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2010年11月

「ひかり」の世界

   ライトアップというのは和製英語らしいが、いつの頃からか、この

   「ライトアップ」によって著名な建造物や名庭を彩ることが初冬の風景と

   して広まっている。

   発光ダイオード(LED照明)の普及がライトアップをより容易にさせたと

   いう背景があるのかもしれない。

   クリスマスのイルミネーションとは同類ながら、ライトアップの方が、

   より繊細で和風な趣を感じるのは単なる思い込みなのだろうか。

   

   京都でも紅葉で有名なお寺のライトアップが地元の人々をはじめ

   観光客にも人気を博していた。

   天竜寺の塔頭、「宝厳寺」も紅葉の寺で、ライトアップをしているというので

   訪れてみた。

   夜の庭園を見る機会などまずない上に、ライトアップされた紅葉の朱色は

   確かに一見の価値はある。正しく幽玄の世界ではあった。

   ただ理想をいえば、幽玄の世界はぽつねんとひとり、自然のふところに

   佇むような境地こその幽玄の世界である。

   ぞろぞろと定められたコースに従ってみて廻る「幽玄の世界」には

   今一つ、というのが正直のところであった。

   まあこういうものと、1度みておけばいいのであろう。

   やはり紅葉や桜は青空の下、自然の光のなかでみるのが1番、と

   いうのが私の好みである。

   それでも「ひかり」というのは、人間にとって郷愁というのか、

   妙に精神性を感じさせてくれるものである。

   原始時代の名残りなのだろうか。

   ライトアップというのは、理屈抜きにある種の感動を与えるものである。

    ふと唐突に若い頃に読んだ小説を思い出していた。

        「光あるうち 光のなかを歩め」  (トルストイ)。

   

   

   

   

   

尊王攘夷の国

   微妙な国境線沿いで軍事訓練する韓国も、それなりの軍事意図が

   見え隠れするが、安易に「先に手を出した」北朝鮮に国際社会の

   非難が集中するのは世の習いである。

   大雑把に言って北朝鮮という国は、今もって「尊王攘夷」を死守している

   国柄、というのが私の見立てである。

   攘夷から開国というのは歴史の必然といえる。

   わが国における明治維新は、攘夷から開国への苦悩の戦いでもあった。

   その流れのなかで幾多の血が流れた。

   「尊王」も「攘夷」もある意味命がけの思想である。

   それだけに狂信的とも思われる熱気を孕む。

   外圧・外敵には下関戦争、薩英戦争等を経た。

   内にあっては、戊辰戦争、その他血なまぐさい数々の暗殺等を経た。

   明治維新もかかる経緯を内包していた。

   さて北朝鮮であるが、これから先どのような道筋を辿るのだろうか。

   多くの国と国交を開いているとはいえ、情報封鎖をしている限り

   実態は鎖国状態である。

   わが国が長崎の出島で特定の国と交渉を持っていた如く、

   中国とロシアが国際社会との架け橋ということになる。

   「攘夷から開国」が同国の今後のキーワードであるとするならば、

   国内でのクーデターによるのか、国際社会の制裁圧力、体制崩壊

   への道か、あるいは第3の道があるのか、いづれにしろ今の状態の

   まま何時までも国際社会で生き残れるとも思えない。

   どの方向にしろ、その盛衰の鍵は「中国」の舵取り如何ということに

   なるのではないだろうか。

   地理的に最も近い国の1つだけに、目の離せない国柄ではある。

   

   

   

   

近江の秋 その2

   石山寺は紫式部が参篭し、源氏物語を着想したという言い伝えで

   有名な近江の寺である。

   そのイメージがあるためか、古来数々の文学作品にも登場し、

   近代に入ってからも島崎藤村が2ヶ月ばかり滞在していたようである。

   最寄の駅から700mほど歩くことになる。

   小さいながらも一山全山がお寺の境内であり、ゆっくり見て廻れば

   1時間は要する広さである。

   紅葉は丁度見頃であった。

   ところで話は横に反れるが、紫式部が参篭した、と一行で伝えられる

   歴史事実も、その内実をあれこれ想像すると興味が増す。

   当時京都からこの地まで、彼女はどのようないでたちでやってきたので

   あろうか。山中峠をとぼとぼと歩いて越えてきたのか。

   それとも籠に揺られてやってきたのか。

   それでもよく見かける十二単では途中大変である。

   またここでの生活振りはどのようなものだったのだろうか。

   門外漢の私は戸惑うばかりである。

   

   一寸話が飛ぶが、坂本龍馬夫妻が九州に旅をしたのが、わが国初の

   新婚旅行ということらしい。

   途中所々で船を使ったとしても、交通機関のない当時のことである。

   女性連れの10日以上もの旅、果してどのようなものだったのだろう。

   そもそも荷物などはどうしていたのか。

   当時の写真(図)では二人とも手ぶらのものしかない。

   龍馬が大きな荷物を背負って歩いている図はイメージしにくい。

   今なら「成田離婚」の可能性大である。

   とまあ本来静謐な石山寺紅葉狩の図が、野暮な話になってしまった。

   これもまた非日常の旅、自由気ままに飛翔したこころの成れの果てと

   許して頂くしかない。

   

   

近江の秋

   今回京都を訪れた数日のうち、1日を掛けて滋賀県近江の紅葉処を

   見て廻った。

   坂本の日吉大社は、全国に約2000社ある日吉、日枝、山王神社の

   総本宮とのことであり、紅葉でも有名である。

   有難いことに参道途中まで地元の観光課長に案内して戴けた。

   途中のあるスポットで、「ここから正面の山頂を見上げて下さい」と

   言われ、目を上げると丁度山頂近くの正面にお寺の甍が見える。

   氏の説明によると、あれが延暦寺で、丁度日吉大社への参道の

   延長線上(山頂方向)に延暦寺が建立されているとのことである。

   参道手前に最澄生誕地と言われている生源寺があり、いわば最澄の

   生誕地、日吉大社のまっすぐに伸びる参道、山頂近くの延暦寺が

   ほぼ1直線上に尊するという事になる。

   昔の人は粋なことをするものである。

   また延暦寺が建つ場所は、山頂近くでの水の確保と言う点からも

   好立地ということのようであり、その知識、知恵も侮れない。

   こんな話を地元の人から聞くのも一寸した旅の醍醐味である。

   紅葉もピークには少し早いようではあったが、それなりに

   華やかであった。

   

   日吉大社から、少し脇に反れて滋賀院門蹟まで足を運んだ。

   そこではほとんど人も少なく、見事な紅葉に巡り会えた。

   何処に限らず、定められたコースから少し脇に外れたところに

   案外静寂な美観が潜んでいるものである。

   人生もなんだかよく似たところがある。

   あまり道を外れすぎてもリスクは大きいけれど・・・。

錆びた杵柄

   時折訪れる広い公園の一角にバスケットの片面リングが4つ5つある。

   そこでは若者が夫々バスケットに興じている。

   ある日1人の青年が黙々とシュートを繰り返していた。

   思い切って「一寸フリーシュートを2~3本投げさせてくれませんか」と

   声を掛けた。

   その青年は気軽に「どうぞ」と言ってくれた。

   実は私も昔やっていたことがあり、流石に走ることは無理だが、フリー

   シュートくらいなら・・と安易に考えていた。

   「昔取った杵柄」というやつである。

   ところがいざ実際投げてみて驚いた。

   なんと、小、中学生が初めてバスケットを始めた程度のレベルなのである。

   こんな筈では・・と思いつつすごすごと引き下がったという次第である。

   経験者なら解ってもらえるが、フリーシュートの場合は入って当たり前

   なのである。 その意識の残像がガタガタと崩れていった。

   「昔取った杵柄」にも有効期限があったのである。

   若者の前で昔の自慢話なぞするものではない事も思い知った。

   今週末、その昔のバスケットOB会が京都である。

   紅葉狩りを兼ねて明日から京都に行くつもりである。

   

   

本末転倒

   80代の女性が、インフルエンザワクチン予防接種のアレルギー

   反応で死亡されたという記事があった。

   今季初のケースとのことである。

   驚くことに、昨期は約2100万人の人達が新型用ワクチンを接種し、

   133人が死亡されたとのことである。

   確率的には低いものの、133人という数字は重い。

   予防接種で死亡というのはなんとも割り切れない話ではないか。

   この80代の女性は喘息等の持病があり、抗生物質も服用されていた。

   恐らく自らの意思ではなかったのであろうが、素人目には果して予防

   接種が必要だったのかと思ってしまう。

   誠に不謹慎かもしれないが、「健康のためには命も問わず」という

   落語のまくらを連想させてしまうような話である。

   決まりに従って機械的、自動的に対応することの落とし穴である。

   何事も「個々の事情」が大切、と考えさせられる。

   いままで亡くなられたお多くの人は、持病のある高齢者ということで

   あり、ワクチンに対し安易に不安を煽る意図はない。あしからず。

   

隙だらけ

   「大きな岐路」という感慨から、わが国は隙だらけではないか、と

   書いた矢先、「警視庁文書」流出のニュースが飛び込んできた。

   因みに「中国漁船衝突」ビデオも「流出」した。

   (これは意図的流出という見方もあるようであるが・・・)

   警視庁文書は公安部等が作成した国際テロ関連の文書である。

   そこにはいわゆるブラックリストの個人情報が詳細に記載されており、

   さらにはその中には明らかに潔白と思われる人達の個人情報

   (住所、生年月日等)まで含まれているということではないか。

   全くもって重大問題である。

   「何者かが意図的にインターネット上に流した疑い」という捉え方を

   しているようだが、その何者かは勿論悪いが、機密文書が容易に

   流出される体制こそ「最悪」である。

   「隙だらけ」という私個人の感慨など、実証してくれなくてよい。

   「検察」も含め、この際、国の根本を見直すべきである。

   

大きな岐路

   物騒なたとえだが、戦国時代 敵城への攻撃は、その城内で

   内紛、権力争い、いざこざの類が生じた時こそ絶好のタイミングである。

   守りが一枚岩でなくなるとき、そこに隙が生じることは古今の例である。

   あらゆる勝負事において定石というものであろう。

   中国やロシアが領土問題で強硬ともいえる行為をし始めているのは、

   この隙を狙った誠に「戦い上手」なやから達ともいえる。

   じっとタイミングを計っていたように動き出した。

   その背景には自らの政権闘争があるのだが、他国をも利用するその

   したたかさ、図太さが彼らにはある。

   その間、当方は「政局争い」「政治とカネ」などいわば家庭内問題で

   頭が一杯、国中が大騒ぎしていたことになる。

   国際関係まで気が廻らず、事が起これば「誠に遺憾」のコメントしか

   持ち合わせが無かった。

   意図ある他国からみれば、今の日本はそれこそ誠に遺憾ながら

   隙だらけにみえるかもしれない。

   ここ暫くは忍従というか守りに徹するしかない。

   言いなりになることではなく、一歩も後に引かない強い守りである。

   少なくとも、確たる情報分析もないままに、格好をつけて意気がる

   事だけは避けねばならない。

   

   今後の国際社会のなかで、わが国はどの方向に向けて

   エネルギーを結集していけばいいのか。

   経済産業、先端技術力、人材、 商品開拓力(美的感覚)

   歴史と文化(観光資源、映像、芸術) 等々要素はある。

   容易に答えは定まらないが、少なくとも今大きな岐路に

   置かれていることは間違いないようである。

ほんの面白い話

    米原万理さんのエッセーに面白い話があった。

   ( 小噺風に脚色したことを許して下さい。 天国の万理さんへ、)

   何軒か居酒屋が並んでいる、その前がちょっとした広場になっていて

   そこに古ぼけたベンチが2つ3つある。

   いつの頃からか、そのベンチの1つに風変わりな老人がポツリとひとり

   釣り竿を持って座り続けている。

   なんとピンと張られた釣り糸は潅木の茂みに投げ込まれていた。

   おそらく気がふれているのだろうとも思えるが、若い頃はそれなりの

   仕事をしてきたのであろう魅力的な風貌をしている。

   ある男が気になって声を掛けた。

      「そこでなにをしておられるんですか」

      「みりゃあ分かるでしょう、魚を釣ってまさぁ」

      「ほう、魚をねえ」

   その男はなんだかその老人のことをもっと知りたくなり

      「よろしければ、そこの居酒屋で一杯やりませんか」

      と、老人を誘った。

      「そりゃどうも」

   老人は釣り竿をたたむと、いそいそと男の後について

   居酒屋に入っていった。

   老人は注がれるままに旨そうに酒を呑む。

   男は善行を施している満足感と多少の気恥ずかしさを覚えながら

   老人に尋ねた。

      「おじいさん、先ほど魚を釣っているっておっしゃっていましたね、

      それで、今日はどれくらい釣れたんですか」

   老人はいかにも幸せに満ちた表情で呟いた。

      「今日は、あんたで 3人目だよ」     

   

   

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