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2015年9月

割合の妙

   名門東芝の今回の不祥事(不正会計)は、長年クリーンな

   イメージで捉えていただけに、他人事ながらなんとも後味の

   悪いニュースであった。

   小手先の対処で傷口を深くすることなく、渾身の療法を望む。

   さてその東芝の源流ともいえる、芝浦製作所の創業者

   「田中久重」を詳しく知るきっかけは、極く最近の事であった。

   葉室麟氏の随筆の中の「一本の矢」であった。

   これを大変興味深く拝読させて頂いた。

     - - -

   田中久重は、「東洋のエジソン」 「からくり儀右衛門」と

   呼び称された発明家。

   特に「からくり人形」の制作では第一人者であった。

   上記エッセーは、この田中久重が作ったからくり人形、

   「弓曳童子」に纏わる話である。

   このからくり人形は、ぜんまい仕掛けで4本の矢が

   次々に的に向かって射られ、それらが見事に的に

   当たることで見る人を驚かせる代物である。

   さらに凄い工夫は、(このことがエッセーとして取り

   挙げられた理由) 久重独特の感性というか、洞察力

   の為せる業なのだが、4本の矢のうち1本をわざと

   「意図的」に的から外れるように作ったのである。

   4本とも当たるのではかえって完璧過ぎて面白に欠け、

   わざと仕組んだ1本の失敗が、見る人の心理的動揺

   (起伏)を引き起こし、次の成功で驚きと満足感が倍加

   するというわけである。

   言われてみれば、なるほどと納得し、その示唆に富む

   話に魅せられたという次第である。

    - - -

   さてこの話に触発されつつも、少し本筋から離れるが、

   私なりの貧弱な感性で思ったことがある。

   実は、この4本のうち1本を失敗に仕掛ける、というこの

   割合の絶妙さに感じ入ったのである。

   3本のうちの1本でもなく、5本のうちの1本でもない。

   4本のうちの1本というバランスで作品を仕上げるこの

   感覚に唸ったのである。

   何故かという説明は出来ないし、まして久重さんがそこまで

   計算して作られたかどうか知る由もない。

   ただなんとなく・・・そう思うという一言である。

   もしかしたら、人間の気持ちが落ち着く割合(バランス)の

   妙というのがあるのではないだろうか。

   割合の妙に関して、ふと思ったことは、たとえば野球の

   3割打者というイメージ。 一応強(好)打者の基準ライン

   である。

   この3割という割合も、野球というゲームとしてなんとも

   絶妙な割合ではないか。

   もしこれが1割や5割になるような仕組み(ルール)で

   あれば、野球というゲームの特質が大きく崩れ全く

   別のゲームになってしまうに違いない。

    - - -

   一本の矢の話から余計な話に彷徨ってしまった。

   これもまたエッセーを読む醍醐味の1つ・・・としておこう。

 

 

 

 

 

折り返しの中休み

   暫く「精神的気休め?」の夏休みでこのブログも9月中

   休んでいました。

   早速、旧友から、「もう書くことが無くなったのか」と、

   こころ温まる!メール。

   流石、旧(古)友、痛いところを突いてきますぜ。

   どっこい、充電たっぷり!と、粋がる歳でもなく、まあ

   従来通り、ボチボチと再開することにしますか・・・。

     - - -

   有難いことにこのブログもいつの間にか600回を

   超えました。

   これだけ長く続けてこられたのは・・・

   全て我が「遊び心」のお蔭でゴザイマス(笑)。

   日記を公表するような類の、巷に溢れる「ブログ」とは

   ひと味違う「隠し味」こそ遊び心の神髄。

   だからといって、大層な有名人や政治家じゃあるまいし

   名も無き小貧のご隠居、受け狙いはもとより、

   いまさら世間様に迎合する気もなく、ひっそりと独り静かに

   我が楽しみに浸ることこそご隠居の真骨頂。

     ー - -

   さわさりながら

   ご隠居なりに、世間の動きにはそれなりの関心を持って

   じっくりと観察することにはぬかりはない。

   かの「安保法制」も、冷静にかつ客観的な立場で推考

   しているとそれなりに事の本質が見えてくるものである。

   二極化してしまった双方の「陣営」からの聞く耳持たない

   主張と、それを表層的に捉えて流すだけのマスコミでは

   混乱する筈である。

   極力中立的な立場で、ほとんど全ての国会中継を視聴

   して、ふと考えが及んだことは、この問題の原点は、

   戦後の「我が国教育」まで遡る・・・・、

   と、まあ硬い話はこれくらいにして、

   折り返し時点での 「口上」 はこれにて・・・。

 

 

 

 

 

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