂れる」という

   一言と理解した。

   後年、明治神宮や平安神宮ではあえて禁止していないのは

   『人間」のお祭り処だからか、と考えたのは全くの独断である。

   それにしても伊勢神宮はやはり空気がどこか違うのである。

   2つ目は奈良の橿原神宮である。

   ある冬の小雨降る早朝に参拝した。人影は全くない。

   広い本殿の前に我ひとりである。

   この時も、確かに冷気だけではないある種の空気に全身を包まれた

   ように感じた。不思議な経験であった。

   これが霊気というものかも知れない・・・。

   本殿の背景は、大和三山の1つ、畝傍山である。

   小雨降る山道ではあったが、山頂を目指した。

   途中ひとりの老人とすれ違った。朝の挨拶を交わし少し立ち話をした

   その老人は毎朝,雨の日も山頂まで登っているとのことであった。

   山頂でもなんだか冷気と霊気が私の身体を包んだように感じた。

   3つ目は鎌倉建長寺である。

   方丈の奥、山に向かって半僧坊に至る道が連がり、途中道幅が広場のように

   なっている所を通ることになるが、左右が高い木々に覆われているため

   昼なお暗い雰囲気が漂っている。

   ある時そこを歩いていると、急にゾクゾクっとするような寒気を感じた。

   誰もいないのに、木々のうしろからじっと見つめられているようなという

   表現がぴったりする感覚である。

   大のおとなが怖がるのも変だが、おもわず足早にそこを通り過ぎたことを

   覚えている。

   

   それらが霊気と呼ぶものかどうかは私には解らないが、

   夫々不思議な経験、感覚であったことは間違いない。

   

   

   

   

あやめの季節

  A氏宅の庭に艶やかなあやめが咲いた。

  よかったら如何とわざわざ電話を頂き、家内が室内に飾った。

  何気ない心使いが加味されたあやめである。

   04220002

   「いづれがあやめかかきつばた」という言い回しがあるが、

   花に網目模様のあるのがあやめということのようである。

   私には一瞥して区別がつかないが、それもまたよし。花は花。

   ふと光琳のカキツバタを連想する。これもまた一興である。

   国内外に混乱の動き絶えない世相であるが、

   季節は知らん振りして、梅から桜、そして新緑の5月へと巡ってくる。

   汲々とした現実社会にあって、暫しこころ和む『花の便り」であった。

たとえ話

  1つのたとえ話である。

  東大を目指して猛勉強している人を目の辺りにすると、周りの人達も

  期待が膨らみ自然と頑張れと応援したくなる。

  当の本人は、目の前の東大合格しか頭にはない。

  勿論、東大に入れば、あれもしたい、これもしたいという漫然とした

  想いはある。

  合格の可能性が高まるにつれ、その想いは、これもするあれもする、

  に変り、やがてこれも出来る、あれも出来るに変わっていき、周りの

  人達にも広言するようになる。

  特段の根拠が有るわけではないが・・・。

  目出度く合格。目標達成でさて・・・。

  語学はせめて二カ国語位はマスターしてと、早速取り掛かるが、

  現実の壁は厳しい。

  『漠然とした想い」だけですぐ結果が出るほど甘くはない。

  そのうち焦燥と戸惑い。こんな筈では・・・。

  せめて1つ位は結果を出したいとあえて期限を設定して取組んでみる。

  その期限もだんだんと迫ってきている。

  焦って『5月病」にならなければいいが・・・。

  あくまで1つのたとえ話である。

  

名残りの雪

    今朝早く東京もうっすら雪景色であった。

    名残りの雪と言うとなんだか詩情溢れるイメージだが

    4月中旬、桜のあとの雪模様では如何にも季節はずれの

    椿事である。

    中国での大地震。アイスランドの火山噴火と、地球も

    相当鬱積することがあるのだろうか。

    この時期に、オバマ大統領が火星探査計画を発表。なんだか

    タイミングが良過ぎるのか、悪いのか。

    3題噺のようにあれこれ結び付けて考えた人もいたに違いない。

    それにしても真冬並みの寒さである。

    私にはなんの『腹案」も持ち合わせていないが、

    精々腹を冷やすことなく、頭でも冷やして、本格的な春到来を

    待つことにしたい。

マグマは地中にあり

   最近の与野党共々の混乱振りを見るに付け『マグマは地中にあり」の

   言葉を連想してしまう。

   各党とも、外なる論敵と戦う前に、内なるマグマの動きに右往左往して

   いるように見える。

   新党旗揚げの動きも、内なる激動に見切りをつけ新たなるわが身の

   安全場所を模索して自らを鼓舞しているように見えてしまう。

   そのうち、各マグマが1つに合体して大暴れするかもしれない。

   平成の政変と後の政治学者が命名するような・・・。

   およそ企業でもなんでも、組織の崩壊の主因はその内部にあると

   いうのは1つの法則である。

   破壊から創造への道を歩むことができるのか。

   平成における一大事。ここが踏ん張りどころである。

   日本人のここ一番の叡智を信じたい。

   

   

美しい日本語

   NHKラジオで『ラジオ深夜便」という番組がある。

   ある夜何気なく聴いていたら、人生を語るとかいったテーマで

   女優の渡辺美佐子さんがインタビュウに応えてデビュウ当時の

   思い出を話されていた。

   その内容も興味のある話であったが、それよりもなにより彼女の

   話される日本語に驚愕というか、ある種の感動すら覚えた。

   こんなにも日本語というのは美しかったのかという感動である。

   一語一語が明瞭に耳に入ってくるのである。

   失礼ながら年齢を感じさせない声の張りで、気負いのない、

   あくまで日常会話のように自然で、癖もなくすんなりと聴く人の

   耳に伝わる日本語なのである。

   俳優座養成所から始まる彼女の長年の女優生活のなかで身に

   付けられた『日本語」なのであろう。

   最近のテレビタレントと称される若い人達の騒がしいような

   日本語に慣れてしまった者にとっては、改めて日本語の美しさを

   思い返すいい機会であった。

   『言葉が乱れると国も乱れる」ということのないよう

   美しい日本語が語り継がれることを切に願うものである。

   渡辺美佐子さん ありがとう!

 

ド真ん中の「ド」

   劇団四季の浅利慶太氏が、あるところで次のようなことを

   言われていた。

   声楽のプロならただドレミの音階通り捉えているだけではダメである。

   「ド」 なら 「ド」のド真ん中を捉えてはじめてプロである。

   それが出来るまで訓練するのが練習である。

   といったような主旨であった。

   「ド」に ド真ん中があるのか。

   声楽の世界では常識的に言われていることかもしれないが、

   私には驚きの一言であった。

   確かに、ドレミの音域を拡大鏡(?)で見ると、

   ドという音域にも、限りなく 「シ」 に近い ドと 限りなく

   「レ」 に近い ド があることを理屈では解る。

   言われてみればなるほどガッテンである。

  

   この一言から、本来のプロが日々どのようなレベルの領域で

   鍛錬しているのかが垣間見られ、劇団四季が長年多くの

   フアンに支えられ、発展し続けていることの背景を思い知ることと

   なった。

   また、劇団ししろ、他の組織にしろ、トップの器以上には

   大きくならないということも改めて連想した次第である。

   

   

   

個々の事情

   あるテレビ番組で興味のあるデータを掲げていた。

   それをここに記させて頂く。

          冬季オリンピック参加数

            選手数     コーチ役員     メダル数

     日本     94        111          5

     韓国     46         37         14

   

   様々な角度からの意見がすでに飛び回っているが、ここでは

   コーチ役員数に触れてみたい。選手数を上回るコーチ役員数が

   参加(?)していることについてである。

   それが「絶対的」に必要な人数であれば、一概に悪いとはいえないが、

   恐らく各種目団体、協会での事情、要望、説明等々を寄せ集めると

   結果的にこうなったということではないだろうか。

   個々の事情を忖度すればこうなったという、当事者にとっては

   あくまで正当な数字なのであろう。

   だが部外者からみると、やはりなんだかアンバランスな数字に

   見えてくるのである。

   さらに言えば、もしコーチ役員の数が選手の数を上回るのは

   如何にも拙いという流れになるとどうするか?

   これも想定だが、恐らく「削り易いところから減らす」という

   力学が働くのであろう。

   したがって各種目の団体、協会は日頃から、大物を会長に持って

   くるのである。

   この一連の連鎖。これはなんだか国の予算成立のプロセスと

   そっくりである。

   個々にはそれなりの正当な事情があるものである。

   それらを忖度し、積み上げていくとどんどんと膨らむ財政規模。

   各論ばかりで総論(大局観)がないと、この体質に入り込む。

   いずれも根っこは1つなのであろう。

   

   

   

   

春の嵐

   新年度入りである。

   早々の春の嵐。これが邪気一掃の風となってほしいものである。

   テレビニュースでJALの入社式を取上げていた。

   部外者であっても、新入社員にエールを贈りたい気持ちになる。

    「先輩を批判するだけの人になるな。今はただ黙々と頑張れ」

   日銀短観では景況観持続ということらしい。

   過去に苦い経験がある。

   記録的な景気上昇局面と言われ続けながら、一般消費者にまで

   その恩恵が届かなかった体験が生々しい。

   新卒者の5人に1人が未就ということらしい。

   このような状況で手放しの楽観論はとり難い。

   先般、都心の某有名デパートに時間調整(?)で、立ち寄った。

   金曜日の夕方であったが、2~3のフロアーではほとんどお客の

   姿が見えない。特に紳士モノのフロアーでは店員の姿しかない。

   決して大袈裟ではなく、広いフロアーがガラーンとしているのも

   なんだか異様であった。

   そういえば、今の新社会人はどこで新しいスーツを買ったりする

   のであろうか。余計な詮索ではあるが・・・。

   景気もデータや机上での調査だけでは見えない部分がある。

   昔、『路地裏」の経済学というのがあった。

   今、『路地裏」が流行らなくなり、コンピューターの画面がそれに

   とって代わった。

   いつの時代にも『路地裏」はなにかを訴えているものであるが・・。

   政治家の仕事は金をばら蒔くような、保護者のような役割を

   演じることが本位ではなく、トンネルの先に小さな光を灯す事である。

   そのためには、5年先、10年先を見据えた先見性、洞察力が

   不可欠である。 と言った人がいる。

   数ヶ月先の戦挙しかみえない多くの議員に聞かせてやりたい。

   街のなかにも、賢人は居るものである。

   

   

   

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