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2012年4月

撮れたての花々

   ゴールデンウイークということだが、極くありふれた日常の日々。

   といっても、毎日が画一的なものでもなく、自由気侭に変化を取り入れるのも

   また楽しからずや、である。

   今早朝は、ラジオ深夜便 隠居大学視聴。

   その後思い切って起床、久しぶりの早朝散歩。午前5時過ぎである。

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   街灯も夜の名残りでまだ点いたまま。寒さも遠のき程よい気候。

   カメラを携えての早朝散歩である。

   以下は「撮れたて」の花々。 活気ある花々の季節である。

      04300002                   (姿見の池にて)

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   4年に1度の4月29日。今年も早5月である・・・。           

   

珍しい眺め

   高幡山明王院金剛寺(真言宗智山派別格本山)

   関東における、新撰組ゆかりの寺である。

   土方歳三の生まれ故郷、日野の土方家菩提寺である。

   関東三不動のひとつ、「高幡不動尊」で名高い。

04280001                まずは、 土方歳三像。

   高幡不動は、五重塔によって、遠くからもその位置を知ることとなる。

   高さはおよそ40メートルほどである。

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   さて、今回のメイン(写真)は、この五重塔最上階から撮った眺望写真である。

   今回、上に登らせて頂けたので(普段は閉門)、この機会にとばかりの数葉。

    「珍しい眺め」 という次第である。

        

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   帰路、日野市の某所にて、川縁の八重桜 

             04280010                                             合掌   

島国の根性

          「島国根性」の間違い(入力ミス)ではない。

          あくまで「島国の根性」についてである。

   数えたわけではないが、この日本列島には有人の島が約425程あるらしい。

   文字通り、日本は列島で成り立つのである。

   このうち、本島は北海道、本州、四国、九州で、他はすべて離島という

   分類法がある。

   離島は距離ではなく、真近に見えている島も離島と呼ぶ。

   日本列島自体、文明から遠く離れた「離島」ではないため、独特の文明を

   構築することが出来たともいえる。

   今日、東京や大阪等々に住む我々は、「本州島」に住む島人の意識は皆無と

   いえる。人口の大半にその意識は希薄である。

   一方で、「島国根性」という国民性については、妙に納得し、受け入れている

   ところがある。島国根性の呪縛である。

   島国根性とは、通常 島国特有の閉鎖的な国民性、排外性といった、マイナス

   イメージを意味している。

   確かに日本人は、特に国際社会の場などにおいて、「島国根性」に

   逃げ場を求めるところがある。 どうせ○○だから・・・という自虐的な態度

   である。

   ところがここに面白い説がある。

   元来、「島国根性」というのは、プラスイメージであった、というのである。

   島国は、海洋国家でもある。 そこでの「島国根性」とは、海の彼方に

   夢を求め、自ずから冒険心、好奇心旺盛で行動力に富む国民性をいう。と

   言うわけである。

   イメージ的にいえば 土佐の「龍馬像」である。

   文明に取り残され勝ちなところから、その閉鎖性が表明化し、いつのまにか

   マイナスイメージに転じて今日に至るというわけである。

   もともと、小さな船で、大海原に挑むためには、強い意志、勇気と、創意工夫

   技術力の向上が必要となる。

   そういう血が、この420余の島々に住む我々日本人のなかに脈々と

   流れている筈、というわけである。

   昨今の閉塞した世の中、今一度その血脈を思い起こし、従来の「島国根性」の

   呪縛から逃れ・・・・・ 「島国の根性」 を という次第である。

   

   

我々の「園遊会」

   園遊会とは、一般に天皇が主催される野外での社交会のこと。

   今年も春の園遊会が赤坂御苑で開催された。

   毎回、2000名ほどの招待者が出席される。

   両陛下お出ましの時には「君が代」演奏。 庭では雅楽が演奏される。

   サンドイッチ、焼き鳥、どういうわけかジンギスカン料理もある。

   万が一の雨に備え、宮内庁名入りの黒傘が大量に用意されている。

   勿論、これらは参加者からの又聞きである。

   さて、本題は我々の「園遊会」についてである。

   遅咲きの八重桜は、4月下旬頃が見頃である。

   4月25日、 O氏宅の庭の八重桜が満開。

   その櫻の樹の下で、昼下がりからの「小宴会」という次第である。

   これを称して、我々の間では「園遊会」

   持ち寄った酒を 「ひや」で 「グラス酒」

   O氏をはじめ地元の長老達との至福の時である。

   近くのお店のママさんが、応援(?)に駆けつけ、華を添えてくれるのも

   地元ならではの繫がりである。

   程よい酔いで「園遊会」もお開きのあと、ママさんのお店に向かうのも

   まあ自然の流れというもの。

   太陽はまだ空にある時刻だが、そこは長老達常連の強み、貸切で

   呑み直し・カラオケと相成る。

   嫌なことや、腹立たしいことが次々と生じるこの世の中であるが、

   偶には、かかる「園遊会」で豊穣の日をおくるのも、まあ許されるで

   あろう。

   

   

   

   

「問責」を問う

   参院において、二人の大臣が問責決議によって可決とされた。

   いまさら、その内容云々をアレコレ検証すること自体、その気力も興味も

   失せている。

   ただ、あるコメンテーターが、すでにある番組で触れていた事でもあるが、

   私なりの視点で2~3書き留めておくことにする。

     1   二人の大臣とも、過去に衆議院議員としての席を有していたが、

         「落選」により、参議院に鞍替え、今回大臣のポストに

         「辿り着いた」という共通点を持つ。

     2   今回の大臣職は、組閣において、「参院枠」としての選出であり、

         (いわば 本来 良識の府の代表者)

         その二人が、共々参議院で問責決議可決となった皮肉。

     3   二人とも、自民党政権時代には、自他共に、長年その政治理念、

         政策を是としてきた共通点。

     4   任命者の公式見解は、共々「適材適所」で任命。

   以上からも、諸問題が浮き彫りになる。

   曰く、  参議院の存在意義の再確認。

        法的拘束力を持たない参議院の問責決議の意義

           (現実は政争、政局の具 の傾向)

        大臣任命の背景と 適材適所の限界

        そもそも論としての 人材不足 政治家としての気概 哲学 等々

   皆さん、人間的にはいい人なんでしょうけれどもネ・・・・。

「ネット社会」雑感

   「今やネット社会」という言葉自体陳腐に感じられる程、その進展、定着は

   目を見張るものがある。

   メールだ、ブログだといっている間に、いつのまにか「フェイスブック」だ、

   やれ「ツイッター」だというシロモノが横行する時代である。

   最早、パソコン(インターネット)のない生活は考えられない、と言われるまでに

   人間生活の中に入り込んだ。

   「ロートル」としては、おろおろとしながらも、可能な範囲で、つまみ喰いを

   するしかない。いい気になって食べ過ぎると腹を壊すことになるが。

   確かに、インターネットの登場は、格段に便利な生活を我々に与えてくれた事は

   間違いない。 その恩恵を享受していることは大である。

   ただ、物事には常に功罪があるものである。

   そのことを弁えておく必要がある。

   この事に関し、ある大学教授の書かれたものを読み、いたく共感、納得させられた。

       1  情報を簡単に得られるようになった反面、情報収集能力、嗅覚の欠乏。

          情報分析能力の低下。

       2  メールの普及により、情報交換頻度は爆発的に増えているが、

          文章(構成)能力の低下、対面でのコミュニケーション不足と

          能力低下。

       3  批判、破壊、打破 の方向への力は強い反面、

          物事(社会)を作り上げ、創造する力が相対的に弱い。

   特に 3 の指摘が興味深い。

   たとえば、ネットでのソーシャルメディアが、エジプト独裁政権打倒の

   大きな背景、ということからも、社会を大きく動かすパワーを有するまで

   になっている反面、どのような社会を作る(創造)か、となると、やはり

   古来言われているところの対面(膝突き合わせて)での議論、練り合わせ

   が不可避のようである。

   様々な国際会議や外交協議も、やはりネットでのやり取りでは様にならない。

   余談ながら、昨今の政治も、壊したり、傷付け合ったりすることは得意だが

   夫々協力、協議して前向きに新しいものを築いていく能力はいささか

   欠如している。

   これもネット社会の反映なのか。

   そういえば、メールのやり取りの如く、政治家の言葉が軽くなったように思うのは

   私だけだろうか。

   

 

          

  

津波の性格

   「遡上高」という言葉を初めて知った。

   説明によると、津波は横向きの波力があるため、陸地をよじ登っていく。

   海水が駆け上がった最高地点を「遡上高」ということのようである。

   地形にもよるが、通常、遡上高は、海岸での津波の高さの2~4倍にもなり、

   たとえば、5メートルの津波でも、地上10メートル位まで駆け上がり、潮位が

   高い時なら、20メートルにも達することがあるという。

   言われてみれば、なるほど想像は出来る。

   ところが、人間、「5メートルの津波」と言われると、そのまま「5メートルの津波」を

   頭の中にイメージしてしまうところがある。

   このことが、悲劇をもたらすことにもなる。

   実際、東日本大震災で、地震直後の第一報(津波情報)では、福島県3メートル、

   宮城県6メートルと発表された。(この数値自体間違いではなかったのであろう)

   その高さなら大丈夫と判断し、避難を止め、自宅に留まった多くの人たちが、

   実際は10メートル以上にも達する津波によって犠牲になった。

   遡上高・・・ 言われてみれば、誰もが理解し、納得できるであろうことが

   いざ、その時には、最初の情報(5メートル)の先入観でイメージしてしまう

   のも人間としてありがちなことである。

   津波は陸地を駆け上がる、ということの徹底、と 津波情報のあり方、等

   この悲劇の教訓を生かす工夫が望まれる。

   

ツバメの飛来

   ツバメは丁度今頃の季節、春先に飛来し、人家の軒下などで巣を作り

   繁殖する。

   寒さに向かう頃帰っていくが、また来春同じ巣に戻ってくるという。

   なかに、冬を越すツバメを越冬ツバメと呼んでいる。

   古来、雀や鶯と同様、日本人の生活の中に入り込む、馴染みのある鳥であり、

   巣を作った家々では、家内安全の守り神として大切にするという言い伝えも

   残っている。

   さて、そのツバメであるが、あまり大きく取上げられてはいないが、

   昨今、その飛来の数が半減しているという。

   半減の理由であるが、 まさか日本列島の 大地震、原発問題に対する

   ツバメの予知能力、ということでもないだろうが、 

   箱物のマンションやアパートが多くなり、古来の日本家屋が減少という

   住環境の変化でツバメ自身の安全確保の場所が少なくなってきた事、

   野原や川原といった自然地域が少なくなって来た事。

   あるいは、天敵であるカラスの増加ということも影響しているのかもしれない。

   いづれにしろ、ツバメにとって、日本列島が住みづらい環境になった、という

   事であれば、我々人間も「ひと事」ではない。

   特に「生き物」に対する自然環境の影響という事であれば、無視できない。

   そういったことからも、環境問題との絡みで、半減の原因分析は、

   今後様々な分野で取上げられるのではないだろうか。 

   

   

拝啓 防衛大臣殿

   今回の衛星(ミサイル)の発射(結果的には失敗)に関し、

   信頼のおける筋からの情報によると、その経過は次ぎのようであった。

        7:40分    米国の静止衛星からの早期警戒情報が防衛省に着信。

                 即官邸に伝わっていない模様。

                 官邸も情報のチェツクに手間取った(官房長官談話)

        8;04分    官邸から地方自治体にメール情報

                   「人工衛星と称するミサイルを発射したとの

                    一部報道があるが、我が国としては、発射を

                   確認していない」 

        8;23分    防衛大臣会見

                   「日本に影響はない。安心されたし」

   どうやらこれが、今回の我が国サイドの実態であるらしい。

   イージス艦や航空自衛隊のレーダーは、どうしていたのだろうか

   全く「姿」を見せないのはどういう事だったのだろうか

   瞬時を争う筈の「迎撃」ミサイル配備って一体何だったのだろうか。

   このような実態でもしも・・・のとき「迎撃」できていたのだろうか。

   防衛大臣殿、北の「失敗」で一件落着としないで、我が国の問題としても

           どうか総括をよろしくお願いします。

      ( 大臣: 「そんなこと、私に聞かれても」)・・・・・。

     

2012・櫻

   2012・4・10 晴

      千鳥ヶ淵にて

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       靖国神社にて

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さくら大通り

   もう何年続いているだろうか。

   例年、同じ季節の同じ頃、同じスポットで写真を撮る。

   丁度、今の季節、さくら満開の頃である。

   場所は、一橋大學通り、さくら並木の歩道橋から・・・・。

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   前方正面は、JR国立駅、左右に一橋大學のキャンパスがある。

   この地域でも有数の「さくらの見処」である。

   今年も、程よいタイミングで、早朝のさくら三昧。

   記念に数葉の写真を添付しておく。

   ただ、それだけの事だけれど、今年もまた・・・、の感慨である。

04090003               早朝なので交通量も少なく、人通りも少ないが

              午後になると様変わりの賑わいになる。

04090008              後方は一橋大

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   国立駅から、歩道橋まで丁度1キロ。往復で程よいウオーキング。

   四季夫々に風情が楽しめる、私の散歩コースの1つである。

   時には、近くの店で一息。

   昨今の学生達は、ほとんど 携帯かパソコン。

   黙々・・・・。

   それとはなしに、観察している時間も、この街ならではの

   風景である。

    

古今東西

   ジェームス・レストンという人がいた。

   1968年当時のニューヨーク・タイムズの編集長(最終副社長)だった人である。

   メディアの世界では、伝説的なジャーナリストと言われた人でもある。

   彼は、その著作(新聞と政治の対決)のなかで、次ぎのような主旨のことを

   言っている。

   「 記者の間には、地味で分析的な発言の多い、責任感豊かな政治家よりも

    やたらと派手な攻撃をしかけるハッタリ屋の政治家にスポットライトを向ける

    という嘆かわしい習性がある。

    そうすると、ニュースの種になりたさに、多くの政治家がハッタリに満ちた

    自己演出に傾く」

   見事に政治家とマスコミの関係、夫々の哀しい性(習性)を突いているではないか。

   古今を超越し、東西を超越して、政治家やマスコミの習性は変わらないもので

   あるらしい。

   そういえば、今日においても、すぐそれらしき政治家の顔を思い浮かべて

   しまうのである。

   誰それとは言わないけれども・・・。

   

「秋入学」問題

   東大が「秋入学」の実施を目指している。

   具体化は先の事だろうが、すでに各方面で賛否議論が飛び交っている。

   提言の背景は、国際社会との順応(留学生受入れ等)ということなのであろう。

   どちらに転んでも、なんら関係を有しないわが身ではあるが、

   偶々、今朝の新聞で面白い記事に目が止まった。

   東大(前身)は、元々、明治、大正時代の頃は「秋入学」であったという記事である。

   夏目漱石の「三四郎」にも、主人公の大学が始まるのは、9月11日と

   記されている由。

   元々の「秋入学」が、今日の春(4月)入学になった1つの契機として、ある文書を

   記載している。 そのまま転記させて頂く。

       1. 学年末試験の時期が、「炎熱」で勉学に適さない。

       2. 役所の会計年度と合わない

       3. 管内(東京)の小学校は4月入学

       4. 1886年に徴兵期日が9月から4月に変更されたため

          9月入学では新入生の徴兵猶予が受けられず、健康で

          学力の高い人材を軍に採られてしまう。

   と、いうものである。

   今日と時代背景が異なるので、そのまま通じるわけではないが、

   特に1~3は、反対論として通用するものであろう。

    (因みに、新聞では、4の理由が最も大きかったのではとコメントしている)

   さて、 東大も当事者として、切実な問題意識からの意向であることは

   充分推察できる。

   それを踏まえつつ、感想めいた事を1つ付け加えておきたい。

   「国際スタンダード」に順応、という事に関してである。

   時代の大勢として、また現在を生きるすべとして、ある程度国際社会に

   順応していかざるをえないことは理解できる。

   ただ、これにも一定の歯止めというか、許容線が必要ではないか、という

   点である。

   その場合のキーワードは、「文化」だと考えるのである。

   わが国独自の「文化」まで、軽々にグローバル化の波に翻弄されるのは

   なんだか気持ちのいいものではない。

   やはり日本独自の伝統、文化は、たとえ国際社会とあい異なる習慣、

   慣習だとしても、「凛」としたスタンスが必要かと思うのである。

   「秋入学」問題も、可否は可否として、少なくとも実際的、合理的視点だけ

   でなく、「文化的視点」(日本人独特に定着した季節感、入学、卒業、別れ、

   さくらの季節等々)も加味した議論を・・というのがささやかな期待である。

   

      

   

   

  

   

差別と区別

   看護婦さんを何時から看護師と呼ぶようになったのか、定かではなかったが

   2002年3月のある法律改正で「看護師」という名称が使われ、その後正式

   名称となったらしい。

   またスチュワーデスを客室乗務員(キャビンアテンダント)、保母さんが

   保育士という名称に順次変えられていった。

   これら一連の動きを表す言葉が「ポリティカルコレクトネス」だということを

   最近になって知った。

   これを一言で簡約すると、言葉の使い方に差別や偏見を含まないように

   是正する、という事のようである。

   たとえば、職業、性別、人種、等々の差別、偏見である。

   1980年代、多人種国家アメリカで起こり、いわゆるグローバル化によって

   わが国もその流れが実際化してきたものである。

   この差別、偏見の是正に異を唱える気は毛頭ないが、ある老作家の

   「看護婦さんという呼び名が懐かしい、看護師なんてなんだか・・・」という記述に

   思わず共感する自分がいる。

   (因みに「看護婦」を公に使っても法律違反になるわけではないが・・・)

   別に、こ難しい人種論や男女同権論ではない。長年こころの襞に

   染み付いた情緒というものであろう。

   ある小学校では、 男の子を「○○君」 女の子を「△△さん」という呼び名を

   止めて全員 「~さん」に統一したという。

   また、ランドセルの色も男女別にしないで、同じ色に統一した学校が増えて

   きている、という。

   こうなると、我々「ロートル」も世の中の感覚に付いていくのが大変である。

   求人募集も、男女、年齢表示は駄目となる。

   ある「笑い話」だが、  銀座の高級クラブで、新人募集をしたところ

   多数の「おじさん」が応募してきた。試しに数人採用した、というオチが

   ついている。 (あくまで皮肉のジョークデス)

   差別や偏見の議論は、是正の提案に反対する事自体に「差別だ!」という

   ことになりがちであるだけに、どうしてもある方向にエスカレートしがちな

   ところがあるようだ。

   フランスでは言葉自体に男性名詞、女性名詞があるだけに、結構大変な

   ようである。

   それにしてもこの「ポリティカルコレクトネス」。我々老兵にとっては

   なんだか情緒が少しづつ損なわれていくようで、まあ穏便に願いたい

   というのが本音である。

   

   

   

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