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2015年4月

村上ワールド

   昨夜、ようやく村上春樹の、

   「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

   を 読み終えた。

   歳の所為にしたくないが、

   最近、1冊の本を読み終えるのに時間が掛かる。

   集中力が乏しくなってきているのであろう・・・。

   まあ、そんなことはどうでもいい。

     ー - -

   かなり前のことだと思うが、

   このブログでも村上春樹のことに触れたことがある。

   小説に「食べず嫌い」という表現は少し可笑しいが、

   まあ当時、食べず嫌いであったことは本当である。

   どうも彼の独特の文脈というか、文章のリズムに乗れなかった

   ことは確かである。

   ただ、どの作品からか、少しずつ身体に馴染むように

   なってきた。

   愛読者というには程遠いが、なんとなく世界中で読まれて

   いる理由が、ぼんやりとながら解るようになってきた。

   今頃になって!

   ただ、正直に言うと、そのきっかけは小説ではない。

   確か、小澤征爾との対談集かなにかであった。

   そこで、村上春樹という「人間」に少し興味を持ち、

   一寸何冊か本格的に読んでみるか、という流れである。

   このことは、私の今までの趣向に案外大きな影響を

   与える要素でもあったのである。

   「文学」を論じるには邪道なのだろうが、

   いわゆる好きな作家、嫌いな作家のモノサシは、

   案外、その作家自身の「人間性」の好き嫌いが

   大きく作用する・・というのが私なりの癖(へき)である。

   そういえば、今から何十年も前の話だが、

   大阪で、若き日の宮本輝の話を聞く機会があり、

   魅力的な人間(おもろいにいちゃんー彼も根っからの

   関西人)という印象を強く感じ、その後今日まで

   彼の作品はほとんど読み続けている。

   その逆に、ある女流作家の講演を聞いて、あまりの

   薄っぺらい内容にがっかりして、その作品まで

   読む気が失せたことがある。

   なにかと露出度の高くなるご時世、作家も大変である。

     - - -

   さて、話を村上春樹に戻すと、

   彼は若き日、国分寺でジャズ・バーをやっていた。

   当時のことは知る由もないが、どうやら

   我が家とほんの近くに住んでいたらしい。

   店が入っていたビルは今もそのまま残っている。

   すでに、実査、確認済である。

   ご隠居だって、それくらいの「Me Her」的感覚は健在。

   人間のこころは不思議である。

   もしかしたら、村上春樹を読むきっかけ・・・

   潜在的に国分寺という「縁」なのかも・・・・

   勿論、世界的作家 村上春樹にとっては

   全く「余計なお世話」ではあるが。

 

 

 

 

店の灯り

   ある人に連れられて初めて行ったのは、10年程も前の

   ことである。

   その店は、澁谷・道玄坂にあった。

   10人も入れば一杯になる小さな「ジャズ・バー」。

   生演奏という仰々しいものはなく、レコードが数百枚、

   いやもっと収集されているのだろう、BGMのように

   静かにジャズが流れている・・・そんな店であった。

   時折、客のリクエストが入り、すぐその曲が流れる。

   だからといって、肩の張るような雰囲気でもなく、

   あくまでグラスを傾けながらの大人の会話がメイン。

   気が付けば、静かにジャズが流れている・・・

   そんなところが、元々ジャズの知識なんてほとんど

   空(カラ)の私にも馴染むことが出来た。

   その初めての日、

   他愛のない会話のなかで、マスターが漏らした一言に

   興味を覚えた。

   「日本で今売れている○○(女性ジャズシンガー)、

   あれはジャズではありません」の一言。

   決して高飛車のニュアンスでもなく、

   (我が愛する)ジャズは、あんなものではない、という

   一途な誠実さを感じたのである。

   もとよりその是非を判断するなにものも持たないが、

   このマスターのジャズに対する自分なりのポリシーに

   共感させられた。

   それ以来、ポツリポツリと忘れた頃に顔を出し、

   今日に至っている。

     - - -

   ある日、その店を教えてくれた人から

   ○○が今月で閉店、との連絡があつた。

   最後に一寸顔を出しませんか、とのお誘いである。

   このご隠居、古希は過ぎていても、

   このお誘いを断るほど「枯れ果て」てはおりませんゾ。

   早速二つ返事で了解!

   ということで顔を出してきた。

   流石に連日常連客で満員との由。

   ・・・・静かなジャズの流れに身を浸しながら、

   別れのグラス・・・・。

   店の灯りに乾杯! ありがとう そしてお疲れ様でした。

   こうしてまた、夜の窓の灯りが1つ消える。

 

 

名科白

       「人生いろいろ 古典もいろいろ である」

   源氏物語や明治に至る漱石や鴎外だけが古典ではない。

   格調❓の度合いなのか、あまり表舞台にでてこない、

   隠れた古典というのもあるものである。

   偶々手に取った本のなかに、妙に調子のいい文章に

   接した。

   中身は、聞き覚えのある舞台の台本だが、文字にして

   読むと、それはそれでなんともその緩急の良さに感じ入った。

   三代目瀬川如皐の作品(1853年)

   「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」である。

   いわゆる「切られの与三郎」である。

   少し長いが、例の有名な科白の部分を記してみる。

   ( 黙読でもよし 声に出して読んでも 又よし )

      え、ご新造(ごしんぞ)さんえ、おかみさんえ、

      お富さんえ、いやさ これ お富 久しぶりだなぁ

      そういうお前は

      与三郎だぁ

      ええっ

      お主(のし)は おれを見忘れたか

      えええ

       (さて、これからが聞かせどころ、読みどころ)

     「 しがねぇ恋の情けが仇(あだ)

       命の綱の切れたのを

       どう取り留めたのか 木更津から

       めぐる月日も 三年(みとせ)越し

       江戸の親にやぁ 勘当うけ

       拠所(よんどころ)なく 鎌倉の

       谷七郷(やつしちごう)は 食い詰めても

       面(つら)に受けたる 看板の

       疵(きず)が 勿怪(もっけ)の幸いに

       切られ与三と 異名を取り

       押借(おしか)り 強請(ゆすり)も 習おうより

       慣れた時代(じでえ)の 源氏店(げんやだな)

       その白化(しらば)けか 黒塀(くろべえ)に

       格子作りの囲いもの

       死んだと思ったお富たぁ

       お釈迦さまでも 気がつくめえ ~   」

   と、なんとも いやはやこの名科白!

   日本人の琴線に触れるではありませんか。

   これを「英訳」しても、恐らく外国人にはこの歯切れの

   よさと粋は伝わらないのでは・・・。

   「切られ」の与三 を「切られた」与三 ではね。

   ということで、本日は日本の隠れた古典の一席。

                         これにて。

御鎮座400年

   徳川家康は、1616年4月17日 75歳で死去。

   遺命により、同日 久能山東照宮に葬られた由。

   今年は丁度 御鎮座400年であり、大祭が執り行われる。

     - - -

   偶々なのか、地元恒例のバス旅行が、今年は日本平・

   久能山東照宮とのことで、ご隠居も参加させて頂いた。

   朝早くの出発であるが、一段落すると早速飲み物が配られ

   貸し切りバス旅行ならではの、愉悦の1日が始まるのは

   いつものパターン。

   嗜む程度?のご隠居だが、そこはそれ 仲間(中心?)に

   入って、朝からの一杯と洒落込む。

   まして車内は、お互いに敬老精神旺盛な呑み仲間。

   廻りからも気を使って頂いて嬉しい悲鳴!

   さてこれからは、車中でのちびりちびりと 春うらら。

   それでも、廻りに迷惑になるような呑み方をする人など

   誰もいない。

   流石に我が地元。日頃の鍛錬!と、もとより品性豊かな

   面々。

   一応地元の名誉のために付け加えておくことも

   忘れない。

     - - -

   さて、そんなことは兎も角、

   メインは、車窓から続き、日本平でクライマックスを迎える

   富士山三昧。

   東京から見る富士山の目線の角度の違い・・・仰ぎ見る

   富士の山に、流石は日本一と、平凡な感想。

   久能山は300m台の高さらしいが、下からの石段は

   1200余とのこと。

   昔の侍たちの脚力を想像してみる。

   今は、バスとロープウエーで、高齢者も参拝可能。

   この久能山東照宮、訪れるのは初めてであった。

   設計図も満足にない時代、凄いものを建てるものだと

   また驚きとともに感想は平凡。

   現代人もうかうかと、酒ばかり呑んでいては・・・・。

   と、思いつつ車中に戻り、また一献。

         人はただ  身の程を知れ 草の葉の

           露も重きは   落つるものかな 

                      (東照公御遺訓より)

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Dsc00406                                  以上






 

 

 

 

 

日本人の特性

   今どきの若者たちの柔軟な思考や行動をみていると、

   世代を通じて日本人の特性を一枚岩的に論じるのは

   無理があるのかもしれない。

   が、それでもなお、如何にも日本人だな、と合点させられる

   イメージというのがあるものである。

   以下は、今から20年以上も前の事象を扱った話であるが、

   やはり、如何にも日本人!と感じさせるところがある。

     - - -

   ある精神科の先生が、当時の総理大臣から招待状が届き、

   そのパーティに出席しての様相を、いかにも精神科医らしい

   視線で適格にかつ軽妙に描いた本に出合った。

   その会は、官邸内で、各界から多くの著名人を招いての

   昼食会であった。

   そのパーティに出席しての感想や様相を綴ったものである。

     - - -

   氏は官邸に招かれてのパーティは初めてのようであったが、

   その好奇心に満ちた感想と、冷静な観察の妙が洒落ていて

   かつそれらが、日本人論にも思われて関心が増した。

   特に面白く感じたところなどを取り上げてみる。

   (そのままの文章でなく自分なりに要約して)

     初めての官邸。まず警備の警官が皆イケメンなのに

     気付く。彼らの選抜は、昔の近衛兵と同じように

     容姿も関係するのだろうか・・・。

     招待を受けたので手土産を持参したが、誰も

     持ってきてそうもない!

     大きなテント、その下に配置されたテーブル。

     廻りに数々の模擬店。なんだか運動会会場を連想。

     総理が閣僚を従え登場、開会の挨拶。和やかなパーティ

     の筈が、なんだかいつもの演説口調。やはり政治家の

     癖(へき)か。

     各テーブルに閣僚が一人。接待役なのだろうが、

     ビールを注いで廻るだけで、話題に乏しい。

     いつもは廻りを人に囲まれ、威厳たっぷりだが、

     独りだとふつうのおじさん。

     マスコミに出慣れている人は流石に如才ないが、

     案外、座を持てる閣僚が少ないことに驚く。

     各界から大勢集まっている筈の招待客も、横の会話や

     交流が少ない。

     作家は作家同士で集まり、漫画家は隅の一角を陣取る

     という具合である。

     中央のテーブルはベテラン女優やタレント。本能的に

     目立つ場所を選ぶのであろう。

     若手はマネージャーがいないので、独りで静か。

     会場全体の雰囲気が、皆ひそひそと仲間内の会話。

     ウイットに富んだ話が飛び交い盛り上っているとは

     とても思えない。よく言えば皆さん紳士・淑女の様相。

     話の輪から離れているのは、部門からひとり招待された

     人達。

     1つ例外だったのは、宝塚スターたちの立ち振る舞い。

     状況に応じた気配りは、集団生活で鍛えられている

     所為か。

       - - -

   これらが、ある日の官邸内パーティの様相。

   各界著名人の集まりにしては少し寂しい気もするが・・・。

   官邸という環境の所為なのか、あるいは元々の

   日本人らしい慎ましさ?

   恐らく、同業、同類の人達だけが招待されるパーティーなら

   もっと違った雰囲気になるのであろう。

   異業種、多国籍、等々になるとたちまちオトナシク、

   出過ぎないよう横を気にする…。日本人の特性なのかも

   しれない。

   さて、20余年後の今日、果たして官邸でのパーティーは

   如何なる様相なのであろうか。

 

 

 

 

空から見る港

   横浜ランドマークタワー(295m 展望フロワー273m)は、

   大阪のあべのハルカス(300m)ができるまでは、日本一の

   高層ビルであった由。

   従来、下から見上げるだけの建造物であったが、今回

   春の陽気に誘われ、思いつくままに、展望フロアーに

   昇った。(といってもエレベーターでほんの40秒)

     - - -

   余談ながら・・・

   数少ないささやかな自慢話として、今までに全国都道府県

   ほとんど訪れたことがある。というのがあるが、各地では、

   城があれば、必ず見学しており、今までに恐らく数十ヶ所

   は訪れている筈である。

   城がないところでは、まずできるだけ高いビル等の屋上に

   昇りその地の地形、景観を観ることを習慣にしていた。

    - - -

   ところが、東京やその周辺都市では、高層ビルが乱立

   し過ぎていることもあってか、返って関心が薄いきらいが

   あった。

   手軽に適当な高さのビルで間に合わすというのか、未だに

   東京スカイツリーも行っていないし、東京タワーやこの

   横浜ランドマークも昇っていない。

     - - -

   ということで、今回初の「横浜ランドマークタワー」である。

   港町横浜を空からゆっくりと眺める。

   なかなかの貴重な体験、値打ちがあった。

   あえて言葉は不要、写真を添付するに留める。

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Dsc00388                                  以上



長明さんの心境

   鴨長明の「方丈記」 ページ数にして数拾枚である。

   今朝、思いつくままに手に取り読了した。

   但し、毎度のことながら、現代語訳。

   これなら、コーヒー一杯をゆっくり味わう時間で

   読めてしまうので、手に取り易い。

      - - -

   周知の通り、この「方丈記」、前半部分は、地震,火事、飢饉

   の惨状とその果てに至る無常観が綴られ、その結果として

   この世の儚さ、如何に人や棲家が頼りないものかとなり、

   60歳にして出家、方丈での老境、佇まい、その在り方に

   ついてその境地を述べたものである。

     - - -

   今回、特に興味深く感じたところを、自分なりの要約で

   メモ風に記すことにする。

      この世はそもそも暮らしにくい。

      人とその住む家は如何に頼りないものであるか。

      それに拘るのは愚かなことである。

      --以下はその具体例

      ○ 権力者の家の隣に住む。

          喜びにつけ悲しみにつけ、大騒ぎしたり

          大声で泣き叫ぶこともままならない。

          常に気を使ってひっそりと住まねばならない。

      ○ 冨者の家の隣に住む。

          自らのみすぼらしさを恥じ、自宅にさえ

          窮屈に出入りするようになる。

          妻子や召使が隣家を羨ましがる様子を

          見せつけられ、金持ちの横柄な態度にも

          こころ穏やかならず、心休まることがない。

      ○ 辺鄙なところに住む。

          出掛けるのにも不便だし、盗賊に襲われる

          心配がある。

      ○ その他

          権勢を持つものは、とかく貪欲である。

          孤独に生きるものは軽ろんじられる。

          なまじ財産があると不安になる。

          貧しければ、恨みがましくなる。

          人に頼って生きると、我が身が不自由になる。

          人を愛せば、こころがその思いに囚われる。

          世の流れに従えば窮屈だし、従わなければ

          狂人扱いされかねない。

   一体どこに住んで、どのように暮らせば心安らか・・・・

   という想いが、長明さんの行き着いた心境のようである。

   その結果として選択、決断したのが、今風に言えば

   都心から離れた山里の、庵(5畳一間)での独居生活。

   何物にも囚われない、悟り(のような)の境地。

     - - -

   さて、現代の我々はこれをどう考え、どう感じるので

   あろうか。

   少なくとも、俗世間にどっぷりとつかりきり、塵芥のなかで

   生息しているご隠居には、確かに「魅せられる」ところも

   あるが・・・

   未だ長明さんの心境には遥か及ばず!

   といったところで御座います。誠にもってあしからず。

 

 

 

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