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教えを請う

   年齢を経て、失くしてはならないものとして、廻りの人たちから

   「教えを請う」という気持ちを持ち続けること。という言葉を聴き、

   なるほどと納得した。

   さらに「教えを請う」ためには、自らそれを受け入れる「器(うつわ)}を

   持ち合わせていなければならない、というのも含蓄に富む。

   折角の(人生の)示唆も、聴き手サイドに、受け止める「器」がないと

   浸みてこない、というわけである。

   年齢を経て、それなりのポジションに付けば付くほど、「教えを請う」

   ことに抵抗を感じる傾向がみられる。

   「教えを請う」ことで、「へり下る」という意識が働くからであろうか。

   歴代の総理が現職時代、どのような人たちと会っているかを

   概観すると、誠に興味深いものがある。

   全くの独断だが、総理といえども、一人の人間としての、知恵、

   能力には限界がある、したがってその総理が、どのような人たちと

   会っているかは、総理としての実績に大きく影響するのではなかろうか

   と考えるのである。 勿論本人の「器」を前提とした話である。

   

   私の知る限り、短命内閣ではあったが、細川元総理の現職時代、

   如何に多彩な分野の人たちと会い、意見交換、拝聴していたかが

   記憶に残っている。

   政治絡みで、人と会うのは当然として、当代の一流文化人、

   教養人、と目される人たちとの交流を実によく行っていた。

   当時他党であった宮沢元総理とも時折会いアドバイスを得ていた、

   と、氏の記述にある。

   歴代の総理(政治家)とは、一味違ったところがあった。

   中庭での内閣写真や、自衛隊の観閲式に背広姿で出たのも氏である。

   古式にこだわらない決断は、「育ち」からくる感性なのだろうか。

   政治的主義主張はさておき、また小党多数連立のもとでの

   新政権体制では、自ずからの限界もあるが、もう少し続いていれば

   その後の「政治の様相」も変わっていたのではないだろうかと

   思わせる「なにか」を持っていた。

   さて、ところで現在、現総理は日頃どのような人たちと会い、

   意見交換し、拝聴されているのだろうか・・・・。

   まあ人様のことは兎も角、歳を経ても、「教えを請う」柔軟な

   気持ちだけは持ち続けたいものだと、自らに言い聞かせている。

   

   

   

   

   

   

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