« 机上の空想 | トップページ | 涼しいひと時 »

あるエピソード

   読売新聞は、正力松太郎がその基礎を築き挙げた。

   社史年表風に、創成期の主だった事柄をみると次の通りである。

        1874年   「日就社」 が「読売新聞」創刊

        1897年   新聞小説 「金色夜叉」(尾崎紅葉) が人気沸騰

        1917年   「日就社」から 「読売新聞社」に改称

        1924年   関東大震災の影響から経営難で売りに出たのを

                正力松太郎が買収。社長として手腕を発揮。

                今日の読売新聞の基礎を築く。

   正力松太郎は、警察官僚、後に衆議院議員になっている。

   社長就任後、読売を今日の1大メディアに仕上げるのと同時に、

   読売巨人軍や日本テレビの生みの親としても名を残している。

   新聞社の買収に関して、あまり世に知られていないエピソードがある。

   買収額は当時の金で10万円。

   正力はこの資金を「後藤新平」から借りている。

   (以前の上司、部下の関係だけだった由)

   後藤は,大臣、東京市長を歴任、当時は内務大臣として、震災後の

   復興担当として辣腕を振るい、その時の都市計画が、今日の東京都の

   都市骨格を形成しているとまでいわれている。

   その後藤も10万(当時)の金があるわけではない。

   彼は自宅を抵当にいれ工面(借り入れ)して、正力に貸し与えたという。

   後藤が亡くなった時、その事を後藤の長男から聞かされ、正力は驚愕

   それ以来、後藤家に対する恩義を忘れることはなかったという。

   潰れかかった新聞社を買収、新規分野に進出する正力の決断。

   自ら借り入れまでして、融通した後藤の男気。

   これらによって、今の読売新聞がある。と思うと、なかなかのストーリーでは

   ないか。

   以上は、後藤新平の孫がどこかで語っていた逸話である。

   さて、ここからは、このエピソードから少し離れるが・・・。

   不思議の人、「鶴見俊輔」は 後藤新平の外孫である。

   氏の母上、愛子さんが後藤新平の長女という関係になる。

   因みに、社会学者 「鶴見和子」は氏の実姉である。

   後藤新平は、通常のモノサシでは推し量れない、桁外れのところが

   あった人らしい。

   その孫 「鶴見俊輔」も不思議の人である。

   学生時代、氏の講義を2~3度聴いたことがある。

   当時から、その風貌は老成していた。

   桁外れで、  早熟の人でもあったのであろう。

   上記エピソードは、氏の発信である。

   

   

   、

                    

« 机上の空想 | トップページ | 涼しいひと時 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1211385/47013625

この記事へのトラックバック一覧です: あるエピソード:

« 机上の空想 | トップページ | 涼しいひと時 »