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2012年8月

元総理達の素描

   歴代総理の業績や人物像を表すほどの能力は持ち合わせていない。

   以下は、「ミーハー」的に、偶然垣間見た 「ナマ」総理の印象等

   走り書きメモの類である。 各人とも総理になる前の壮年時代の素描である。

海部俊樹

   偶然 新幹線で乗り合わせた。

   同じ車両で、前から2~3列の座席に、奥方、秘書2名と一緒であった。

   すでに当時からネクタイは水玉模様。奥方もなかなかの美形であった。

   私は、後方の座席から覗う程度。 途中から寝てしまったが・・・。

   当然、グリーン車!

   私だって偶には乗ることもありました。  (何か、問題アリマス?)

   そういえば、1度「安倍晋太郎」と同じ飛行機だったことがある。

   spも含め10名位の一行。大物議員ともなると違うな、と思った記憶がある。

宮沢喜一

   今も継続されているのであろうか、当時商工会議所主催で、毎年 大蔵(当時)

   大臣、日銀総裁の時局経済講演会が行われており、偶々 宮沢喜一が

   大蔵大臣時代、毎年これを聞きに行っていた。

   氏は、いつも原稿、メモの類は一切なしで、数字等も含めたスピーチで、

   いかにも頭のよさそうな・・・という印象が強い。

   我の強い、声高ばかりの政治家連中に囲まれて、さぞストレスが・・・。

   酒でも飲まないとやっていられなかった・・・のではと拝察する。

羽田 孜

   選挙区の松本で、本人も企業誘致に係られたのか、ある事業の設立記念式に

   羽田 孜も出席し、挨拶をされた。

   当時、いかにも働き盛りの政治家という感じで、堂々たる押し出しであった。

   この人があの「羽田 孜」か、という印象であった。

   私には、政治家と地元との関係を目の当たりにする機会でもあった。

   この羽田氏、今も息子と同じ職場に留まっているが、正直 当時の面影は

   全くない。 残念ながら勇退の時期を間違えたようだ。

小渕恵三

   大物政治家に挟まれ、いつも選挙には苦戦しつつ・・・という頃。

   ある団体の新年会会場に、国会議員も数名呼ばれていて、その1人が

   小渕恵三であった。

   名前は知っていたが、はて・・という程度の認識であり、やはり一緒に

   出席していた山東昭子議員の方が会場のおじさん連中には人気があった。

   ただ、私は小渕恵三のスピーチには好感を持った。朴訥、誠実を感じた。

   流石に、この人が後年総理になるとまでは思わなかったけれど・・・。

   志全うに到らなかったこともあり、今も悪く言う人は少ない。

   人柄の良さであろう。

安倍晋三

   (最近 また政局に絡んできた。「過去の人」扱いは慎む)

   安倍晋三と前原誠二は 結構政治信条が似ていると言われる。

   風聞によれば、当人同士も 結構「仲良し」らしい。

   一度、二人参加のパネルディスカッション形式の講演会を聞く機会があった。

   表向き、自民、民主の対立図式が、狙いであったのだろうが、双方の主張に

   大きな違いはなかった。

   そもそも自民、民主両党員とも、根っこは1つという人達が大勢いる。

   枝葉の違いで、ああでもない、こうでもないといがみ合って、特に昨今、

   無駄な時間を過ごしているようにも見える。もったいない話である。

   とまあ渦中の人なので、この辺で・・・。

番外編

    ゴルバチョフ元大統領

      引退後、時折来日されている由。

      或る年の来日時、講演会があり、「ナマ」ゴルビーの肉声を聞く。

      結構、スピーチの中身も興味深く、特にその時点では、プーチンを

      高く評価していたことが印象に残っている。

                                               以上     

   

   

篁の伝説

   夏の夜の怪談話、も昨今不夜城の如き大都会では肩身が狭い。

   でもまあ、季節柄 ひと捻りして「あの世」に関連する話でも・・・。

   あの世と言えば、 京都では 「小野篁」である。

   伝説によれば、篁は、夜毎 「井戸」を通って 「地獄」に降り、閻魔大王のもとで

   裁きの補佐をしていた。 というから凄いではないか。

   その井戸が、京都・六道珍皇寺に残っている・・・というから驚きである。

   先年、京都に行った折、その井戸を見るべく、同寺を訪ねたが、生憎庭内は

   立ち入り禁止。やむなく外から撮ったのが次の一葉である。

   なお、同寺には篁作といわれる 「閻魔大王」と「篁」の木像が安置されている。

   12010008                 中央奥にうっすらと白く見えるのが井戸

   「小野篁」は、いわゆる小野家として歴史に名を残す家系の人で、

   遣隋使の「小野妹子」の末裔である。

   「柳の蛙」で有名な、能書家 「小野道風」は篁の孫である。

   かの「小野小町」も、小野家の人で、一説によれば、篁の子ないしは孫では

   ないか、という説もある。

   篁の墓は、北大路堀川にある。

   12010022              右が 小野篁の墓 左は 紫式部の墓である。

   何故、篁と紫式部の墓が二つ並んで・・・・?

   訪れた折は、知らなかったが、その後 二人の接点が「地獄」であることを

   知った。

   何処までが真実か、作り話か、見事までの「調和」である。  

   先年の都も、ただの雅(みやび)に酔っていては真実が見えない。

   おどろおどろした世界をも融合させ、内に秘めているからこその

   「美」の世界である。

適格な言葉

   「尖閣」問題で、米国国務省ヌラント報道官の発言の主旨が、次のように

   伝えられている。  (外交公式ルートではすでに日米承知事項なのであろう)

   「日中で解決してほしい。アメリカはどちらにも味方しない(中立)。

   挑発的行為ではなく、同意で解決すべき」

   ということで、「挑発的な行動への自制を促す」と、日本サイドの記者が

   補足説明を加えている。

   これが、現在におけるアメリカの現実的な見解と受止めていいのだろう。

   それはそれとして、1つ引っかかったのは、「挑発」的な行動、と表現されて

   いる点である。

   今回の日本の置かれている状況(対応)と、「挑発」というニュアンスが、

   どうしても馴染まないのである。

   文字通り、報道官も「挑発」のニュアンスで話しているのかもしれないが、

   もしそうだとすれば、納得しかねる。

   今回の対応で、仮に強硬な手段に出たとしても、「挑発」というのとは、

   少しニュアンスが違うのではないか、もう少し適格な言葉(表現)が

   あるのではないか、と思うのである。

   私なりの言葉のこだわりである。

   さて、話が変わるが、

   昭和56年頃、当時の鈴木善幸首相が、米国ワシントンでの講演で、

   日本の専守防衛政策に触れ、1つのたとえとして、

   「日本はハリネズミであるべき」と述べた。

   大概の日本人なら、その言わんとするニュアンスを理解するが、

   なんとその時の通訳が、「日本はマウス(ネズミ)であるべき」と訳してしまった。

   さあ大変、「日本は、防衛に関してチョロチョロと逃げ廻るネズミ」と報道され、

   暫くそのイメージが定着してしまった、という次第。

   笑えない「笑い話」のようだが、1つの言葉の持つ意味合いも、

   決してバカにできないのである。

   今夏、このネズミの亡霊が、時折顔を出す。

   

   

   

   

或るエピソード

   「ハマコー」の愛称で呼ばれた「政界の暴れん坊」こと 浜田幸一元議員が

   亡くなった。

   石波 茂議員が、その追悼の一文のなかで、あるエピソードに触れられていたが、

   そのことで、私なりの記憶が蘇った。

   千葉県習志野の陸上自衛隊空挺団は、特殊部隊として、自衛隊のなかでも

   訓練の厳しいことで知られており、石波議員は、防衛庁副長官時代、そこを訪ね、

   自ら、踏み出し塔からの降下訓練を体験した。

   丁度、ビルの3~4階位の高さから、空中に飛び出す、というもので、

   安全ロープに繋がれてはいるが、心理的に最も恐怖を感じる高さに設定

   されているとかで、相当勇気を要する訓練である。

   その折、担当官から、これを体験された国会議員は、貴方で3人目です、

   と聞かされた由。

   他の2人とは、次の人たちである。

          昭和51年   防衛政務次官    浜田幸一

          平成10年   防衛政務次官    浜田靖一

   なんだか、出来すぎの感もあるが、今まで防衛関係のポストに就いた

   人達やその他の国会議員のなかで、「身体を張って」これを体験したのは

   浜田親子と石波議員というのは、なんとも「微笑ましい(?)」話ではないか。

   解る人には妙に納得できるエピソードに触れていた、というわけである。

   ところで、このエピソード、私なりに「記憶」が蘇った・・・というのは、

   私も、実はこの降下訓練を、何十年か前に体験していたからである。

   今は、バンジージャンプなどで、類似の体験をする人も多くなっている

   ようだが、当時は、空中に飛び出すなどという経験は少なくとも日常生活

   ではありえない体験。

   今も、空中に飛び出した瞬間の感覚が思い出されるような気がする。

   それなりに貴重な体験の1つである。

   だからといって、この訓練(3日間体験入隊)が、果してその後の人生に

   何がしかの影響を与えたかどうかについては・・・・・

   まあ深く考える話でもないだろう。

   

メダルの色

   熱気溢れる夏。

   ロンドン・オリンピックも、早や終盤を迎えた。

   日本選手団は、期待の重圧からか、不本意な競技もあったが、

   現状、総じて大健闘の成果といえるのではなかろうか。

   各々選手達のメダルへの熱い思いは、我々の想像を遥かに超えた

   強いものに違いない。

   そのメダルに対する熱意,気迫が、感動を生むプレーの原点なのであろう。

   そのメダルについて、「金・銀・銅」は、1907年 国際オリンピック委員会総会

   において決定され、五輪憲章にもその規定が定められている。

   この上位1~3位に与えられる「金・銀・銅」のメダル、

   よくよく思うに、誰が考えたのか、イメージ的にもなんともバランスのいい

   選択ではなかろうか。

   オリンピックの本筋と離れるが、

   好奇心の赴くままに、この金・銀・銅の現在価格を見ると次ぎの通りである。

      金   キロバー建て   gあたり   約 4300円

      銀   30kg建て     gあたり   約   76円

      銅              gあたり   約    0.6円

         (キロバー建ては、1キロの金塊の取引でのgあたりの価格)  

   メダルを、経済価格(価値)で、論じるのは邪道だが、

   100年後の今日、ずば抜けた「金」の価値、及び それと銀、銅の

   価格バランスは、「いかにも」という釣り合いではないか。

   優勝者に相応しい「金」の重みでもある。

   邪道ついでに、プラチナの価格を見ておくと、gあたり 3880円。

   金に追随する価格ではあるが、金・プラチナ・銅ではいかにも座りが悪い。

   やはり 「金・銀・銅」がバランス上相応しいということになる。

   とまあ、すぐ金銭価値で物事を捉えるのは、現代人の悪い癖だが、

   いやなに、「銅」だって立派なもの。

   そもそも、オリンピックに出場すること自体が凄いこと。

   と、承知した上での、ちょっと邪道な「メダル」に関する「感慨」である。

    

機密の正体

   本人ないし、関係者がまじめに取組めば、取組むほど、周りから見ている人に

   とっては、滑稽に思えてくることがあるようだ。

   金正恩と常に一緒に写真に写っている女性は、一体誰?

   一頃、各国のメディア、調査機関は、必死にその謎の女性の正体を探った。

   ところが、何の事はない、判ってみると他愛のない話、すでに結婚していて

   奥さんだった、というではないか。

   目出度く一件落着のようだが、

   何故、こんな事(情報)が、さも「国家機密」の如く、スクープ合戦のような

   様相を呈することになるのだろうか。

   どうもよく判らない「国柄」である。

   我々の常識の「世界」では、「この女性は?」と問い合わせれば、簡単に

   教えてくれるような内容だと思うのだけれど・・・。

   それとも、国情によっては、最重要国家機密に属する事柄なのか。

   過ぎてしまえば、必死に探っていた行為が、なんだか滑稽にみえてくるという

   次第である。

   7月25日 朝鮮中央通信が公表した写真にも面白い一騒ぎがあった。

Kor12080407000001n1   

   金正恩第一書記が、平壌の遊園地で絶叫マシーンに乗っている写真である。

   同国が公表する写真には、なんらかの政治的意図がある、というのが

   各国の常識的対応で、この写真も、隣の中国大使をはじめ座席配置が専らの

   専門家の推理テーマのようだが、それは各々任せるとして、面白いのは

   写真左下に写っている白人である。

   各国メディア、調査(諜報)機関が色めきたったのが この白人!

   「Who?] というわけである。

   各機関総力を結集(したかどうかは・・・?) の結果、

   駐平壌英国大使館一等書記官であることが判明した。

   探り出すまで、大騒ぎだったらしいが、日本のマスコミは、蚊帳の外。

   一般紙には取上げていないのではないか。

   因みにこの英国一等書記官、日本にも何年か滞在されていたことがある。

   なんてことは、別段「機密」事項ではアリマセン。

   それにしても、毎度お騒がせの「写真」ではある。

   

   

ホンのこぼれ話

   相当前の話である。

   場所は、さて麻布だったか、青山だったか、はっきりとは覚えていない。

   閑静な住宅街の、とある通りで、向こうからひとりの紳士が歩いてこられる。

   恐らく散歩かなにかであろう。

   近づいて、なにげに顔を見ると、「池部良」である。

   季節は夏の初めであったが、流石に洒落たジャケット姿であった。

   まあ、これだけの話であるが、この池部良、晩年はエッセイストとしても

   著名であった。

   江戸っ子風の洒脱なエッセイ集が数多く残っている。

   暑い真夏の気だるさのなかで、パラパラと気楽に目を通すのには格好。

   (と言っても、本人すでに亡くなられており、お叱りを受けることもないであろう)

   そのなかのあるエッセイに、「本当?」と驚く一説があった。

   若き日、といっても、すでに人気俳優として世に知られてからのことだが、

   宝塚少女歌劇に誘われたことがある、と言うのである。

   誘われたといっても、「観劇」のお誘いではない。歌劇の舞台に出て欲しい

   というお誘いだから驚きである。

   周知の通り、宝塚歌劇は、女性だけの舞台である。

   その舞台にと、池部良にオフアーがあったというわけである。

   説明によると、戦後暫くの時代、宝塚歌劇も観客数は激減、経営的にも

   行き詰まり、窮余の策として、伝統を破り、当時の「イケメン」を呼び込み

   盛り返そうとの秘策であったらしい。

   結局、この話は、池部良の方から「勘弁してくれ」のニュアンスで断りが

   入り、実現しなかったのであるが・・・。

   1つの時代の断面として捉えると、それなりに興味のあるエピソードでは

   ないか。

   とまあ、ホンの他愛のないこぼれ話でもあるが・・・。

   

   

   

熱気の夏

   猛暑続きの日本の夏。

   ロンドンでは、猛暑とはまた違った「熱気」で覆われていることだろう。

   文字通り、地球規模の 「国別対抗大運動会」 の1大イベントである。

   4年に1度、というのがこれまた絶妙な間合い。

   これによって、幾多の幸 不運のドラマを作ってきたオリンピック。

   もしかすると、「運動会」には、魅惑的な魔力が潜んでいるのかもしれない。

   小さな子供達の運動会にも・・・。

   子供達の ただ行進したり、走ったりしているだけの姿を見ているだけで、

   なんだか、鼻の奥がツンとすることがあるではないか。

   これは一体何なんだろうか。

   人間の追憶という琴線に触れるからだろうか。

   さて、オリンピックともなると、

   選手達は、ただ無心に走っているわけにもいかない。

   数々の邪念との戦いが見え隠れする。

   背中にも、重圧という荷物を背負って走ることになる。

   本人も、家族も、そして関係者までも、一緒に走る。

   ほんの一握りのメダルだけが、癒してくれる過酷な戦いのために。

   

   我々、その他大勢の観客は、その点気楽というか、のほほんと

   アスリート達の動きをみているだけ。それも美味しそうなところを

   つまみ食いするかのように。

   「メダル至上」のメディア報道に揺られながら・・・。

   2012年  ロンドン・オリンピックの夏。

   これからも数々のドラマが・・・・生まれるに違いない。

   

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