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2012年1月

「相づち」の妙

   今日の朝刊に一寸面白い記事が出ていた。

   ロシア大使館勤務の報道官が、日本人の「相づち」研究で博士号を

   取ったという話である。

   我々日本人にとっては、「相づち」なんてそれこそ「空気」みたいなもので、

   深く考えるようなことはまずない。

   記事によると、 本人 ゴロホアさんは、モスクア国際関係大(外交官の

   エリート養成校)で日本語を学び、国際基督教大に留学、日本語をマスター

   したが、今1つコミュニケーションに戸惑いがあったところ、友人からの

   「相づちをうたないから、反応がわからない」という忠告が、日本特有の

   相づちに関心を持つ契機となった、とのことである。

   彼女によると、日本人は相づちの7割を言葉で表現するが、ロシアでは

   あまり言葉には出さず、目や頭などを微妙に動かすことで相手にシグナルを

   送る、という。

      (最近、日本人の間にも、言葉に出さず、無表情、無反応な態度の

      人が多くなったという説もある。)

   これらの特徴を踏まえておかないと、外交交渉などの場面で、思わぬ

   誤解を生むことになり、たとえば日本側は、相づちを打たないロシア人を

   不機嫌と思い、ロシア側は、しきりに相づちをうつ日本人に違和感を

   覚える、というわけである。

   「相づち」も、なるほどばかにできないものがある。

   昨今、コミュニケーション能力の重要性が叫ばれているが、我々

   日本人も「相づち」の効能なり、その意味合いを見直す必要がありそうである。

   相づちを含め、一寸したしぐさ、ほんの一言、でその人の印象が決まる、

   あるいは決めていることがある。

   そういえば、関連した話で、サルの世界でも、ボス猿が決まるのは、

   必ずしも具体的に腕力を行使して勝ち抜いたサルがその地位に付くと

   いうよりもほとんど「直観力」によって決まっている、という研究結果がある。

   つまり、あのサルには勝てそうもない、という「直感力」が夫々働いて

   自然にボス猿が絞り込まれていくというわけである。

       (サル知恵!である。 ただ、人間社会と同様、派閥が出来ると

       この直感力が鈍り厄介なことになるらしい。

       原人猿のDNAを人間が引き継いでいるのか、人間社会の様相を

       サルが真似ているのかは不明?である)

   いづれにしろ、我々人間も、好き嫌い、好感度、好印象といった感情も

   この直観力によるところが大きいのではないだろうか。

   「相づち」は小さいながらもこの直感力の一要素と考えると、人間関係に

   おいて大切なこと、と考えさせられた記事でもあった。

   

   

   

   

積雪の日に

   1月24日の朝  東京も久しぶりの積雪である。

   雪の後の太陽が眩しい。

   と、急に現実的な話になるが、「この雪が砂糖なら大儲け」というセリフがある。

   一見、一儲け出来そうに思ってしまうのだが、そうは上手くいかないのが、

   この世の習いである。

   周知の通り、理屈としては、少なくとも経済(学)的には間違いとなる。

   マクロ的には、物貨の創出になっても、交換(流通)価値は、限りなくゼロに近い。

   したがって、自前で使う分にはいいが、儲けには繋がらない。とあいなる。

   モノの価値は、需要と供給によって決まるのだから、空から大量の砂糖が

   降ってくる状況で、誰が金を払って砂糖を買ってくれるのか・・と考えれば

   回答が出る。

   もう少し中級のレベルになると、それでは雪(砂糖)の降っていない地域

   (海外)に輸出すれば・・という議論になる。

   紀伊国屋文左衛門の「みかん舟」 「材木舟」の発想である。

   これも残念ながら、今日の経済社会状況では、あまり期待出来ない。

   これくらいの「発想」は、今日の情報社会では、誰もが思いつく事であり、

   「発想」自体の価値が乏しいことによる。

   つまり、多くの人達が、同じ発想で、一斉に同じ経済行為をすれば、

   「価値逓減」につながり、いわゆる値崩れして思うほどの儲けにならない

   ということになる。 「発想」にも経済学的論理が働く、というのが今日的

   経済感覚である。

   もし降ってくる雪が砂糖なら・・、現在先端をゆく企業人なら、どう考える

   だろうか。

     如何にこの砂糖に「付加価値」を付けるか。

     砂糖(原材料)から、如何なる新商品を作り出すか(イノベーション)

   といったところが思い浮かぶが、これらもすでに一昔前の「発想」と、

   一蹴されるかもしれない。

   それもまたよし。 雪の日の平和な「雑想」の時間である。

   

   

   

真実を伝える

   過日、或るところで、1944年(敗戦1年前)当時の、何日分かの新聞に

   目を通す機会があった。

   戦時中は、大本営発表をはじめ、様々な情報統制、誘導があったことを

   「知識」としては知っているが、直接、当時の新聞に接すると、また違った

   感慨が起る。

   なるほどこういう事か、と妙に納得(是認という意味ではない)するところと、

   ここまでに到るものなのか、とそら恐ろしくなる部分とが交錯して、

   複雑な感覚を味わうこととなった。

   結果を知っているだけに、1つ1つの記事を、どういう人達が、どのような

   状況で、どういう心況で書いていたのか・・を思いめぐらすのである。

   単に、批判めいた次元を超えたところの話である。

   ある1つの「たとえ話」が思い浮かんだ。

      10対ゼロで負けている試合の概要(大局)を伏せ、

      ○○選手が果敢に盗塁成功、 △△選手、犠打を決める。

      といった記事(情報)で、埋め尽くされている。

      それを「負け」を知っている後で読む空しさ・・・。

      と、いったものである。

   それよりも、何よりも、 「真実を伝える」ということの難しさである。

   特に戦時という異常環境下にあっては、ここまで歪められるものか、

   という事実であり、平時においても1つの真実を如何に正確に、

   ありのままに伝えるかが、如何に難しいかを 受け手側も心して

   おく必要がある、ということだろう。

   今日においても、本質(大局)をぼやかして、各論ばかり侃々諤々

   やっている特は要注意である。

   「疑って掛かる」 今も 忘れてはならないスタンス、と

   改めて思い知るきっかけとなった。

  

   

山本長官の想い

   今、「山本五十六」の映画をやっている。

   偶々、先般 東郷平八郎のつながりで、山本五十六の墓にも

   赴いたばかりということもあって、関心の熱冷めやまぬうちに、

   映画を観にいくことにした。

   それなりに見応えのある映画に仕上がっていた。

   役所広司も適役であった。

   勿論、メディアを通じてしか知るよしもないが、本人の人間性も

   あるのであろう抑えた演技がかえって重厚感を滲ませていた。

   とまあ、素人なりの感想である。

   「山本五十六」については、常識の範囲で、その「人となり」、生涯に

   ついて、知るところではあったが、改めて確認が出来たことも

   映画の持つ良さであろう。

   山本五十六という人物(思想)を、描くことが主眼ではあるが、

   その背景として、その山本五十六をしても、日本を妥当な落し処に

   持っていくことが出来ず、「敗戦」という悲惨な事態に到る、ある種の

   「勢い」というか、「流れ」を描きたかったのであろう。

   一旦歯車が廻りだすと、止めることが困難な、「暴力的」ともいえる

   力が生まれ、呼応して、メディアも国民すらその流れに乗り、あるいは

   乗せられ、その空気がさらに歯車の回転に拍車を掛ける・・・。

   世論の持つ、危うさという一面である。

   そんなことを考えさせられる映画であった。

   観客は年配者が多かったが、若い人達にも観て欲しい映画でもあった。

   

   

   

   

   

   

往年の大俳優

   小さい頃の正月映画の定番の1つは、片岡千恵蔵の

   多羅尾伴内シリーズであった。

   正月といっても、まだテレビが普及していなくて、映画くらいしか

   娯楽のなかった時代の話である。

   知る人ぞ知る、ご存知 千恵蔵扮する 藤村大造の、 

   「あるときは・・・、またあるときは・・・」の決めセルフが「ウリ」であった。

   この長セルフを、遠回しに取り囲む悪者共が、どういうわけか、

   最後まで静かに聞き入り、それが終わるやいなや、クライマックスの

   アクション場面とあいなるわけである。

   このなんともいえない「テンポ」も、今では「郷愁」を感じさせるほどの、

   遠い昔の記憶である。

   さて、この唐突ともいえる、「片岡千恵蔵」の名前を思い出したのは、

   今回、経営再建中の日航の社長に植木氏が内定したことによる。

   植木氏は、片岡千恵蔵のご子息である。

   初めてのパイロット出身の社長ということでも注目されており、

   環境激化のなかでの社長就任だが、経営手腕に期待が掛かる。

   再建の目途を付け、新社長の「名セリフ」でも聞きたいものである。

   

   

対立の力学

   「対立」というのは、通常 負の概念として捉えられ、その緩和、融和が

   正当な方向性と考えるのが常識論である。

   ところが、最近 「目からうろこ」というか、なるほどそういう見方もあるのかと

   考えさせられた記述に接した。

   東北大 石井准教授の「捕鯨論争」によると、こうである。

     論争を冷静に分析すると、

     「 賛成派と反対派が、激しく対立することが、両者にとって利益になると

       いう共生関係の存在」 と指摘される。

   そしてこう続けられるのである。

     「 日本政府は、税金を投じて調査捕鯨を続けるために、 商業捕鯨

       再開に強硬に反対する人々が必要だったし、 

       反捕鯨派も、日本たたきで人気や寄付を集められるという利点」 が

       あったとされる。

   中身云々よりも、1つの見方として興味を持った。

   確かに、世間を見渡すとこういうことはありがちである。

   激しく対立している事が、結果的にある種の「均衡状態」 悪く言うと、

   馴れ合いの均衡を形成することで、両者の存在の維持を図っているような

   ところである。

   下世話な表現をすれば、対立そのものが「飯のタネ」になっているという

   極端な例もあり得る。

   そういう場合、「対立」が早く決着すればするほど、両者共倒れになるという

   皮肉な結果にもなりうる。

   こういう見方で。再び世の中の数々の「対立構造」を見渡せば、

   今までと違った風景に出くわす ことにもなる。

   一寸したことだが、なんだか「目からうろこ」である。

   

   

   

   

   

人間・本居宣長

   「本居宣長」 江戸時代の国学者、医者である。

   「古事記」 「源氏物語」の 注釈で著名。

   文字通り、「楷書」を絵に描いたようなイメージの人物である。

   さて、その賢人、 本居宣長であるが、

   ある学者の仮説によると、別の一面が浮き彫りになり、興味深い。

   少し、宣長の年賦の一部を抜粋すると、次の通りである。

     1730年       松坂に生まれる

       52年(23歳)  京都で医学を学ぶ  通算 6年ほど

       56年(27歳)  一時帰省  途中 友人 「草深」 宅に寄り宿泊。

       57年(28歳)  松坂で医者を開業

       60年(31歳)  9月14日  村田みか と結婚

                 3ヶ月後の12月18日  離婚

       62年(33歳)  1月17日  「草深」たみ と結婚

   このなんでもない年賦のなかに、下世話ながら まず「本居宣長」の一途な

   色恋が潜んでいるというわけである。

   まず、27歳のとき、友人(草深)宅に立ち寄ったことが伏線になっている。

   推測の通り、「草深たみ」 は、友人の妹で、当時 15,6歳。

   「仮説」によると、どうやら宣長さん、この妹に「こころ奪われていた」  

   という次第である。

   ところが、医学の修得や、開業に費やしている間に、たみが別の男と

   結婚、失恋の憂き目にあう。

   やむなく、ということか、31歳のとき、 村田みかと結婚するのである。

   ところが、事態が急変・・・。

   たみの夫が急逝したということを聞いてしまうのである。

   ・・・・ 年賦の通り、3ヶ月で離婚、1年後 たみと結婚という変遷を辿る。

   人間の内実まで、推し量ることには限界もあるが、この「仮説」

   年賦を見る限り、なかなかの説得力モノではあるまいか。

   人間・本居宣長の一面の姿なのかもしれない。

   1世代前までの人達は、世の中の「機微」を、落語や浪曲、歌舞伎などで

   学んだが、現在は高学歴社会。 学校での学問で頭の容量が一杯になる。

   ただ、学校ではまず教えてくれないようなことのなかにも、世間の真実や

   人間の本性があることを、この「仮説」は物語っているようにも思える。

   「本居」さんも、教科書から離れ、少し違った角度から眺めると、

   若い頃には結構色恋で苦労された、周辺に居そうな「おじさん」に見えて

   くるのが、なんとも微笑ましいではないか。

 

   

   

    

     

愛おしい日々

    誰かの言葉に、「歳をとるにつけ、毎日、毎日が いとおしく感じられる」

    というのがあった。

    日々、なんとなく無為に過ごしている身であるが、それでも時として、

    愛おしさの感覚がよぎる事があるのは、それなりの年代に入ったという事

    なのかもしれない。

    確かに、1週間や10日はあっという間であり、1ヶ月の早さに驚くのである。

    この延長で、1年、1年が過ぎていく。

    その一方で、「1年の重み」も考えないわけではない。

    クラーク博士は札幌農学校に1年3ヶ月就任していただけだった。

    それでも、後々多くの影響を後人に残すことになる。

    「少年よ大志を抱け」は、今も人口に膾炙される。

    四国松山ゆかりの人物・・・といえば、夏目漱石の名が必ず挙がるが、

    漱石の松山在住も1年たらずであった。

    「坊ちゃん」のイメージが色濃く残っていることによるものだろう。

    また、山陰松江の小泉八雲に到っては、8ヶ月ほどしか住んでいないが、

    八雲といえば松江であり、第二の故郷というイメージすらある。

    ほんの短い間であっても、人生の伴侶との邂逅があったり(小泉八雲とセツ)

    刎頚の友との出会いがあったりするのが、如何にも面白いところである。

    時には、「1年の重み」を感じ取り、「毎日、毎日 が愛おしい」という

    感覚を有するのも捨てがたいものである。

    これも、「新年」という一時的な感慨なのであろうか。

    

祝膳

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        「最後の晩餐」ならぬ、元日の朝餐である。

        といっても、定番 新春を寿ぐ祝い酒の「肴」である。

        家人の労苦を敬い、 これにお雑煮をはじめ、豪華な料理!が

        次々と食卓を飾る・・・と、一言付け加えておきたい。

        我が家の平和と安全のため、にである。

        さわさりながら、元日は夫婦二人だけの、祝い膳である。

        朝からそんなに食べられるものでもない、口に合う美味しいものを

        少しづつで充分満足なのである。

        特に私の場合は、それに加えて ○○があれば、言うことなしの

        目出度さや、である。

    

        本年もなんとかいつも通りの正月を迎えることが出来た。

        感謝あるのみである。

        早々震度3~4度の地震があった。

        今年もなにが起こるか分からない、気を引き締めてかかれの

        サインと見た。

        平凡でもいい、平穏無事がなによりである。

        まずは一献、健康を祝して 乾杯!

        

        

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