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2015年8月

トランプ占い

   米国では、今 「The Donald」 旋風が巻き起こっている由。

   ドナルド・トランプ(69歳) 共和党次期大統領候補である。

   彼は、不動産 カジノ経営などで知られる大富豪。

   純資産5千億円を有する不動産王として名高い。

   風説によると、自己顕示欲が旺盛で、メディアへの露出が

   大好きとのことで、今回その資金力をバックに政界への

   進出を試みたというわけである。

   勿論、不動産経営者として、長年の好不況の波を乗り越え

   大成功を収めているその手腕・実力は誰もが認めている

   ところである。

   一方、数々の過激ともいえる「問題発言」で物議をかもして

   いるのは周知の通りであるが、それ以上に従来の政治

   路線を超越した、自らの言葉で語る本音の政治議論が、

   従来型の政治家にはない魅力として大衆のこころを

   掴んでいるのであろう。

   果たしてこの人気が具体的に形を形成し、次期大統領に

   までたどり着くのであろうか。

   こればかりは、流石に「トランプ占い」でもお手上げである。

    - - -

   さて、彼の問題発言についてだが、

   対中国・韓国、そして日本についても思いきった発言を

   している。

   伝える新聞記事から、1~2抜粋すると、

    「 中国人が嫌いではないが、彼らは米国人から職を

     奪い、工場を奪っていった。

     それなのに、米国は中国に1兆4千億ドルもの借金が

     ある。彼らがよほど利口で、我々の代表が愚かとしか

     思えない」

    「 日本にも同程度の借金がある。先日港で巨大な船

      から日本の自動車が続々と陸揚げされるのを見た。

      米国はその代わりに牛肉や小麦を輸出している。

      引き合うわけがないではないか」

    さらに時節柄か、日米安全保障問題についても発言。

    「 現状の条約は片務的である。

     日本が攻撃されれば、協定上米国は直ちに救援

     しなければならないが、米国が攻撃されても日本は

     何にもしなくてもよい。これでは公平な取り決めとは

     いえないのではないか」

      (追) その後、条約そのものの維持には賛意との

          補足発言があった由。

   如何にも民間企業で勝ち抜いてきた、その経済合理性

   がその底辺にある。

   彼にとっては、現状の米国、相対的な国際影響力、

   経済競争力の低下が我慢ならない。

   そして、再度世界に君臨する強い米国を・・ということ

   なのであろう。

   これら一連の発言の中身、更には、果たして彼が大統領

   になるかならないかは別にして、

   米国も大きく変わる、時代の変動期を迎えているような

   そんな予感めいたものを感じるのである。

   日本も、国内という小さな器の中だけで、「政争」して

   いる場合ではない。

   オリンピックの対応でもそうだが、私利が見え隠れし、

   自らの立場だけを主張する人達の集まりではなく、

   それらを超越してもっと大きな絵が描ける巨人(総合

   プロジューサー的存在)がいないものであろうか。

   我が国も様々な意味で、大きく変わりつつある時代

   なのかもしれない。

 

 

ただぼんやりと

   昨今は、○○のために・・という肩の張る読書はなくなり、

   専ら時々に、関心の赴くままに脈略のない読書を楽しんで

   いる。

   難解な専門書や学術書とは縁遠いが、それでも・・・、

   妙にこころに引っかかり、見過ごしに出来ない、でも

   その意味するところが、解っているわけでもない。

   解ってはいないが、なんだか漠然と凄いことが書かれている

   のではないか…と感じさせる、

   そういう本(箇所)に遭遇することがある。

   そんな時は、とりあえずその部分をメモしておくことにしている。

   解らないままだが、とりあえずのメモである。

     - - -

   以下は、そのメモ書きからの転用である。

    道元に「只管打座」の言葉あり。

    「打座して心身脱落することをえよ」と言う。

    ただひたすらに座れ ということか

    「心身脱落」とはどういうことか・・・。

    以下、紀野一義(宗教学者)の解釈(説明の抜粋)

     「心身とは、心と体である。

     その2つが脱落したら何が残るか

     人間は心と体の2つからできているのではない。

     人間は心と体と魂の3つから成っている。

     心と体は父母から受け、遺伝もするが、魂は違う。

     魂は仏からくるもの。 「霊性」ともいうべきもの。

     心身が脱落したあとに表れくるものは、この「霊性」。

     これがあらわれ出るところを「さとり」というのでは。

     座禅はこの霊性の顕現である。

     座禅して霊性が顕現するのではない。

     座禅していることのなかに、霊性のあらわれがある、

     というべきである。

      - - -

   解った上で書いているのではない。

   解るようで解らない・・・

   でも読み捨て難い何かを感じさせることは確か。

   真理は常に、「うすぼんやり」と 我々の前に

   横たわっている。とは誰かが言った言葉である。

 

 

 

 

国会議員のモラル

   特定の政党の立場でモノ申すほどの確固たる信条はない。

   いいものはいい、悪いものは悪い、それだけである。

   そういう視点で、「一寸俺にも言わせろ」と言いたくなるほどの

   テイタラクな話。

   「国会議員枠」とか称する未公開株の金銭スキャンダルで

   ある。

   報道の通りだとすれば、

   まだ30代の若手議員で、早々と「離党届」を提出し、受理

   されたとのことである。

   その時のコメントが、「プライベートに関する件で、党に大変な

   迷惑をお掛けしていることを大変心苦しく思い、離党届を

   提出した」とのことである。

   彼にとって、対処の優先はまず「党」であるらしい。

   同党のある幹部も、これで一応の「幕引き」(あくまで政党の

   立場)との由。

   この一連の流れ、なんだかおかしくないか。

   これは「政争の具」として、取り扱うようなレベルの問題

   ではなくて、あくまで1国会議員としての倫理感の問題

   ではないのか。

   どの政党の議員か、なんてどうでもいい。

   そんなことよりも、もっと根の深い国会議員としての

   モラルの問題である。

   二期目30代の議員といえば、この国をよりよくしたいとの

   純心な意欲と熱意で、貪欲にあらゆる分野に取り組んで

   いる時期ではないのか。

   それが、「国会議員枠」で云々とは・・・ 

   すぐに権威や権力を振りまく最も下品な人物の典型と、

   哀しくなってくる。

   流石に地元でも批判の声が高まっている由。

   報道の通りの実態とすれば、当然のことであろう。

   全般に、従来より国会議員の行動や発言に対する

   倫理基準が少し特殊なモノサシになってきていることに

   危惧していたところである。

   しいて極言すれば、議員の行動や発言について「党」に

   迷惑さえ掛からなければ・・というのが1つの基準として

   まかり通るという空気についてである。

   本来、国会議員としてのモラルはそうではないだろう。

   と、思うのである。

   如何なものであろうか。

   というモノサシである。

 

 

 

共存の存在

   人間の生活基盤は、まずもって 衣・食・住ということになろう。

   最低限この3要素の確保でなんとかなるものである。

   ところで、70余年生きてきて、いまさらながらではあるが、

   ふとあることに想いが廻った。

   果たしてこの俺は・・・今まで

      一粒のお米を作ったこともなく

      一枚の衣服を織ったこともなく

      ましてや、我が棲家で一本の柱も建てたこともなく

   のうのうと今日まで生きてきた・・・ということについてである。

   全ては人様が作り給いしその恩恵の賜物であることを・・・。

   しかも小貧ながら、なんとか人並みに生きてこられた不思議。

     ー - -

   知恵者は、これを物々交換に始まる市場メカニズムを

   駆使して人間社会の仕組みを解説するだろうが、

   人間社会を経済論理で全て片付てしまう風潮は曲者で

   ある。

   「人は、共存して生き、生かされている存在」ということを

   改めて考えてみるのである。

   一粒のお米を作ったことも無い人間が、生き, 生かせて

   貰える社会。そう考えると自然に感謝の気持ちも生まれる

   というものである。

   果たして自分は何を与えることができるのか・・・・。

 

 

 

火花散る

   野次馬根性で、今回の芥川賞「火花」を読んでみた。

   既に多くの書評・論評が飛び回っているので、

   同じ「くくり」での訳知り顔の感想は避けるとして、

   素朴に第一印象めいたことを1つ2つ。

     選者のひとりも触れていたが、私のようなロートルには

     体力的にも、全体に長過ぎた。

     お笑い芸人(漫才師)としての、ひたむきな熱情が

     十二分に伝わる作品だが、それだけにどうしても

     饒舌になるところがあり、読み手にはそれが

     やや重荷になる長さ。

     思い切って枝葉を削ぎ落せば、さらに「佳品」に

     なるのではというのが素人なりの感想。

     一方、この作品、決してお笑い芸人の「余技」に

     あらずと唸らせる記述が随所に見受けられるのは

     流石。

     個人的に気に入った箇所を転記させて頂く。

    「 世間からすれば、俺達は二流芸人にすら

      なれなかったかもしれない。

      だが、もしも「俺の方が面白い」とのたまう人が

      いるのなら、一度で良いから舞台に上がってみて

      ほしいと思った。

      「やってみろ」なんて偉そうな気持ちなど微塵もない。

      世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。

      自分が考えたことで誰も笑わない恐怖を

      自分で考えたことで誰かが笑う喜びを

      経験してほしいのだ  」

   特に最後の数行は、お笑い芸人の原点とも思われ、

   全てのお笑い芸人が共感する言葉ではないだろうか。

   余計なお世話だが、この「火花」で小説のネタを

   相当思い切って放出したのではないだろうか。

   「一発芸」にはなってほしくないと願う。

 

8月の風

   今夏の暑さは本気模様。

   甞めて掛かると、「熱中症」で搬送。という事態。

   流石にそれは避けたいので、

   好き嫌いは言っておられず、

   エアコンには大変お世話になりました。

   ・・・ というわけで、このところ出歩くことも少なくなり、

   専ら涼しい部屋で読書三昧!と言いたいところだが、

   いやなに、心身ともに気怠い今日この頃、すっかり

   集中力も散漫になり、ただぼんやりと日々を過ごして

   いる始末です。

   そうした中、まあ1つ取り上げるとすれば・・・

   五味川純平原作の「戦争と人間」

   (昭和45~48年日活映画三部作 延べ9:23分)

   を、「観(完)賞」いたしました。

   (因みに日本映画史上最長は同じく五味川純平原作

   「人間の条件」9:31分の由)

   勿論録画で、分断鑑賞とはいえ、9時間以上の映画は

   その腕力から、細かい理屈を言わせない迫力。

   したがって、ここでもそのあらすじや感想を述べる意図は

   全くない、

   流石に「平和ボケ」のご隠居も、色々考えさせられた、

   という一言に尽きる。

   省みると、人間の歴史は、戦争の歴史、

   人間は何故、愚かと解りつつ戦争をするのか

   何故戦争は避けられないのか。

    - - -

   ある歴史学者の言葉をふと思い出した。

    「歴史を学ぶ」のではない。

    「歴史から学ぶ」 のである。 

    - - -

   戦後70年 盛夏 私なりの過ごし方であった。

 

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