« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »

2013年6月

ダイヤモンド富士

     念を押すまでもないが、「富士山」が、「自然」ではなく、「文化遺産」として

     認可された事は、それが「崇高」にして「弧高」の存在ということを、

     より明らかにしたものであろう。

     もしこの日本列島に、「富士山」がなければ、さぞ 平板な国土であったこと

     だろうと、改めて思ったりもする。

     さて、その富士山に絡んだ数奇な話を1つ。

     と言っても、私が発見したり、実証したりしたことでない事は、言うまでもない。

     ほん (本) の 受け売りである。

     その本も今 手元にないので、枝葉の部分はいい加減である。

     さてこの話、どう受止めるかは 人夫々。

     茨城県に 「日立市」 というのがある。 日に立つ と書く。

         (日立製作所の創業地、社名もこの地名からきている由)

     宮崎県に 「日向市」というのがある。  日に向かうと書く。

         (古事記・日本書紀の時代から馴染みがある名前)

     この「日立市」と「日向市」 なんとなく意味を含む市名である。

     何時頃、この名前が付いたのか、私には定かでないが、

     この2つの市(名)には、ある重要な接点が隠されている・・・と

     いうのである。

     試しに、この2つの地点を線で結んでみる。 (直線を描く)

     そうすると、その直線上に、「富士山」がある。というのである。

     さらに驚くべきことに、その線上にはあの「伊勢神宮」も位置する。

     つまり、「日立」 ー 「富士山」 ー 「伊勢神宮」 ー 「日向」 が

     同一線上にあい並ぶというわけである。

     と、いうことで・・・・、

     夏至(だったと思う)には、 日向から日の出を見ると、丁度

     「富士山頂」から 太陽が昇り(ダイヤモンド富士)、 日立からは

     夕陽が、「富士山」の山頂に沈むというのである。(あくまで計算上)

     これは果たして 「偶然」なのか それとも 偉大なる「人智」か。

     「日立」 と 「日向」。  それと 「ダイヤモンド富士」とのコラボ。

     文化遺産「富士山」が絡む、「雄大なロマン物語」である。

     

遠い記憶

     私の学生時代  ― というから、はるか50年も前の話である ―

     

     「小林秀雄」の講演を聴いたことがある。

     中身は、今ではすっぽりと抜け落ちているが、 聴いたという事は、

     あるエピソードによっても、しっかりと記憶に残っている。

     その時、「小林秀雄」は、すでに酒を呑んでいたのである。

     勿論、確認するすべはないが、間違いなく呑んでいた筈である。

     大きなホールの席からも解る程度に呑んでいた。

     だからといって、 呂律が廻らなくなったとか、収拾がつかなくなった、

     というのではない。

     立派に話を終え、大きな拍手を受けられていた。

     くどいようだが、それでも相当呑まれていたことはまず間違いない。

     何百人をも前にして講演をされる人が、事前に・・・・というのは、

     考えもおよばないので、かえって一瞬こちらの方がドギマギする。

     そんなことから、今もその時の記憶がくっきりと残っているのであろう。

     さて、 あの時、「小林秀雄」は本当に酒を呑んでいたのか・・・。

     それが、ある裏付けによって、氷解することになったのである。

     偶々 「水上勉」のある書を読んでいて、全てが解った。

     「水上勉」にとって、「小林秀雄」は、人生の師とも仰ぐ人で、

     共々生前、 あるグループで、毎年正月は湯河原で過すという

     間柄であった。

     その水上勉が、小林秀雄のことについて、様々書き残しており、

     そのなかに、 小林秀雄とは何度も講演会でお供をしたが、

     先生は、講演の前には、「必ず」 お酒を引っ掛けてから登壇された、

     という記述に出くわしたのである。

     特に面白そうでリアルなところを抜粋するとこうである。

       「小林さんは,卓子にブランディの大瓶と水を用意させて

        孤独に呑んでいらっしゃる。

        「話す前ってもんは、いつも いやなものだね・・・」

        呑まなきゃとても気分が出ない、と言いたげに ぐいっーと

        大きくやられるのである。

        いよいよ出番だとわかると顔つきをまじめに 引き絞って

        やおら立ち上がられる。

        その立ち上がりの間のよさというものに、私は息を呑んだ。

        投げやりでなく、真剣に、工夫を重ねてしゃべってみよう

        とする態度がその背後にあって、私は感動したのである」

      「小林秀雄」にとっての常態であったのであろう。

      だからといって、その場限りの無責任というのとは間逆であったらしい。

      ある講演で調子が悪かった翌朝、その日の講演に備えて、ひとり

      公園のベンチで声を出して「演習」しているのをある作家が目撃している。

      酒を呑み続けながら、長時間の論述の中身も、そのまま1冊の本に

      なるほどの精緻なものと言われている。

      また、自宅に「志ん生」のレコードを揃え、「話術」の研鑽?に励んで

      いた、というエピソードも残っている。

      ということで、50年前の  「小林秀雄は呑んでいた?」

      も めでたく決着した。

      遠い、遠い 記憶・・・・の話である。            

     

根深い問題

   大概のニュースも、多かれ少なかれ一過性の要素を免れず、一定の時間と

   ともに消え去るのが大半である。

   ただ、なかには容易に忘れてはならないものがある。

   東日本大震災などは、 今もなお その渦中にある。

   そうしたなかで、復興庁参事官によるツイッターでの「暴言騒動」が露呈した。

   正直のところ、個人のツイッターの内容云々について、あまり興味も関心も

   ないが、個人的な問題として矮小化していいかどうかは「別問題」であろう。

   今回の騒動のお蔭(?)と言ってはなんだが、少なくとも私自身、改めて騒動の

   バックグランドである「復興庁」の役割、機能、実態について見てみようという

   きっかけにはなった。

   そこで「復興庁」の事実関係について主要なところを列挙すると次の通りである。

      発足   2012年2月

            トップは首相 復興大臣が実務を統括

            本庁所在地  東京・赤坂

            現地(東日本)に 3復興局(岩手・宮城・福島)

                下部組織として 支所 事務所 数ヶ所

      役割   被災地に「寄り添いながら」 「前例にとらわれず」、

            「果断に」復興事業を実施するための組織として

            内閣に設置された組織。

            復興に関する国の施策の企画・調整及び実施。

            地方公共団体への一元的な窓口と支援等を担う。

      人事   内閣  副大臣  4名 (うち2名他省兼務)

                 政務官  4名 (兼務)

            官僚  次官

                 統括官  3名

                 審議官  2名

                 参事官 32名 (プロジェクト 32班)

            職員等全体で 約700名

                 各省からの寄せ集め、民間からの出向等で構成。

       予算   5年間で 25兆円規模

               財源は   増税    10兆5千億

                      歳出削減  8兆5千億  等

             今年度は 2兆9千億

                   うち  復興庁独自事業分  7千億

                       復興交付金       6千億  等

            予算執行の仕組みは

                国交省・農水省 が復興関連として起案、それらを

                復興省がまとめて財務省に提出・予算折衝、

                認可されれば復興省経由で他省に配分、

                「各省が執行」する。

     といったところである。

     これら「復興省」の現況を背景として、今回の騒動が生じているわけだが、

     多方面の批判、問題提起等をまとめてみると大体次のような事では

     ないだろうか。

       元々、陣容の寄せ集めが不可避で、官僚の得意とする「前例」が無く、

     実態(復興)の大きさ、迅速性、多方面との関連・調整 等に比して

     いかにもマンパワーが不足。

     発足後の政権交代も微妙に影響。

     有能で真摯に取組んでいる人達も多いのであろうが、組織全体として

     みると、疲弊、ストレス集団に陥っているのではないか。

     本参事官が担当していた、「こども・被災者支援法」も、総論が決まって

     1年が経つが、基本方針の素案も出来ていない模様。

     復興省自体が消極姿勢ではないかと指摘されてもやむをえない状況。

     ツイッターの「白黒付けずに曖昧なままにしておくのも解決策」というのも

     果たして個人的な感慨だったのかどうか・・・。

     多面、1つの法律(支援法)を完全に仕上げるのには、通常5年くらいは

     要するが、これを特定の担当者でかつ短期間で・・というのもあった。

     (元々非常事態での対処はそういうものであるが)

     悪く言えば、「やってられるか・・・」という空気との葛藤があったのでは

     ないか。

     予算の執行についても、果たしてどれだけ被災者の声が反映されているか

     という疑問がある。

     巨額の予算が組み込まれているが、結局、国交省・農水省主導

     (予算案策定・執行)で、「復興省」は「スルー」の役割に陥っているのでは

     ないか。

     たとえば、復興関連ということで、「三陸沿岸道路」や「東北横断自動車

     道路」などが着々と進められている。 〔総事業費 1兆円)

     道路建設は 既存省にとっては「得意技」である。

     それに引き換え 被災者支援は 何分経験も前例も少ない。

     もたもたしている間に「得意技」分野が、復興関連という名目で

     どんどん進行される・・・・。

   等々である。

    1人のツイッターでのつぶやきで、「復興省」全体を想定することは、

    避けるべきだが、騒動を契機に「復興省」の実情を鑑みることには

    意味があるように思う。

    国も地方自治体も図体が大きくなりすぎると、なかなか機動的、効率的に

    動くことが難しくなってくる。

    特に有事(戦争や紛争に限らず)の際の対応について、「復興省」の

    課題・問題点は 後世に 様々な経験・教訓を残すことになる。

    偶々、今回の「騒動」をきっかけに、そんなことを考えさせられたのである。     

              

(訂正)

         過日、このブログ(「不如帰雑話」)で、徳富蘆花の「不如帰」を

         「昭和時代」云々と書いてしまったが、間違いに気付いた。

         徳富蘆花が、明治の人というのは、知っていたが、「不如帰」の

         映画、舞台が 一世風靡 したのが、てっきり「昭和の時代」と

         勝手に思い込んでいたことによる誤り。

         因みに 調べてみると、「不如帰」が書かれたのは、明治31~32年

         との事であった、 謝々。

    

柔らかい頭

   不機嫌も1日、笑って過ごしても1日である。

   ということで・・・・、

   旧聞に属するが、 今年の 「4月1日」 に発表された、

   「YOU MORE CLUB](都内某所の同好団体) の

   「汗・駄句コンテスト」の作品を書き留めておく。

   入選作品(ベストテン)

      男も歳をとれば、女房に頼る。       

         「転ばぬ先の妻」         ( 特別同感賞)

      愛燦燦  哀散々

      日本の詩歌  詩覧  和歌覧    (今年度 最優秀作品)

      若いつもりで、つい度を過ごして・・・ イケマセンね。

         「年寄りの 冷や酒」

      恋つも 愛つも  過去の人

      恋というから  愛にきた

      愛にくるのは   未恋でしょうか    (汗・駄句賞)

      「断酒が済んだ」  早速  「貝と烏賊」 で 「今朝も酒」

      世の親父達も他愛がないものです

          「 楯突く  娘も  好き 好き 」

      御身大切に

          「 胃の中の 皮傷  大貝を  食えず」

      東京の 川づくし

          「 アラッ  噛んだ?  隅だ!  タマげた!!」 

      終りよければ全てよし

          「 昨日の友は  今日も 素敵 」    

不如帰雑話

             鳴かぬなら  殺してしまえ ホトトギス

             鳴かぬなら  鳴かせてみせよう ホトトギス

             鳴かぬなら  鳴くまでまとう  ホトトギス

   信長、秀吉、家康、 それぞれ特質を捉えた、三者三様の言い様は、

   的をえており、三句まとめてみると、なかなかの名句(川柳?)ではないか。

   この句の作者は、「詠み人知らず」。

   平戸藩第9代藩主 松浦 清(号 静山) の作という説もあったが間違い。

   静山の随筆集 「甲子夜話」 (未読) で、 この句を触れており、 それが

   誤って伝わったらしい。

   この「甲子夜話」、 「江戸学」 学究者、趣味人には、必読の書ということらしい。

   時を経て、明治の時代。

   流石の文豪も、「ほととぎす」には従順だった、と言う話が残っている。

   かの夏目漱石の最初の長編小説は、1905年、 高浜虚子の 

   「ホトトギス」に寄稿、 掲載された。

   漱石は、特に題名をつけないまま、本文を虚子に渡したので、虚子が

   最初の一行をそのまま「題名」にして 発表した。

   これが、アノ有名な 「我輩は猫である」。

   虚子がこの名作の「名付け親」であった。

   話は続く・・・。

   1906年、2作目の 「坊っちゃん」も 「ホトトギス」に寄稿、掲載された。

   1回目記載の際、 「ホトトギス」の掲載スペースの関係から、なんと

   虚子が「勝手に」 漱石の文章を手直し(短く)して、記載した。

   文豪漱石の 「ルーキー」時代のエピソードである。

   さて、昭和の時代は、なんといっても 徳富蘆花の「不如帰」は外せない。

   「人間は何故死ぬのでしょう・・」のセリフが一世風靡。

   浪子と武雄 でしたっけね・・・・。

   とまあ、以上 「ホトトギス」に纏わる一口話。

   日本人にとっては、万葉の時代から、ある種 「格」を有する鳥。

   因みに、誰が数えたのか、万葉集には、153首  「ほととぎす」が

   顔を出すとのことでアリマス。

    

     

   

   

詐欺防犯の神話

   世に定着した価値観や、流儀が必ずしも正しいとは限らない。

   時には、流れに棹差すことも必要、と敢えて、ある問題を取上げる。

   「振り込め詐欺」についてである。

   実態に合わなくなってきたので、改めて名称を募り、今回「母さん助けて詐欺」という

   名称が選ばれた、との由、警視庁から発表があった。

   多くの候補の中から、「最優秀作品」とのことである。

   「オレオレ詐欺」 → 「振り込め詐欺」 → 「母さん助けて詐欺」 と

   手口の巧妙化に伴い、後追いでその実態に相応しい名称を、丁寧に対応していく

   この律儀さ、は一体何なんだろう・・・。

   きっとまた新しいポスターを大量に作り、防犯活動推進!

   実は、問題にしたい点は、こんな抹消の話ではない。

   防犯(詐欺)対策の基本的な考え方(警鐘、指導の中身)に関する事柄である。

   

        「自分は絶対詐欺に引っ掛からないと思っている人ほど

        実は詐害の被害に遭いやすい。

        実際、引っ掛かった多くの人は、自分だけは・・・と思っていた人が

        多くを占めている」

   従来より、この「神話」を徹底させ、警鐘、指導してきた結果、今では

   浸透、定着し、多くの人達はこの「神話」を正しいものとして信じている。

   勿論この主旨なり、意図はよく理解できる。

   自分だけは大丈夫と、安易に過信して無防備な状態はいけない、との

   戒めでもあり、間違った教えというわけではないが、それにしてもである。

   これほど、毎日のように新聞等で「警鐘」を鳴らしているにも係らず、

   依然として詐欺被害はなくならない。 一体何故なのだろうか。

   その1つとして、もしかしたら、この「神話」に落とし穴があるのではないだろうか。

   この「神話」の意図自体は間違っていないが、末端(お年寄り)に伝わる段階で

   全く逆の作用を引き起こしているのではないか・・という「疑問」が浮かぶ。

     受け手(お年寄り)の立場で、その心理を想像すると、

         「自分は絶対詐欺に引っ掛からない と思ってはいけない」

         「もしかしたら 引っ掛かるのかもしらない」

         「どうしよう・・・」

         ・・・・・  不安心理が増長

   折角の「神話」が、結果的に お年寄りに 不安心理、不安定な気持ち を

   醸成しているのではないか・・・・。

   各地の防犯講習などでも、指導員は 必ずと言っていいほど、「自分は

   絶対詐欺にあわないと思っている人」を挙手させ、その人ほど 引っ掛かり

   易い と 結果的に「不安心理」を煽っているところがあるのではないか。

   この「神話」を一度見直して、たとえば

        「絶対 詐欺には引っ掛からないという 強い 信念 を 持て」

        「たとえ息子から電話でお金の話があっても絶対乗らない」

        という強い信念を持ちなさい。

        (なんなら 日に1度 唱えなさい)

   と、単純明快、ストレートに 「信念」 を徹底指導する方が、防犯効果が

   高くなるのではないか、と考えるのである。

   また、「被害に遭った人ほど、自分だけは・・と思っていた人が多い」というのも

   論拠としておかしな話ではないか。

   元々、「自分だけは・・・」と思っている人が圧倒的に多いだけの話。

   交通事故を起こしてしまった人だって、「自分だけは・・・」と思っていた

   人が多いのに決まっている。

   「だから・・・云々」 という論法は説得力が乏しい。

 

   毎年詐欺にあう人がこれほどまでに多く続くことに、「なんだか変」と

   「疑問」を感じないなろうか。

   単に、詐欺の手口が巧妙、高度化、している、ということで済ませて

   いいのだろうか。

   なにかもっと根本的なことを我々は見落としているのではないか。 

   というのが この話の出発点であった。

   

        

   

   

「彼は誰」

           04110003

05230003

     6月に入り、日増しに日が長くなってきた。

     午前5時には、すっかり 太陽が輝いている。

     手元のカレンダーには、日の出4:26分。 日の入り18:53分とある。

     今や、「朝型」なので、 気が向くままに 早朝散歩に出る。

     季節は 今。 である。

     夕焼けも素晴らしいが、 夜明けも捨てがたい。

     これら自然の景観の前に、 人は 皆 詩人になる。

     知識ある大人たちは、「地動説」を信じて疑わないが、

     純心な詩人のこころは、暫し 「天動説」。

     歳を経ても、 この世の中 知らないことばかりである。

     黄昏は 「誰そ彼(たそがれ)」という。

     夕暮れの薄闇で、あの人は誰だろう・・・ 詩情溢れる大和言葉。

     まあここまでは 薄ぼんやりと聞いたことがある。

     これと対になっている、夜明け前の薄闇時を 「彼は誰(かわたれ)どき」

     と言うのを初めて知った。 広辞苑にもしっかり出ていた。

     ご来光を待つ富士山頂の人達の間で、似合いそうな言葉ではないか。

     薄ぼんやりのなかで・・・・・ 「彼は誰」。

       

   

« 2013年5月 | トップページ | 2013年7月 »