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戦後66年

   大震災の前から、わが国の様相は漠然とではあるが大きな曲り角に

   あるという思いを抱いていた。

   誰もが多かれ少なかれ感じる閉塞感に通じるものなのであろう。

   我々は何か最も肝心な事を見落としているのではないだろうかという

   焦燥感でもあった。

   今般の原発事故も、単なる物理的な災害という面だけではなく、

   わが国の長年に亘る硬直的社会システムの欠陥が露呈したといえる。

   個人の不安や緊張感が、社会全体の総和とならず、何時のまにか

   誰もが口を挟むことが出来にくい空気、と安全神話の一人歩きによって

   緊張感が薄れてしまっていた。

   さらにその最も硬直的な分野が、「政治システム」であることも

   露呈してしまった。

   民間企業や個人が、「バブル崩壊」や「グローバル化」、「リーマン・

   ショック」といった荒波に必死に立ち向かい、改革を進め、もがき

   苦しんでいた間、政治分野では一体何を行い、どのような改革を

   してきたのであろうか。

   我々国民も、ころころとトップが代わる都度、一喜一憂、期待と

   落胆を繰り返してきたという苦い思いがある。

   政権交代すらその延長線上であった。

   何かもっと根本のところで何かが抜け落ちているのではないだろうか。

   

   手元に今から20数年前に書かれた司馬遼太郎のものがある。

      「今の社会の特性を列挙すると、行政管理の精度は高いが、

      平面的な統一性。また文化の均一性。さらにはひとびとが

      共有する価値意識の単純化。たとえば国をあげて受験に

      熱中するという単純化へのおろかしさ。

      価値の多様状況こそ独創性のある思考や、社会の活性を

      生むと思われるのに、逆の均一性への方向にのみ走り

      続けているというばかばかしさ。

      これが、戦後社会が到達した光景というなら、日本はやがて

      衰弱するのではないか」   ( 「この国のかたち」 1986年 )

   

   24~5年経た今もその主旨は的を得たものであり、示唆的である。

   何かが大きく変わる時である。

   また大きく変えていかなければならない時である。

   そんな中で、誰に請われたわけでなく、自発的にボランティア活動に

   勤しむ多くの若者達の姿を見るに付け、この国の「底力」を感じ、

   この国も捨てたものじゃないと力付けられるのである。

   世の中を変えていくのは、常にこれら若者のエネルギーであり、

   真摯な市民パワーなのかもしれない。

   

   

   

   

 

   

       

   

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