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2012年5月

伊豆に遊ぶ

   5月27日(日)

   「日頃の行い」なのか、快晴。 早朝の風が爽やかである。

   朝7時スタート。 観光バスで日帰り伊豆旅行。

   一番前の席に座らせて頂く。

   落ち着いたところで、朝から早速、まずビールで率先。

   次ぎはお酒、と規定通りの進行。

   世話役といっても、「観光バスでの醍醐味」を垂範!するだけの

   「役割」(?)なので、有難く、気も楽というものである。

   お願いしてオープンしたばかりの「新東名高速」を一部走ってもらう。

   以下、当日のコースを写真のみにて提示。

05270002                     (柿田川湧水群 歌碑)

05270003                    (湧水)

05270008                 (大仁洋ランセンター)

05270010                 (センター アトラクション 舞台)

05270013               ( 三津シーパラダイス 淡島 後方富士山)

05270015                ( シーパラダイスのイルカ)

   午後8時 無事帰着。 「率先垂範」の役割?無事終了。

   お蔭さまで丸1日 観る、食べる、飲む、の法悦・・・であった。

   

早熟の文学

   「恥ずかしながら」芥川龍之介を読み直している。

   羅生門、鼻、蜘蛛の糸、藪の中、杜子春・・・ 等々である。

   若き日、 どこかで読んだ「短編小説」

   今、70歳を前に、読み直している。

   「恥ずかしながら」というのは、我々世代独特の感覚かもしれない。

   若き日、今ゲーテを読んでいる、トルストイ全集を読んでいる、なんて公言するのは

   なんだか恥ずかしかったではないか・・・。

   わかる人にしか判らない感性である。 

   まあそんな事はどうでもいいのだが・・。

   芥川は、35歳にして自ら人生を終えている。

   彼の代表的な作品は、いわば20代の青年の「主張」である。

   だけど・・・、不思議な感覚だが、今、70歳近い自分が芥川の小説を読んで、

   20代の若造の「主張」と感じさせないのは何故なのだろうか。

   夏目漱石や森鴎外と同列の「文学」として捉えているのは、よく考えてみると

   面白い感覚である。

   現在の20~30代の作家の作品を読むと、どこかで「若造の・・」という感覚で

   読んでいることを率直に「告白」する。

   芥川は、15-6歳で、国内外の文学を漁っている。

   この早熟振りは、やはりタダモノではない。「早熟」そのものである。

   芥川がやはり「特殊」なのであろうか。

   35年間の凝縮された芥川の人生。

   母親の精神の病いと、芥川の思想の関連性。

   すでに万人が取組んできているが、好奇心をそそるテーマではある。

   そんなことを、68歳の読書人が、気侭に思い浮かべながら

   彼の短編小説を読み直しているのである。

   

    

手負いの獅子

   一昔前の元総理が、海外で「トランジスタのセールスマン」と揶揄された事がある。

   このエピソードを今日の視点で考え直してみると、

   当時の国内空気は、マスコミも我々国民も、「苦笑」する程度で受け流して

   いたのではなかろうか。

   「言われちまったョ」と、自虐ネタでまぎらす程度という事である。

   少なくとも、ギスギスする国際問題にもならなかった筈である。

   「自虐は余裕・自信の裏返し」という面もある。

   当時の日本は、高度成長への助走期、国中が将来に何がしかの夢を持ち、

   苦難を超えて立ち行かん、の季節である。

   そうだとすれば、総理の「トランジスタのセールスマン」のニュアンスも

   今日の我が国を見るとき、卑下することもないように見えてくる。

   現状、発展途上国に対する、中国、韓国の 「巨大経済プロジェクト」の

   売り込みは目を見張るものがある。

   官民共同チーム、それこそ国を挙げての営業活動の前に、日本は

   ジリジリと後退しているのが実態である。

   今はなんとか「昔の名前(信頼と実績)」で、つながりを保っている。

   一頃は、「総合商社」が、世界隅々を席捲、とまで言われた日本であるが、

   世界市場で、各業種とも追いつかれ、追い越されつつあるのが現状である。

   このままではホンモノの「自虐」に至る。

   1つの「経済モデル」を想定する。

   たとえば、ある工場が閉鎖、跡地を駐車場に転用とした場合。

   単なる1つのミクロ的な経済事情(行為)に過ぎないが、

   経済(国民所得)的には、次のような影響をもたらす。

      生産(所得)減

      雇用減

      消費減      等である。

   雇用面で言えば、

     たとえば、その工場で100人の人が働いていたとして、駐車場になれば

     精々数人の管理人で済むことになる。

     極めて明解な話である。

   さらに注目したい点は、実は、経済的な範疇からはみ出る話である。

   工場(モノ作り)では、通常競争原理のなかで、常に技術革新、新製品

   開発に、日々チャレンジしており、それが働き甲斐や活力源にもなっている

   という、「精神性」を無視することが出来ないということである。

   しかるに、駐車場(経営)ではどうであろうか。

   多少の競争はあるとして、「立地」そのものに左右されるところが大きく、

   どちらかといえば、日々事故もトラブルもなく、安寧に、の経営スタンスで

   済むところがある。 守りの経営とでもいうのであろうか。

     ( 駐車場経営そのものが悪いという話ではない)

   この経済モデルから、言いたいことは・・・、

   なんだか、今の日本、大勢として「駐車場経営」のような空気が蔓延して

   いるのではないか、 という事である。

   あらゆる業種の工場が海外に移される。

   パナソニックも主力工場の1つを海外に移すと言う。

   経済モデルさながらに、まさか跡地が駐車場・・・ まあ悪い冗談であるが。

   企業の経営判断としては、最適であるのかもしれないが・・ 

   マクロ的には如何。

   これが日本の現状である。

       さて、これからの 日本  「処方箋」は・・・。

       それを書けるのは誰だろうか。

       - 立ち上がってくれ  手負いの獅子よ -

   

   

   

     

西望の作品

   北村西望といえば、「長崎平和祈念像」で名高い。

   その像の原型が、井の頭自然文化園・彫刻園にある。

   井の頭は元々、西望がアトリエを構えたところでもある。

   移築されたものかどうか、定かではないが、彫刻園には

   当時のままのアトリエが展示、公開されている。

   散歩の延長で、ふらっと立ち寄っても贅沢なひと時を過ごせる。

   静寂の時である。

   05170002                        平和祈念像

05170004

             05170001                     喜ぶ少女

05170003                  アトリエ内  像の枠組み            

400倍の偶然

   宇宙創造主も洒落たことをするものである。

   5月21日の金環日食のことである。

   月の直径が3477kmに対し、太陽は 140万kmと 約400倍の大きさである。

   皆既日食(金環もほぼ同様)になるためには、理屈上、太陽は、月よりも

   400倍遠くの距離にあらねばならない。

      地球から月までの距離    38万km

           太陽までの距離  15000万km

   偶然にも、計ったように 「400倍」である。

   まあこれらも、 全く偶然の産物なのであろうが、

   もしかしたら、

      宇宙創造主の 隠された 「仕掛け」???。

      綿密な宇宙設計図に基づいた創造???。

      地球人への贈り物 (メッセージ)???。

   ・・・・ 古来より、天空は人間を夢想家にするものらしい・・・・。

      

      

耳寄りな話

   或る耳鼻咽喉科先生の話である。

    耳というのは、どうも眼や口に比べると評価が低い。

    マイナーな存在に追いやられているが、耳ほど健気で働きモノはいない。

    と言うのである。

    眼や口は、感情の起伏が激しく、すぐ閉じたり、塞いだり、反らしたりする。

    そのくせ、度々「疲れた!」といっては休みたがる。

    その点、耳は、人間が手を出さない限り、自ら閉じたり、塞いだりはしない。

    しかも結構辛抱強く、「疲れた」と弱音を吐くこともあまりない。

    24時間、働き詰めで、「耳を欹てて」いる。

    人間様が寝ている間でも、物音には反応する忠義者なのである。

    また、眼や口のように、相対するものを傷つけたり、不快な思いをさせる

    ようなことはちらりともみせないで、常に冷静、沈着、終始受身の態度で

    出しゃばることもなく、「両脇」に控えている。

    如何であろうか・・・。

    少しは、耳の存在を見直し、人間として「聴く」ということの意味合いを

    考えてみては・・・・というのである。

    耳寄りといっても、興味深い・・という方ではなく、耳に味方・・の方の

    「耳寄りな話」であった。

    

文化の力

   情報通によると、東南アジア諸国の若者、子供達の間では、

   我々の想像以上に、「親日」の気運が高いとのことである。

   公的な国際関係・事情(政治・経済・社会)だけを見ていては、

   必ずしもそれら諸国と親密な関係が維持されているとも思えないだけに

   一寸「押えて」おきたい動きである。

   「親日」の背景を辿ると、どうやら我が国の 「アニメ」「漫画」「芸能」

   あるいは「電化製品」といった分野にあるらしい。

   私自身疎い分野だが、これが案外無視しえない「民間文化交流」の

   重責を担っているとのことである。

   様々な経済援助や経済協力が、案外その国の国民にまで浸透していない

   事と対比すると、若者達のこころを掴む、これらの文化の「力」の大きさを

   改めて思い知る。

   そういえば、我々世代より上の人達も、戦後、アメリカの「文化」 たとえば

   映画・音楽・車・生活様式等々に何がしかの憧れの気持ちを抱いたことは

   否めない。

   戦勝国米国、対日政策 等 政治的「理屈」抜きの話である。

   親米派と称される人達には、心の奥底に「若き日の憧れ」の残照が

   灯っている、というのは言い過ぎだろうか。

   今、我が国と東南アジア諸国との関係が、丁度当時の日米の文化

   伝達関係の「構図」に似ているようにも思われる。

   今日、政治・経済制度のグローバル化に偏重することなく、国際交流に

   おける文化の「力・効用」を再認識する必要がありそうである。

   

   

   

負担と給付

   国の健保も民間保険会社にしろ、負担(保険料)と給付には整合性(バランス)が

   あってしかるべきである。

   ところが、健保については、我々被保険者もなかなかその実態が掴みにくい

   ところがある、

   今回、ある国会議員のHPで、私には驚愕ともいえる数値を知ることとなった。

   そのまま転記させて頂く。

     健保組合の収支

      収入    6兆7000億円

            うち被保険者の負担(保険料)  6兆5000億円

      支出    7兆2000億円

           内訳  被保険者への給付     3兆4000億円

                出産一時金            5000億円

               後期高齢者制度支援金   1兆3000億円

               前期高齢者納付金      1兆1000億円

               退職者拠出金            3000億円

               介護保険制度納付金       5000億円

                                          等

   本来、被保険者が負担した保険料は、大半その給付に充当されるべき

   ものである。

   ところが、実態は

     被保険者の保険料 6兆5000億円のうち、給付は3兆4000億円に

     しか過ぎず、半分近くは、他の制度の財政穴埋めに使われていること。

     他の制度も夫々国民にとって必要な制度ではあるが、これらの分配が

     厚労省の采配によって、制度間の拠出金分配がなされていること。

     税と保険料の混同で、とりあえず取り易いところ(健保保険料)から

     とるという考えが見え隠れすること。

     さらに、健保組合の収支を大幅赤字にすることによって、保険料増の

     抵抗を無くすといううがった見方もできること。

   等を覗い知るところとなった。

   「税と社会保障」一体改革は、まずこれらの実態を明白にし、税と保険料の

   各々原則に立ち返り、その上で、「それらのバランス」をどうするか、である。

   そこにメスを入れてはじめての「改革」である。

   単に「消費税」をどうするかの姦しい議論は、「改革」とは言わない。

     

    

          

   

   

時には「直視」

   世の中の流れを、時には冷静に「直視」し、客観的に把握しておくことも

   必要である。

   この4月より、医療、介護の各保険料負担が増えたとのことである。

   後期高齢者医療制度の保険料

            12.4月より                 25年試算

      月額     5561円     312円増      6500円

      年額    66732円    3744円増     78000円 

   介護保険料 (65歳以上)

      月額    4972円      812円増      8200円

      年額   59664円     9744円増     98400円

                         *  25年試算は厚生省試算

    

   医療や介護保険料負担が、「静かに」に増えており、将来的にもジワジワと

   増え続けていくことが、実態である。

   高齢化社会に伴い、医療や介護の給付増が不可避であるだけに、

   一概に、この負担増に異を唱えるわけではない。

   要は、静かなる大きな流れ(大河ほど静かに流れる)の実態を直視して

   置く事が必要だという点と、 マスコミ等がスポットを当てている面(消費税)

   だけに囚われていると、全体の動きが解からないという話である。

   我々の「財布」は1つしかないのだから・・・。

   

         

役所の文書

   自らの無学を棚に上げるわけではないが、役所関係の文書は、何故にこうも

   理解し難いように書かれているのか、と 感心すらしてしまう事がある。

   特に法律(税務)関係の文書は、その性格上やむを得ないところもあるが、

   電子機器のマニュアルと双璧といえる。

   普段より、比較的活字(文章)に慣れ親しんでいる方であるが、

   それでも途中で、「?」の壁にぶつかってしまう。

   察するに、使われている言葉(単語)の意味を解しないままに、先に進むことに

   あるのかもしれない。

   悪いことに、役所文書も、マニュアルも、「そんな事(専門用語)」は知っている筈

   という前提で、かつ 全方位から隙のないように取り繕うから、ますます

   回りくどく、要点がぼけてしまうことになる。

   今年も役所から固定資産税の納税通知書が送られてきた。

   例年、じっくり中身を見ることもなく、「言われるまま」に、納税義務を果して

   きているが、今回偶々数字をみると、なんだか土地の課税標準額が

   若干増えているように感じた。

   額そのものは少額で、大勢に影響を与えるほどではなかったが、

   地価下落トレンドでの課税標準額増は、想定外なので、その理由に

   興味を持ち、早速「役所文書」に当たってみたという次第である。

     H24年3月30日  地方税法の改正案が国会で可決

     その結果、固定資産税の制度が一部変更

     負担調整措置の変更(住宅用地の据え置き特例の廃止)

   と、いうことのようである。

   これだけでは、なんのことかよく解からないが、関心のある向きには、

   直接「役所文書」に当たって頂くしかない。

   私には、たとえば「負担水準毎の課税標準額の求め方」を「簡潔明瞭」に

   文章化する力はない。

   そもそも役所の言う「負担水準」の意味が今一つよく解からなかった。

   他面、このことをきっかけとして、従来納税者でありながら、固定資産税

   の中身について知らなかった多くのことを再確認できたことは、余禄で

   あった。

   

   

   

   

   

   

   

   

訂正デス

   いや、全くお恥ずかしい。

   昨日のブログで 「4年に1度の4月29日」と書いた。しかも30日に。

   全くの錯覚デシタ。

   丁度前夜、中国と日本のうるう年について調べていたのと、偶然にも29日の

   日記(メモ程度) を30日の早朝に書いていたので・・・。とまあ言い訳デス。

   歳は取りたくないものデスネ。

   早速、S氏から「意味は?」のメールを頂いた。

   こんなブログでも、目を通してくれて、メールをくれる人がいる・・・。

   Sさん、ありがとう!

   

   

   

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