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さくら伝説

           世の中に たえて桜のなかりせば

                   春のこころは  のぞけからまし

    周知の通り、古今和歌集 在原業平の歌である。

    意味するところは、

        世の中に 一切桜というものがなかったら

        春ものどかな気持ちで過ごせるだろうに・・・

                            と、 いったところであろう。

    これを、単に 桜をめでる歌 というに留めず、

    識者によっては、この世の哀歓、 栄華の末の滅び、 仏教的な無常観

    さらには、業平の美意識・人生観にまで拡げて論じられているところでもある。

    「渚の院にて、さくらをみてよめる」 とあるが、単に、桜見物での一興で・・

    という「軽さ」だけではなく、何がしかの「深み」を秘めたもの・・という感じはする。

    もしかしたら、「さくら」そのものに対する感受性が、現代人のそれよりも、

    もっと鋭く、深いものがあったのではないか、とふと思ったりするのである。

    一説によると、 「さくら」の 「さ」は 神を意味するという。

    「くら」は 馬の鞍、 座、 場所の意である。

    すなわち、 神のおわす場所(さくらの園)である。

    (現在の季節感 と少しズレがあるが・・)

    春の息吹の頃、神がやってこられる(降りてこられる)。

    人々は謹んで迎える。

    神を迎える季節、 これを皐月(さ・つき)という。

    「さ・くら」は満開にして神の座を設ける。

    酒(さ・け 気)を呑み、豊穣(神の恵み 早苗 さ・なえ)を祈り、感謝する。

    花見は、神と共に・・ の儀式でもある。

    やがて、すぐに神はお戻りになる。 人々は送る。

    「さ・くら」も、たちまちのうちに散り、またもとの世界に戻る。

    1年のうちほんの僅かの期間しか花を咲かせない桜に、昔の人々も、

    華やかなその影に潜む、神秘性、物語性を感じ取り、様々な「伝説」を

    残したのではないだろうか。

    業平の歌も、「桜」への想いを巡らせることで、また違った一面が

    浮かび上がるかもしれない。

    他愛のない夢想のうちに、今年もあっという間に、桜の季節が

    通り過ぎていく。

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