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2010年12月

2010年という時代

   勝負師は、相手から同情されるようになればおしまいである。

   政治家も似たところがある。

   激しい野次が飛ぶうちが華で、「ため息」が聞こえるようになれば

   危険水域である。

 

   「誰がなっても同じ」というのは禁句だが、

   実は、誰がなっても乗り切るのは容易ではなかった環境ではあった。

     普天間問題、財政赤字、景気浮揚・雇用問題、

     国際(外交・領土)問題、拉致問題、防衛問題、等々

   大半が長年先送りしてきた難題であり、しかもどれもが今後の

   方向付けにとって重大な局面ばかりといってよい。

   これらの問題が、ここにきて急に収束に向けて先が開けるような

   「特効薬」なんてある筈がないのである。

   ところが政権交代という御旗の「勢い」でつい国民の耳元で

   「甘いささやき」を言ってしまった。

   我々多くの国民はその可能性に賭け、信じ、期待し、

   ・・・そして落胆した。

   別に現内閣に甘いわけではない。

   わが国の実情が、想像以上に深刻という事なのである。

   新卒の就職率1つとっても、大変な事態ということがわかる。

   変に深刻振るつもりはないが、どうも我々が接する新聞やテレビの

   トーン(論調)が軽いように思えて仕方がない。

   「並みの」政治家(内閣)では乗り切れない。という思いでもある。

   さて、新たな年を迎える。

   閉塞感を打破する「起爆剤」として、素人の浅知恵だが、

   「国会議員の減員」というのは如何なものであろうか。

   勿論、従来通りの単なるスローガンやアドバルーンではない。

   具体的に実施に向け行動を起こす。

   それも10~20人程度の減員では逆効果。

   衆参あわせて100人規模の減員を行うのである。

   国(政府)もそこまでやるのか、と思わせる英断こそ閉塞感打破の

   妙薬になる。

   そこで初めて多くの国民は政権交代の効果と、この国の政治も

   変わったという認識を得ることになる。

   これはまた、1政党の党略ということではなく、国民の政治に

   対する信頼感回復の足掛かりという意味も持つ。

   ただこの自画自賛の「妙案」にもただ1つの欠陥がある。

   「並みの」政治家達では実現が覚束ないという現実である!

   なには兎も角、さあ新年である。

   気分一新で新年を迎えたい。

   知恵を絞れば閉塞感を打破する方策は必ずあると確信している。

                            2010 12 30

   

   

   

 

同年齢の縁

   今風に言えば、彼ら二人は同学年で、夫々の時期は定かでないが

   同じ職場で働いていたという話が伝わっている。

   後年、二人は全く異なる道を歩むことになるが、今もなお二人の名は

   人口に膾炙されている。

   彼らは同じ1118年に生まれた。 まもなく生誕900年に近い。

   史実は不明だが、若き頃奇しくも同じ北面の武士であった、とある。

   二人はそこで出会うことがあったのかどうか。

   同年のよしみで親しく声を掛け合い青春を謳歌したか、あるいは

   氏育ちの違いから、目礼をするだけの付き合いであったか、

   今は確認するすべもない。

   1人は家柄を背景に政治の道を歩み、一時代を築く権力者に

   伸し上がった。

   1人は放浪の歌人として名を残し、その生き様は爾後多くの人に

   影響を与えた。

   二人は同時代の典型的な人としての異相である。

   死後あの世で、

     1人は 本当は俺もお前のように、放浪の旅人としての

          人生を送りたかった。と回想し、

     1人は、実は俺もお前のように、天下取の野望を秘めていた

          ことがある。故あって若くして出家の道を選んだが。

     と、語り合っていたかどうか・・・・は、ゆめのまた夢である。

   正しく二人は同じ時代の空気のなかで生きたという意味において

   同期の桜であった。

        平清盛    1118年ー81年   63歳没

        西行      1118年-90年   73歳没。

   

   

直線上のアリア

   過日滋賀県近江の日吉大社に行った折の見聞で、最澄の生誕地、

   日吉大社の真っ直ぐに延びた参道、延暦寺がほぼ一直線上に位置する

   ことをこのブログでも触れたが、これは恐らく意図的に計られたもの

   ではなく、偶々その事実を誰かが気付いたことが今に伝わっている類

   のものかと思われる。

   一方、徳川家康所縁の久能山東照宮から富士山に至る直線(不死の道

   と呼ばれている)の延長線上に日光東照宮が在ることは、巷間よく

   知られていることであり、これは偶然の産物とはいえない。

   一説によると、日光は江戸から「北極星」の方角の直線上に位置し、

   丁度久能山から富士山に至る直線(延長線)と交差する地点が

   日光であり、そこに東照宮を建立したということらしい。

   天海の影響なのか、陰陽道から来ているのか、家康はことのほか

   「北極星」に思い入れがあったと伝えられている。

   これもまた「直線」が作りだす歴史の一面である。

   多くの先人がすでに調査、研究していることであろうが、

   「初心者」の私にもミステリー仕立ての興味ある話である。

   丁度そんな折、何気に読み出した本の中に「太陽の道」の

   話が出てきた。この偶然性に一寸驚いた。

   それまで詳しくは知らなかったが、「太陽の道」というのは、

   北緯34度32分の直線上のことで、伊勢神宮から始まり、箸墓古墳

   (卑弥呼の墓という説あり)や古代の遺跡、神社等がいかにも

   訳ありにその直線上に存在し、淡路島の伊勢久留麻神社まで

   連なる1つの「道」を称している。

   元々、春分,秋分に太陽が通る道筋ということらしいが、

   古代人の「太陽崇拝」の絡みでこれらの直線上に多くの遺跡等が

   存在しているのであろうか。

   いずれにしろこれもまた「直線」が作り出す「歴史ミステリー」である。

   偶々日吉大社から始まる三大噺になったが、あるいはまだ発見

   されない興味ある「直線」が各地に潜んでいるかもしれない。

   「G線上のアリア」でも聴きながら、地図上から「直線」の

   発見に挑戦するのも「暇つぶし」としては悪くない。

   

   

骨太の問題提起

   新聞のコラム欄で久々に「骨太の問題提起」に接した。

   中谷巌氏が「中国経済の将来」というテーマで興味深い一文を

   発表されていた。

   「自由市場経済と共産党一党独裁は両立せず、やがて中国経済は

   破綻する」という説に対し、氏は次のような異論を展開される。

   一党独裁を支持するものではない、とした上で、

   市場経済と民主主義が両立している欧米諸国が、バブル崩壊後

   今も深刻な不況に苦しんでいる。

   自由主義経済と民主主義の組合わせもリスクがそれなりに大きく、

   中央銀行による国債の買付けや公的資金注入など、国家による

   大規模な市場介入が「体制維持」のために不可欠としている。

   他方、中国経済がリーマン・ショックの影響が軽微だったのは

   国際資本移動の制限など、「過剰な自由」を当局が許容しなかったため

   と指摘される。

   これらのことから、果して一党独裁と市場経済は両立しないのか

   という問題提起なのである。

   在野の一市民としては、軽々に判断しかねるが、恐らくエコノミスト

   の間でも議論の分かれるところであろう。

   少なくとも、このようなテーマの議論が白熱して行われるように

   なれば、もう少し世の中も活気がでて来るのであろうが・・。

   どうも昨今の政治や経済を見ていると、目先のちまちました

   問題だけが右往左往しているだけで少しも面白くない。

   来年の株価見通しも大いに結構だが、偶には「歯応え」のある

   議論を聞きたいものである。

   こころある市民は現状にうんざりしているのである。

戦い

   人類が初めて手にした道具は、武器(棍棒や石だとしても)であり、

   以来人類の歴史は「戦いの歴史」でもある。と言われる。

   因みに歴史年表から、武力闘争(戦争、事変、内乱等の類)を除くと

   極くあっさりした空白だらけの人間の風景が現れる。

   本来の人間の本性は果してどちらなのであろうか。

   元々、戦いは「生存」のための戦いであった。

   土地、食料、水、資源等の獲得、確保のための戦いである。

   そこから派生して多種多様の小競り合いが発生し、時には暴走し

   拡大していくことになる。

   それは自然を相手の戦いから、人間同士の戦いへと移行する。

   社会の成熟に伴い、「生存」のためだけでなく、名誉、プライド、嫉妬

   宗教観、思想等から引き起こる戦いが加わり、戦いはより複雑、

   混沌としたものになる。

   現社会も幾多の戦いの渦中にある。

      抗戦,交戦,対戦、防戦、会戦、大戦、聖戦、激戦、

      開戦、海戦、苦戦、熱戦、決戦、勇戦、野戦、内戦

      接線、乱戦、凡戦、連戦、善戦、熱戦

   これらの言葉が、「戦いの洗浄効果・代替」としてのスポーツ分野で

   日常的に使われるのはよしとして、日々の新聞で世界で起こっている

   出来事をこれらの活字で伝えない日は無い位といっていい。

   地球規模でみれば、今も我々は戦いの渦中にある。

   願わくば、理性、知性、文化の力で大事に至らない世であって

   ほしいものである。

   今年もまた1年が過ぎていく。

当事者と批評家

   「当事者」というのは、法律用語(ex. 当事者能力、当事者適格)として

   よく聞く言葉であるが、ここでは広く「プレーヤー」というニュアンスで

   用いると、当事者(プレーヤー)と 批評家・評論家・解説者との決定的な

   違いは、当事者が「決断」という行為とその結果に対し「責任を負う」と

   いう事ではないだろうか。

   バッターボックスに立つプレーヤーは、1球1球に対しある種の「決断」を

   迫られる。いわば決断の連続が「プレー」を構成する。

   そしてその結果は全面的に自らが負う。

   その点、批評家や解説者は通常「苦渋の決断」とは無縁である。

   その代わり、知識、経験、見識、洞察力等において当事者から一目

   置かれる存在であり得なければ当事者と批評家との関係そのものが

   成立しない。

   批評家は決断に伴う責任は発生しないとしても、裏づけの無い発言や

   非論理で説得力のない論調を続けている限り、批評家としての存在

   そのものを逸してしまうことになる。

   これらの関係位置を、強引に政治の世界に当てはめてみると、

     政府与党は文字通り当事者(プレーヤー)であり、民主主義の

             プロセスを経るとしても究極の職務は「決断」と

             それに伴う「責任」である。

     一方野党は少なくとも与党と同等の見識、政治力を有する

             真の「批評家」としての位置づけとなる。

     双方がこの役割を踏まえ、ぶつかり切磋琢磨することで

     当事者と批評家との関係性が成立する。

     本来、政権交代もこの切磋琢磨が前提となる。

   果して、現実の政治現場は如何なものであろうか。

      政権与党は、其の都度適格な「決断」をしているだろうか。

              その結果に対し「責任を負う」態勢があるだろうか。

      一方野党は 当事者並びに国民から1目置かれる真の

              「批評家」たり得ているだろうか。

   個々の政策如何は勿論重要であるが、人も政治も「背骨」が

   しゃんとしていなければ、全身の機能に影響を与えることになる。

    

    

    

             

   

   

正座とあぐら

   私自身小さい頃から椅子式の食卓で過ごしてきたからか、未だに

   正座は苦手である。

   公的な座敷の席でも、一言断って足を崩して座ることで通してきた。

   かかる私が言うのもなんだが、昨今なんだか日本人全体、正座が

   苦手になってきているようだ。

   居酒屋や料理屋では、今や畳の部屋でも腰掛式が大半である。

   テレビドラマの食卓風景もほとんど洋風リビングである。

   そもそも一般家庭そのものが、マンションは言うに及ばず日本家屋に

   おいても内部は洋風の造りが主流である。

   ということは、日常生活において畳に座るということがほとんどなくなって

   きているということなのであろう。

   こうなると、古来の日本文化への影響が一寸気になる。

   日本文化は、「座敷」から生成、発展したという見方がある。

   曰く、床の間に季節の花を活け、日本画、書の掛け軸を掛け、

   陶器等の置物を整え、お茶を嗜みながら、お箏や三味線に耳を傾け

   時には長唄、小唄に興じる。また時には日本舞踊の艶やかさに酔う。

   障子を開けると月に照らされた庭園・石灯籠の赴き。

   日本人が綿々と愛し伝えてきた「美と伝統」の世界である。

   これらはやはり畳の上に座らないとしっくりこない世界でもある。

   全てが洋風化の生活様式のなかで、日本文化のありようも

   少しづつ様変わりをしていくのであろう。

   そのうち腰掛式の茶室が「モダン建築」として出現するかもしれない。

   そこまではなんとか想像範囲だが、

   昨今、日本旅館に来る若い女性グループで、日本間の座卓に

   平気で腰掛けるという「嘘のような本当の話」があると聞いて、

   流石に唖然とした。

   畳に直接座るのを避けて、座卓を椅子代わりに使うらしい。

   こうなると行儀がいいとか悪いとかの次元を超えて全く異次元の

   世界になってしまう。

   畳を見たことのない外国人が、初めて日本旅館に泊まって座卓に

   座るのとは訳が違う。

   立派な「大和なでしこ」のお嬢さん達であるらしい。

   おじさんは「あぐら」を掻いて暫し考え込むのである。

 

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