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2013年12月

熱燗談義

   寒さが身に染みる年の暮。

   ことのほか、日本酒が旨い季節である。

   世界を見渡しても、酒を温めて呑むのは日本酒だけの由。

   昨今、ホットウイスキーやホットワインも出回ってはいるが、   

   これらは、「お湯で割る」飲み方で、酒を温めて飲むという

   のとは基本的に異なるものであろう。

   やんごとなき処でも、日本酒は温めて飲まれる。

   これを「温酒」というらしい。

   いかにも品のいい言いようである。

   我々庶民の間ではもっぱら「熱燗」。

   これでないと、通らないし,そもそも感じが出ない。  

   古来、我が国では、お祝いの席は、やはり日本酒(ご神酒)

   である。

   風聞によると、過日の天皇陛下80歳祝賀の席も、

   お酒は日本酒(それも「温酒」)。

   銘柄は、「月桂冠」だった由。  

   宮中では、やはり銘柄にも気配り、「月桂冠」とか「松竹梅」

   とかが選ばれるのであろうか。

   いくら名酒でも 「鬼ごろし」ではやはりちょっとね・・・。

   当日の招待者は、それぞれ温酒を飲まれた「盃」を

   お土産(記念品)の1つとして頂いた由。

   さて、話は変わるが・・・。

   ある人に勧められて、初めて「ウオッカ」のボトルを買って

   飲んでみた。

   「ウオッカ」といえば、寒い国の巨漢連中が寒さしのぎに

   グイグイあおる強い酒・・というイメージがあったが、

   初めて飲んで、結構いけることを知った。

   流石にストレートでグイグイといった無謀なことは   

   勿論やらないで、小さ目のグラスに氷を一杯入れ、

   そこにウオッカを注ぎ、グラスをゆらしながらちびりちびり。

   柚子かレモンでも数滴たらせばもっと風味が増すのであろう。

   この世の中、手の届く範囲にも、まだまだ未知なるほんの

   小さな驚きや歓びがあるものである。

   さて、今年もまた過ぎていく。

   今年1年を振り返ると、喜怒哀楽、様ざまだが、

   なんとか元気で過ごせたことにまず感謝!

   「飲めるうちが華」 今年もまた、多くのよき飲み仲間

   にも恵まれ、楽しい時間を過ごすことのできた

   ことにも感謝!

   来年もよろしくの気持ちを一杯に

   今年を締めくくることにしよう。   

 

 

 

 

 

 

 

夢のはざま

   さりげない日常の断片。

   夜中、ふと目覚めて 枕元のラジオを付ける。

   丁度 午前3時の ニュース。

   米ドル 104円台 ○年振り 等々

   ラジオを消して 再び眠りにつこうとするが・・・  

   一度起こして仕舞った脳細胞が容易に言う事を

   聞いてくれない。

   えてして、こういう場合、本人が意図しない、

   かつ脈絡のない事柄が頭をよぎるものらしい。

   その日も・・・

   唐突に ミロクボサツは どういう字(漢字)だったかと、

   考えだしていた。

   まてよ、ミロクボサツって、どう書くんだったかな・・・。

   半分眠っている頭のなかで葛藤が始まる。

   といっても、一応 心身ともに健全かつ正常のつもりである。

   恐らく、寝る前に、テレビかなにかで、仏像の画像でもみて

   その残像が、頭の隅にでも残っていたのであろう。

   (と、いうことにしておく)

   さて、ミロクボサツの漢字であるが、

   いくら考えても正確な漢字が出てこない。

   ぼんやりと、ここまで出かかっている歯痒さ。

   結局、解決のないままに・・・

   いつの間にか再び深い眠りに落ちていた。

   さて、話は第二幕である。

   パソコンで、「ミロクボサツ」と入力すると、瞬時に

   「弥勒菩薩」と表示される。

   誰もが知り、疑うことなき4文字である。

   我々は、もうそのことが、常識、当たり前という世を

   享受している。

   なんとも有難い世になったものである。

   その知識を共有し、常識として得たものは、最早その

   プロセスを振り返ることもなく、その常識を前提として

   物事の価値基準が生まれる。

   かくして、今や漢字を思い出すことに難渋するのは、

   夢の中か、精々漢字検定の試験会場位かもしれない。

   一方で、

   「ミロクボサツ」と入力しても なんらかのエラーが発生し

   「弥勒菩薩」と表示されないと、我々は忽ちイライラし、

   本来、感謝し畏敬の念さえ生じる事柄も、その気持ちが

   どこかにいってしまい、時にはパソコンにその怒りを

   ぶつけてしまうことすらある。

   もしかしたら、現代人の不機嫌、イライラの原因の多くは

   そういったことと同類ではないだろうか。。

 

   さて、再度「弥勒菩薩」の漢字について

   この4文字、夫々難しい字でもないのに、思いつかなかった

   のは・・・単に漢字知らずということではあるが、

   少々気休めの説をある専門家が言ってくれている。

   (あくまでエッセー風の軽い読み物のなかではあるが・・)

   「ひらがな、カタカナ、ローマ字は どこかで必ず使っているが

   漢字は、1度も使い、書いたことのない字が、本人が思って

   いる以上に多いものである。

   眼で覚えた漢字が圧倒的に多いため、読めても書けない

   という状況が生じやすい。

   4字熟語など読む機会は多くても、日常的な文章で、

   「書く」ということは案外少ない。したがって読めても

   書けないというその最たるものであろうか」

   むりやり引用の気味も含め、

   真夜中の「弥勒菩薩」から始まったとりとめのない話である。

 

 

 

 

一都民として

    都知事の辞任会見を聞いた。

    去る人のことをあれこれ言うのは本意ではないが、

    一都民として、その感想(ちょっと気になった事)を

    1つだけ・・。

    会見のなかで、政治(政務)のアマチュアであった云々の

    発言があった。 

    果たして今回の問題は、プロとかアマチュアだとかの次元の

    問題だったのだろうか。

    厳しい言い方をすれば、政治家という前に、人として自制

    すべき事、事の善悪、倫理観などの見解の相違にしか

    見えなかった。

    果たして氏のいう「政治のプロ」というのはどういうイメージ

    なのか。

    言わんとすることは分ったが、悪く捉えると、

    政治のプロなら、騒動になるような、こんな

    「ヘマ」はやらないで、もっとうまくやった。というニュアンス

    にもとられかねないではないか。

    全容を知る由もないが、少なくとも、都政が傷ついたことは

    動かし難い。一都民としてのとりあえずの感想である。

 

 

 

敗者の美学

   小さい頃から続いている趣味の1つに「将棋」がある。

   左程強くもないが、今も新聞の将棋欄には目を通すことが

   多い。

   「次の一手」も、当たらずとも遠からず、まあ「ご隠居の道楽」

   といった程度の棋力といったところか・・・。

   さてこの「将棋」。 周知の通り、勝ち負けについては、

   審判や行司といった第三者の判断(判定)に委ねるのではなく

   あくまで対戦当事者によって決着がつけられるという、希有な

   勝負事である。

   道楽将棋ならともかく、人生を左右する大勝負に挑む

   プロ棋士にとっても、自らの判断で勝負の帰趨を判断し、

   ある段階で負けを認め、それを宣言しなければならない。

   敗者にとっては、苦渋の決断である。

   だからこそ、見苦しい負け方は避けたいとする敗者の

   美学が生まれることにもなり、いわゆる「形作り」という

   ことも行われることになるのであろう。

 

   唐突に「将棋」の話に触れたのは、外でもない。

   「敗者」というわけでもないだろうが、

   このところの都議会での「大騒ぎ」問題。

   棋士は、潔く負けを認め、勝者も決して敗者の前で

   ガッツポーズなんてしない。

   「将棋」には、まだ時代遅れの美学が残っているのである。

   さてこの「都知事」問題。 ある新聞のコラムで、

   ボクシングの試合には、セコンドから「タオル」を

   投げ入れるというルール」があるが・・・ という

   大人受けする風刺文を目にした。

 

   この年の瀬に、都民の大半は、おそらく

   「いい加減にせんか!」といったところであろう。   

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