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原発議論に思う

   「脱原発」 「反原発」 「減原発」 と原発に関する言葉が縦横に

   飛び交っている昨今である。

   各々、3文字で言わんとする意味合いが伝わることから、使い勝手も

   よく、今では公的な文章でもそのまま使われている。

   ただ、気を付けたいことは、それを使う人によって解釈なりニュアンスが

   微妙に違うことがないだろうか、という点である。

   以前にも「一定の目途」の解釈で「唖然」とさせられたばかりである。

   たとえば「脱原発」について。

   最終的には原発廃止という「思想」だが、中身の論調を見ると、

   速やかに原発を廃止(当面稼動中止)すべしとするとするハード

   ランディング派から、数十年掛けて除々に原発を無くしていくという

   ソフトランディング派まである。

   それらが同じ「脱原発」という立場で一括りされている。

   様々な考えがあるのは、良いとして、たとえば後者の場合、「原発

   維持、推進論」や「減原発」と 現実的な政策論議の場でその

   境界線はどのあたりになるのだろうか。

   当面、来年度予算で、原発(平和利用)研究開発予算をどうするか。

   その辺がどうも曖昧で、ただ「脱原発」とか「減原発」とかいう

   言葉だけが独り歩きしているようにも思えるのである。

   あまり良い「たとえ」でもないが、100m走 とマラソンを同じ

   「陸上競技」と一括りにして、その対応(トレーニング法)を

   議論しているようにも見えるのである。

   これらのことを最近では「超疑問」という一言で表すらしい。

   

   

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