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2015年1月

夕映えの富士

   その日、東京は雲一つない透き通るような青空であった。

   冷たい冬の空気ではあったが、明治神宮から代々木方面に

   出て、新宿まで歩くことにした。

   夜の帷までには、まだ少しある頃合いで、こんな日には、

   遠くの山並みまですっきり見えるに違いないと、久しぶりに

   都庁の展望室に昇った。

   何気に立ち寄っただけだが、そこには想像を超えた景観が

   整えられていた。

   今まさに大きな太陽が富士山のほんの近くに沈む直前で

   あった。

   富士の山と夕陽のコラボレーション。

   天空の澄み切った青色と、夕日に染まる紅色。

   それらが一体となって、展望室の大きな窓一杯に

   拡がっていたのである。

   知る人ぞ知る、都心にもこのようなビュースポットが

   あったのである。

   その日も流石に、日没の時間帯を目当てに、西側の

   窓際には、カメラを構える人で一杯であった。

   偶然にも、1月早々、これぞ正しく「眼福」のお年玉。

   「こいつァ 春から・・・」 の心地である。

   下界?に降りると、都会はすでに夜の顔。

   今宵の酒もさぞ旨かろう・・・・と思ったことであった。

 

 

 

 

 

御茶ノ水界隈

   昨日は、ある大学の催しを聴く為、御茶ノ水に出掛けた。

   少し早目に家を出て、久しぶりにその界隈を散策した。

       - - -

   今日の東京の街並みも、徐々にその際立った個性を

   無くしつつある。

   50年も前の話。

      銀座、新宿、上野、淺草・・・と、

      夫々に独特の風情があった。

      今も僅かな老舗が、その土地特有の空気を

      何とか守っているが、

      どこもかしこも同じチエーン店の看板が席巻し、

      どの街も、同色に染まってきている。

   当時、地方(京都)から出てきたばかりの純朴な若者が、

   ほっと心休めるところが、なんとなく関西の匂いを感じる

   上野、浅草と、 それとはまた色合いの異なる この

   御茶ノ水から神田古書街の街並みであった。

   この近辺は、どの都市にもある、いわゆる「繁華街」とは

   ひと味違った文化的風土があった。

   今、この御茶ノ水も若者で賑わう街だが、なんとなく

   新宿や渋谷とは雰囲気が違う所が、この街の個性に

   なっている。

   一寸した角度からみる風景に昔の面影を残す所為

   だろうか。

   久し振りにその面影にカメラを向けた。

   以下はその数葉である。

       - - -

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年始所感

    ー はじめに(神の)言葉ありき 

      ひともまた 言葉とともに生きる -

         - - -

  「一言」 が世界を動かす(事がある)

  「真言」 を見極める。

  「甘言」 に毒あり。

  「多言」 は無用である。

  「失言」 で積み上げてきた積木が潰れる(事あり)

  「有言」 で実行する勇気。

  「諫言」 を聴く度量。

  「寸言」 はユーモアが隠し味。

  「放言」 「流言」 には関わらず。

  「予言」 が当たるのも痛し痒し。

  「無言」 にも力あり、侮ってはいけない。

  「至言」 と時には言われてみたいもの。

  「直言」 こそ王道(とは承知)

     - - -

    「宣言」    この曲視曲言もいつの間にか

            4~5年の年月。

            左程御大層なことでもないが、

            「曲視曲言」はいたずら心の仮姿。

            あくまでも世の中を「直視」し

            想うところをユーモアにまぶして

            ひっそりと静かに綴る日々こそ

            至福なり。 花も嵐も踏み越えて

            今年も元気に続けられれば幸甚なり。

                             ご隠居

 

 

 

 

 

賃上げ事情

   先のブログで、賃上げは 

   「個別企業の事情に基づく労使協議事項」をスジ論との

   ニュアンスで書いたが、

   少し「舌足らず」の感あり、そこで少々補足しておきたい。

   勿論、それ自体は正論で間違ってはいない。

   ただ、「正論」といえども、時代の流れで変容していく事も

   弁えておく必要もあろう。

   現在の「賃金形成」を考察する時、 考慮すべき点は、

   非正規就労者増という就労構造の変化である。

   いわゆる契約社員やパートタイマーの予想以上の

   増加現象である。

   その要素を踏まえて、「賃金形成」を再考察すると、

   今までとは違った風景が浮かび上がる。

   すなわち、企業内の労使協議という視点だけでは

   捉えきれない現実の姿である。

   一方で、景気浮揚策の核心の1つは、具体的な

   賃上げによる一般消費者の収入増(所得増)である。

   (今までの経済政策は肝心なところまで届いていなかった)

   したがって、そこに切り込みたいとする政策当事者の

   意図もそれなりに理解はできる。

   ただ、経済政策は現実の社会をも捉えたある種の

   社会政策・改革でもあり、過去のモノサシや正論で

   は一筋縄ではいかないところにきている。

   旗振り役も大変・・・と書いた所以である。

 

 

 

 

素朴な疑問

   以下は純朴な子供のような感覚でふと覚えた疑問である。

       - - -

   新たな年を迎え、さて今年はどういう年になるか。

   様々な分野で、「予想」が氾濫しているが、

   やはり多くの人達の関心は、「景気」がどうなるか

   ではないだろうか。

   楽観、悲観相俟って様々な意見が飛び交うのは

   いつもの光景だが、結局のところは誰も解らない!

   と、言ってしまうと、もともこもないけれど・・・。

   誰も解らないから「予想」が生まれる。とはある皮肉家の

   哲学者が言ったとか、言わなかったとか。

      - - -

   さて、その「景気」についてだが、

   昨年末の選挙(結果)によって、総理(現政権)の

   景気に対するある種の確信は、より強固になった感

   がある。

   「景気」をよくしてみせる、という自信である。

   それ自体は、誠にもって心強い限りではある。

   だが、そこでふと1つの疑問が頭を過った。

   一国の総理が、自国の景気に関与できる(左右する)

   割合は果たして如何ほどのものか、という原初的な

   命題である。

   その力はおおいにあることは解るが、思いのまま

   (100%)ということはありえない。

   もしそうなら、歴代の総理は皆、景気をよくすることが

   できたことになる。

   それでは50%くらいか、それとも10%くらい?

   年初の我が国株の乱高下の要因も、恐らく国内事情は

   1割にも満たないであろう。

   およそ現在の経済(景気)動向の実態はそんなものである。

   それでは、果たして総理の景気に対する役割、ポジション

   はどう考えればいいのだろうか。

   総理の確信や自信はそれとして、もしかしたら総理の

   それは、景気の「旗振り役」ではないか、ととりあえずの

   思いに至った。

   景気原動力の中心はあくまで中間生産者、消費者である。

   勿論「旗振り役」も重要で必要ではある。

   富士山の8合目あたりで苦労しているグループを

   総理自ら登頂させることは出来ないにしても、

   頑張れ、国を挙げて君たちを応援している、とのシグナル

   を送ることはできる。

   それに励まされ登頂に成功することは十分あり得る、

   総理の景気に対するポジションもそれに似ているのでは

   ないか。

   これら全てを裏返してみると、要するに景気は、総理

   (政治)に頼り過ぎ、何とかしてくれの空気が蔓延して

   いるようでは、力強い回復は望めない、ということになる。

   「アベノミクス」が選挙の争点になった時、感じたことは、

   言うまでもなく、経済政策はよりベターなものを適宜適切

   に選び、果敢に実行していくしかなく、「この道」「あの道」

   どちらかに正解があり、それを選べば必ず成功するという

   風潮にやや危惧感をもった。

   総理のその後の確信と自信に少し違和感を覚えるのは

   そのあたりにもある。

   少し話が変わるが、

   多くの経営者が、政府意向を受けて、賃上げはできるだけ

   可能な限り云々という見解のなかで、ある経営者が、

   賃上げは、個別企業の事情に基づく労使の協議事項、

   と述べていたのを聞いてなんだかほっとした。

   グローバルで益々複雑な世の中。

   旗振り役も本気でないと務まらない大変なご時世

   なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

羊(ヒツジ)の話

   新年らしく羊の話から始める

   今年は羊(ヒツジ)年。

   実は昭和18年生まれの「年男」である。

   団塊の世代より前だが、それでも小学校では

   同学年、2百数十名は居た。

   「戦時下?}でも、子供は生まれるものである!

      -  ゆえに 我あり -

   昨今、少子化問題で頭を悩ませているなんて、

   考えてみれば、贅沢なご時世ではないか・・・。

       - - -

   さて、「羊年」ということだが、

   干支も、精々、年末から年始にかけて、それも年賀状の

   やりとりで、確認(意識)する程度になってしまった。

   その時期が過ぎてしまえば、はて、今年はなに年?と

   考え込む始末である。

   それでもまあ、自分の干支を迎えると、それなりに

   姿勢を正すところが面白い。

   特別に贔屓目に見るところもあるが、それでもやはり

   竜や虎に比べ、如何にも存在感の薄さは否めない。

   「自己主張」のイメージがなく、 なんとなく中途半端な

   存在だが、それでも温和で控えめなところが愛おしい、

   ということにしておこう。

   ところでこの「羊」,出自は結構いいらしいのである。

   その証拠と言ってはなんだが・・・・、

   「美」 「善」 「義」 といった漢字にはほとんど全て

   「羊」が関わっている・・・ と、ある専門家のご宣託。

   「羊」もナメーちゃいけませんネ!

       - - -

         「  美 を 追い求め

            善 を こころがけ

            義 を 重んじる  」

                    -  日経 「春秋」より -

 

 

 

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