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2014年10月

ポーランドのポスター

   ムサビ(武蔵野美術大学)の芸術祭には、毎年ふらっと

   出掛けるようにしている。

   今年も最終日、少しの時間、作品群を見て回った。

   と言っても、熱心な鑑賞者というわけでもない。

   正直、今どきの若者の作品は、私には「前衛」過ぎて、

   今一つ、こころに届かない。

   勿論、レベル云々より、当方(世代感覚?)の所為。

   それでも、中にはふと立ち止まって 気になる作品がある。

   どういうわけか、大概は女子大生の作品。

   学生の男女比がどうなのか、知らないが、ここでは

   すでに「女性活躍」が結構進んでいると観た。

   と言ってもあくまで小生の主観。

   さて、同時期、学内で

   「ポーランドのポスター フェイスあるいはマスク」 展を

   やっていた。

   これがなかなかの「拾い物」

   西洋のポスターと言えば、ロートレック位しか

   思い浮かばず、あまり馴染みが無かったが、

   今回、まとまってポーランドのポスターを見る機会を得、

   興味を持った。

   「1枚のポスター」も、時には世の中に多大に影響を与える

   力があることを改めて思い至った。

   参考までに、同展のパンフレットより、一部抜粋させて

   頂く。

     「戦後、新しい社会体制となったポーランドでは、

      ポスターは宣伝告知の役割のみならず、共産主義下

      の検閲や監視を潜りぬけて、政治や社会に対する

      不満、不安を暗に訴える手段となり…(略)

      ・・・その絵画的表現は、人々が共有する記憶や

      欲望、不満、そして歓びを・・・  描き出しました。」

 

ある「真理」

      一本の棒 

          この目の前にある 1メートルの1本の棒

          果たして 長いか それとも 短いか。

          生半可に学問のある人は

          その1本の棒に全霊を傾け

          なんとか理屈を付ける。

          ある人は 長いといい、

          またある人は 短いとも言う。

          真実は

          2メートルの棒に比べれば 短く、

          50センチの棒に比べると 長い。

          ただ、それだけのこと。

          この世は 全て 相互依存の関係。

          人間の 「幸福感」 も よく似たようなもの。

          仏教では これを 「縁起」という・・・らしい。

            ( 最近読んだ本の 受け売り話)

 

 

一枚の写真

       人間の 感性、感覚は面白い。

       一枚の写真からも 頭に描く随想は 人夫々。

       果たして 君は 何想う。

Dsc00318_2      

     生死すらも超越した 不動の置物。

     石の上にも3年どころではない 止まったままの時間。

     亀よ  お前には「時間」という概念がないのだろう。

     忘れられた孤独か それとも悠々自適。

           ー ー ー

     亀よ お前には なんの憂いも苦悩もないのだろうか。

     それとも 静止の体内は 葛藤の渦か。

     亀も、 ジタバタするやつは、早く死ぬらしい。

          - - - -

     亀よ お前は気が付いているのかどうか

     お前のことをじっと見ている人間がいる。

     でも、10分位が限界。

     だって、人間は精々生きて100年だから・・・。

         ー ー ー

     不動の亀は 対峙する人間の誰をも

     「哲学者」にする。

        一枚の写真から 果たして君は何想う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



老境の入り口

        老境にさしかかったとはいえ

        首まで どっぷりと 「俗」に浸かったわが身。

        今更、先人曰くの 「道」や「徳」 云々と、

        触れるのは如何にもオコガマシイが。

        されどなお

        気の赴くままに、 珍しくも

        古書など手にするのも

        老境の ほろ苦さというものか・・・。

 

        何気に 手にした 「老子」全81章。

        一寸気の利いた一文を

        メモしておくことにしよう。

      「  粘土をこねくって 

         ひとつの器をつくるんだが

         器は、かならず

         中がくられて空(うつろ)になっている。

         この空の部分があってはじめて

         器は役に立つ

         中がつまっていたら

         なんの役にも立ちやしない。

         同じように

         どの家にも部屋があって

         その部屋は 空ろな空間だ

         もし部屋が空(から)でなくて 

         ぎっしりつまっていたら

         まるっきり使いものにならん

         うつろで空いていること

         それが家の有用性なのだ

         これでわかるように

         私たちは物が役立つと思うけれど

         じつは物の内側の、

         なにもない虚のスペースこそ、

         本当に役に立っているのだ      」

                      ( 訳  加島祥造 )

新聞を読んで

   誰もが経験している事とは思うが、

   新聞や雑誌を読んでいて、思わず 

   「お前さん、バカなことをいってんじゃないよ」 とか 

   「何を偉そうに下らない事を・・」 と、

   罵詈雑言を浴びせてやりたくなる事があるかと思うと、

   逆に 「そうそう、その通り!俺の言いたかったのも・・・」と、

   気分よく喝采でもしたくなるような記事に巡り合うこともある。

   今回、後者の文字通り、「最近ふつふつと感じている事」 を、

   見事に代弁?してくれているような話を1つ。

   ある大学教授の新聞論説である。

   内容は、「地方創生」に絡んだもので、 要旨を私なりに

   解釈し、その要点を記させて頂く。

     ● 地方創生の「地方」という言葉(エリア)が曖昧である。

     ● 大都会に比し、地方が疲弊という前提だろうが、

        本当にそうだろうか?

        出生率ワースト1 は東京。

        孤立した高齢者が多いのも恐らく東京

        地域の崩壊が最も深刻な地域・・東京

        格差社会の進行        ・・・東京

       決して東京が一番暮らし易いということではない。

       (大都会に比し、地方に問題ありとするのは、

        国民総生産が如何に高いか、税収が多いかという

        「経済的モノサシ」を中心の発想)

     ● 今日の日本は、どの地域もその地域特有の様々な

        問題を抱えている。

          都市問題、農・漁村、過疎、衰退観光地、

          都市難民化等々、地域夫々に深刻な問題。

     ● したがって、「地方創生」という曖昧でムード的な

        言葉で捉えられるようなものではない。 

     ● 現在の課題は、それぞれの地域を再創造して

        行くことで、「地方」創生ではない。

         ー - ー ー ー

   私には、極めて明快な論理と、受け止めることが出来た。

   如何なものであろうか。

   さらに氏も触れておられるが、今日の繁栄は、戦後の

   経済発展によるところだが、それに伴い、各地域での

   様々な深刻な問題が顕在化していることもまた現実の

   姿である。

   これらの諸問題を、夢をもう1度と再び経済の論理、

   経済的モノサシだけで対応して果たしていいものだろうか。

   私には、この「地方創生」も、「女性活躍」までもが

   なんだか、「経済」だけを見据えた「発想」に思えて

   仕方ないのだが・・・・・。 

   ある新聞記事を読んでの感慨である。 

 

 

 

 

 

 

 

栄枯盛衰

   逆らう事の出来ない時代の流れというものがある。

   だからこそ、それに立ち向かう意志とイノベーションに

   意味が生じる。

   個々の企業も、その葛藤の中で、時代と戦う。

   流通・消費業界においても、

   デパート → スーパー → コンビニ という大きな時代の

   うねりのなかで、 既存のデパートやスーパーも、従来の

   概念のままに安住していては生き残れない過酷な世界に

   ある。

   そういうなかで、昭和の後半時期、小売り業界のトップの

   座に君臨していた、あの「ダイエー」も、力尽きるかのように

   その名が消滅、とのことである。

   周知の通り、ダイエーは、大阪千林の一薬局から、一躍

   価格革命とも言われる販売手法で、急成長・急拡大の

   道を辿り、それまで小売り業界のトップであった老舗三越を

   売上高で追い抜き、首位の座に躍り出た旋風は、今もなお

   鮮明に記憶にある。

   その栄光と、その後の挫折の道程は、すでに多くの人達に

   よって分析、論述されているところでもある。

   それらを踏まえた上で、

   少し違った角度・・・遥か遠くの外野席から傍観した

   創業者中内功についての以下、私なりの感想・メモである。

      ー ー ー ー ー

   企業創業者で一時代を築いた多くは、本人夫々の

   資質・能力・努力・先見性といった要素に加えて

   「人」にも恵まれたというところが伺える。

   人を引き付ける魅力、というのが案外重要なファクター

   なのかもしれない。

   ( 「人」 - 参謀、パートナー 助言者、支援者等々)

   たとえば、

      松下電器  松下幸之助には  高橋荒太郎

      ホンダ    本田宗一郎には  藤沢武夫

      ソニー    井深大 と 盛田昭夫

      トヨタ     豊田(石田)     神谷正太郎

      近いところではジブリ 宮崎駿 と鈴木敏夫   等々

   いかにも異質の個性が、離反することなく、夫々の

   特質が融合して相乗効果を生み出しているところが

   興味深い。

   さて、本題の「ダイエー」についてだが、

   関西地区の大手スーパーとして、全国制覇への発展

   途上時期、創業者中内功にも、経営の女房役ともいえる

   「人」がいた。仮にA氏とする。

   中内功が「動」なら、 A氏は「静」の人。

   中内功の積極経営を陰で支え、企業の資金面を含め

   内部全般を取り仕切っていた。

   外部からの目も、おしなべてそのコンビネーションを

   高く評価するものであった。

   ところが、企業としての展開上まさに重要な時期に、

   このA氏が亡くなられたのである。

   結果的に、やむなくそこから、中内功の孤独で、独裁的

   カリスマ経営がより鮮明になっていく。

   企業の拡大に伴い、他業種、多方面から積極的に

   人材を採用した。

   実際、それらの人たちの力も相俟って、ダイエーは

   更なる発展・拡大を続けていく。

   ただ、この進展途上にあって、これらの元々力のある

   人達も、 「有能な部下」にはなりえても、冷静に

   状況を見据える「有能なパートナー」にはなりえなかった。

   それだけ中内功のカリスマ性が強かったという事でもある。

   結果論だが、そこにダイエーの悲劇性をみるのである。

   改めてダイエーの足跡を振り返る時、様々な意味合いで

   A氏のことが思い出される。

      ー ー ー ー ー ー

   創業者中内功には、1度だけお目にかかっている。

   ある小さな流通関係団体の記念総会かなにかの

   席であった。

   氏が少壮の頃、同業の有志と作った情報交換、研鑽の

   場(団体)である。

   すでにダイエーグループトップに君臨していた氏が

   小さな集まりの席にもひょっこり顔を出されて、その

   フットワークの良さに驚いた記憶がある。

   その時頂いた名刺が仰々しさのない、シンプルで 

   「見本」のようなものだったことも併せて、なんだか

   「人間中内功」の一面を見たように感じたものである。

     その「ダイエー」の名が消えるとのこと。

     これもまた 時の流れか・・・・ 合掌

 

 

 

 

 

 

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