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2014年5月

公的年金の運用

   高齢化社会の本格的到来で、益々公的年金の管理、運用は、

   国を揺るがしかねない重要なテーマとなる。

   その割に、案外国民の関心は左程強くない。

   余程の事態(巨額の運用損失等)でもない限り、日頃メディアも

   あまり取り上げない。

   かくゆう私も、運用実態・実績を細かくフォローし、掌握している

   わけでもなく、精々資産総額が120~130兆円という程度しか

   把握していない。

   我々は、過去に手痛い体験を負っている。

   例の悪名高い「旧年金福祉事業団」のやり放題の資金流用

   (そう言えばユートピア・・なんとかありましたネ)

   等々から、結果的に気が付けば巨額の資産減!

   流石に、その事業団は平成13年に廃止、年金資金運用

   基金を経て、現在は「年金積立金管理運用独立行政法人」

   が管理・運用を所管している。

   まあ我々の大切な資金をしっかり管理、運用して頂いている

   とは思うが、時には我々もその実態に関心を持ち、チェック

   することも必要かと思うわけである。

   さてそんな中で、やや旧聞に属するが、

   財務大臣が、この行政法人に関連した発言をされていた。

   資金運用構成の動き(株式運用構成のウエイト増)である。

   その背景、意図等詳しくは知らないが、

   これを聞いた第一感は、成程 現「積極少壮内閣」らしい

   知恵者がいるものと感心した。

   (この検討自体は従前から行われていたことではあるが・・)

   言うまでもないが、資金の株式市場投入増は、株価、

   景気、成長にプラス材料となる。

   因みに、現在の資産運用構成を調べると次のようである。

         国内債券    60.14%

         国内株式    12.  92

         外国債券     9.  82

         外国株式    12.90

         短期資金     4.22

   私も、もう少し株式構成を高めること(広義のアクティブ運用)

   に賛成である。

   但し、釈迦に説法、ハイリターンにはハイリスクが付きもの。

   大損は勘弁してほしい。

   世の中、なんだか強気満々の気運が漂っているだけに

   「気合」だけでなく、くれぐれも冷静な対処を・・・

   と、老婆心ならぬ 老爺心の一言。

 

 

 

 

 

 

 

改革の要諦

   改革の要諦

      ( 「瀬島龍三」 の続き )

 

   「瀬島龍三」の参謀としての力量の凄さは、単なる試案を

   具申するアイデアマンの領域をはるかに超えたところにある。

   およそ人間の習性として、従来方式、現状体制に固執する、

   いわゆる保守性が多かれ少なかれあるものである。

   あらゆる改革は、まずこの保守性との対峙から始まる。

   参謀としての真骨頂は、現状に囚われず、常に一歩二歩先

   を見据えての改革、施策を具申し、さらにはそれを組織全体

   に周知徹底させ、実行、実施に至らせる力技である。

   「瀬島龍三」は、それを身に付けた希有の名参謀といえる

   のではないだろうか。

     (名参謀であればあるほど、その分、敵も多くなるのは

      歴史が示しているところである。)

   「瀬島龍三」は、あるところで、「ノウハウ」の一端とも

   思える事柄を供述している。

   私なりにそれを要約するとこうである。 

    「 改革を成功させるための最も重要な戦略は、

     上と下をまず攻めること。

     改革には、常に反対勢力があり、最初に中間層で

     いくら議論を重ねてもエネルギーの摩耗。  

     失敗のケースは大半がこれである。」

   上と下について、具体的に「国鉄民営化」を例に

   次のように説明している。

   国鉄民営化は、中曽根内閣の第二次臨調(土光会長、

   瀬島副会長)によって、実施に至ったが、

     「 上というのは、この改革成否を左右する権力者は

       誰か・・であり、それを適格に押さえることから

       全てが始まる。

       この例では、当時の最大派閥の「田中角栄」。

       田中角栄の全面協力を取付けたことから、

       属議員たちの反対勢力が一気に減退した。

       下というのは、一般大衆からの信頼、空気をいかに

       醸成するかどうかということ。

       この例では、土光会長の庶民生活が大きく寄与。

       もし、中間層主導(関係省・官僚→諮問機関→

       中曽根内閣→国会)という通常のオーソドックスな

       手法だけでは、反対運動(国労等にとっては死活

       問題)で、頓挫していたであろう」

   個々については様々な意見もあろうが、

   やはり、百戦錬磨の体験の持ち主。

   その戦略にも個性的で興味深い。

   今もなお、この「瀬島龍三」の行動と戦略。

   多くのヒントが内包しているように思うのだが、

   果たして如何なものであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和の参謀

   地元、国分寺の図書館には長年通い慣れ、今ではそれが

   生活の一部になっているほどである。

   この図書館に昭和のある時期、毎日のようにやってきて

   新聞の縮刷版などを熱心に読んでいた人がいた。

   当時、ある事情からこの国分寺に住むことになった

   「瀬島龍三」である。

   今も、「瀬島龍三」に対する評価は、両極端に二分する。

   その波乱万丈の生涯、光と影が1つのイメージやレッテルで

   捉え切れない謎多き人物として定着しているようである。

   「瀬島龍三」の生涯は、大きく4つに分けられる。

     戦時中、大本営陸軍参謀(軍人:陸軍士官学校首席)

     シベリア抑留(11年間)

     商社、伊藤忠でのビジネス世界(経営戦略)

     臨調・行革参画 (土光行革の実質推進者)

   夫々の時期に興味と関心が強いが、とりあえず、

   伊藤忠時代のエピソードを1つ2つ取り上げてみたい。

   昭和31年8月に、11年に亘るシベリア抑留から帰還。

   偶々、その時期夫人家族が国分寺に居住、とりあえず

   そこに落ち着いたことから冒頭の図書館通いに繋がる。

   昭和33年に伊藤忠に入社するが、それまでの1年半

   ほどは いわば浪人(失業)の身。

   戦後久しぶりに帰った祖国での彼の心境や環境を

   想像すると、いち早く図書館で縮刷版・・という「着眼」

   には瞠目するしかない。

   ある人の紹介で伊藤忠に入社することになるが、

   同社での彼の業歴は次のようである。

   尚、彼の経歴からも防衛庁という話もあったようだが、

   家族(特に娘)の反対で、商社(全くの畑違い)を決断、と

   彼の供述にある。

       昭和33年1月 嘱託社員として入社(係長待遇)

          34年4月 正式社員(航空機部次長)

          35年7月 機械第三部長

          36年10月 業務部長(入社3年目)

          43年5月 専務取締役

          53年6月 取締役会長 

   伊藤忠は、軍人、抑留の経験しかなく、ビジネス世界の

   イロハ、もままならない彼を何故採用したのか。

   彼はこれに関し、あるエピソードを供述している。

   入社1~2年の、試行錯誤中の彼にある日、当時の社長から

   採用理由を聞かされた由。

     「大きな時代変転のなかで、軍から商社への移行、誠に

      気の毒に思う。

      あなたの事は入社前に調べさせて頂いた。

      1つ申し上げておきたいことは、モノの売り買いなど

      商売をやってもらうために採用したのではありません」

   それでは一体何をと思うと

     「世界の大きな動きの中で、日本も激動の時代。

     そうしたなかで、商社は今後どう進むべきか、

     それを考え、研究し、それを我々に助言し、補佐して

     もらいたい」

   総合商社の中でも、旧財閥系の三菱、三井、住友等とは

   微妙に異なる伊藤忠の立ち位置を考え併せると、これらの

   言葉がさらに意味深く感じられる。

   もう1つ、入社3年目に「業務部長」を拝命した時の

   エピソードが興味深い。

   業務部長は、社長直属で、商社ではいわば司令塔的な

   重要ポスト。

   入社3年でまだ社内事情もほとんど知らない彼が辞退を

   申し入れたところ、越後社長(当時)の対応が流石。

   すぐさま全専務を集めて、

    「瀬島君が勘弁してくれと言っているが、どうしようか」と

   相談。

   「思い切ってやれ、我々も応援する」といった各専務の

   声を受けて、社長の決め言葉。

   「当社は今、あらゆる面の改革をやらねがならない時。

    改革は、しがらみのある、いままでの者では出来ない。

    商売は素人だからこそ適任。我々もみんなでカバーする」

   言うまでもないが、

   全員の専務にも協力体制の再確認の場、にしてしまう

   あたり流石、トップ経営者の知恵である。

   こうなると、瀬島龍三も受けざるを得ない。

   が、瀬島龍三も修羅場を潜ってきた「侍」である。

   その場で、「全社から適当なスタッフを10~15名ほど

   出してほしい」と条件を出し、社長の了解を取付けている。

   後日談だが、これらスタッフは、元々優秀な若手社員が

   集められたのか、瀬島チームで鍛えられたのか、後の

   社長や多くの役員を輩出している。

    瀬島龍三の生涯は、「参謀」の生涯であった。

    瀬島龍三が生きた昭和という時代の 「参謀」でもあった。

    瀬島龍三を よりよく知ることは、

    「昭和」という時代をよりよく知ること、に

    なるのではないだろうか。

    その光と影。

    さらに掘り下げてみたい昭和の「参謀」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神宮の森

   「形あるものいつかは朽ち果てる定め」 とはいかにも

   仰々しいが、

   一寸気になるのが、「国立競技場」の先行きである。

   一応の流れとして、計画では この7月にも解体が始まり、

   平成31年3月にも新競技場完成の予定である。

   ところがここにきて、

   現競技場をそのまま維持,改修する代替案が、

   高名な建築家(伊東豊雄氏)から公表との動きが出てきた。

   心情的に、我々世代は1964年の東京オリンピックの

   残照から、今の競技場に郷愁というか、愛着があることは

   否めない。

   一方で、国際競技ルールへの対応、耐震構造化、21世紀

   に相応しい新しいモニュメント(競技場〉の新設、等々から

   その改築も時代の流れと、郷愁を打ち消していた矢先で

   あっただけに、一寸その成り行きが気になったという次第。

   そもそも、今回の新競技場建設計画の過程が、

   充分に満足する情報公開がないままに、なんだか

   行政主導で描かれた図面の通りに進展、見切り発車で、

   という感がしなくもない。

   歴史的景観(神宮の森)、都市計画との調和、巨額の

   予算、等々様々な問題提言や議論があった割に

   案外すんなりと決まったという思いである。

   例えば、「新国立競技場将来構想有識者会議」のメンバー、

   や白熱の議論内容等あまり伝わってきていない。

   代表が文科省元事務次官、他に猪瀬元知事等14名。

   という程度。 

   (余談だが、建設コンペに入賞したザハ・ハディドは

    英国在住の女性建築家。鬼才の世界的評価。

    奇抜過ぎて建築が中断という実績!がある。

    どの程度 神宮の森をご存知か・・・と余計な

    お世話か。)

   これらもろもろのアレコレから、今回の「代替案」公表と

   いうことではないだろうか。

   如何せん、時期を逸したきらいあり。

   7月には解体が始まることになるのだろう。

   来る7年後の東京オリンピック、

   新競技場で堂々とやってください、

   後世の人たちがまた郷愁を感じるような立派なものを。

   これもまた時代の流れである。

 

 

 

 

後日談

    改めて取り上げるほどの事でもないが、

    「後日談」というのは、外でもない 先般の年寄が集まっての

    「白鳥の湖」談義についてである。

    偶々、後日顔を合わせる機会があり、 その時のメンバーと

    一致していたわけではないが、一寸した話のはずみで、

    再び、蒸し返されることに相成った。

    と言ってもご安心。

    流石に、その時のメンバー共々、薀蓄疲れのためか、

    今1つ、盛り上がりに欠けたが、 

    唯一人、このテーマでは新顔のA氏が、新説を披露。

    一同、これに聞き入り、本件これにて落着とした。

    A氏の新説を要約するとこうである。

      「 皆の意見を聞いていて、一寸疑問に

        思ったのは、この作品の主題を白鳥と

        決めつけてかかっているところ。

        本当にこの主題は白鳥かね?

        私はそうとは思わない。

        真のメインは湖ではないのかね。

        メインの湖という舞台に、サブメインの白鳥が

        登場・・・。

        に、芸術性を感じる。

        白鳥の川や沼では今まで残っていない。」 云々。

   なるほど、そういう見方もあるのかと、一同納得。

   つまるところ、このテーマ、「白鳥湖」でどうかと一件落着。

     付記(教訓)

        いつも同じ面々で同じようなことを論じあって

        いてもたかがしれている。

        たまには、 まったく新しい風を吹き込むことで

        想像以上の発想・刺激が生まれる、という教訓。

        同じような考えを持つ人を集めて、議論させても

        想定しうる「具申」しか出てこない。

        (誰かさんにも教えてあげよう・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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