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2012年11月

威風堂々

   資生堂という会社がある。

   東証1部上場の化粧品国内トップ企業である。

   別にこの会社の宣伝をするわけではない。

   日頃同社商品ともほとんど無縁で、内容についてトヤカク言う資格もない。

   関心(感心)はその社名である。

   今更言うまでもないが、同社は、最先端の流行・ファッションに敏感に係る

   業界に属し、その客層も流行に敏感な人達が主流を占める。

   その会社が、今もなお堂々と「○○堂」という古風な名前を維持している事に

   少なからず興味を持つのである。

    1歩間違えれば、今時「○○堂」なんて・・と、社内外で批判轟々の嵐が

   起ってもおかしくないし、時代の流れからしても、業種柄、はやばやと、

   ハイカラな横文字やカタカナの名前に変更していてもおかしくない。

   ところが、「資生堂」として揺らぐところがないのが、いかにもこの会社らしさ、

   である。

   それよりも、凄いところは、「資生堂」という名前が「古臭さ」を感じさせない

   存在に至っているところである。

   これで何か文句ありますか・・とばかりの横綱相撲なのである。

   かなり早い時期に、それまで大企業では一般的だった「制服」を廃止した

   のも同社である。

   ファッション産業の一翼を担う企業が、各人の個性を殺すような制服は

   馴染まないというのがその理由である。

   また、今も続いているのか定かではないが、社員間の呼び名を、たとえ

   相手が役員であっても「○○さん」と呼ぶようにしたのも早い時期であった。

   詳しく知るわけではないが、同社は明治5年 「資生堂薬局」として創業。

   「資性」は中国の古典「易経」の「万物資生」からとっている由。

   今日に至り、長年トップ企業の地位を守っているのは、創業以来の一貫した

   経営理念が受け継がれ、今も生きていることが大きいのではないだろうか。

   「資生堂」の名を守っているのも、それと無関係ではないように思う。

   あくまで部外者の感想ではあるが。

   それにしても、昨今、会社名を聞いても何の会社か解らない企業が氾濫

   しているだけに、純古風な社名がかえって意義深く感じることにもなる。

   そういえば「銀座・風月堂」も、ガンバッテておられます。

   

   

   

名残りの季節

   物事には、夫々「旬」というものがある。

   なにかを行う場合には、最もタイミングのいい「時期、頃合」といったことであり、

   食べ物でいえば、文字通り「食べ頃」である。

   食通は、あらゆる食材の「旬」を心得ていて、「旬を戴く」ことをまず基本に置く、

   というものらしい。

   なるほど、そういうものかと感心するだけだが、

   過日、この説に対し、一寸興味深い話を聞いた。

   「旬を戴く」のは、確かに食の王道には違いないが、

   「ホンモノの食通(通人)は、旬に拘らず」 という話である。

   即ち、 食物には元々 「はしり」 「旬」 「名残り」 の時期があり、

   時々において、それぞれに備わった独特の風味、味わいを賞味すること

   こそが 食の真髄。 というわけである。

   言われてみれば、なるほど 「はしり」を食し、旬のあとの「名残り」を味わって

   はじめて「旬」(その食材の本当)の美味しさがわかる。というわけである。

   食というのも結構奥が深いものである。

   ところで、

   「はしり」 「旬」 「名残り」という言葉を聞いて、ふと頭に浮かんだものがある。

   人間の生涯についてである。

   私なりの素描は、こうである。

          30代まで          はしりの時期

          40代 50代 60代    旬の  時期

          70代~           名残りの時期

   今は寿命も延び、 一応20歳で成人と看做されるが、 まあ30代は

   若造とは言わないまでも、まだ「はしり」の時期でいいだろう。

   人間としての旬(働き盛り) は、やはり40代に入ってから、60代位までの

   30年間といったところか。

   そうすると、70代~は「名残り」の時期ということになる。

   まあ、程よい目安ということではないだろうか。

   70代~の「名残り」といっても、決して後向きではなく、名残りの「今」を

   楽しみ、味わう時期である。

   名残りも「名残りの雪」 「名残りの櫻」と なかなか風流ではないか。

   こう見てくると、人生においても、「旬」を特別扱いする必要もなく、

   はしりの時期、名残りの時期 夫々に 独特の価値、意味合いがある。

   ということがわかる。

   さあ、これから「名残りの季節」を迎える。

   滋味燦燦と日々を過ごしたいものである。

             

   

内輪の独白

   先月亡くなった 丸谷才一の 「思考のレッスン」に次のような記述がある。

   少し要点転記させて頂く。

       「 文筆業者は、まず第一に、新しいことを言う責任がある。

        さらに言えば、

        正しく、おもしろく、そして新しいことを 上手に言う。

        それが 文筆家の務めである。

        もっとも、正しく、おもしろく、新しいことを 上手に  と

        四拍子全部そろうことはなかなか難しい。

        それならせめて

        新しいことを言うのを心掛けるべき

        ・・・・ そして その底流には  「遊び心」が 大切である 」

   幸いにして、文筆業者でもなく、文筆家でもない わが身にとっては

   関係がないといえば、関係のない中身ではあるが、

   こんな「ブログ」でも、何年もこつこつと続けていると、ふとこの文脈に触れて、

   感じるところもあり、いつのまにか勝手に 我が「心得・ 手本」としている。

   勿論、その格差については、充分自覚している上であるが、それでも

   次のような記述にぶつかると、一寸わが身を振り返る。

        「 単なるイミテーションによる文章、 総まとめの文章、

          調べて報告する文章、 ”それだけ” のものを書くのなら

          黙って寝転んでいるほうがマシ・・・」

   まあ、リトルリーグの幼い選手だって、イチローのプレーに憧れる如し、

   ということにしておこう。

   

   この丸谷才一、 往年 かの桐朋学園、音楽科 で、世界的指揮者の

   ミスター小澤を 教えていたことがある。

   といっても、 決して音楽を教えていたわけではなく 英語の教師。

   さて、「遊び心」で・・・・

   そういえば、次のような記述もあったなあ!

       「よい文章とは、 最後まで 読んで貰える文章である 」 

政治家の言葉

   今の政治に暫し沈黙するのは、正直、ようわからんという事。

   不可解な事が起り過ぎるという事。

   さらに加えるとすれば、政治家の発する言葉にすぐ反応して、あれこれ思い巡らす

   「愚」を少しは学習した事。

   ここは1つ一歩下って、じっくりと「演者たちのセリフ」を吟味するに限る。

   「政治は言葉」とは、誰か偉い人が残したような言葉だが、的は外れていない。

   そもそも政治に対する信頼とは・・・、

   政治家が発する言葉が信用できるかどうか。である。

   夫々の政治家が発する言葉について、信頼のモノサシとなりうる指標というか、

   キーワードが少なからず浮かびあがる。

                 トークダウン

                 軌道修正

                 ごまかし

                 誤解を与えた

                 真意が伝わっていない

                 ニュアンスが違う

                 言葉が滑った

                 本意ではない

                 思い付き

                 鵜呑み 受け売り 言いなり発言

                 言っていない(否定)         等々

   政治への信頼は、これらの言葉の数量計算で推計できる。

   政治家の言葉の重みも然りである。

   さて、ここ10年ばかりの実態は如何なものであろうか・・・・。

   勿論、人間だから、言ったことがすべて可能、実現に至らないことは必定。

   だからこそ、逆に言えば、その時々の政治家の言葉に「意味」が出てくる。

   「マニュエスト」も言葉である。

   果して、今回の各党はどうであろうか・・・。

   暫し沈黙ではある、が関心をなくしているわけではない。

   

政界と球界

   善良なる1都民として、12月のW選挙に対し、なんらかの見解を披瀝すべき

   ところだが、ここはおとなしく沈黙を守るのも、1つの自己表現。

   ああだこうだの騒がしい論争は、世の論客達に任せて、「ご隠居」らしく

   じっと聞き耳を立て、しばらくは観察に徹する。

   さて、世の喧騒を離れて、しばし遊びの世界。

   政界というのは、なんとなく球界によく似ている・・・という話。

   政界が球界に似ているのか、球界が政界に似ているのか、

   まあどちらでもいい話。

   今年、球界では巨人がシリーズを制した。

   巨人フアンの諸兄にはまずご同慶の至り。

   ところで、日本のプロ野球は、巨人の球史で大概説明できる。

   生まれてこのかた、「野球は巨人」であった。

   と、ここで「巨人」を「自民党」に置き換えてみる。

   見事、自民党は、「政界の巨人」として違和感を感じさせない。

   戦後、 この国は自民党の長期政権のもとで成り立ってきた。

   「政治は自民党」だったわけである。

   勿論、いい悪いとか、好き嫌いとかは関係のない話。

   さて、球界の方の巨人は、常勝巨人軍として長年球界に君臨したが、

   そのポジションを維持するためには、多少の無理をする、驕りも生じると

   いうものである。

   如何なる組織も「永遠」はありえない、のも世の常。

   かの古代ローマ帝国も内部から崩壊したというではないか。

   江川問題を契機に、ほころびが見え隠れしてきたのは周知の通りである。

   一面、そこからの巨人の底力は並ではなかった。

   ナリフリかまわず、他球団の主力選手を採り、巨人看板の強みで、

   ドラフトを有利に展開させ、なんとか老舗の地位を確保、維持してきたことは

   流石(?)である。

   この姿を「自民党」に置き換えてみるといい。

   戦後何十年と、この国に政権交代なんてあるのか・・とばかりに

   強固な長期政権を維持してきた。

   そのまさかの政権交代が3年前に実現した。

   打って代わる強い政党によって敗北したというよりも、長年の金属疲労、

   内部問題化が真因である。

   その過程を「巨人」と対比させると、結構興味深いのである。

   少し別の視点で覗いてみると、

   従来、巨人をはじめ、球界の各リーダー(監督)は、ある程度候補が絞られ

   従前から予(ヨ)めたものである。

   その球団で長年実績を挙げた主力選手が、その階段を昇るという

   暗黙の路線があった。

   ところが、近年少し様子が違ってきている。

   一部に生え抜きの選手を監督にという力学が残ってはいるが、

   そもそも「生え抜き」が流行らなくなってきている。

   主力選手ほど、球団を渡り歩くのが常套になってきているのである。

   往年の球界では、各球団にその「顔」ともいう選手がおり、最後まで

   そのチームでプレーをする。永久欠番はその名残りでもある。

   これらの流れに加えて、近時メジャーへの道が常態化してきた。

   球界もまさにグローバル化の渦中にある。

   さて、これらもろもろの流れをそのまま「政界」に当てはめてみると・・・。

   新人、中堅議員が政党を渡り歩くことが、珍しくなくなってきた。

   政党の顔ともいうべき古参の議員も党(チーム)を簡単に離れる。

   たとえば、総裁選挙に政治評論家もよく知らないような議員が立候補する。

   総理の座が軽くなったのか、段階を経るコースが曖昧になってきた。

   誰でも手が届く・・・。

   国の根本問題ほど、メジャー(米国)を意識せざるをえない空気。

   グローバルスタンダードの傘の下。 云々

   まあ、挙げていくと なんとなく政界と球界、

   こじつけ対比して観察すると結構面白いではないか。

   さて、今年、原巨人が優勝した。

   と、いうことは12月の選挙結果は・・・・・・・・・ (まあ関係ないか)。

   

  

   

   

      

青山1丁目界隈(2)

          カナダ大使館に東隣接する公園は、

          高橋是清記念公園である。

          高橋是清の邸宅があった場所で、

          是清はここで80余年の生涯を終えた。

          そのいきさつについては、周知の通りである。

          今、当地は記念公園として、近隣の人達の

          憩いの場ともなっている。

          一寸した都会の中のオアシスである。

          11120007

         11120006             

11120005_2                公園内にある 高橋是清像

   

         なお、この公園の並び、カナダ大使館の西隣接ビルの1階は

         「伝統工芸品 青山スクエア(入場無料)」である。

         伝統的工芸品産業振興協会(財団法人)が、がこの4月に

         オープンさせたもので、全国の工芸品、陶芸品 等々が

         数多く展示(販売)されている。

         ふらっと立ち寄るには格好。

         青山通りは、 「大人」 が似合う 散策通り・・・・なのである。 

          

          

青山1丁目界隈

   日頃通り慣れた街路でも、ある日突然更地になっている一角があったりすると、

   さていままで何の店があったのかと、思いあぐねたりする事がある。

   都会の喧騒と多種雑多な光景を、丸呑みにして、漠然とした印象で捉えている

   事によるためであろうか。

   普段見慣れた風景も、少し立ち居地が変わったり、逆方向から眺めたりすると、

   全く今までと違った印象の光景が目の前に拡がることもある。

   都会の持つ、底知れない深さである。

   さて、ここは青山1丁目。

   北東は、東宮御所の森が続くだけに、この辺りから、赤坂見附方面への

   青山通りは、都会の主要道路の割りには閑静で整然としている。

   この通りから眺める風景は、都会的センスにも溢れ、飽きることがない。

   過日、この青山通りに面する、「カナダ大使館」にお邪魔?して、

   その4階から、その正面に拡がる東宮御所の森全景を眺めてきた。

   普段の青山通りも、 上から眺めると、また違った趣があり、違った印象の

   風景がそこに拡がる。

   以下はその折に収めた風景である。

        11120001              大使館4階テラス風空間から赤坂見附方面

        11120003               目の前に拡がる東宮御所 渋谷方向

       11120004             石庭風に設えた空間 東京タワー(遠方)方向 

   

FIVE-YEAR DIARY

   11月に入ると、ボツボツ喪中はがきが届き、書店に来年のカレンダーや

   手帳が並べられる。

   ああ、今年もそんな季節か・・・。

   別に急ぐこともない立場にいるが、それでもなんだか慌しく感じるのは

   いつものことである、

   手帳といえば、

   平成15年から、「5年卓上日誌」を使用している。

   1ページに5年分の記帳ができる日記帳である。

   私の場合は「日記」というよりもメモ代わりの記録帳として活用している。

   この使い勝手の良いところは、毎年同月、同じ頃になにをしていたのかが

   ひと目で解ることである。

   たとえば今年、11月11日に記帳のためにページを開けると、時系列的に

   過去の出来事が目に入るという「仕掛け」である。

   たとえば、2009年は、その日は京都に行っていたことが解る。

   帰りの飛行機が故障で別便に乗り換え・・云々 と余計な事まで書いてある。

   毎年定期健診をいつ頃受け、年賀状を何時出状しているか・・・等々

   一目瞭然なのである。

   さて今年までは 2冊目の2008年~2012年を使っているので、

   来年(70歳)は 新規購入の年。

   5年毎に買うとして、果して今後何冊まで買えるか、

   そう考えるのも一興である。

   年を経て、そろそろ1年毎に切り替えるというのも、正攻法だが、

   なんとなく、いかにも「せこい」

   逆に、思い切って10年日誌(79歳まで)でも買ってみるか、と思っても

   流石にこれまたいかにも酔狂。

   ここは1ついままで通り、5年日誌で手を打つことにする。

   所詮、日記(ノート)というものは、余白を残し、「未完」に終わるモノであるが

   その時が、「一完」という心構えだけは持ちたいものである。

     

滑稽譚

    「滑稽古(コッケーコ)」

    この鶏の鳴き声のような言葉は、どの辞書にも出てこない。

    なぜなら・・・ わたしが便宜的にひねり出した造語だから(笑)。

    言うまでもなく「滑稽」と「稽古」の合成語デアル。

    何故 「滑稽」と「稽古」という対極にあるような言葉に、同じ「稽」という字が

    使われているのか・・・・。

    このミステリアスな事態(字体との掛詞デアル)に真っ向から立ち向かう

    ・・・・・・ ことは、さて置き。

    まずは、手短なところから「滑稽」について。

    これを声を出して読むと 「コッケイ」 

    語感からしてすでになんだか「滑稽」ではないか。 

    この「滑稽」 その語源は結構いかめしい。

    中国の「史記」まで遡るというから侮れない。

    諸説あるが、通説としては、「滑」は 滑る 「稽」は考える の意 とされる。

    滑って考える・・・?

    まあ、そこから時代を経て 饒舌 笑い につながり、やがて今日の

    「滑稽」の意となったとのことである。

    とまあ、一口に言うが、結構ミステリアスな変転ではある。

   

    さて、次は「稽古」についてだが、

    この稽古、一説によれば、 「いにしえを考える」から起因している由。

    やはり 「稽」=考える つながりである。

    稽古が、古を考えること、とはこれまた、なんとも「意味深く」

    ミステリアスな響きを持っているではないか。

    「稽」は、やはり 「考えること」と、「考えて」よさそうである。

    稽古事もボケッとしていては 上達が遅い・・・ということか。

    こじつければ、「稽」は「道」に通じる。

    外来のスポーツ、たとえば野球やサッカーの場合、通常「練習」と言う。

    野球の「稽古」とは言わない。

    これに対し、日本古来の相撲、柔道など、あるいは芸道などは、

    やはり「稽古」がしっくりくる。

    なにか使い分けの基準があるのだろう。

    「道」の精神性と関係があるような気もする。

        さて唐突ながら、 鶏の「コケコッコー」という鳴き声。

        毎朝聞かされると騒音にもなるが、

        朝早くから、あの高音、声の響き は相当「稽古」を積んだ

        プロの声楽家の域である。

        生まれたての鶏ではこうは鳴けない。

        やはり日々の「稽古」の賜。

        当初は、「コッヶ」 「コッケー」としか鳴けなくて、

        聞いていても「滑稽」なほどたよりないものである。

        そのうち「稽古」を積んで「コケコッコー」と

        鳴けるようになるのである。

        最初の「滑稽」も「稽古」を積んで「滑稽古(コッケイコー)」

    この小噺、所詮鶏だけに

    コ コ コ・・・ ココだけの話である。

       

幸福論講義

   11月4日(日)  本日も穏やかな秋日和。

   一橋大學 一橋祭 に出掛け、 「4学部合同公開講義」を聴講する。

   テーマは、 「日本人の幸福度を上げるには?」

     配布レジメには、次のように記されている。

         「誰もが1度は「幸せ」について考えたことがあるでしょう。

         しかし、様々な要素が幸せに結び付いていて、

         どこか、漫然としていると思います。

         今年の公開講義では、そんな幸せについて

         一橋大學の教授陣が学術的に語ります。

         それぞれの視点から視る幸福とは?

         この公開講義を通して、各学部間の特徴や考え方の

         違いを体感できます」

   同じテーマで、4学部 (商学部・経済学部・法学部・社会学部)の各教授が

   持ち時間20分で各々見解を展開。 その後まとめて質疑応答。

   考えてみれば、 「一橋祭」でなければ聴けないような贅沢な企画。

   各部の統一的見解ということではなく、あくまで各教授独自の考え方では

   あるが、やはり各部の専門的な視点でのアプローチと特徴が浮き彫りに

   なるところが如何にも面白く、知的好奇心を満足させる時間であった。

   秋の風爽やかである。

   

迎賓館の庭

        11月1日  古典の日。

        古典とは直接結び付かないが、同日 赤坂迎賓館(赤坂離宮)の

        前庭開放日でもある。

        信濃町から赤坂見附近辺は、好みの散歩道の1つであり、

        秋日和のこの日、散策ついでに迎賓館を訪れた。

        日本でも唯一といわれているネオ・バロック様式の

        西洋風宮殿建築を真近でみられるのも、一見の価値である。

        (小生は2度目の訪問)

        以下は、今回写真に収めた数葉である。

11010010                 正面の正門  内側から撮る

 11010002                 迎賓館 正面

11010009                 概観  後方にホテルニュウオータニ

11010008                右方からの迎賓館

11010003                館 正面入り口扉

  11010007                 庭 花壇

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