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2013年4月

異様な光景

              大都会は 現代社会を写す大舞台

              そこでは日々 群集が様々な役柄を演じている。

                   とは 誰の言葉であったろうか・・・。

    都会という街を群集にまぎれて歩いていると 思いもよらぬ光景に

    出くわすことがある。

    先日も、毎月の例会(とっても単なる呑み会)で、渋谷に出かけた折の

    事である。

    大変貌の予兆の渋谷を、この目で確認すべく、東横線の地下化の所から

    ヒカリエの周辺を見て廻った。

    と、あるところで 20~30人の若者たちが、一定方向に向かってほぼ

    整然とあたかもなにかを待っている如くに集まっている一団に出くわした。

    何気に見ていると、すぐ事情が解った。

    彼らの前に、AKBかなにかのタレントが数名、派手な衣装で現れたのである。

    それもあっという間の出来事であった。

    彼ら若者達は、一斉に歓声、拍手、そして手を振る。

    タレント達もそれに応える。

    ただそれだけのことである。

    この若者達、といっても 中学生や高校生ではない。

    大半が、20~30代の (恐らく独身)青年である。

    少なくとも何がしかの仕事に従事しているだろうとお見受けする人達である。

    初めて出会ったバラバラの集団なのだろうが、彼らの間には、暗黙のうちに

    一定のルールが出来上がっているのであろう、あたかも事前に訓練した

    ように一斉に同じ行動を起こすのである。

    同好の連帯感というものなのであろう。

    彼らは一往に嬉々とした表情でその一瞬を捉えていたのである。

    これが世にいう、「おっかけ」「おたく族」なのか と 改めて目の当たりにして

    「おじさん族」は、あっけにとられる思いである。

    彼らは、お目当てのタレント達が消えると、その場で解散! 方々に

    散っていったのである。

    それを一部始終観察していた自分がいた。

    その自分を最初から観察していた人がいたら・・・・

    と、思うとなんだか可笑しくなってきた。 まるで「落語の世界」である。

    これら都会で演じられる光景は

    果たして 「異常な光景」 なのか それとも 「平和な光景」なのか。

    あたかも 国会では 憲法論議が再燃してきている。

    

    

    

日本史との接点

   「歴史」は、好きな方と自認している。

   テレビのBS番組も、「歴史モノ」にはつい目をやる方である。

   ただ顧みて、 「日本史」を体系的、専門的に学んだことはほとんど皆無と

   いってよい。

   残念ながら、高校では 「日本史」(選択科目)を採らなかった。

   したがって、学校で学んだ日本の歴史は、中学の歴史の時間で、しかも

   それは社会科の一分野として、終了してしまっている。

   内容的にも とても「学んだ」といえるレベルではない。

   とまあ、そんな事はどうでもいい話だが・・、

   偶々、最近手にした本のなかに、高等学校の「日本史」について、その

   「学習指導要領」の一部(目標)が載っていた。

   一寸、興味深いので、転記してみる。

       「我が国の歴史の展開を諸資料に基づき、地理的条件や

        世界の歴史と関連付けて総合的に考察させ、我が国の

        伝統と文化の特色についての認識を深めさせることによって

        歴史的思考力を培い、国際社会に主体的に生きる日本国民

        としての自覚と資質を養う」

   如何なものであろうか、 なんとも立派な目標設定。

   「よって・・・日本国民としての自覚と資質云々」とは凄いではないか。

   このような目標を指向する授業なら、年齢を顧みず 一度覗いて

   見たいものである。・・・が、

   実際の「日本史」の授業、試験は如何なものであろうか。

   実情を知る由もないが、 たとえば、新聞に載る大学入試問題をみても、

   「日本史」を教える側のご苦労というか、苦悩が想像できる。

   試験では、同時代に生きる人達も、よく知らないと思われるような細かい

   事象までが要求され、それを知らないと点にならないように出来ている。

   「歴史」と今のペーパーテスト(制度)の折り合いが如何にも悪く、

   どうしても「暗記」の容量テストになりがちである。

   一方で、国際化が進展すればするほど、我々日本人は、足許の

   「日本の歴史」 や 伝統、文化などを 1つの教養として身につけることが

   必要であり、日本人は自国の歴史をよく知らないともよく言われる事である。

   このことからも、「歴史を学ぶ」ということについて、今1度、根底から考え直す

   ことが必要ではないかという気がしている。

   ただ、甚だ遺憾ながら? 上記の「学習指導要領」の目標設定には

   敬意を評するが、今更、個人的には 「歴史」を頭に詰め込む作業は

   気が重い。

   精々、司馬遼太郎や 加藤廣 等々の 歴史小説や、種々雑多な

   新書の類を 興味の赴くままに 自由気侭に浮遊することで、

   ご免蒙りたいものである。

     

     

尾生の信

    尾生の信、 という「ことわざ」がある。

    融通の利かない、 バカ正直の意である。  

    物事、世の中には、程度問題があり、臨機応変、機を見て敏な

    行動、対応が必要・・との教えである。

       尾生という男が、橋の下で女と会う約束をしたが、

       女は来ない。 そのうち大雨で水が増してきたが、

       男はそのまま去らず、とうとう橋の柱を抱いて、

       死んでしまった。 という故事による。

                        ( 史記 蘇秦伝 )

    現代の感覚からは、「もっと融通を利かせろよ」 の一言で、

    終わるような話である。

    ところがである・・・・。

    

    ある人が、 ポツリと次のような事を言ったのである。

      「もしかしたら、我々だって、結局、バカ正直に地球という柱に

       しがみ付いて死んでいく存在ではないのか・・・・」

    妙に、考え込ませるような、(哲学的)セルフを吐いたものである。

    そうすると、なんだか 尾生という男、一概に頭から否定出来ず、

    こういうバカ正直な人間が、バカ正直に生きるのもまたいいではないか、

    と、思えてくるのである。

    尾生という男が、なんだか愛おしく、切なくなってくるのが不思議である。

    さてさて、如何なものであろうか・・・・。

    

       

       

         

ネット選挙の導入

   高邁な動機ではなく、単なる面白半分、興味半分で 国会議員のHPを

   覗くことがある。

   特定の意図があるわけではない、思い浮かぶままの遊び事である。

   それでも、夫々、個性というか 「人物」が見え隠れするから面白い。

   中には、「若手タレント」顔負けの、単なる「売名・売り込み」ツールかと

   思われるものから、流石に国会議員、よく勉強されていると、その情報に

   教えられるものまで様々である。

   どの世界も同様、様々な人々で構成されているのがよくわかる。

   特に、「人気」先行の新人議員の場合は、なんだか痛々しいのがある。

   書く事がないのである。

   要は、堂々と報告するような「活動」の実態がないということなのであろう。

   さて、今回、ネット選挙解禁法案が衆議院を通過した由。

   とりあえず条件付解禁だが、いよいよ選挙もIT時代突入。新しい世界を迎える。

   現段階では、特に投票自体が変わるわけではないので、大きな変化はない、と

   いう見方も一部にあるが、それでも、候補者にとっては、「重要課題」。

   当分、 知恵比べ、悪知恵比べで 試行錯誤が始まる。

   勿論、有権者もうかうかしていられない。

   有権者の政治的レベルが、その国の政治レベルとはよく言われる言葉。

   うわべ、や見た目 で選んでいたのでは 痛い目にあうことになる。

   「眼光紙背に徹す」 

   情報洪水のネット社会のなかで、「ホンモノ」を選び出す 「目利き」が

   試されることになる。   

復興のエネルギー

   唐突な話である。

   リアルタイムに知っていたわけではないが、

   岡晴夫の 「東京の花売娘」 という歌がある。

   我々の世代から上の人なら大概知っているに違いない。

            青い芽をふく    柳の辻に

            花を召しませ   召しませ花を ・・・・・

   という アレ である。

   知っているというレベルではなく、

   いつのまにか、 このメロディが 身に付き 

   誰もが 口ずさむことができるのではないだろうか。

         ・・・・ どこか寂しい  憂いを含む

             瞳いじらし   あのえくぼ

             ああ  東京の花売娘 

   

   さて、この歌であるが、

   世に出たのは、  「昭和21年6月」 である。

   改めて、この年を思い興すと、 云うまでもなく

   あの 「昭和20年8月15日」から 1年も経ていないのである

   未だ混沌として、先の見えない世の中で、この歌が受け入れられ、

   隅々に拡がる事実を、今我々はどう捉えればいいのだろうか。

   戦前の 「上海の花売娘」等のシリーズものとはいえ、勿論、テレビも

   CD等もない時代である。

   このような時代背景のなかで、ほとんどの日本人が口ずさむ「流行歌」が

   生まれる。

   この社会的「メカニズム」とは一体どういうものなのだろうか。

   この圧倒的ともいえるパワーというか エネルギーの原点と 戦後日本の

   復興には、なんらかの関連性があるのではないだろうか。

   我々は、戦後の日本の足跡(高度成長から経済大国へ) を知っているので

   現代人の眼から見ると、戦時体制という抑圧された社会から、一気に

   自由で 開放された気分の高まりが これらの「流行歌」に流れたと

   解釈、分析しがちだが、(それも大きな要素であったことは間違いない) が、

   当時の 絶望と 混沌、極貧の内にある人達にとって そんなに簡単な

   「気分一新」 の結果だったのだろうか。

   「東京の花売娘」 その3番の歌詞はこうである。

            ジャズが流れる   ホールの灯影

            花を召しませ   召しませ花を

            粋なジャンパー  アメリカ兵の

            影を追うよな   甘い風

            ああ  東京の花売娘

   繰り返すが これが戦後 昭和21年の「流行歌」である。

   23年には 「憧れのハワイ航路」が流行り始める。

   理屈抜きに 自由への開放感 そのものであるが、

   あまりにもその変幻が明る過ぎて、 かえって地獄を見た人達の諦観、

   割り切り、底力 を感じとるのである。

   なお、戦後復興は、日本全体がその復興の当事者(対象者)

   であり、エネルギーの総合化、集中化が進み、想像以上の

   パワーとなって進展されたが、 局地的、部分的復興の場合

   (東日本震災等)は、理屈、建前論が入る分だけ、ストレートに

   復興パワーに結び付かないところがあるようである。

   それにしても、 今の我々日本人、戦前戦中の人達に比べ、

   いささか、いい意味での「図太さ」を失くしたようにも思われる。

   見受けるのは 小ざかしい図々しさばかりである。

   

    

            

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