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2014年6月

国立競技場その後

 Dsc00305             (国立競技場‣聖火台)

 

   6月20日 些事で六本木に出かけた折、(呑み・・ではない!)

   気の向くままに、外苑東通りを青山経由 神宮外苑まで

   足を延ばした。

   心の隅に、あの「国立競技場」を見ておこうという「気分」が

   あったのかもしれない。

   「改築問題」については、このブログでもすでに触れたことが

   あるので(5月11日)、重複めいたことは避けるが、

   今もなお、各分野の識者から、種々問題提起されている

   のを見たり聞いたりするにつけ、その帰趨が私なりに

   気になっている。

   「国立競技場」の前に立って、改めて様々な想いが

   去来するが・・・・それはまたの機会に・・・・。

 

 

 

 

 

 

穏やかな坂道

   「坂道」というものは、誠に不思議(?)なものでして、

   上り坂だけの坂道もなければ、下り坂だけの坂道もなく、

   誠にもって・・・・。

   と、なんだか落語のまくらのような出だしになったが、

   国家(社会や個々の人生も)といえども、この高邁にして

   不可識な 「仕掛け」から逃れることは出来ず、

   上昇気流に乗っかっているかと思うと、少しの油断で

   忽ち奈落の底に転げ落ちるという「坂道」に存するらしい。

   ある方の体験(昭和史―戦争体験)によると、

   国が、坂道を転げ落ちる際の兆候は、1941年12月8日

   当時の日本の様相をじっくりと検証すれば解ってくるという。

   その日に至るまでの日本が、どのような状況であったのか

   を冷静に観察すればいいというわけである。

   ただ、窮鼠は猫を噛むが、およそ如何なる組織も、

   追い込まれると「隠蔽」の力学が働く。

   「実態」というものは、通常ゆっくりとあとになって「実感」して

   くるものらしい。

   坂の上の大半の人々は、流れる情勢のままに「提灯行列」

   にくり出す。

   平和な時代に住む我々も、「坂の上の住人」という自覚と、

   それゆえにこそ、「兆候」には神経質過ぎる位が丁度いい

   のではないかと、改めて思う。

   氏によると、

   我々一般国民が感知しやすい「兆候」のチエックポイント

   を5つばかりあげている。

     Ⅰ. 政党(与野党)政治が機能しているか。

          (戦時中は政党解党ー大政翼賛会)

     2. マス・メディアの独立性、役割、機能

          人事介入、誘導、制限強化 

     3. 学問の自由

          言論、思想の自由度 

     4. 文芸・芸術の自由度 

          表現の自由、制限、発禁

     5. 労働組合の役割、機能        

   今日の日本に「兆候」がある、というのではない。

   有難いことに戦後60有余年、平和日本を維持する

   ことができた。

   だからと言って、今後も平坦な道が続くと限らない。

   改めて「坂道の上の住人」の自覚と、「兆候」に敏感な

   国民を願うのである。 

   ただ、それだけである。

 

 

 

ひたむきに走れ

        立ち上がってくれ  手負いの獅子

          そして  ひたむきに走れ

 

        嵐舞うこの荒野には

          お前は あまりにも優しい

 

        立ち上がってくれ  手負いの獅子よ

          そして ひたむきに走れ

 

        倒れても  倒れても

          立ち上がって  ひたむきに走れ

        力尽きるまで  ひたむきに走れ

          この嵐舞う荒野の果てまで

        どうか 立ち上がってくれ

                 手負いの獅子よ

            そして ひたむきに走れ

            疾走の歓喜を 全身に受け止めてみろ

            走り疲れて  力尽きる時がきても

            いいじゃないか

            それが お前の人生だ。

        この嵐舞う荒野に ただ埋もれるよりも

            立ち上がれ

            そして 力尽きるまで

            ひたむきに走れ  手負いの獅子よ。

                         我が祖国の若い君へ

                         そして・・自らの魂にも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公的年金の実情

    6月3日 厚労省が公的年金財政の長期見通しを公表。

   ある筋(といっても変な方面ではない!)から、

   近々発表とは聞いていた。

   ざっと新聞記事に目を通したが・・・

     経済の成長や諸条件が整えば、年金の所得代替率は

     今後100年間50%を維持できるが、少子化等々

     諸条件が悪化すれば、30%台に低下することも・・・と

     なんとも「当たり前」の論理をさも難解、複雑に説明

     して頂いている。

    以下は私の深読み。

    厚労省の本音(長期見通しの結論)は明白。

    ただ、立場上 口が裂けても「今のままでは年金

    破綻、積立金枯渇」とはストレートに言えない。

    そこで、理屈っぽく「年金財政検証の経済条件」を

    8ケースに分け、いかにも詳細な分析の結果として

    その中の1つとしてひっそりと「積立金枯渇」の

    ケースを忍ばせておく。

    いつもながらの見事な官僚の伝統的手法。

    どうか国民の皆さん!「察して下さい」の

    厚労省からのメッセージ、と受け止めた。

    そして、この「長期見通し」が、将来、我々(厚労省)は

    すでに2014年の段階で「警鐘」を鳴らしていたとする

    材料にもなる・・・という筋書きが見えてくる。

    果たしてこの深読み、考え過ぎか 杞憂か?

 

    実はこの深読みさらに続くのである。

    もしかしたら、厚労省の真の狙い(本音)は、これらの

    「深読み」をさせること。

    さらには、年金財政の実態を知らしめ各人に考えて

    もらうこと、そのためにわざと仕掛けが・・・というのが

    私の真の深読みである。

    さてこの深読み云々はともかく、今後この年金財政を

    どうするかこそ大問題である。

    既に官僚マターではなく、

    国民の生活を守る、文字通り「政治」の問題である。 

 

 

 

 

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