« 反骨の人 | トップページ | 視点転々 »

木陰で午睡

   この暑さの最中,熱っぽい直言(?)は脇に置き、

   午睡の寝言のような話を思いつくままに・・・・。

     (お盆の帰省渋滞)

   渋滞30Kとか50Kとかをニュースで聞くと、

   よくもまあと、やや皮肉な目線で懐疑的に見ていたが、

   ふるさとで待つ父や母の心情、孫たちとの限られた交流、

   日本中で数多くの貴重な思い出…。等々がそのバック

   グランドにあると聞かされて少し見方が変わった。

   どんなに時代が変わろうと、

   日本人って(いい意味で)なんだか切ないね。

    (戦後69年)

   今、を生きている人達にとっては、いつの時代も

   常に「戦後」である。

   後世の人達だけが、その時の時代を 「戦前」という。

                   - ブラック冗句 -

    (総合力主義)

   夏の高校野球真っ盛りである。

   各チームの実力基準として「総合力」というモノサシが

   よく使われる。

   確かに、レベル査定での「総合力」は極めて真っ当で

   それなりに説得力もある。

   何よりも、我々は小さい頃から「総合力評価」で育って

   きているので、身に沁み込んでいるモノサシでもある。

   ただ、この「総合力」って果たして何か・・・と

   改めて考えると結構悩ましい。

   例えば、前途の高校野球、優勝校と総合力の相関は

   いかほどなどであろうか。

   案外、「投手力」の相関の方が強いということも考えられる。

   話は変わるが、

   ある大学教授が、入試で、たとえば英語と社会の点数を

   合計する、(結果としてそれらの合計点の順位で合否を

   決める) ということはどういう意味があるのだろうか、と

   問題提起されていた。

   (否定ではなく考えてみると面白いというニュアンス)

   現実論としても、それなりの意味があるのであろうが、

   改めて言われるとさて、と考えさせられるのである。

     (教育)

   教育問題など、およそ門外漢、対極に位置するものが

   いい加減な事を言うつもりはない。

   したがって以下はあくまで他人様のご意見。

   過日、元東大総長の言で、成程と興味深く受け止めた

   ことがあり、それを私なりに要約して記させて頂く。

     一般社会では誰が聞いても正しいということがある。

     例えば、人の真似はいけない、自分で考えることが

     大事といったようなこと。

     これは一見正しそうな考えである。

     しかし、実は

     19世紀の終わりから20世紀にかけて、

     自分ひとりで考えるのではなくて、他人と共に考える場

     として学校や大学が、近代の国民国家としてふさわしい

     組織として整備された。

     社会とは、他人とともに考え、他人とともに行動する

     場にほかならず、それを準備する場として学校がある。

     そこでは、自分ひとりで考えたことなど、ろくなものでは

     ないということをまず教えなければならない。

     自分一人で考えた事の大半は、すでに歴史のなかで

     人類が考えてきたこと。

     それを教えることが・・・・(以下略)

   学校、並びにその場での教育の本質を明快に述べている。

   昨今の個性重視、自主性尊重傾向に対する1つの警鐘

   として受け止めたのだが果たして如何。

 

 

 

 

 

« 反骨の人 | トップページ | 視点転々 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1211385/57106023

この記事へのトラックバック一覧です: 木陰で午睡:

« 反骨の人 | トップページ | 視点転々 »