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2012年2月

酒飲みの無駄話

   はじめに、川本三郎氏の文章を転記させて頂く。

          大衆酒場で、 大人の男がひとりで酒を飲む

          忘我の贅沢である。

          自分のことなど知っている人などいないから

          孤独を楽しめる。 気取る必要はない。

          酒だけでなく、肴も安くて旨い。品数も豊富だ。

          そこでは仕事のことも

          面倒くさい人間関係のことも しばし忘れられる。

          居酒屋は 大人の男の桃源郷である。

   酒愛好家!なら、共感できるのではないだろうか。

   ところが、私の場合、残念ながら 未だにふらっと1人、飲み屋に入り

   お酒を飲む、というのが どうも苦手なのである。

   如何にも雰囲気の有りそうな、居酒屋の前を通ったりすると、

   なんとなく気にはなるのだが、1人だとどうも入る勇気がないというか

   なんというか・・・。

   もしかしたら、本当の「呑み助」ではないのかもしれない。

   外で飲む時は、大概飲み仲間と一緒という次第である。

   今のところは、種々 お付合いの「輪」があるので、有難いが

   さて、歳とともに、この先どうなることやら・・・。

   早く、ふらっとお気に入りの居酒屋のカウンターで、1人静かに

   酒と肴を味わう。 そんな大人の男の風格を身に付けたいものである。

   風格といえば、

   種村季弘氏にも、次のような文章がある。

           下町や裏町には  風格のあるいいお店がある。

           それはしかし

           大方はさほど余裕のない地域の人たちが

           何代もの常連として 長い時間をかけて育て上げ

           黒光りするまで 磨き上げた風格である。

           しがない男どもの 喜怒哀楽を吸い込んで

           黒光りしてきた 風格だ。

   これも、酒飲みにはストレートにこころに響く。

   さて、酒飲みの無駄話、「締め」は 中国の諺でも・・・。

           酒を飲むのは 時間の無駄

           酒を飲まないのは 人生の無駄 

                                合掌

   

          

ボランティアに関して

   定年退職後、ボランティア活動に参加して、少しでも社会貢献できれば・・、と

   考えている人が増えてきているようである。

   誠に結構なことであり、大事にしたい気運である。

   昨今も、たとえば東日本被災地で、多くの人達が、ボランティアで活動している

   のを聞くにつれ、頭の下がる思いで一杯である。

   その思いになんの揺るぎもないが、1つだけ、今は些細なことだけど、将来に

   向けて一寸気になることを書き留めておきたい。

   今、各地に多種多様なボランティア団体、グループが誕生している。

   その事自体結構な事であり、その目的や主旨、考え方等に様々あっていいのだが、

   一部に、いわゆる「競争原理」の空気を感じるのが気がかりなのである。

   競争原理とは、たとえば、当初は純粋な思いでの集まりが、

   「○○さんは、今月5件、 △△さんは4件、 ××さんは1件やって

   いただきました」という類になっていく事である。

   このレベルなら、まだ他愛はないし、逆にモチベーションを高める効果にも

   なりえるが、これがエスカレートしていくと、たとえば、

   「私達はこんなに頑張っているのに、あのグループの人達は活動に

   非協力的・・・」といった気まずい空気が、もし流れるとすると、果して

   「ボランティアとは何か?」という事になってしまう。

   真摯な気持ちでボランティア活動に取組んでいる人達は、誰も意図的に

   このような空気を作るわけではないが、なんと無しに、無意識、自然に

   意図しない空気が生まれるのも、人間社会(組織)の厄介なところである。

   「ボランティア団体(組織)」も必ずしも例外とは言い切れない。

   各種 教育・福祉関係の団体や地域の自治体等も然りである。

   私も1~2関わっているが、全くないと言い切れないのが現状である。

   特にこれからも、現役時代の「ビジネス感覚」をどうしても引き摺ったままに

   ボランティアに参入される人達の比重を想定すると、一寸気がかりと

   いうわけである。

   取り越し苦労かもしれないが、将来的にも、純粋で、気持ちのいい

   「ボランティア活動」の場が醸成されることを願い、書き留めておくものである。

   

   

   

「若木」の至り

    ある物語のなかに、  「若木の至り」というのがある。

           ある森に  若木が芽吹いた。

           廻りの大木に阻まれて 

           充分な太陽の光や、思い通りに

           根を張れない  若木は

           木こりに頼んで、廻りの大木を

           全て伐採してもらった。

           清々したのも束の間 

            暴風風の日 その若木は 根っこから

           ぶっ倒された。

     

      若木は、大木によって守られていることに気付かなかったのである。

      未熟な若者は、まず先人の言葉に耳を傾け、既成の規範に従え

      という教訓である。

      我が熟年諸氏!

        廻りに小生意気な若者がいれば、この話を言って聞かせよう!

      勿論、我々も通ってきた道ではあるけれど・・・。

                                            

                

             

宗谷の余生

09160019                (南極観測船 宗谷丸の船内)

   テレビドラマ 「南極大陸」(主演木村拓哉)をきっかけとしたのか、今、

   宗谷丸 (東京お台場に係留、S54年より一般公開)の見学者が

   ブームのように増えているとの事である。

   人間の一生に例えるなら、宗谷のそれは、文字通り波乱万丈、それでいて

   幾多の勲章に輝く勇士でもあった。

   今、最も華やかな文化基地の1つであるお台場で、静かな余生を

   過ごしているというわけである。

   こう見えても(?)、若い頃から、好奇心に適う事柄に関しては、結構

   フットワークは軽いほうで、まず現場(現物)を見ておこうという主義から、

   どこでも気軽に出掛ける方である。

   というわけで、この宗谷も何年か前に「押さえて」ある。

   周知の事だが、宗谷は、そもそもソビエトの発注によって建造されたという

   最初にして数奇なスタートで、その後 砕氷船に始まり、海軍の特務船

   海上保安庁の 巡視船、引揚げ船、そしてあの南極観測船第一号としての

   活躍はあまりにも有名である。

   文字通り、戦中、戦後の昭和史の一面であり、一見の価値はあると思う。

   いずれかで、この船と関係のあった人々にとって、特にその感慨は、

   如何ほどのものであろうか。

   ブームはブームとして、底に流れる静謐な詩的空間を想像している。

   09160020              宗谷船上からの平成の風景・正面フジテレビ   

コーチの技(ワザ)

   コーチの「ノック」をみれば、その野球チームの実力が大体判る、という

   話がある。 実際は受けての野手の技量も併せてのことであろうが、

   なるほど、そうかもしれないと思わせるところがある。

   「ノック」も、見ている分には、一見単純で簡単なようにも思えるが、

   あれはあれで、大変な技量を要するようなのである。

   平凡なゴロや、フライを打ち上げていたのでは、練習にならないし、

   捕れそうもない球筋を連発していては、リズム感も鈍る。

   緩急も必要であろう。

   要は、練習にもならない球筋では意味がないという事なのであろう。

   また、技術以前に、外野手だから、「外野フライ」と、単純なものでもなく、

   強いチームほど、丹念にゴロの捕球をさせる、というのも、実戦を想定すれば

   頷ける話である。

   これらの「ワザ」に関連して、ある古い話を思い出した。

   往年の野球フアンであれば、「近藤和彦」の名前を覚えている筈である。

   京都の平安高校を経て、明大から 大洋(当時)に入団した選手である。

   入団当初、大先輩の「青田昇」から、「お前の打撃フオームではプロで

   通用しない」という忠告を受け入れ、子供時代からやっていた剣道をヒントに

   後年 「天秤打法」と言われる、独特のフオームを完成させたという

   エピソードが残っている。

   偶々、同期に長嶋がいて、新人王も、その後何回も首位打者を逃した

   というめぐり合わせも今ではご愛嬌である。

   さて、その「ワザ」に関してであるが、

   偶然にも、彼の明大野球部時代 (私は確か小学6年位) 直接彼の「技」を

   見る機会があり、子供心に強い印象を受けたことがあったのである。

   前後は省略するが、その時、コーチがノックをしていて、最後に捕手に

   ノック(キャッチャフライ)を上げるのだが、上手くフライにならない。

   そこで当時の近藤(当時は皆からドンコと呼ばれていた)が、代わると、

   なんと1発のミスもなく、次々とフライを上げるではないか。

   実戦では、キャッチャフライなど、打ち損ないもいいところだが、ノックで

   うしろにフライを上げるのは、見ていても容易でないことはわかる。

   それを、彼は難なく続けるのである。

   さらにラストボールは、「おまけ」のように、真っ直ぐに空高く上がり、

   なんと、定位置のままの捕手のミットにすっぽりと収まったのである。

   流石に、廻りでみていた大人たちも感嘆の声をあげるほどであった。

   後年、職人芸ともいえる、打撃センスの片鱗をみたことになる。

   勿論、当時は多少名前くらいは知っている大学野球の選手という程度の

   認識しかなかった筈である。

   コーチのワザに関連した、或る子供時代の思い出話である。

   

   

     

   

   

   

   

日本語教室

   知人に、外国人に日本語を教えている人がいる。

   「日本語」なら簡単・・、と思うのは早計もいいところらしい。

   なるほど、そうかも知れないのである。

   小学生の頃だったか、街の看板でよく見かける「○○歯科」を 「○○ハカ」と

   読んで、先生に失笑された事がある。

   それを今も鮮明に覚えているのは、極めて「稀有」な出来事だった。という

   事にしておいて頂こう。

   小学生にとって、歯(ハ)を、「シ」と読ませるなんて、そりゃないぜ、というのが

   本音だったことだろう。

   些細なことだけど、人間 恥をかいて「大きく」なるのである・・・。

   とまあ、それはそれとして、

   日本語を習いたての外国人に、

   「歯科」は「シ」カと読み、「歯医者」は「ハ」イシャと読むことを、論理的に

   説明して納得させる事なんて至難である。

   大概は、「慣用」ということで乗り切るしかない。

   「図」という字は、「ト」(図書)と「ズ」(地図)の読み方がある。

   たとえば、意図を「イズ」と読めば、失笑どころでは済まない。

   大人としての人格を疑われかねない。

   だが、そもそも漢音では「ト」と読み、呉音では「ズ」と読む、なんて事を

   知らなくても、我々は 「慣用」として意図を「イト」と読んでいるに過ぎない

   のではないか。

   さらに、未だに迷うのは、「づ」と「ず」の使い分けであったり、送り仮名である。

   日本語が堪能な多くの日本人でも、これらにパーフェクトな人は少ないのでは

   ないだろうか。

   こう考えると「言葉」なんて案外いい加減なところがあり、いい加減なレベルで

   結構通じあっている、という面白さがある。

   「英会話」も理屈より「慣れ」と、よく言われるのは、こういう事なのであろう。

   さて、これらの事を思い巡らせると、「いい加減」とは言いながらも、

   日本語の難解さ、奥の深さ、歴史の重み、各々タダモノではない。

   「日本語教室」の先生も大変なことがよく解る。

   さらに言えば、来日短期間で、この難解な「日本語」を話す、外国の方に

   畏敬の念を持つのである、

   老後の趣味として、小、中学の「国語」の教科書で再勉強なんて、

   結構「オツ」なものかもしれない。

   

   

思考と直感

   ある作家の  「いったい日本人はいつから 考える ことより 感じる ことに

   より達成感を感じるようになったのか」 という義憤の一文に興味を覚えた。

   何気ない一言であるが、現代日本社会における核心を突く批評とも思えたので

   ある。

   「思考」することがなんとなくかったるく、隅に追いやられ、「感性」とか「感覚」

   「フィーリング」といった「感じ取る」能力がいつの間にか上位を占めるように

   なってきている。

   政治の世界においても、その傾向が顕著である。

   如何に民意を感じ取り、政治家としての立ち位置を何処に置くかの「感覚」

   「感性」の度合いを「政治能力」の有り無しと捉える風潮。

   この政策、施策なら賛意を得られそう・・との「感覚」主導の政策論議で、

   明快な結論が出ない「国会論戦」に大概うんざりしているところである。

   聞くところによると、総理以下各大臣の「職」につくと、国会会期中は、

   国会審議の対応に明け暮れ、1冊の本を読むどころか、じっくりとモノを

   「考える」時間もままならないという。

   全方向から次々と押し寄せる懸案に対し、スタッフの作った「案」に基づき

   半ば「直感的」に判断、決断していくというのが実情らしい。

   これでは斬新な改革よりも、「無難な選択」に流れる筈である。

   ここでも「直感力」の勝負となる。

   以前、このブログでも猿の「直観力」に触れたことがある。

   「直感力」そのものの有価値性については、否定するものではない。

   ただ、この「直観力」について、誤解というか、抜け落ちている解釈が

   時折見受けられる。

   直観力にもレベルというのがあることが、忘れられているのである。

   たとえば、将棋名人の「直観力」とへぼ将棋のそれとでは、雲泥の差が

   あるということについてである。

   考えて、考えて、考えた末で到達する「直観力」こそホンモノである。

   それを押さえておかないと、現代風の「フィーリング」や「感覚」を一過性に

   有難がる風潮が蔓延る事になる。

   政治の世界、然りである。

   そんなことを「考えさせられる」冒頭の一文であった。

   

   

「天命」に委ねる

       齢(よわい) 70歳にあと少しというわが身であるが、

       何1つ 人生が解かったわけではなく、

       また、悟りの境地なぞ はるかにほど遠く

       今もなお、 「溺れるもの 藁をも掴む」 気弱の

       精神生活を 過ごすばかりである。

       それでも 時に、

       ある 「諦観」が こころをよぎる事がある。

       「天命に委ねる」  「天命に従う」と いうことである。

       この世の生死を  「天命」に委ねることによって

       こころの安らぎを得る。 

       文字通りの「諦観」である。

       宗教用語では、 これを 「他力本願」 とでも言うのだろうか

       といって、別段 宗教の教義から得たほどのものではない。

       わが身にとっての 「天命」は、

       特別の「神」や「仏」でもないのである。

       強いて言えば、「あの世」とやらに逝った 両親。

       そう、幼児の如き 純朴な答えである。

       「天命」を聴くというのは、 両親に向けての会話である。

       静かに 両親を思い、両親だったらどう考えるだろうか

       どうするだろうか、 声なき声を聴き入るだけである。

       「もう少し、世の役にたつことをやれ」と聞こえてくるのか

       「よう頑張った、そろそろ私達のところへ 来るか」 と

       聞こえてくるのか。

       私にとって、この世の生死を「天命に委ねる」とは

       このようなものなのである。

       果して何時まで「安寧」の境地を得られるかは、

       知る由もないが。

       

       所詮、人間は両親によってこの世に生かされた存在である。

       如何なる人も、「独歩」こそ我が人生と思う人も

       いつかは、両親を思い、そこに回帰する。

       私にとっての 1つの 「諦観」である。

       

       

       

「標準語」の話

   根が小心者なので、特に若いお嬢さん達を敵に廻すような言動は控える

   ようにしている。

   ところがである。 時にはこころ穏やかならざる事に出くわすのがこの世である。

   たとえば、電車で女子高生のグループと乗り合わせたとする。

   彼女達の仲間内での会話が、聞こえるままに、何気に聞くと、

   「大声、早口、ため口 擬音入り、短縮語」のオンパレードである。

   別に彼女達に「上品な言葉」を期待するわけではないが、

   「下品」に聞こえるのはいやなものである。

   若者達の会話に、アレコレ言うのも、それこそ大人げないが、彼女たちの

   言葉が果して「標準語」なのか、「標準語」を話しているのか、と思うと

   一寸考え込むのである。

   1人ひとりは、恐らく家に帰るとそれなりの家庭の「お嬢さん」なのであろう。

   平均的な現代女子高生と推察する。

   その彼女達の日常的な「話し言葉」がコレである。

   標準語を 「規範となる言葉」と定義すると、正しい標準語はどこで聞くことが

   できるのだろうか。

   最近では、テレビやラジオでの言葉もその乱れを指摘する声が多い。

   流石に、NHKはまだ「標準語」を守ろうとする努力が見えるが、

   民放のいわゆる「バラエティ番組」の言葉の乱れは酷くなるばかりで、

   特に昨今芸人とテレビタレントの境界がなくなり、「間違った言葉使い」にも

   {笑い」に紛れ訂正が入ることがなくなった。

   最早、「公共の電波」で標準語を学ぶことは不可能に近い。

   「標準語」に関しては、私自身 偉そうなことを言う資格はない。

   初対面の人から、「関西ですか・・」と言われる位、いまだ関西(京都)弁の

   アクセントを引きずっている。

   別に言葉を生業にしているわけではないので、アクセントを標準語に

   修正する気もない。

   それとこれとは別なのである。

   偶々、先日 BSで樋口一葉原作の 「にごりえ」(今井正監督)の映画を観た。

   若き日の久我美子のセリフがなんとも美しい日本語(東京弁)なのに

   驚いた。

   一昔前の人々が話す日本語がこんなにも美しいことを再認識したのである。

   この事があったので、余計現代女性の言葉が気になったということもある。

   まあ面と向かって言う勇気はないけれど・・・。

   

   

   

   

3G(スリージー)

   団塊世代の本格的なリタイアーが始まる時期に到来、とのことである。

   従来 この国の経済を引っ張ってきた人達の大量退場は、個々の場で、

   多々マイナス影響も避けられないであろうが、一面、比較的経済的に

   豊かな年代でもあり、消費活動の活発化、あるいは若者層の就業増、

   文化、学芸分野の活性化、等々に歯車がプラスに働いてくれれば、

   上昇気運のきっかけにもなりうる。

   すでにこれらの人々(消費市場)を対象にした、新ビジネスの兆しもある。

   一風変ったところでは、時間に余裕が出来た人々を対象に昼間から呑ませる

   一寸おしゃれで安価な居酒屋が 出始めているらしい。

      (昼間から赤ら顔は考えものだが・・)

   一頃、エコノミックアニマルとまで言われた日本人のことである、時代に

   即応して、アイデアを絞り出し、新しいビジネスを作り出す、そんな活力を

   復元することも必要ではないだろうか。

   政治は3流、当分期待できそうにない状態であり、せめて経済分野では

   往年の貪欲ともいえる「イノベーション」を思い興してほしいものである。

   ところで、最近 「 3G 」 という新語があるらしい。

  「G」というのは爺さんのG、 すなわち「3爺」である。

      ○ チャラ爺   何時までも若さを保ち、一寸おしゃれで

                 流行に敏感  洒落男(爺)

      ○ イク爺    イクメンの爺さん版、

                 昨今夫婦共稼ぎが普通になってきており

                 幼稚園の送り迎えをはじめ、孫の面倒は

                 爺さんが担当。

      ○ スタ爺    スタディの略、 時間に余裕が出来、老け込む

                歳でもないと、古事記や万葉集などテーマを

                決めて生涯学習に取り組む爺さん。 

   老け込む歳でもない・・・というのが共通認識か。

   さて自分はどのコースかと思い巡らすのも一興。

   団塊リタイアー組も、立派な「3G] 予備軍である。

   来る高齢者社会の規範(モデル)となるよう、従来の爺さんのイメージを

   がらりと変えて、新しい活動や行動のスタイルを開発して欲しいものと

   願っている。

   

                    

   

   

   

「よう解らん」話

   年間 約 6200件  金額 約110億円

   昨年の 振り込め詐欺 総被害額である。

   ピーク時(約275億円)に比べ減少しているとはいえ、未だに百億円単位の

   被害にあっていることが、驚きである。

   ここ数年に亘り、防止キャンペーンも行われ、一般社会に浸透し、

   「気を付けよう」の心理が徹底してきていると思われているところだが、

   それでも相変わらずのこの被害状況が、どうも「よく解からない」のである。

   騙される被害者が(も)悪い、と短絡的に言うつもりはない。

   それほど騙す方は、次々と高度(?)な手法を駆使して、一種のパニック状態

   にさせるのであろうこともよく聞くところである。

   それでも、やはり「よう解らん」という気持ちが残るのである。

   いくら肉親のためとはいえ、何の確認もしないままに、高額被害者は、

   総額何百何千万という金を、簡単に送金したり、見ず知らずの人間に

   渡したりできるのであろうか。 (最大被害者は4千万円の由)

   その金銭感覚が、どうも「ようわからん」のである。

   一瞬たりとも「躊躇」の気持ちが起こり、「確認」してみようという気持ちに

   ならないものだろうか。

   10万位までの金額なら、一瞬戸惑いがあっても、情が勝りその時の状況に

   応じ、渡したり送金することがあるかもしれない。

   その範囲ならなんとか解らんものではないが、事は何百何千万である。

   いくら富裕層が狙われているとはいえ、いかにも平均的な金銭感覚とは

   乖離しているのではないだろうか。

   それともその時の心理状態では金額は関係なくなるものだろうか。

   また、認知症気味の高齢者が、つい言われるままに被害にあうということが

   あるかもしれない。

   この場合も、その人が、「誰の手助け」もなく、ひとりで、多額のお金を自由に

   動かせるその状況こそが問題なのではないか。

   やはりどうも「よう解らん」ことばかりなのである。

     現代人の脇(危機管理)が全般的に甘くなってきているのか

     家族状況の変化に伴うものか

     ネット社会、情報社会の進展に伴うものなのか

     金銭感覚の変化によるものなのか

     高齢化社会と、一部高齢富裕層の存在を背景とするものなのか

     何でも金で解決、という風潮の表れなのか

   なんだか私には「よう解らん」話なのである。

       

   

   

   

   

   

世が世なら

   我々の子供の頃は・・・・、

   (と、つい昔話を し始めるのは歳をとった証拠だが)

   今の子供達と違い、大概薄暗くなるまで外で遊んでいたものである。

   家の近くの公園が格好の遊び場であり、遊び仲間が三々五々集まり、

   草野球等々、汗まみれ、泥まみれ、当時の我々の聖地であった。

   今も、流石に周辺の風景は様変わりだが、公園として生き続けている。

   さて、その取り立てて特徴のない小さな公園の一角に、いつの頃からか

   石碑(表示版)があるのに、後年気が付いた。

   少し見づらいが次のようなものである。

12030016

   要は、このあたりは、平安京時代の、「朱雀大路」跡だったという

   説明文である。

   「大極殿跡」から推察して、平安京の地形はほぼ想定内であり、

   まあそういわれても、京都人なら、ああそう、という程度。

   でも一応「朱雀大路」を確認しておくと、平安京 大極殿・朱雀門から

   羅生門まで(約4K) のメインストリートであり、それを中心として

   左右(東西)に当時の都が形成されていたとされる。

   という事は、今風にいえば、地価相当の1等地の大通りで、我々は

   草野球などに興じていたことになる。(当時ならさしずめ蹴鞠か)

   モノの本によれば、朱雀大路に面して、当時の貴族達の館が

   軒を並べていたとある。

   知らないこととは言いながら、後年我々庶民のガキ共が、

   そこを縦横無尽遊び場として駈けずり廻っていたのである。

   世が世なら・・・、どういうことになっていたのであろうか。

   とまあ、 遊び心の「タイムトラベル」

   今日は孫の誕生日、ほろ酔い機嫌の気侭な飛翔である。

   

   

コーチを見直す

   今年も早やプロ野球キャンプインの季節である。

   今年は、新人選手よりも、ある新人監督にマスコミのスポットが集中している

   ことが面白いと言うか何と言うか・・・。

   球界も何かと問題を抱えてはいるが、やはり「老舗」としての基盤がある。

   その「老舗」にあぐらをかかないことが、基盤を守れるかどうかの「鍵」となる。

   さて、ある球界OBが面白い事を書いていた。

   「コーチに教えられて上手くなる選手なんていない」 と、やや刺激的な

   ニュアンスの言葉である。

   その真意は、コーチのレベル云々という事ではなくて、少なくともプロの世界に

   入ってくる者は、一定の技量のある、選ばれた選手であり、人に教わって上手く

   なろうなんて思っているようでは通用しない。自ら考え、ぶつかり、克服し、

   「ワザ」を磨く、あくまで自分自身が主体、という事なのであろう。

   確かに、一流技量の持ち主が対峙し、競うわけだから、こうすれば打てる、

   こうすれば押えられる、といった「ハウツウ」が通用するような世界ではなく、

   教え魔はかえって選手を潰すといわれる世界である。

   それでは、果してコーチの真の役割は何なのであろうか・・・。

   リトルリーグの監督、コーチなら「野球技術を教える」ことが主となるが、

   プロの世界では、プラスアルファの能力、資質こそが重要な要素となるに

   違いない。

   勿論、「教える」という要素が全くないというわけでもないだろうが、それだけ

   では、「近代的な組織野球」では通用しないということなのであろう。

   過去においても、強いチームには、大概「名参謀」といわれる人がいた。

   私流に思うに、コーチングスタッフこそチーム(組織)基盤つくりのキーマン

   ではないかと考えるのである。

   確かに、チーム作りの柱は監督であり、試合の帰趨も監督の采配、選手の

   働きではあるが、チームも人間で構成されている組織である、数式通り

   動くわけではない。

   案外コーチ陣の存在がチームに与える影響は大きく、彼らの資質、能力の

   総和がチームの基盤作りを左右しているのではないかと推測するのである。

   コーチを引退選手の救済ポスト、と軽く考えているようだと痛い目にあう。

   どうしても、監督や選手だけにスポットが当たることになるが、チームの

   「戦力比較」は、選手層だけでなく、コーチングスタッフ陣の「能力比較」も

   指標の1つに織り込んでこそ真の総合戦力分析・・・、と、まああまり

   触れられたことのない視点も面白いのではないだろうか。

   これは、企業をはじめあらゆる組織にも通用する視点だと思う。

   強い組織には、強いスタッフ陣の存在が付いているものである。

   

   

   

   

      

   

   

最も恐ろしいモノ

   若い頃のエピソードというか、1つの体験である。

   学生時代、ある先輩に頼まれて、一緒に自分たちの出た小学校の「宿直」を

   したことがある。

   当時の学校や、多くの企業などでも、男の教師や社員が順番で寝泊り(夜番)

   するという今では一寸考えられない「宿直制度」というのがあった頃の話である。

   正月の3ヶ日、流石に学校でも宿直のなり手に困ったのであろう、丁度

   地元の学芸大に行き、将来教師を目指していた先輩が頼まれ、 (信用の

   おける学生!)の私を誘ったというわけである。

   まあ夜の寝泊りだけということでもあり、小学校の宿直という稀有な体験に

   応じることにした。

   その頃の校舎は、今のように近代的な建物ではなく、築相当経た木造である。

   子供達の登校している昼間の小学校は喧騒のイメージが強いが、夜の校舎は

   予想以上に、静まりかえった真っ暗闇の世界に変貌する。

   確か夜10時頃にその校舎を巡回する決まりであった。

   先の見えない真っ暗闇の長い廊下を、そろりそろりと懐中電灯1つで、

   順番に教室のなかを照らしながら進むのである。

   また、あの懐中電灯の光が、なんとも「人間の神経」に微妙な影響を与える

   シロモノなのである。

   暗闇のなかで一部分しか見えないというのも、考えものである。

   時々 その光のかげんなのか、教室の窓のガラスがキラッとするたびに

   ドキッとするテイタラク・・・・。

   とまあそれでも、なんとか2日目には、ワザと鼻歌なんか歌ったりして・・・。

   何事もなく役目を果たし、済んでみれば安穏な正月3ヶ日であった。

   余談ながら、この「学生アルバイト?」に当時としては破格の御礼を頂いた。

   また、この先輩はその後希望通り教師になり、後年我々の卒業した高校の

   校長になられた。 えにしの面白さである。

   さて、本題はこれからである。

   我々は、一体何に恐怖していたのだろうか?

   もしかしたら、その正体は「人間」ではなかったのではないだろうか。

   見えざる「人間」である。

   野良猫や野良犬が急に目の前を走りすぎれば、確かに一瞬びっくりはするが、

   その恐ろしさと、もし廊下にぼんやりと人間が佇み、じっとこちらを見ていたら、

   あるいは、居る筈のない人間が教室のなかからガラスを通してこちらを

   じっと見ていたら、そしてその人間と目があったら・・。

   その恐怖は、一寸異質のような気がする。神経の奥底に届く恐怖である。

   もし、恐怖にランクがあるとすれば、高ランクの恐怖は人間なのかもしれない。

   我々にとって最も恐ろしいもの・・・ その正体は「人間」

   奇妙な論理かもしれないが・・・。

   なんだか難しい話になってしまった。 これ以上進めると 「人間とは何か」

   哲学的命題にでもぶつかりそうである。

   まあ、若い頃の他愛のない体験話、と留めておいた方がよさそうである。

   

   

   

   

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