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2011年11月

長期低迷論

   「景気循環論」というのがある。

   諸説は、専門家に任せるとして、教科書の1ページには

   景気の上昇(好況)局面と下降(不況)局面の循環的な動きをいい、

       短期循環 (チキンの波)

       中期循環 (ジュグラー、クズネッツの波)

       長期循環 (コンドラチェフの波)

   がある、とされている。

   不況、回復、好況、下降の4局面に分類する記述もある。

   この「景気循環論」 このところすっかり影を潜めた感がある。

   内閣府の公式見解では、2009年3月より、わが国経済は景気循環論的

   には、上昇局面ということになっているが、一部の人を除き誰もその

   感覚を有していない。

   特に市民感覚としては、皆無に近いのではないだろうか。

   その感覚乖離の理由としては、

     「景気」に対する感覚が、数字に表すことのできない様々な要素が

    加わり、かつ複雑に絡み合って捉えられるようになってきたこと。

    社会システムの過渡的変化、社会・政治並びに将来不安など。

    あと1つは、1国の経済状況だけでは掌握できない、国際経済化の

    進展である。

    従来も、「アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく」という事を

    言われてきたが、長年の単一関係から、今やEU諸国から、中国等

    含めた多重化、重層化によって経済関係がより複雑となり、単純な

    パターン化では捉えられない状況にあることが大きく影響している。

    ところで、「景気」循環論とは、少し性格を異にするが、

   鶴見俊輔氏が、わが国について面白い指摘をされている。

   「日本は、日露戦争勝利を転換点として、長期の停滞局面に入り、

   今もその状況下にある」というものである。

   大国ロシアに勝利したことにより、有頂天の誤解が生じ、国の精神が

   そこで大きく変質し、その後の歴史(大戦)を経て、その状態を払拭され

   ないままで今日に至る、という論旨のようである。

   大局観という視点からも、今日、長期の低迷局面という指摘は、

   示唆的と受け止めた。

   100年周期の低迷期間と割り切れば、目先で一喜一憂することなく

   どっしりと物事を見つめ、考え直すこともできるのではなかろうか。

   さらに、もし「循環論」が活きているとするならば、どこかで転換点を

   見出し、再び上昇局面を歩み出す・・・、この「楽観」スタンスだけは

   失くしたくないものである。

    

ある連想

   キッシンジャー元米国国務長官が来日しており、11日(金)には

   野田総理と会談している。

   30分弱の面談で、すでに政府要職から離れている同氏でもあり、

   来日での表敬訪問という形なのであろう。

   ただ、いかにもTPP問題を控えた直前のタイミングだけに、

   例の「歴史の1ページ」を連想させてしまうニュースであった。

   あの「ニクソン大統領の電撃的中国訪問の根回し外交」である。

   総理との会談内容は勿論伝わってはこないが、「話題」として

   出た事は間違いないところである。

   ある新聞報道によると、14日は岡山大学で講演しており、

   「世界の重心は、大西洋から太平洋に移ってきた」とし、TPPについて

   「アジアと米国が将来のために作っていく開かれた仕組み、各業界の

   損得だけの短期的なものではない」と、日本の交渉参加を歓迎した。

   と、している。

   今も米国内でも影響力を有し、今夕(15日)は中曽根元総理との

   会談がBSで放送予定である。

   その発言内容はさておき、わが国にも国際社会に存在を示せる

   「外交家」が、現れないものだろうか。

   総理経験者を多く抱えているのだから・・・。と、これも連想である。

   

   

   

愛宕の山

   全国に「愛宕山」と名の付く山は幾拾とある。

   その中では、 京都の愛宕山(愛宕神社の総本社)と

            東京の愛宕山(江戸時代各藩の愛宕神社の本社)

   が、歴史に名を残している。

   京都の山は、明智光秀が本能寺の変の前に祈願し、東京(江戸)の

   山では水戸浪士が、桜田門外の変の前に立ち寄り祈願した、と伝わる。

   どちらも、目先の思いは遂げており、歴史の偶然とはいえ、面白い

   共通点である。

   さてその東京の「愛宕山」に付いてである。

   東京都港区愛宕1丁目、日本の首都東京のど真ん中、に堂々と鎮座、

   聳える(?)山である。

   標高 25.7mながら、天然の山として「東京23区」の最高峰である!

   古くは、曲垣平九郎が馬で駆け上がり、出世坂として名をなし、

   近年ではわが国ラジオ放送発祥の地として全国にその名を知られる。

   (現在NHK放送博物館がある)

   格別の根拠もないが、東京都民なら1度は訪れ、押さえておきたい

   歴史地区の1つである。

   というわけで過日、押さえに出掛けた。2度目の25m登頂である。

   往時、江戸の景観スポットとして有名だった、ということだが、

   流石に今では、21世紀のビル群が垣間見えるだけである。

   まあそれはそれで、今風の景観ではある。

   山頂!の愛宕神社の池の鯉が、妙に馴れ馴れしく私を出迎えてくれた。

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   帰路、ふと「愛宕山」繋がりで、

       今から半世紀も前に卒業した、高校の校歌を思い出した。

          「 愛宕嶺の  松の韻(ひびき)は

            若人の  高き理想を さながらに・・・・」

   よくもまあ、覚えているものである。

   今も後輩たちに、受け継がれているらしい。      

   

「侘(わび)酒」の奥義

   慶びにつけ、哀しみにつけ、酒あっての人生である。

   呑み方に窮屈な理屈や解釈は要しない。

   ただ、何事にも「形」から入るのは、極めの本流であり、

   形式の修行の先に 自由の境地がある。

   と、まあ今宵の酒席での序論である。

   お茶の世界に「わび茶」という一様式があるのだから、お酒にも

   「侘(わび)酒」という流儀があってもいいのではないか・・・、

   というのが 今宵の取り留めのない話題であった。

   「侘酒」といっても、決して「侘しい酒」のことではない(念のため)

   「わび茶」は、書院での豪華な茶の湯ではなく、無駄を削ぎ落とした

   簡素(わび、さび)ともいえる茶の湯で、千利休の茶道をもってその

   イメージとされる。

   (「侘茶」という言葉自体は、利休の後の時代に生まれたという説あり)

   さて、それに習うと、「侘酒」を如何に定義し、イメージするか、

   以下、ほろ酔い機嫌の自称粋人達の言いたい放題。

    華美、豪華を求めず、喧騒を避け、さりとてしんみりすることなく

    からりとした席で味わう酒。

    後味のいい酒。 後味のいい話題。 後味のいい酒席。

    舟唄(阿久悠作詞)の世界

       ーお酒はぬるめの燗がいい、肴はあぶったいかでいい・・-

    手に馴染んだぐい呑みで、注ぎあうもよし、独酌もよし。

    勝手に呑んでいるようで、いつしかリズム定まり、ハーモニーにも

    酔える酒。

    程よい距離に女将の笑顔。気配り、心配りさりげにみえて

    出過ぎることもない聞き上手。

    品よく盛られた小鉢の肴、旬の色合い五感で味わう。

    酒同様に、言いたいことを言い合うも、その場限りで後に残らず。

    気の合う仲間がいての酒の醍醐味。

    何よりも、知性と気品溢れる酒席が命。

   さて、これらの「侘酒」の酔い心地は如何なものであろうか。

   各々 「侘酒」流 宗家の気概にて、本日はお開き。

      

天井画の話

   天井画というのは、一般的には 「天井の装飾として描かれた

   絵画の総称」と言われている。

   単純に言えば、天井の白地に描かれた装飾としての絵画ということに

   なるのだろう。

   ただ、天井に絵を描くというのは、大変な「作業」であり、単に「装飾」の

   ためだけに描かれ続けてきたものだろうか、という疑問がある。

   装飾に加えてもっと深い意味があるのではないか、というのが

   素人なりの直感(思いつき!)である。

   建造物(室内)の装飾としての絵画であることは、動かしがたい

   事実であり、パリ・オペラ座の天井画(シャガール)などは、

   その典型なのだろうが、ダビンチの天井画や、天井画の代名詞とも

   言われるシスティーナ礼拝堂の天井画(ミケランジェロ)などは、

   装飾以上の何かが含まれているのではないかという想像である。

   又、わが国寺院でも、龍の天井画など有名なものが多く存在する。

   これらも、単に「装飾」としての天井画と片付けられないところがある。

   天井→天上、宇宙 といった発想も1つの「鍵」かもしれない。

   ところで、過日ある講演の場で、千住博氏(画家・京都造形芸術

   大学 学長)から 「アルタミラの洞窟画は、多くの人に壁画だと

   思われているが、実は天井に描かれている」ということをお聞きした。

   私も「壁画」だと思い込んでいたひとりである。

   今から15000年前のクロマニオン人も、洞窟内の薄暗闇のなかで

   「天井画」を描いていたのである。

   どうやら「天井画」は装飾というヤワなことで片付けることの出来ない

   もっと人類の本源的なものと結び付いているのではないか・・・。

   素人なりの想像の世界である。

   これからは、お寺の天井画も厳粛な気持ちで拝見することにしょう。

   

   

   

走る時代

   時代の様相により、

     座っている時代、  歩いている時代、  走っている時代

   に区分して捉える見方がある。

   昨今の世相は、どうやら「走っている時代」である。

   誰もが、忙しそうに、立ち回り、駈けずり廻っている時代である。

   一頃、「禅ブーム」と言われた時があった。

   禅の真髄は、本来「ブーム」とかいわれる事とは対極にあるのだろうが、

   静かに座して、瞑想し、安らかにこころ見つめる事に多くの人が

   魅せられ、関心を持ったことは間違いない。

   また、そういう時代背景があったのであろう。

   いわゆる 「座る時代」である。

   これとあい前後して、「歩く時代」が到来する。

   いわゆる、「ウオーキングブーム」である。

   健康、自己管理への関心度に呼応して、人皆「歩き始めた」。

   あたかも、座する人間が、やおら歩き始める人間の「生成過程」を

   辿るように歩き始めたのである。

   「ウオーキング・マシン」まで作り出す念の入れようである。

   そして今、「走る時代」(ジョギング・ブーム)の到来である。

   2007年から始まった東京マラソンでは,約3万人の参加枠に対し

   年毎に申込みが急増し、今ではエントリーの資格を得るのが大変と

   いう時代になっているのである。

   昭和の時代には考えられない現象である。

   フルマラソンにチャレンジするのは、陸上部の連中くらいで、

   一般学生や社会人が参加することなど、稀有な事だった。

   それが今や・・・という時代の変化である。

   世相とマラソンの隆盛は関係ないのかもしれないが、

   それにしても、なんと多くの人々が走り始めた事か。

   居ても立ってもいられない「焦燥」の時代、とこじつけるのは

   いかにも失礼で、穿ち過ぎかもしれないが・・・・。

   それにしても、政治家、経営者、学徒も 一般市民までも、

   なんだか皆、時代に乗り遅れないよう、駈けずり廻っているようにも

   見えるのである。 総理までも落ち着くことなく次々変わる。

   正しく「走る時代」である。

   時代は回帰し、再び 「座して思索の時代」がくるのかもしれないが、

   昨今の様相では、どうやら当分「走り続ける時代」のようである。

   

      

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