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2011年9月

今はもう秋

          今はもう秋  誰もいない海

            しらん顔して  人がゆきすぎても

              わたしは 忘れない・・・・・・・・・

                       ー 詞  山口 洋子 -

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   夏の盛りの喧騒が、うそのように 静まる瞬間がある。

   季節の曲り角である。

   ここ水辺の公園も ほんの少し前までは、

   幼児から小学生位までの子供達の天国であった。

   彼らの熱気と喧騒と、 灼熱の太陽で

   私は近づくことにも躊躇し、遠くの木陰で

   彼らの躍動を見ているだけであった。

   いつのまにかの 秋の訪れで この水辺からも

   人が去っていった。

   今はただ、水の流れの音だけが聞こえるばかりである。

   

   体内時計の秒針が早まる日常のなかで、

   多くの人は 季節のうつろいを 忘れてしまった。

   でもここには   「今はもう秋・・・」   が残っていた。

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芸術の初秋

   リタイアー生活も、自分なりにベテランの域、と自惚れているが、

   それでも時に、「毎日何をして過ごしているのか」という質問には

   今でも「どぎまぎ」としてしまう。

   高尚な趣味や、ボランティア活動といった事には縁がなく、声高に

   言うほどの社会活動をしているわけでもなく、なんとなくその日を

   思いつくままに生きている身には、出来るだけ人様の迷惑にならぬよう

   「ひっそり」とマイペースで暮らすよう心掛けているつもりである。

   もし「時間」が財産のモノサシであれば、相当の「資産家」であるが、

   肝心の「お金」の方にご縁がないだけに、時間という資産を有効に

   使うためには、目一杯「知恵」を働かせることになる。

   まあこういった条件の下、初秋のここ1ヶ月ばかり、出向いた先を指折り

   数えると次のようである。

            三井記念美術館

            府中市美術館

            平櫛田中彫刻美術館

            相田みつを美術館

            ブリジストン美術館

            東京国立近代美術館フィルムセンター

            多摩動物公園

            神代植物公園

            船の科学館

            日本科学未来館

            江戸東京たてもの館

            昭和記念公園

            殿ヶ谷戸庭園        etc 

   入館料だけでも、ばかにならないではないか?という鋭い質問が

   飛んできそうであるが、そこはそれ、「裏技」を充分に駆使して

   「超割安」に仕上げているのは、持たざる者の「知恵」である。

   1日に2ヶ所の美術館めぐりも稀ではない。

   時間の資産家ならではの「贅沢」というものである。

   なお、これらに加えて、時折の「居酒屋」で、酒友諸氏のご高説に

   耳を傾けるというのも至福の時間活用ではある。

   リタイアー(貧乏人)生活も、ベテランの域に達すると、

   まんざらでもないのである。

   まあこれも元気なうちが華ではあるけれど・・・。

   

   

路傍の花

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              路傍の花

            群生から離れて  たった1本で立ち上がる花

            おまえは 孤立か それとも孤高か

            群集に紛れることもなく。

            行けるところまで 行ってみる

            そんな健気な風にも見えるが 忘れてはいけない

            しっかりと群集と 地で繋がっていることを

            人もみな ひとりでは生きてはいない

            この大地によって社会と繋がっている

            この大地に根を張ることが生きる証。

  

      

是清の旧居

   高橋是清の邸宅は、青山通りの赤坂七丁目(現在、記念公園)に

   あったが、建物の一部が江戸東京たてもの園に移築されている。

   同園は、小金井公園の一角にあり、公園に隣接して、ゴルファーには

   よく知られている「小金井カントリー」がある。

   さて、3連休のある1日、久しぶりにたてもの園を訪れ、高橋是清の

   旧居を見学した。(すでに何度目かではあるが)

09250008                       (裏庭からの旧居全景)

    休日とはいえ、朝1番で入場したので、まだ人は少なく、例の

   2.26事件で暗殺された2階の部屋も私1人でしばし佇み、

   部屋からの眺めをぼんやりと見ていた。

09250003                    (2階の床の間 是清実筆書)

   09250004                       (昭和史の1つの現場)

   高橋是清は波乱万丈の人生を送った。

   その分多くの逸話も残している。

   桁外れなのは、酒好きで、国会の会議場の席で茶碗酒を

   すすっていた、というのもある。なんとも型破りの豪快さである。

   なお、蛇足ながら是清の孫娘が、伊藤博文の孫と結婚しているのも

   他愛のない歴史の「豆知識?」である。 

敬老の日に

   「敬老の日」といっても、敬う両親はすでに無く、さりとて

   70~80代の諸先輩が元気にご活躍のご時勢に、60代の若造!が、

   敬って頂こうなんてさらさら思い至らないわが身の事、普段と

   変わらない「日常の日々」である。

   ということで、今日は我が家から、マイカーならぬ、「エコ自転車」で

   行けるお気に入りの「庭園」で半日を過ごした。

   なんとも平穏で、安上がりな「敬老の日」であった。

   以下は「素人」の証拠写真である。

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一枚の写真から

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                     望郷

       檻のなかを ただ訳も無く ぐるぐると廻っているか

         あるいは だらしなく 寝そべっているか

         そんなイメージしか持ち合わせていなかった。

         でもこの猛獣は 別の様相を 我々に示していた。

         正座(!)して  遠くのある一点に目をやり

         しばらくその姿を取り続けた。

         想像の中で ふと「望郷」という言葉が浮かんだ

         遠き異国の地で 彼は今なにを想っているのだろうか

         彼の目にぽつりと光るのを見た。

                           (多摩動物公園にて)  

         

         

公園の音楽家

          今日も二人して音楽を奏でていた

          ある公園のベンチ。

          雨の日も 風の日も 彼らは1日も休まず演奏している。

          今日はデキシージャズか 若き日の故郷の歌か。

          明るく陽気な曲の日

          悲しく切ない曲の日

          我々のこころを推し量るように

          今日も音楽を奏でている。

          写真はOK?

          男の方が 小さく片目をつぶってくれた。

          急いでカメラを向ける。

          ある日の公園の午後。

08280004_2                       (公園に溶け込む彫刻)

口害と共に去りぬ

   失言というか、暴言と言うか。またこれで、新任の大臣が辞任した。

   それも、タブーに果敢に挑んだ「勇気ある発言」という類でなく、

   強いて言えば、母親から「そんな事を言うものではありません」と

   叱られる子供の言うようなレベルだけに恐れ入る。

   流石に「いい加減にせんか!」というところである。

   そんなレベルの為か、本人の自己責任もさる事ながら、保護者(?)の

   任命責任が問われているのは、いつもの通りである。

   文字通り、子供の不始末は親の責任ということなのだろう。

   野党のある党首も、早速次の国会で首相の任命責任を問う、と

   コメントを出している。

   まあ任命責任も否定はしないが、与野党共々「好きにしていなはれ!」

   (と、言いたくなるテイタラク)

   残念な事だが、今の政治家のレベルはこの程度、と思わせるような

   出来事が多すぎる。

   国会議員の中から、アットランダムに20人ほど抽出して、「目立つ」

   ポストに付かせると、何らかの問題を起こしたり、失言したりする

   議員が、趨勢として数人は出てくるような「危うさ」がある。

   ということは、厳しい言い方をすれば、統計的に国会議員のうち

  、何割かは重要なポストに付けさせられない、ということになる。

   資質、能力という視点ではないが、

   大臣就任前に「身体検査」をするのが通例と言われている。

   そもそも、「身体検査」をしないと安心して任命できない人々で

   構成されている組織(国会議員)って一体何だろうか、と原点から

   考えてみる必要がありそうである。

   たとえば次元は異なるが、民間企業で、役員登用の都度、社会的に

   問題のある人が含まれているような企業は存立自体危うい。

   勿論、日夜国家、国民のため身を粉にして頑張っている国会議員も

   沢山居る。

   でも今の状態では「悪貨が良貨を駆逐する」ではないが 

   なんだか「国難の時期」と言われている割に「子供のけんか」みたい

   なことをしているようにみえてしまうのである。

   やはり「好きにしていなはれ!」と言っていられないのである。

   

   

  

   

   

   

   

同心円と予報円

   天気図では、台風・暴風域を「円」で表す。これを「予報円」と言うらしい。

   厳密には、台風や暴風域を伴う低気圧の中心が、一定時間毎に到達

   すると予想される範囲を「円」で表すもの。という事の由。

   円で表す専門的事由があるのかもしれないが、私には不明である。

   この「予報円」を見ていて、ふと原発事故に伴う避難地を決める

   「同心円」を想起した。

   事故影響の度合いが、「同心円」で決められたことに対する問題提起が

   思い起こされたところである。

   チェルノブイリの事故においても、地元のウクライナよりも、風下(南風)

   の白ロシア(現べラルーシ)の方が被曝者が圧倒的に多かったと聞く。

   必ずしも同心円が対象地域を正しく示すことにはならない事を明らかに

   している。

   原発の同心円も、暴風域を示す予報円も、あくまで便宜的、デフォルメ

   されて、「円」で表すことにした、というようにも理解されるのである。

   素人目にも、暴風の領域が、台風(中心)の進行方向に対し、

   前後左右対称ではなかろうと思われるのである。

   因みにアメリカのハリケーン情報(天気図)は、「円」ではなく、幅広の

   矢印だけであるようだ。(日本はやはり「円」 下手なジョークだが・・)

   まあそんなことはどうでもいい、というのが大方の空気だが、

   精緻を追求する日本の科学者の事だから、研究を重ね、将来

   個々の台風によって、より正確な暴風域の「予報形・レベル表示」

   が発表される時代がくるかもしれない。(来ないかな?)

   

 

褒めて育てる

       「人を育てる」事こそ、リーダーの最も重要な役割の1つである。

       その要諦は、「褒めて育てる」ことである。

                          - 松下 幸之助ー

    新内閣が発足した。

    新総理については、特別支援していた立場ではないが、代表選の

    過程で、まず想定内というか、予想通りの展開結果であった。

    早速、船出前から、いつものように厳しい意見が投げ掛けられる。

    野党幹部は、立場上辛口のコメント(たとえば、「攻めどころ満載

    内閣」等々)を発表することになるが、我々国民は、船出前から

    「やる気を無くさせる」ようなコメントは差し控え、まずは当面

    静かに見守ることにしたい。

    ただ、故障まみれの船は、「船長」が代わっただけで、修復する

    わけではない、という事実は長年の経験で知り尽くしている。

    今は、冷静(諦観?)に、推移を見つめているだけである。

    ところで、

    新総理は、松下政経塾の出身(第一期生)である。

    現在、政治に関わっている出身者は約80名に達し、そのうち

    国会議員は38名の由である。

    今回その中から総理大臣が生まれたというわけである。

    学生時代に1度、松下幸之助の話を聞いたことがある。

    この人が,あの「松下幸之助」か・・、と言う感じで、話の中身は

    ほとんど覚えていないが、人を引き付ける「明るさ」が印象に

    残っている。

    政経塾の存在については、様々意見はあるとして、松下幸之助が

    蒔いた種が大きく育ってきたことは間違いない。

    果して政経塾出身者が、今も夫々の政治の場で、創立の精神、

    理念を忘れずに内に秘めているだろうか。

    現実の政治は、頭でっかちな理屈が安易に通用するような「ヤワ」な

    世界ではない。浪花節的義理人情も生き残っている社会である。

    こうしたなかで、政権担当者は「大人」の政治家に育ってもらい

    たいものである。

    我々国民も時には、政治家に対し「褒めて育てる」ことも必要か。

    自暴自棄になられて困るのは国民である。

    

   

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