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2011年5月

ある対決

  官房長官の「東電の取引金融機関に債権放棄を求める」という発言に

  経財相が「公共性ある事業に貸し手責任が発生することは理論上

  ありえない」と反論したことが話題になっている。

  流石に官房長官も「貸し手責任云々ではない」と補足していた。

  ここで閣内不一致を問題にするのではない。

  政府見解として、早々と債権放棄を打ち出したことに、注目していた

  矢先だったので、双方の主張をネットで再確認してみた。

  官房長官の発言については、率直に言って2兆円に達する債権放棄を

  打ち出すにしては、その論拠なり、説明、の不足が否めない。

  経済、金融分野への影響度合いを考えると、どの程度政府内部で

  練り合わせを重ねたのか、と感じてしまう。

  これでは閣内から異論がでても仕方がない。

  今回発言の背景を要約すると「こうでないと国民の納得が得られない」

  という説明だけだったように思う。

  政治の場において、常に国民の声(世論、空気)をベースにすることは

  それなりに評価しても、一定の論理がなければならない。

  論理とは説明してなるほどと納得してもらえる論拠と置き換えてもいい。

  東電をあくまで「民間企業」として捉えるのであれば、ある銀行トップの

  「債権放棄云々はまず当事者間の協議事項」という反論に理がある。

  もはや1民間企業のレベルではないとするならば、それはそれで

  一貫した対応をとってしかるべきである。

  この辺がいかにも「政治」的対応という曖昧さがある。

  同様なものとして、別のところであるが、東電は「国民が納得する

  リストラを進めるべき」という論調が主流である。

  一体国民が納得するリストラとはどのようなレベルなのであろうか。

  ・・・・・・・。

  現実の実務としても、今回の東電の債権は、企業実態からみても

  なんらかの放棄か棚上げという方向で落ち着くことになろう。

  その結論云々よりも、「国民」という名の「空気」が「国民」という

  御旗のもとに一人歩きし、重要な事柄が決まっていくその「空気」が

  気になるのである。

  

  

  

  

  

  

  

原発問題を考える

   「どんな星でも地球のように文明が進み過ぎると、その星は

   極めて不安定になり、加速度的に自滅してしまう」

                             ホーキンス博士

   原発問題は考えれば考えるほど厄介なテーマである。

   どこかで見切りをつけて「反原発」を叫んでいれば、「時流」に乗れる

   ようであるが、事はそう簡単ではなく、浅い話でもない。

   あくまで理屈論だが、

   今日の文明社会において、「安全」というモノサシで、「反原発」を

   掲げるのであれば、「車社会」についてもなんらかの「反旗」を

   掲げなければ論理的でなくなる。

   年間の交通事故による負傷者は100万人、死傷者は5千人である。

   「反・車社会」が声高でないのは、すでに「車社会」という文明が、

   「是非論」の空間を通り過ぎ、進み過ぎてしまったからであろう。

   文明の持つ一面である。

   ここにおいてホーキンスの指摘は示唆的である。

   原発と車では次元が違うという見方もあるが、人の命に関わるものに

   次元もなにもない筈である。

   しいてその違いを示せば、「車社会」はある一定の沸点を超え、

   後戻りの出来ない文明として定着してしまったのに対し、

   原発は後戻りの可能性を探る通過点にある「文明」ということで

   あろうか。

   このことからも「原発問題」は「文明論」を論じることでもある。

   少なくても、「危ないから子供にナイフは持たせない」という程度の

   安全思考レベルで一件落着となるような「ヤワ」な話ではない。

   勿論、政。財。学。利権絡みの癒着構造、社会システムとは

   切り離しての話である。

   また目先の最重要課題である、「安全対策」も 対症療法、

   体質改善、各々緩急をつけて取組む必要がある。

   わが国の総合力が試されているテーマでもある。

BCP

   未曾有の大災害によって、企業の「BCP」が改めて見直されている。

   今後益々その重要性にスポットがあたることになろう。

   「BCP]とは、ビジネスコンティニュティ・プラン(事業継続計画)の事で

   一般的には、

   「企業(工場)が自然災害、火災等の緊急事態に遭遇した場合において

   限られた事業資産で最低限の事業継続、あるいは早期復旧をするため

   の方法、手段を予め策定しておく行動計画」といわれている。

   内閣府の事業継承計画ガイドラインによると次の通りである。

    「緊急時の経営や意思決定管理などのマネジメント手法の1つに

    位置付けられ指揮命令系統の維持、情報の発信・共有、災害時の

    緊急判断の重要性など危機管理や緊急時対応の要素を含む」

    としている。

   今回の災害対応においても、一部報道の限りであり、かつ災害の

   程度にもよるが、この「BCP」に基づき早期復旧にこぎつけている

   企業(工場)も散見されてきているようである。

   平常時における「リスク管理」の姿勢である。

   この「BCP」はビジネス分野における緊急対応だが、翻って

   政治・行政分野では「緊急事態(有事)」に備えて如何なる体勢が

   整っているのであろうか。

   「結果」を見る限り「お寒い」限りと言わざるをえない。

   原発がその代表だが、他の分野においても民間事業から、より

   国家事業の色彩が強くなるにしたがって、責任体制もリスク管理も

   曖昧になるという傾向は、一体何故だろうか。

   この事を、この際根っこから考え直す必要がある。

   内閣府の格調高き「ガイドライン(指導指針)」が泣いている。

   

   

   

   

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