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2012年6月

ゴジラのしっぽ

   世に、「トカゲのしっぽ切り」という言葉がある。

   以下は、トカゲにあらずして、ゴジラの如く、大きく 「重たい」しっぽの話である。

   東京電力の株主総会が終わった。様々な立場からの報道がなされている。

   東電の社会的責任は免れず、一定の社会制裁を受けることは避けられない。

   地方自治体からも代表が出席し、その発言にスポットが当てられ、いわば、

   マスコミを含む一般社会 対 東電 の図式が出来上がったようにも思われる。

   まあ想定内というか、妥当な流れと言えば言えるが、

   それらを認めつつ、正直に言うと、私には、ある種の違和感というか、疑念が

   残ったのである。

   東電が叩かれれば、叩かれるほど、その違和感が強まるのである。

   ( といって、別段個人的な関係は皆無である。念のため )

   結論的にいえば、東電も、所詮 「トカゲのしっぽ」ではないのかという

   「疑念」である。

   勿論、だからといって、責任回避云々の次元ではないし、トカゲなんかの

   「ヤワ」な図体でもない。

   ゴジラ並みの堂々たる図体の「しっぽ」であることは間違いない。

   それでもやはり、「しっぽはしっぽ」である。ゴジラのしっぽなのである。

   そもそも、国の「原発」なんて、1民間会社の業務(経営)判断や責任で、

   やれるものではないだろう。

   政府(経産省他関係各省)主導のもと、二人三脚(言い換えれば下請け)で

   対応してきたことは、動かし難い事実ではなかろうか。

   その真の「主体者」はどこに行ったのか。

   怪我の功名か、元総理が 「東電に乗り込んで一喝」のイメージで、

   長年の「共同体」から 「政府 対 東電」の図式が出来上がってしまった。

   言い換えれば、経産省等各省は、本来東電と同様、謝罪会見で一緒に頭を

   下げる「側」が、なんとなく「指導」する立場になってしまった。

     (本来は 行政指導の立場として 通常の姿ではあるが・・・)

   東電ひとり、追求にあってつるし上げ・・・ という風に見えてきたのが

   どうやら違和感の原因らしい。

   東電という「しっぽ」を皆で切って捨てたとしても、日本の原発(エネルギー)

   問題が、解決するわけではない。

   得体の知れない「図体」が、今、何を考えているのか。

   問題の核心は、そう簡単に表には出てこないものである。

   株主総会を「ワイドショウ」的にきめ細かく報じてくれるジャーナリストも

   それなりに有難いが、それよりも 「社会派 松本清張」のような骨太の

   ジャーナリズムの出現を期待したい。

   

   

   

     

     

郷愁の蛍

   古来、電気・照明がなかった時代、星の輝き、月の明かり、は、

   現在の我々が感じ取るより遥かな比重で、日々の生活のなかに、

   そして こころのなかに浸み込んでいたに違いない。

   同様の感性で、発光する「蛍」も、 他の昆虫とはまた違った存在、

   それも詩的・文化的存在として、受け入れられていたのではないか、と

   想像するのである。

   その感覚が、今もある種の郷愁として、人々の間に残っているのでは

   ないだろうか。

   過日、地元で、「ほたるの夕べ」を開催した。

   各種団体共催で、私も実行委員の末席で、お手伝いさせて頂いた。

   勿論、全員ボランティアで、事前準備から、後の会場清掃まで、

   善意の集まりである。

   梅雨の合い間、なんとか天気にも恵まれ、予定通り実施することが

   出来た。

   夜、7時30分より開始、市長も顔を出され、挨拶をしてもらう。

   2時間ほどのイベントだが、890名の来場者があった。

   イベント企画としては、まだまだ問題点、反省点も多いが、

   これだけの人達に来て頂けただけでも、まずは良しとしたい。

   たかが、「昆虫」である!

   それを鑑賞するために、これだけの人が来られる・・・。

   考えてみれば、不思議といえば、不思議・・・・   だが、

   やはり、蛍に対する、独特の「郷愁」が魅せるのではないか、

   この「郷愁」を子供や孫たちにも「共感」させたい、

   無意識にせよ、これらの気持ちが「ほたるの夕べ」に向かわせる。

   改めて、蛍の「威光」を再認識させられた次第である。

        己が火を  木々に蛍や  花の宿   -芭蕉ー   

   

今夏の祭典

   7月27日より ロンドン・オリンピックが開催される。

   特段の関係も、 関心も強いという程ではないか、平均的市民感覚レベルで

   時折の動向に注目している。

   特に、「ロンドン」で行われることには、個人的な興味もある。

   今回、パリ、ニューヨーク、モスクワ等 世界を代表する都市と競って、勝ち取った

   「第30回記念大会」の開催地である。 (今回3度目)

   少し、歴史を振り返ると、興味深い。

          1回目   1908年

          2回目   1948年

          3回目   2012年(今年)  である。

   1回目の1908年は、イタリア ヴェスヴィオ火山噴火で、開催地がローマから

   急遽 ロンドンに変更されている。

   地球自然災害と オリンピックとの関係が生じた大会であった。

   この大会で、2つの有名な逸話が残っている。

     ①  当時の世界情勢下、英米の主導権争いが オリンピックにも影響。

        なにかと険悪な大会となったこともあり、例のクーベルタンの

        「オリンピックは参加することに意義がある」の言葉が生まれた、

        とされている。

     ②  当時の王妃アレクサンドラが、マラソンのスタート地点を、宮殿の庭。

        ゴールを ボックス席の前に・・、という事から、その後マラソンの

        距離が 「42.195k」になったという逸話。    である。

   2回目の1948年は、言うまでもなく、第二次世界大戦で、 1944年の

   ロンドン大会が中止となり、戦後48年に順延となった大会である。

   夫々、ロンドンにおけるオリンピック大会は、 約半世紀毎、世界動向の

   節目に、 というのはややうがち過ぎとしても・・・、 さて、今年の

   オリンピックは如何なものであろうか。

   イギリス人の気質なのか、「昨今、過剰なまでの華美絢爛のセレモニーが

   益々エスカレートしている」 が、それには組しない、と早々公表された由。

   果して、「大英帝国」らしい、重厚で落ち着いたセレモニーを見せてくれるのか、

   これも興味のある点である。

   一方、今回の競技種目が、前回より2種目減少した(28→26種目)

   これが、なんと 野球とソフトボール。

   偶然の結果なのかもしれないが・・・。

   我が日本としては、 「いやはや なんとも」ではないか。

   日本を取り巻く世界の動向  国の勢い、 だとすると・・・・。

   たかが オリンピック  されど  オリンピック

   オリンピックも 視点により、時代により、様々な様相を示唆してくれている。  

     

   

   

ある日の下鴨神社

       京都 賀茂御祖神社(下鴨神社)を訪ねて 思いつくままに・・・。

   1  独り占めの世界遺産

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         私が撮った 珍しい写真である。

         一見、珍しくもなく、ありふれた写真であるが、

         よく見ると、誰一人写っていない。この空間に我1人なのである。

         普段、そうあるものではない。独り占めの世界遺産。というわけである。

         別段、権力?を駆使して、人波を遮断したわけではない。

         答えは、訪れた時間帯。

         月曜の朝早くは、観光客が比較的少なく、「狙い目」という経験則。

         プラス 多少の偶然の産物・・・というわけである。

         そういえば、以前にも、広隆寺の弥勒菩薩を、我1人で

         対座したこともある、(何の自慢にもならないが・・・)

   2  参道に沿って

06180006 

         下鴨神社の長い参道に沿って、幅10~20メートルもある

         白地の道がある。

         ほぼ直線で、数百メートルはあるのだろうか。

         流鏑馬(やぶさめ)の舞台である。

         流鏑馬は「ナマ」でみて、初めてその迫力がわかる。

         予想以上の疾走に驚き、感嘆したことを覚えている。

         確か5月3日だったか、1度は必見である。

         この場所は、時代劇のロケでも有名。

         馬での疾走場面、大名行列 等々のイメージが今も残る。

   3  長明の方丈

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            「行く川の流れは、絶えずして、 しかももとの水にあらず

            よどみに浮かぶうたかたは かつ消え かつ結びて・・・」

                                  「方丈記」  鴨長明   

         鴨長明は、この下鴨神社神官の家柄に生まれた。

         成人し、その摂社河合社(河合神社)の禰宜に推挙されるも、

         適わず失意のまま出家・・・ という経歴にある。

         箏、琵琶、和歌に秀で、晩年、日野で庵(方丈)に住み、そこで

         「方丈記」を残した。

         今、下鴨神社の摂社、河合神社に、その「方丈」が復元されている。

         (写真 後方の建物が方丈)

         専門家によれば、文献から推測する限り、復元の完成度は

         100%に近いとの由。

         訪れた日は、生憎修復中とのことで、中までみることは

         出来なかったが、方丈の雰囲気だけはイメージできた。

                            今回の彷徨は、とりあえずこの辺で。

         

                              

横笛の調べ

   源氏や平家物語であろうか、 何処からともなく聞こえてくる横笛の音に、

   思わず聞き惚れるというようなところが何度も出てきたように思う。

   平安朝時代を象徴する1つの場面である。

   風雅には縁遠いが、自分勝手に想像してみると、次のような風景を

   思い浮かべるのである。

   11300017                     国分寺  お鷹の道

   是でも、まだ 「侘び・寂び」に欠けるが、まあ今日の風景としては、

   贅沢は言えない。

   何気に通り掛かると、どこかの家からであろうか 横笛の音・・・、

   長い黒髪の女性・・・・  あくまで 連想の世界である。

 

   と、急に現実の世界に戻るのであるが、 横笛の音というのは、

   優雅な趣味や道楽に浸からない限り、案外、現代社会生活で、

   「ナマ」で聴く機会というのはないものである。

   ところが、偶然 それを聴く機会に出くわしたのである。

   京都 紅燃ゆる吉田山 吉田神社境内においてである。

   なるほど、平安時代の男共の、「横笛」の音に魅かれる気持ちが、

   少しばかり判った気がする。

   ぶらりと立ち寄った、茶会という「イベント」だったが、

   私には、「お茶」の素養はない。

   それよりも、 この「横笛」の音に聞き惚れた。

   小雨の吉田山であった。

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「実験的に」

   ある日を定めて、丸1日、テレビ放映を完全中止する。

   したがって、全国民は、その日 24時間テレビを付けることはない。

   あくまで「実験的に」やってみるのである。

   多分大ブーイングが起こるに違いない。

   様々な反対意見が渦巻くことになる。

   それでもやってみる。 あくまで「実験的に」である。

   新聞には、すでに 「休刊日」がある。

   テレビにだって・・・ の「理論武装」で充分である。

   だって、あくまで 「実験」なのだから。

   この実験の直接の目的は、 「節電」 である。

   これで、 如何ほどの節電効果があるのか、我々には分らないが、

   それでいいのである。  だって「実験」なのだから。

   この大ブーイングの中にあっても、あえて為政者は、

   自らの「政治生命」を賭けて、取組んでみる。

   「政治生命」を賭けることには、慣れている筈である。

   と言っても、いつものように悲壮感漂わせる必要はない。

   「おもしろそうや、 一途やったろか・・」

   関西人の ノリ でいいではないか。

   だって、あくまで 「実験」なのだから。

   実験の結果、 もしかしたら「節電」以外にも、思いもよらない効用が

   見つかるかもしれない。  いや 見つかるに違いない。

   テレビのない生活。

   あなたなら、 その1日、どうして過ごしますか?

   国民1人ひとりが、日常生活を振り返りながら、一寸考えてみる。

   この文明社会(原発社会)を回顧する時間でもある。

   実は、この「実験」の、隠れたもう1つの狙い。

   そのことに、気付いてくれる人は少ないが・・・。

   

   

地縁好縁

   地元自治会の役員を引き受けて6~7年になる。

   そろそろ、より若い?人達へのバトンタッチの時期である。

   それまで、地元との関係(地縁)は、それこそ全くの「無縁」そのものだったので、

   我ながら長く続いているものと、妙に感じることがある。

   正直なところ、都会における自治会活動は大変である。

   偶々同じ地域に住むというだけの「縁」で組織化された集まりである。

   様々な境遇、人生経験、家庭状況、等々の人達の集団である。

   当然、ものの考え方も様々である。

   あるのは、地域住民として、より良い環境、安全、安心の街でありたい

   とする「共通認識」だけといってよい。

   そのことが、原初にして最後の決め手。・・・ということを学んできている。

   つかず離れず の「間合い」の取り方も大切である。

   ところで、昨年 わが街は振り込め詐欺被害のワースト1であった。

   「心優しく、人を疑わない人」 が多いのであろう。

   ・・・・・ なんて言っている場合ではない!

   過日も 近隣で空き巣被害が発生してしまった。

   そんな事もあって、

   先日は、地元警察署の防犯担当に来ていただき、防犯関係の

   学習会を実施した。

   やれる事を地道にやるしかない。

   そんなこんなで、苦労も多いが、楽しいことも多い。

   私のようなものにも、道で、むこうから挨拶をして頂くことがあり、

   恐縮することがある。

   世話役をやらせて頂いているお蔭である。

   現役時代、どうしても地元無縁になりがちであるが、そういう人こそ

   1度位は、地元自治会の役員として汗をかくことは、長い老後生活

   「地縁好縁」のためにも 「お勧め」である。

   時には、遊び(呑み)仲間も出来るというものである。

   

   

   

   

究極のエコ

   地球上の、社会科学分野での諸問題も、大変なところに来ている。

   欧州に潜む経済危機の地雷を下手に踏んでしまうと、世界に波及する。

   米国ドルに往年の威光がないだけに、我が国の「円」も、とりあえずの

   避難通貨として買われる(円高)始末。

   一方、自然科学分野においても、「地球環境」問題がある。

   地球上はまさに、経済と環境 「エコ」一色である。

   話は飛躍するが・・。

   地球にやさしい・・・。という言葉を聞くと、つい連想してしまう「詩」がある。

   決して一連の「エコ」を揶揄しているのではない。

   詩人の静謐なまでの眼差しを感じるのである。

           

          驚いたことに   遠くからみると

          地球はちっとも 疲れているように見えない

          まだ 手おくれじゃないんじゃないか

          今のうちに 人類が滅びさえすれば

          きっと地球は天命をまっとう出来る

              - - - - - (略) 

          そうすれば 地球は月のように 冷たく美しく

          ゆっくりと 滅びていけるだろう

              ー - - - - (略)

          人間が ひとりもいない地球を夢見ること

          むしろ それがすべての始まり - - -。

                

                  谷川 俊太郎  「遠くから見ると」 より抜粋。

           

   

先輩の一言

             「個性、個性と、うるさく言うが、基本のなっていない

              ヤツには,縁のないことだ」

             先輩、八重樫茂生氏に、言われた言葉として

                                -  釜本 邦茂 -

   言った先輩も鋭いが、言われた後輩も、今も忘れずに

   胸に秘めているのも捨て難い。

   両人とも、日本のサッカー界を背負ってきた、往年のスーパースターである。

   言われた言葉の意図は、サッカーに限らない。

   「個性の時代」と言われて久しいが、人間としての素養、土台があってこその

   個性である。

   この先輩の何気ないことばの前には、昨今の 「個性を育てる」なんていう

   教育方針や、風潮が色褪せて見える。

   釜本のストライカーとしての「個性」あるプレーも、日に、同じ場所から100本も

   200本もシュートを繰り返すその練習から生まれたものである。

   概して、先輩の一言というのは、あとになるほど、効いてくるもので

   あるようだ。

   言われた時は、なんだか全人格を否定されたように感じることもあるが、

   時を経て、その先輩なり上司の凄さに気付くことがある。

   「うわべの関係や、御身大切の姿勢では、なかなか口に出さない」と

   いうことが、解かってくるということだろう。

   また、それなりの歳を重ね、多少なりとも人生の経験を積むことによって、

   「叱る立場」の難しさにも気付くものである。

   叱責は多いが、「何時までも残る言葉」が案外少ないのも一面の真実である。

   そういうなかで、何十年経っても、ふとこころを過ぎる先輩の一言・・・。

   を持つ人は幸いである。 それこそ無形の財産でもある。

             

鴻池の始祖

   「山中鹿之助」といえば、時代劇(映画)やその類の物語でその名を知り、

   例の「われに七難八苦を与え給え」の伝承を覚えている程度である。

   ところで、その「山中鹿介幸盛(鹿之助)」の 子供(山中新六幸元)が、

   実はかの鴻池財閥の始祖というから歴史は面白い。

   鹿之助は、尼子主家再興に全霊を注ぎ、後年、忠義の武士として名を残すので

   あるが、結局33~4歳で壮絶な死により短い一生を終えるのである。

   今はこれまで、という時、子供の新六(当時10歳程度)を、ある若者に託し

   城から脱け出させるのである。

   堺屋太一氏は、ある小説のなかで、鹿之助にこう言わせている。

     「新六、長じても 武士にはなるなよ。武士は一人が栄えれば、

      他が滅びる因果な身だ」

     「では、新六は何になればいいのですか」という子供の訊ねに

     「わが身が栄えれば、他人も益するような町人になれ」   と。

   この新六が、のちに摂津鴻池村で、酒造業を営み、今日の「清酒」の元となる

   製造で財を成し、その末裔が鴻池善右衛門の名を継承する江戸時代の

   大富豪「鴻池財閥」になっていくというわけである。

   新六は、見事父の遺訓を守ったことになる。

   なお、新六を城から脱け出させた若者(亀井新十郎)も後年、秀吉に仕え

   石見銀山の経営や、朱印船貿易に携わったとのことである。

   子孫は津和野藩主( 津和野の亀井家)になっている。

   さらに、時代を経て、20世紀、美容業界の重鎮で、初めて我が国に

   「パーマ」を伝えたといわれている「山中豊子」は、鹿之助の娘 八重姫の

   直系子孫とのことである。

   忠義の武士 - 鴻池財閥 - 美容  1つの血がつながり流れている。

      

困憊の世相

          政治    ・・・・黙して語らず。 

          経済    円高だから・・・・ なのか

                 円高なのに・・・・ なのか   要するに株下落。

          社会    生活保護  3兆円超  

                          我々国民は少々疲労困憊気味である。

   若者が護身用に刃物を持つ。

   真面目に取上げるのも、バカバカしいほどだが、

   これもまた世相の底辺に沈殿している破片の1つである。

   そういえば、世界も似たりよったり。

            「 将軍も  護身と称して  核持ちたがり」 

                                

   世の中、なんだかイライラ、ギスギスで、下手をすると 指先を

   切られるような冷たさがある。

   なにか気分がスカッとして、わくわくするような話題が

   ないものだろうか。

   人間は、自動ドアーの便利さに慣れてしまったのかもしれない。

   ドアーは自動で開閉すると、いつの間にか刷り込まれてしまった。

   人間関係しかりである。

   自分の思い通りにならないとすぐ不機嫌になる人々。

   その延長線上に数々のイザコザや紛争がある。

   便利さが、イライラを増長させる不思議。

   一部若い女性の間で、「僧職男子」が注目されているらしい。

   これもまた現世世相が生んだ現象なのか。

   悩みや相談事を聞いてくれる存在としての僧侶である。

   勿論、「イケメン僧侶」に越したことはない。自然の摂理というものである。

   既成の宗教界面々は、この現象に顔を歪めるが、既成の抵抗がない革新

   なんてないのである。

   もしかしたら、既存の「宗教」のあり方に一石を投じる兆しになるのでは、と

   思ったりしているのだが、果してどうか。

   月初から、なにやら「明朗」な話ではなくなったが、

   なに、これで探せば結構人生意気に感じることもあるものである。

   疲労困憊の時こそ・・・、

   クラシックフアンなら、第九でも聴くのだろうか・・・。

             - 苦悩より 歓喜へー

    

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