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「通念」を疑ってみる

   電車内の7人掛けの座席は、スペースの有効利用ということもあって

   大人が7人座るとかなり窮屈というか、隣の人の腕や肘がぴったりと

   くっ付くような状態になる。

   つまり7人全員が窮屈な思いを強いられるように出来ている。

   乗客はそれでもあまり文句を言ったり改善を求めたりはしない。

   それよりも全員が多少窮屈な思いをしても、それによって1人の人が

   座れるのであればその方が好ましい社会という倫理観が優先するから

   であろう。

   したがってこの状態にクレームを付けること自体が大人気ない行為だと

   いうのが日本人の平均的な社会通念となっている。

   それはそれで日本人の好ましい倫理観ではある。

   決してそれに風波を立てるわけではないが、されど・・である。

   隣の人とぴったりと腕や肘がくっ付かないと座れないで7人掛けと

   いうのがどうも生理的(?)に馴染めないのである。理屈抜きにである。

   

   話を大きくすれば、7人全員が窮屈な思いをしても、7人が座れる

   社会がいいのか、1人座ることが出来ないが6人がゆったりと座れる

   社会がいいのかということである。

   後者の場合、階級社会であってはならないという前提が必要になる。

   つまり1人座れない人が今後も座ることの出来ない社会、では比較に

   ならない。

   一定の状況下において、偶々座れない人も出てくるという想定である。

   別のケースを考えると、一定の年月を経ると誰もがある程度のポスト

   に付けるいわゆる年功序列型官僚的社会がいいか、一定の競争下の

   もとで、限られたポスト(定数)に付く人と付かない人(座れない人)が

   出るのはやむをえないとする社会がいいのかということになる。

   1人でも多くの人が座れるようにというのは、心情的にも倫理的にも

   好感できる考えというのは誰もが否定しない。

   ただその感性とは別に、現実の社会のありようは、時として冷静に

   客観的に考えることも「あり」かなと思う。

   たかが電車内の座席であるが、されど・・の問題が内包して

   いるものである。

   足を拡げて2人分の座席を占めているようなケースは

   「社会」の問題以前に、しいていえば「躾」の問題であろう。

   

   

   

   

   

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