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2011年7月

原発議論に思う

   「脱原発」 「反原発」 「減原発」 と原発に関する言葉が縦横に

   飛び交っている昨今である。

   各々、3文字で言わんとする意味合いが伝わることから、使い勝手も

   よく、今では公的な文章でもそのまま使われている。

   ただ、気を付けたいことは、それを使う人によって解釈なりニュアンスが

   微妙に違うことがないだろうか、という点である。

   以前にも「一定の目途」の解釈で「唖然」とさせられたばかりである。

   たとえば「脱原発」について。

   最終的には原発廃止という「思想」だが、中身の論調を見ると、

   速やかに原発を廃止(当面稼動中止)すべしとするとするハード

   ランディング派から、数十年掛けて除々に原発を無くしていくという

   ソフトランディング派まである。

   それらが同じ「脱原発」という立場で一括りされている。

   様々な考えがあるのは、良いとして、たとえば後者の場合、「原発

   維持、推進論」や「減原発」と 現実的な政策論議の場でその

   境界線はどのあたりになるのだろうか。

   当面、来年度予算で、原発(平和利用)研究開発予算をどうするか。

   その辺がどうも曖昧で、ただ「脱原発」とか「減原発」とかいう

   言葉だけが独り歩きしているようにも思えるのである。

   あまり良い「たとえ」でもないが、100m走 とマラソンを同じ

   「陸上競技」と一括りにして、その対応(トレーニング法)を

   議論しているようにも見えるのである。

   これらのことを最近では「超疑問」という一言で表すらしい。

   

   

深い言葉

   饒舌や装飾を重ねても、「ことば」がちからを増すわけではない。

   塚原 彩さん。小学生の頃に父親が事故で亡くなった。

    その頃に詠んだ句である。

        「  天国は もう秋ですか お父さん 」

   また別の小学6年の女の子の句

        「  あじさいの 庭まで 泣きにいきました 」

   知識や世の清濁を重ねても、 この感性は別物なのであろう。

少数意見

   ある生活情報誌のコラム(「少数異見」)の一文に目が止まった。

   服装には昔から公と私の区別(ハレとケ)があり、それなりの決まりがある。

   また公務制服も、社会の中でその人の立場と状況を示すサインである。

   というものである。

   2005年から始まった「クールビズ」という異様な言葉で、あたかも

   政治の惨状と同時進行のように公私が崩れ、国会議員もシャツボタンを

   外し、あたかも社員旅行の宴会の如し、と手厳しいご指摘である。

   そして「服装の乱れは生活の乱れ」に通ずという言葉で結ばれている。

   節電対策等々の時節柄、大勢に逆行する発言かもしれないが、

   なんともストレートで、「少数異見」の面目躍如ではないか。

   確かに、「クールビズ」にもいろいろあって、本人は涼しそうな服装を

   しているつもりでも、だらしないだけで、かえって廻りの人からみると

   「暑苦しく」感じさせるものもある。

   また、同じノーネクタイ姿でも、しゃきっと涼しげに見える場合と、

   単なる服装の乱れにしか見えない場合があるものである。

   「クールビズ」が、こころ(生活)のゆるみや、怠惰の隠れ蓑に

   なることは避けねばならない。

   

   時には、大勢に流されない「少数異見」も、夏場の香辛料として

   刺激的、と感じ入った次第である。

教えを請う

   年齢を経て、失くしてはならないものとして、廻りの人たちから

   「教えを請う」という気持ちを持ち続けること。という言葉を聴き、

   なるほどと納得した。

   さらに「教えを請う」ためには、自らそれを受け入れる「器(うつわ)}を

   持ち合わせていなければならない、というのも含蓄に富む。

   折角の(人生の)示唆も、聴き手サイドに、受け止める「器」がないと

   浸みてこない、というわけである。

   年齢を経て、それなりのポジションに付けば付くほど、「教えを請う」

   ことに抵抗を感じる傾向がみられる。

   「教えを請う」ことで、「へり下る」という意識が働くからであろうか。

   歴代の総理が現職時代、どのような人たちと会っているかを

   概観すると、誠に興味深いものがある。

   全くの独断だが、総理といえども、一人の人間としての、知恵、

   能力には限界がある、したがってその総理が、どのような人たちと

   会っているかは、総理としての実績に大きく影響するのではなかろうか

   と考えるのである。 勿論本人の「器」を前提とした話である。

   

   私の知る限り、短命内閣ではあったが、細川元総理の現職時代、

   如何に多彩な分野の人たちと会い、意見交換、拝聴していたかが

   記憶に残っている。

   政治絡みで、人と会うのは当然として、当代の一流文化人、

   教養人、と目される人たちとの交流を実によく行っていた。

   当時他党であった宮沢元総理とも時折会いアドバイスを得ていた、

   と、氏の記述にある。

   歴代の総理(政治家)とは、一味違ったところがあった。

   中庭での内閣写真や、自衛隊の観閲式に背広姿で出たのも氏である。

   古式にこだわらない決断は、「育ち」からくる感性なのだろうか。

   政治的主義主張はさておき、また小党多数連立のもとでの

   新政権体制では、自ずからの限界もあるが、もう少し続いていれば

   その後の「政治の様相」も変わっていたのではないだろうかと

   思わせる「なにか」を持っていた。

   さて、ところで現在、現総理は日頃どのような人たちと会い、

   意見交換し、拝聴されているのだろうか・・・・。

   まあ人様のことは兎も角、歳を経ても、「教えを請う」柔軟な

   気持ちだけは持ち続けたいものだと、自らに言い聞かせている。

   

   

   

   

   

   

安政の大地震

   安政2年(1855年)の江戸大地震については、4300人の人が亡くなり、

   1万戸の家屋が崩壊したという記録がある。

   水戸の藤田東湖もこの地震で亡くなっている。

   さて、この地震に関して、モノの本によると、

   地震直後(午後10時頃)、江戸城下に居た諸大名、幕閣首脳達が

   まず取った行動は、なんとかして我先に江戸城に駆けつけ、

   将軍(家定)に拝謁することであったという。

   誠に麗しい将軍思いの発露(?)であるが、要は彼らにとって「有事」に

   おける優先順位はなによりも「将軍」であったということである。

   まあ時代背景としては、そういうことであったのであろう。

   ところが、その城内で幕府首脳が集まりながら、あまりの突発的な

   出来事に、事態が定まらずおおやけに出された対応指示命令が、

   二転三転したということである。

   一方、実際に江戸住民にとって役に立ち、頼りになったのは、

   町の奉行所、とその下部組織で、日頃は見張り、取り締まる立場だが、

   それだけに「現場(土地、住民)」に精通しており、指示、救援が

   的確で大いに活躍し、助けになったようである。

   今回の各市町村首長の「頑張り」を彷彿とさせる。

   時代は変わっても、この人間社会、いざという場で、目先誰が

   頼りになるのだろうか。

   なんだが「暗示的」な話ではある。   

     

子供の頃

   社会人になって東京に出てきた頃、ある年配の方から、京都は何時頃

   がいいですか?と聞かれ、「京都の夏が好き」と応え、呆れられたことを

   覚えている。

   恐らく、あの京都の酷暑をご存知だったのであろう。

   呆れられたのも仕方がない。確かに夏の京都は蒸し暑い。

   だが、当時はやはり「夏が好き」だったのである。

   若者にとって、というか子供にとって「生命の息吹溢れる」季節はやはり

   夏だったのである。

   子供の頃の思い出といえば、やはり「夏の思い出」なのである。

   その思い出が大半を占めるといっても過言ではない。

      祇園祭 大文字焼き 地蔵盆、プール、キャンプ、

      冷えた西瓜、アイスキャンディ、盆踊り、花火大会

      汗だくになりながらのクラブ活動、 カキ氷

      昆虫採集 ソフトボール大会 フォークダンス

                        ・・・・・・・・・・・・・・・

   京都を離れて頭を過ぎるのは、子供の頃の夏の思い出

   だったのであろう、「夏が好き」と応えたわけである。

   新緑の京都や、錦秋の京都が好きというのは、大人になってからの

   知恵、趣味趣向のような気がするのである。

   子供が、「初冬の嵯峨野散策が好きです」というのも

   それはそれで結構なことではあるけれど・・・。

   

   流石に今の年齢になると、特別の用件でもない限り「夏の京都」に

   出掛けることはなくなったが、それでも時折、宵山の賑わいや

   大文字焼きにこころ動かされるのは、子供の頃の郷愁という

   ものであろうか。

   それにしても今の子供達はどうなのだろうか。

   家のなかのゲームや、塾だけでなく、汗だくになって一杯遊んで

   ほしい。そして一杯夏の思い出を持って欲しいものである。

   

    

   

猫の親子

   何時の頃からか、我が家に飼い主のいない親猫と生まれて間もない

   子猫2匹がうろつくようになった。

   親猫の小さい子猫を必死にかばい、守り育てている姿を見ているうちに

   邪険に追い払うことも出来なくなり、暫く静観していたのであるが・・・。

   当初は目が合うだけで、危険を察知した3匹が、脱兎(!)の如く

   逃げ去ったのであるが、そのうちこの野良猫達も、当方が危害を

   加えないということが解ってきたのであろう、一瞬身構えるが、すぐに

   元に戻り、じっと佇むようになった。

   今では、ウッドデッキの涼しそうな木陰を見つけては、親子3匹、

   じゃれ合ったり、寝そべったりしている。

   子猫を思う母猫の目配り、気配りがこちらにも伝わってくる。

   感情移入というものである。

   それでも、文字通り「猫の額」の我が家のスペースでは、同時に

   3匹の猫を正式に飼うわけにもいかない。

   1度でも餌を与えると、住着いてしまうとも聞く。

   中途半端な気持ちではかえって切ない。

   ということで、今のところ、追い払うでもなく、餌を与えるでもなく

   なんだか、不安定なつかの間の関係を続けている。

   もしかしたら、どこかの家で餌を与えてくれているのかもしれない。

   この猫たちも、結局人間によって捨てられた境遇かと思うと、

   なんだか申し訳ない気もする。

   だが、我が家では今しばらく、「自然体」で成り行きを見守るしかない。

   「元気で生き続けてくれ」というのは、人間サイドの

   エゴかもしれないが・・・。

   

   

   

   

途中経過

   今年もあっという間に折り返しの7月入りである。

   様々な意味で、暑い夏になることであろう。

   ところで、過日ゴーヤの種を撒き、「緑のカーテン」を

   目論んでいることを、このブログでも触れたが、

   今のところ、順調に育ってきている。

   果して涼しい夏をもたらすまでに相成るのか、

   いずれにしろ、「生き物」の成長は、観察していて飽きない

   ものである。

   庶民のほんのささやかな「暑さ凌ぎ」である。

   07010001

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