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2014年1月

都会の水底

   同じ沿線上ということもあって、時折気の向くままに

   ふらっと出掛ける 井の頭恩賜公園・井の頭池。

   春夏秋冬の折々、市民に親しまれている憩の地である。

   今、この井の頭池で、水質浄化と外来魚の駆除のため

   全ての水を抜く作業(かいぼり)が行われている。

   さて、その水を抜いたところ、池の底から多数の投棄自転車が

   出てきたというではないか。

   それも約250台と聞いて、唖然とした。

   これはいくらなんで一寸異様な事態ではないか。

   特定の悪徳業者による不法投棄も勿論ゆるせないが、

   これは、明らかに一般市民による一寸した(でき心)の

   集積の結果ではないか。

   だからこそ余計に暗澹とした気分になる。

   皆の憩いの公園、その池に自転車を捨てる・・・

   その集積が・・・・250台。

   水底に投棄された250台の自転車。

   これもまた、大都会の一断面なのだろうか。

    「東京」は、我々が想定しているよりはるかに、

    手に負えないほど巨大になっているがゆえに、

    とんでもないことが水底で起こっている・・・。

    、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国境のない世界

   地球は今、目に見えない国境という名のラインで細々に 

   分断されている。

   人類にとって、宿命的ともいえる、動かし難い現実の姿である。

   ところが、この地球上で随一といっていいのか、国境のない

   世界が存在する。

   それが、 「南極大陸」 である。

   極寒の地とはいえ、なんとか人類が領土権紛争にも至らず、

   したがって 国境のないままに共存共栄の姿を維持している

   希有の「聖地」ともいえる。

   少しくその経緯を辿ってみると、 

   未開の新天地に対し、全く領土権問題が発生しなかった

   とは思えないが、

   南極圏の特異性からも、世界各国が協力して、地球環境を

   調査・研究し、人類共通の財産として守っていかなければ

   ならないとの気運が高まり、

   1957年 世界の多数国により「国際地球環境年」という

   プロジェクトが展開、南極観測がスタートした(日本も参加)

   1959年 主要12ヶ国で「南極条約・議定書」を採択。

   1961年 発効となった。

   これが、今日の「国境のない世界」の精神に繋がる。

   この議定書の主要点は次の通りである。

     Ⅰ、  南極地域の平和的利用(軍事的利用の、禁止)

     2、  科学的調査の自由と国際協力、

     3、  領土権 請求権の凍結

     4、  核爆発、放射性廃棄物の処分の禁止

 

   昨今の領土問題に絡んだ多くの国際紛争をみるにつけ、

   この「南極条約」を思い浮かべるのである。

    人類も やるときはやるじゃないか。

    人類も その気になればできるじゃないか。

   我が国も、目先のエコ問題だけではなく、地球規模の

   環境問題としての「南極観測」に関心とスポットを・・、

   と感じているこの頃である。

 

   突然、次元の低い話。

     以前、南極観測船「宗谷丸」の船内見学をしたことが

     あるが、過日は、国立極地研究所、南極・北極科学館

     見学。 種々勉強させて頂いた。  

     南極観測車(雪上車)の車内も体験。

     と、余計な事ながら・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手酌酒

   酒席では、お酒はそれぞれ注ぎ合って飲むというのが、

   一般的なマナーというものであろう。

   そういう席で、手酌で飲むのは、いかにもいじましいという

   イメージがついて廻るものである。

   ところが、夫々の了解のもとに、各人が手酌で呑むというのも、

   それはそれでほんのりとした粋な呑み方。ということを

   ある人から教えられたことがある。

   大先輩の、そのK氏とは、ある時期ふたりでよく飲む機会が

   あった。

   大体、いつも決まりの小料理屋のカウンター。

   初めての時、席に着くと、k氏は 「お銚子2本」と注文。

   最初の一杯は、お互いに注ぎ合い軽く乾杯。そのあとは・・ 。

   「○○さん、あとは手酌でやりましょう」 と、それぞれの

   前にお銚子を1本づつ・・・。

   大先輩(当時、ある金融機関の役員)であり、気を

   使わせないという配慮もあったのだろうが、その後の

   機会も全く同じスタイルであり、どうやらk氏の1つの流儀

   ということがわかった。

   このスタイルに馴染むと、なんともおさまりがいいのである。

   夫々自分のペースで飲んでいるのだが、不思議なもので、

   いつのまにか、リズムが似通ってくるものである。

   呑み助の「相性」というものであろうか。

   たかが酒の飲み方 されど・・・・。である。

   もしかしたら、k氏は、幾多の酒席を通して、

   「手酌酒」で 「相手(相性)」を瀬踏みしていたのでは・・・?

   さてまた、ある時、テレビ番組で、京都のある老舗店主が

   数人の客人を招いての(正統?)酒席を映していた。

   床の間を背に客人がゆったりと間隔をとって一列に座り、

   主人は、コの字のタテ辺に坐し接待。料理は、各人の前に

   それぞれ箱膳を設え、という位置構えである。

   初めに主人から軽い挨拶、それぞれにお酒を注ぎ、宴が

   始まったと思われるが、さてそれからお酒はどうするのか、と

   見ていると、各人の前にそれぞれお銚子があり、各人が

   手酌で召し上がる。

   それが決して不自然に感じさせないで、なんとも絵になる  

   のである。

   なるほど、こういう設えでは、かえって隣の人に腕を

   伸ばして注いだり、また受ける方も、おちょこを突き出す

   のもなんだか無粋で図柄も悪い。

   ここはやはりゆったりと手酌・・・が雰囲気に馴染む。

   と、感じ入ったものである。

   「手酌酒」もそれなりの風情。 だが

   なかには、手酌に抵抗を感じられる御仁もおられる。

   やはり、その場の雰囲気、状況によりメンバー了解の

   もと、が 前提か。

   いづれにしろ、同じ呑むなら酒は楽しく、

   愉快に飲みたいものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

500号

   「ブログ」で、「私事ながら・・・」というのも変な話だが

   それでも、まあ 私事ながら・・・。

   つれづれに書き綴ってきたこの「ブログ」も、今回で

   丁度500号となった。

   2009年5月に立ち上げたので、今年5月で5年間

   続けることになる。

   今年古希の節目でもあり、ここで1度「総括」をしておくことも

   まあ無意味ではないだろう。

   何故「ブログ」なのか、という素朴な問いが常について回る。

   所詮、個人的日常生活の「公表」ではないかという見方もある。

   また一部政治家やタレントなど、いわゆる「人気商売」の

   人たちの発信ツールという声も聴く。

   確かにこれらの類のブログが多くを占めているのも

   事実なのであろう。

   それらを認めた上で、自分なりに、何故ブログを立ち上げたか

   そして今もそれを続けているのかを改めて明らかにして

   おきたい。

   その理由を一言で言えば、

       老後(リタイアー生活)に、世の中(社会)との

       精神的接点を確保するツールとして使えないか

       と、考えたこと、  である。

   勿論ブログは、あくまで原則一方通行のツールであり、

   なおかつ決定的なことは、全く無名の1市民のブログなんて

   目を通す人たちこそ希有であることは、当然弁えた上での

   取組である。

   したがって、当初より、「公表」するということの意味合い、

   意図が、独特の考えによるものであった。

   歳を経ても、自分の可能なレベルで、社会や経済の

   動きに関心や興味を持ち続けたいという考えが

   ベースにある。

   そのためには、なにか「アウトプット」のツールを持つことが

   精神的な拠り所、力になるのではないか、と考えた。

   個人的なノートや日記の類でもいいわけだが、おおやけに

   するということは、別段「世に問う」といった大袈裟なこと

   ではなく、日常的な感慨、思考、感性を表するにも、

   それなりに、責任や節度を伴うことになる。

   したがって、駄文は駄文なりに、要点を的確にと、

   「推敲」するのも、「公表」がもたらす副次的効用かと思う。

   また、「アウトプット」するためには、それなりに「インプット」

   することが必要になる。

   ブログを続けることによって、多少世の中の動きを捉える

   観察眼が鍛えられ オレはこう考える、こう思う、こう感じる 

   といった思考プロセスの一助にはなっているのでは

   ないだろうか。  

 

   さて、今後についてであるが、一応1000号が大きな節目

   となるが、あまりぎすぎすとした目標設定は本意ではない。

   今まで通りの感性で、感じるままの世界を、短い文章に

   書き綴っていくことにしたい。

   そして、いつのまにか気がつけば1000号・・・

   というのが理想である。

   果たして 如何なることにあいなるか・・・

   まずは 以上 (中間の) 総括。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳の痛い名言

      20代で汗を流さなければ  

                40代で涙を流す。

      30代で知恵を出さなければ

                50代で部下がいなくなる。

      40代で人脈がなければ

                60代で仕事がなくなる

      50代で人望がなければ

                70代で孤独になる。

    作者はよく存じあげないが、何気に目にしたこの「警句」。

    なかなかのモノではないかと、勝手に記させて頂いた。

    古希を迎えたわが身では、いまさらいかんともし難いが、

    それなりに的をえた指摘と 関心した。

    と言っても、若い連中をつかまえてコレを肴に説教を   

    たれる器量でもなく、まあ静かに独りこの名言に 

    「ニヤリ」としているに過ぎないのだけれど・・・。

    せめて古希は古希なりに、

       70代で ○○ がなければ・・・・  

    この○のなかに何が入るか、考えることにしよう。

 

 

 

眺望富士

    太宰の、「富士山には月見草が似合う」をもじるわけでも

    ないが、正月には、その富士山がよく似合う。

    やはり、日本人には格別の山なのであろう。

    年末から年始にかけて、澄み切った空気の青空が

    続いたこともあって、わが街のあちこちからも、

    はるか遠くではあるが富士山がよく見えた。

    ある散歩の道すがら、とある高台のベンチで一休み

    している折、何気に前方の風景に目をやると・・・、 

    なんと丁度遠方正面に富士山がみえるではないか。   

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          ≪樹木の間の丁度正面遠方に富士山)

     回りに誰もいない静かな高台に我ひとり。

     予期せぬ景観に、おもわず「世界遺産独り占め」の

     感慨。しばしの景観を楽しむ。

     デジカメ(望遠)で捉えたのが次の二葉である。
 

         Dsc00242_640x480_2
          Dsc00241_640x480
     誠にもって、正月には富士山がよく似合う・・・  

     と、自画自賛。 

 

 



日常の日々へ

     毎日が日曜日、のような生活ではあるが、

     やはり正月3ヶ日が過ぎると、日常生活に戻る、

     という感慨。  

     年末から年始にかけて専ら孫たちとトランプ等の

     遊びに興じていた。

     元気に孫たちと遊べる人生のなかの限られた時間。

     孫たちも、祖父母と遊びたいとする限られた期間。

     これらがうまく折り合う有限の時期ということであろう。

     孫を相手に遊んでやってやるという気持ちだったが

     もしかすると、孫に遊んでもらっている時間。

     を、過ごしていたのかもしれない・・。・・ とふと思う

     さて、自由気侭な生活で、読書も「必要に迫られて」

     読むことがなくなり、時々の気分、好き勝手に「乱読」

     を楽しんでいる。

     だからこそ、案外、その時々の「精神状態」が反映した

     書物を手にしているのかもしれない。

     ゆく年くる年のこの時期、次の2冊(小説)を読了した。

         遠藤周作 「深い河」 (再読)

         重松 清 「永遠を旅する者」

     感想めいたものは略し、こころに残る一行を

     記しておきたい。

       「・・一人ぼっちになった今、磯部は生活と人生とが 

        根本的に違うことがやっとわかってきた。

        そして自分には・・・・・」    (深い河 より)

     「生活」と「人生」とは違う ・・・考えさせられた一言。

       「因果なもの、慣れていかなければ心が壊れる。

       だが、慣れてしまうと心のもっと奥深いところが

       壊れてしまうかもしれない」 (永遠を旅する者 より)

    心のもっと奥深いところ・・・  考えさせられた一言。

    揺れ動き、流される心のもっとその奥に不動のなにか・・

    ある人はこれを(佛心)というのだろうか・・・・・。

    「馬齢」重ねても わからないことばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新春晴朗

      2014年 元旦 快晴

      通常通り、早朝散歩 初日の出に新年の安寧を祈る

           Dsc00259

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       さて、今年は いかなる年と あいなるか・・。    

       花愛でるも人生。 嵐も人生。

       まあ、じっくりと参ろうではありませんか ご同輩!

 


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