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2012年10月

秋景色

      今年は10月に入っても、半袖で過ごせる日が幾日かあったが、

      ようやくというか、いつのまにか 遠くで冬の足音が聞こえる季節になった。

      景色はすっかり秋である。

      10月31日 東京の日の出は 6:02分。

      午前5時台、ほんの前まではすっかり明るくなっていたのに、

      今はまだ夜の続き・・。

      6時前、カメラを携え 何時ものコースに出かける。

      さて、思いつくままに秋の気配を写すことにしよう・・・・。

10300006             国分寺公園 広場の東方から太陽が顔を出す。

      10300008                       池に映える

  10300015                    すっかり秋の風情

 

      10300013           都立(多摩)図書館が国分寺市に移転してくることが決定。

           手前の広場が建設用地。

      今朝もなんとか元気で、約5千歩の早朝散歩 了。

               

     

幽玄の月

         10月27日  十三夜。

         Y氏からお誘いを頂き、 深大寺 十三夜の会に出席する。

         古刹山門を背景に、張堂住職他院内総出仕による、

         天台声明、月の講和、 謡・楽琵琶による「蝉丸」 と、

         しばし幽玄の世界に浸る。

         夜空には、くっきり十三夜。

         俗世間にどっぷりと浸かるわが身には、日頃使う事のない

         脳細胞が活性化。

         会の後、 同寺 G僧侶も交え、酒肴の一席。

         風物世相清濁の鼎談こそ楽しけれ。

         今宵の月は格別であった。                合掌

         

         

車の両輪

   ある危機管理アドバイザーの書かれた記事に、ハッとさせられるところがあった。

     「ある小学生の男児から、道で転んで防犯ブザーが鳴り出したのに

     誰も家から出てくれなかった。 防犯ブザーがあっても役にたたないのでは

     と不安、どうしたらいいのか。 と聞かれた」

   というのである。

   この小学生の体験からくる疑問は、極めて重要な示唆を我々に与えてくれる。

   あらゆる「対策」に共通することでもあるが、ハード面の対応(たとえば施設の

   設置とかなにかを保持するとか・・)で一応の目的を果たす。というところが

   あるのではないだろうか。

   子供達の防犯対策も、とりあえず「防犯ブザー」を持たせようというレベルで

   完結してしまっているのではないだろうか。

   ブザーが鳴るだけでも、それなりの防犯効果はあるにしても、やはりまわりの

   大人たちがそれに「気に掛ける」仕組み作り、啓蒙などのソフト面が相まって

   はじめて「防犯ブザー」としての機能が発揮される。

   その総合的なシステムまで検討・実行が及ばないと、文字通り「片手落ち」と

   いうことになってしまう。

   「防犯ブザー」というちいさな防犯グッズならまだしも、1つの防災施設や

   配備に何十億、何百億投じるような場合にも、同様なことが起こりうる。

   折角のこれら防災対策もいざという時、役にたたないでは意味がない。

   大震災の後、様々な防災対策が講じられているが、今一度片手落ちに

   なっていないかの検証が必要である。

   車も両輪あってこそ動くのである。

    小学生の疑問に発したほんの小さい記事であったが

    大きな問題を投げ掛けている。

惰性の発想

           --  「デフレ脱却」と言い続けて何年? --

   「自論」という程、大袈裟なものではないが、日頃から漠然と、ある1つの思いで

   世の中の動きを見ている。

   おこがましいが、同様の考えを さわかみ投信の 「沢上篤人」氏が

   ある紙上に記されていたのを読んで意を強くした。

   氏の論旨(「超低金利政策に苦言」)を以下に記させて頂く。

        1. 日本は1991年11月より金利を引き下げ、当初は不良債権処理、

           後には、経済活性化、と目的は変わってきているが、今も超低金利

           政策が続いている。

        2. 不況期における低金利政策は、景気対策のセオリーではあるが、

           いつまでも続けていると逆にマイナス面が大きくなる。

           金利には経済活動の原動力という側面がある。

        3. 特に日本の場合、個人の預貯金残高は、GDPの1.7倍あり、

           (恒常的な)超低金利政策は、経済成長に致命的なマイナスとなる。

        4. (1つの試算として)

              現在 790兆円の(眠り)預貯金

              仮に通常の金利水準 3~4%だとすると

              家計に15兆~25兆の利子所得が得られることになり、

              その半分が消費にまわれば、経済成長2~2.6%

              上乗せということになる。

        5.  日本は長年にわたりこの経済成長の側面を見落としている。

   というものである。

   夫々見方はあるとしても、私はこの考えに賛成である。

   そもそも、10年1日の如く、同じ発想で、「我慢強く」低金利政策を持続して

   いる事に、しかもこのことがより重要なことだが、たいした効果も得られない

   ままにきていることに、素朴な疑問を持っていた。

   グローバルな時代というのも解るが、米国とは資産構造(特に家計の

   資産配分)も異なり、経済政策まで、同一歩調で同調することもない。

   銀行の定期預金金利が、0.0%なにがしかである。

   たいした金もないわが身では、どうでもいいことながら、こういう状態が

   長く続くということはどう考えても異常である。

   人間、長く続くとこれが正常(通常)と「麻痺」してしまいがちだが、

   やはり、なんだかおかしい!という感覚は持っておきたいものである。

   今すぐ金利をあげろ というのではない。

   肝心なことは「発想」を根底から見直す素直な努力である。

   

   

 

              

自省

   年齢を重ねてもなお、借り物の思想や哲学、思考で

   「知ったかぶり」の 自分が鏡に写っている。

   そんな時、思い切り背中をどやしつけられる詩がある。

   葛藤しつつ、暫らく黙って考え込んでしまうのである。

         

           寄りかからず

              もはや

              できあいの思想には寄りかかりたくない

              もはや

              できあいの宗教には寄りかかりたくない

              もはや

              できあいの学問には寄りかかりたくない

              もはや

              いかなる権威にも寄りかかりたくない

              ながく生きて

              心底学んだのはそれくらい

              じぶんの耳目

              じぶんの二本足で立っていて

              なに不都合のことやある

              寄りかかるとすれば

              それは椅子の背もたれだけ

                             茨木 のりこ

                             1926-2006

                             大阪で生まれる 詩人

不信の根底

   「復興予算」の流用が、次々に明るみになってきている。

   それも各省競うが如くの流用振りである。

   未だ変わることのない実質的 「官僚主導」の実態である。

   一見復興と直接関係のない外務省まで、この予算で、公用車の買い替え・・・

   との声もある。これに対し、低迷している景気「復興」に寄与、というのが

   「頭の良い」人達が捻り出した釈明 らしい。

   こうなると、体制派とか 反体制とかいう色分けなんて関係なく、

   人間としての「道理」の問題といいたくなる。

   「この国のありよう」は、国家予算とその使い方に集約される。

   あらゆる政策も、 社会保障、生活安全 年金 教育 防衛 等々

   全ての懸案は、結局「予算の配分」で具現化される。

   ところが、現状 運用の根本のところの(チェック)システムが壊れている。

   これでは、財政赤字問題もどうにもならない。

   「予算を残すのは損」という気持ちが蔓延している限り赤字は解消しない。

   民間企業、家計も同様である。

   「復興予算」も、策定段階では、国を思う使命感、と倫理観あふれる高邁な

   議論の末に決定されたものであろうが・・・。

   その結果の、 この金の使いようである。

   「未熟な子供に大金を持たせるな」の教えを思い出させてくれる。

   将来の「消費税増税」も果して如何?

   社会保障関係以外に「流用」された後で・・・

   「誠に遺憾」  の釈明は聞きたくない。

忠敬の偉業

   東京・富岡八幡宮の境内に「伊能忠敬」の銅像がある。

   忠敬は、この深川近辺に居を構えていたことから、測量安全祈願で

   詣でていた、という縁から、2001年に当地(全国測量出発の地として)に

   建立されたものである。

01020001                「伊能忠敬」銅像  深川散策の折に写す

   周知の通り、忠敬は、当時としては老境の50代半ばから、17年に及ぶ

   全国測量によって、「全日本沿海全図」を完成させるという偉業を成し遂げた。

   交通不便な当時、文字通り自らの脚を頼りに、全国を巡り、完成に到った

   その地図の精緻さは、当時の世界レベルのそれを凌駕するもの、とも言われて

   いる。

   日本の国の姿(国土)を、初めて鳥瞰的に具体化させた、という点からも、

   日本歴史上画期的な業績の1つといえる。

   当初、「ご隠居の道楽程度」と見ていた幕府も流石に認識を改め、また

   諸外国の対応(防衛)の気運のなかで、途中から全面的に支援、1大

   プロジェクトの位置づけとした。

   (具体的には、金銭面の全面負担、幕府統制による各藩協力体制の確立)

   歴史的、学問的にも、今日、たとえば「紙幣の肖像」に選ばれてもおかしくない

   ほどの偉業ともいえる。

   この業績を、少し別の角度から、2~3 付けたしをしてみたい。

   1つは、忠敬の商才、経営者としての能力についてである。

   忠敬は、若くして伊能家の養子になり、生業の酒・醤油醸造業を営む。

   婿養子の立場ながら、人生の大半をその商いに注力し、莫大な財産を

   残すまでに成長させた。

   隠居の身に退いた後、通常の人間なら、悠々自適に老後を過ごすところだが、

   忠敬はそこからが違った。

   長年の夢を胸に秘め、その実現の為に黙々と蓄財に励んだのかどうか、

   本人しか知るよしもないが、少なくとも、その資金裏付けがなければ、

   その後の偉業も適わなかったことは間違いない。

   当初(蝦夷地測量)は全て自費で、しかも相当の金額をつぎ込んで

   行ったようである。

   偉業の前提に忠敬の商才あり、である。

   2つめに注目したい点は、測量を実行させるに到る動機である。

   そもそもこの1大プロジェクトに発展する全国測量の、当初の忠敬の

   思い(動機)は、「地球の大きさ」を測りたい、知りたい、とする少年のような

   夢の実現を起点としている。

   そこには、いわゆる世俗的な金儲けや功名心などなく、極めて純粋な

   ものであったらしい。

   小さい頃からの興味を、晩年になってからも思い興し、それを実行に移す

   なんともうらやましいような話ではないか。

   因みに、忠敬が計算した地球の大きさは、その後、科学的に計算された

   数値とほとんど誤差がなかったといわれている。

   3つめは、あらゆる行動のベースとして、大切なことでもあるが、

   忠敬の健康、体力の強さである。

   やはり大きな仕事を成し遂げるためには、体力あって・・である。

   当時の50代半ばから70代といえば、完全に老境の身である。

   その忠敬が、17年という年月を掛けて、延地球1周とも言われる距離を

   完歩しているのである。

   この現実の前には、誰もが感嘆の声しかない。

   強い意志、目的意識、さらには、自ら好きなことを好きなように・・・ということも

   寄与しているのであろうか。

   なお、実は地図が完成する目前で、忠敬は亡くなっているのだが、

   弟子達がそれを秘し、あくまで忠敬が完成させた地図として、幕府に

   届けた、という逸話が残っている。

   、ーーー  日本にも 幾多の偉人 がいたのである ---

   

今も昔も

   残念な事ながら、人間の集団社会においては、常に「イジメ」問題が、

   存在するらしい。

   時々の時代の様相に応じて、多少表れ方を異にするが、その陰湿さは

   一様である。

   江戸の後期、1823年の「松平外記刃傷事件」も、まさに「イジメ問題」を

   背景とした出来事であった。

   旗本においても、新参者をイジメル風潮は習慣化していたようである。

   当時も、不登校ならぬ、「不登城」の症状が少なからず散見された。

   松平外記も、エリート集団の旗本の地位にあったが、日々のイジメに耐え兼ね、

   ある日、堪忍袋の尾を切って,城内において、同僚6人に対し刃傷。

   しかる後、本人は切腹した、というあらましである。

   本人の懐には、「イジメ」云々の書き物があったという。

   幕府としても、見過ごすことができなくなり、事実関係を調査、いじめの実態が

   明らかになった。

   その状況に応じ、多くの関係、同僚が処罰されることになった。

   その過程で、面白い(?)記録が残っている。

   番頭、組頭といういわば組織のリーダー達も責任を取らされたわけだが、

   当初、なんとかこの事件をなかったことにしようと談合し、「6人とも病死」で

   事件のもみ消し、責任逃れを計ったのであるが、結局それが発覚し、

   「御役御免」となっている。

   なお、その後、老中から次のような通達が出されている。

    「今後は古参の者が権高に振る舞い、新参者が迷惑すること、二度と

    起こさぬよう、一同互いに和合してご奉公に励むこと・・・云々」

   これにて一件落着。

   いやはや、人間の行うこと、今も昔も・・・・。

     

   

月と太陽のコラボ

        朝、5時に起床し 早朝散歩。

        古い枝葉が強風で道路に散乱している以外は、

        たいした爪あともなく 一安心。

        「台風一過の秋の空」とは、まさに今朝の青空である。

        塵芥を完璧に一掃したように、澄み切った空気。

        西の空に 満月残る。

        こんなにも大きく、 コンパスで描いたようなまるい月を、

        見るのは、何時の日以来であろうか。

        早朝の 中秋の名月。

        と、東の空に、顔を覗かせたばかりの太陽。

        その輝きは、自然が織り成す最高の色彩。

        正しく、天空に演じられる月と太陽のコラボレーション。

        ふと、この風景を、古代人もみていたのであろうか、と想った。

        遠くにスカイツリーが見える。

                      2012・10・1 感興の赴くままに・・・。

               

        

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