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2015年10月

巡り来る風景

   春の桜や晩秋の紅葉のように、毎年巡り来るその季節

   になると、我々の目を楽しませてくれる風景が表れる。

   毎年、これといった変化、変幻をみせるわけでもないが、

   あたかも古典落語を聴くように、その都度新たな感興が

   生れ、魅せられるものである。

    特に、それなりの歳を経て、ああ今年もこの風景を観る

   ことが出来たという感慨が加わるだけに、その赴きは

   なおさら貴重である。

    今年も10月の半ば過ぎ、「コスモスの丘」に足を運んだ。

    視界一杯に拡がる何万ともいわれるコスモスの花々が、

   今年も迎えてくれた。

    いつもと同じような図柄ではあるが、「今年」のコスモスを

   写真に収めた。

    こうして私も、1つ1つ、歳を重ねていくのであろう。

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マイナンバー雑論

 今月にもマイナンバーが全国民に通知とのことである。

本制度については、賛否入り混じり騒がしいことだが、達観

境地のご隠居には、まあ全て想定内の範疇で、驚くこともない。

なに、左程関心もないというのが本当のところである。

 といって無視するのも気が引ける。今年のトピックスの1つでも

あり思いつくままの雑論も無意味ではないだろう。

  - - -

 あまり深く考えたこともないが、そもそも個人番号というのは、

管理・統制する側の利便性・効率性のために付けられるもの

とみてまず間違いはないであろう。

高校や大学での学生番号、民間企業における社員番号、皆然り。

その本質に照らすと、マイナンバーも所詮行政サイドに寄与する

代物といえる。

 今、政府が必死に「国民にも多くの利点」との大宣伝は、

巨額の税金を投入することの政治的解釈・弁明である事は

百も承知。すでに関心は今後の結果如何。

 因みにマイナンバー導入とその効果の政府見解は次の通り。

   Ⅰ.公正・公平な社会 (不当な負担逃れ、不正受給阻止)

   2.行政の効率化

   3.国民の利便性向上

 の3点を挙げているが、濃淡の差は明らか。細かいことは

さておき今後の結果如何とした所以。

 あえて国民の利便性云々について一言付け加えておくと、

そもそも、今まで個人番号が無かったことで不便に感じたことが

無い、と言ってよい。したがってようやくこれが出来て便利・・と

言われても、元々それ程困っていません!と言うしかないでは

ありませんか。

 多くの国民もそれに似た感覚ではないだろうか。

 それよりも、個人情報漏れ、詐欺等の被害防止 等リスク面

での不安の方が強いのではないだろうか。

これらを上回るメリットが国全体として生まれるかどうかが、

今後の結果如何といった所以。

  - - -

  ≪ ところで、ふとつまらないことを思い出してしまった。

    半生記以上も前の大学の我が学生番号を今も覚えて

    いるのである。

    その訳は・・・ 375番  「皆殺し」であった。

    その伝でいくと、マイナンバーも

       1878-2884-4230

    というのがありうるから油断ならない。

    国家からの通知と深読みは無用 ほんのジョーク!)

     - - -

 ある試算によるとこの制度、1兆円規模の市場に積み上がる

らしい。

 基盤整備やシステム整備改修等の初期投資  3000億円

    これにはIT産業等の参入競争が絡まり

    例によって官民癒着・汚職の影がちらほら。

 自治体・民間企業のセキュリティ体制、システム対応・維持等

 のランニングコスト等将来的には1兆円規模に積み上がる。

 というものである。

 それなりの効果を見込んでの制度であり、短絡的に税金の

 無駄使いというつもりはないが、少なくとも費用対効果を

 クリアーすることと、あらゆるリスクに対して万全の対応を

 果すことが、政府の責任といえる。

   - - -

    ある新聞が、マイナンバーに対し

    鋭い「ツッコミ」の一言を記していた。

    不謹慎ながらおもわず笑ってしまった。

      マイナンバーには「利点」がないが「利権」がある。

                                  以上

 

 

 

 

 

 

 

真に受け取るほどヤワでなない。

 

1億総○○

   今、庶民で賑わう居酒屋で恰好の酒のサカナになって

   いる話が、「1億総活躍」って何? ということらしい。

   国民の1人として、このご隠居も種々新聞やネットで

   細かく当たってみたが、どうも解ったようで解らない。

   石破氏の「突如登場した概念、国民に戸惑いがないとは

   思わない」というコメントが、一定の距離を置く人ならではの

   正直かつ真っ当な感想なのであろう。

   推測するに、公言するかどうかは別として、総理周辺の人達

   を除いて多くの国会議員も似たり寄ったりの感想をお持ち

   の事であろう。

   ある意味、総理の強力なリーダーシップの賜物という見方も

   できる。

   国を預かるリーダーたるもの、未来に向かって大きな旗を

   掲げることを賛意することに吝かではないけれど・・・。

   「1億総活躍」と言われてみると、なんだか昔の信長、

   秀吉の時代を思い浮かべてしまう。

   殿の「鶴の一声」で、突然従来からの組織や制度が

   生まれたり消えてしまったり・・・。

   というのは少しオーバーかな。

     - - -

   争い事を好まないご隠居なので、

   まずは、今回の「1億総活躍担当大臣」の「ご活躍」を

   心より祈念致します。

   とした上で、どうしても引っかかることを1つ2つ。

   まず、活躍大臣の兼務の多さは少し異常に見えてくる。

   今回の目玉人事とはいえ、他の閣僚を抑えられる大物

   なら兎も角、新任の大臣、

   他人事ながら同情申し上げる。

   因みに兼務担当を列挙してみる。

      1億総活躍担当

      女性活躍担当

      再チャレンジ担当

      拉致問題担当

      国土強靭化担当

      内閣府特命担当(少子化対策 男女共同参画)

   なんとも勇ましい言葉が並んだものである。

   見方を変えれば、従来から進捗未達の重要テーマを

   ズラリと並べたようにも見えてしまうところが切ない。

   これらを小気味よい剣さばきで、成果を出して頂ければ

   望外の喜びではあるが、その前に、夫々について

   何をどうしたいのかをじっくりと聞いておかないと、

   何を持って「成果」とするかが曖昧となる。

   「1億総活躍」と言われ、その気になって浮かれては

   いられない。

   また少しレベルの低い話になるが、そもそも1億総活躍と

   女性活躍を並列するセンスは如何なものか。

   1億のなかには女性は入らないらしい・・・。

     - - -

   さらに気になる点は、

   実際に「総活躍」の実務を執行する前に、果たして現状の

   我が国の実態をどのように認識され、分析されているのか

   という問題がある。

   未来志向はいい事だけど、足元の認識を間違えると、

   未来に向けて描く線も間違ってくることを、戦前の日本で

   経験済みである。

   65歳以上がすでに4人に1人という動かし難い高齢化

   社会。 非正規労働者(アルバイト・パート・派遣・請負)が

   2014年 1962万人(全体の37%)。 労働者の3人に

   1人が非正規という実態。

   これらと「1億活躍」がどう結び付くのか、どう結びつける

   のか。勿論強引に結び付けられたとしても、必ず

   切り捨てや落ちこぼれが生じることは歴史の教える

   ところである。

   さて、新任大臣はこの辺をどう料理されるのか、それとも

   期待外れに終わるのか、国益がかかっている。

     - - -

   個々の人間も夫々の国も、身の丈に応じた処し方が

   あるのではないかと思っている。

   そこで、ご隠居の本音だが・・・大きな声では言えないが

   国の在り方も、自ずから時々の国力に応じた処し方に

   収斂せざるをえないのではとも思うのである。

   「1億総活躍」する世の中を否定するつもりはないが、

   「1億総カツカツ」の生活でも、人間らしい心根を忘れず

   慎ましさのなかでお互いが助け合う社会であれば・・・

   と、密かに夢想している。

 

 

 

 

 

 

   結局

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天高き運動会

 (全くの私事につきご容赦)

  人間長く生きていると、思いもよらない新たな体験をする

  事があるものである。

  それが些細なもので、他人からみて他愛のないもので

  あっても、本人には頗る楽しいことなのである。

   - - -

  過日、朝早くから孫の運動会に出掛けた。

  その日は、運よく左程暑くもない爽やかな秋晴れ。 

  孫は今年入学したばかりの中1生である。

  中高一貫の女子校だが、運動会も中高合同ということを

  行ってから知った。

  中高生のお嬢さん達の絢爛華やかなスポーツ祭典に、

  流石?のご隠居も一瞬の戸惑い・・・。

  なにせ、中高女子学生1200名の狂喜・乱舞・・・に

  このご隠居、ただ静かにおとなしく見守るのみ。

  男女共学しか経験のないロートルには、「女子校」の

  運動会・・・見るものすべて興味深く見学させて頂きました。

  特に、各組毎の応援合戦は、壮観にして華麗。

  タレントグループ顔負けのダンスパフォーマンスは見事な

  ものであった。

  孫の学校には今回初めて訪れたのだが、

  流石に女子校の運動会、校門で「IDカード」の提示など

  セキュリティーは怠りなく、見学者や学生諸嬢、校内等

  からも、比較的整然とした校風とお見受けした。

  孫のお蔭である秋の穏やかな1日であった。

 

 

 

 

今も昔も

  1868年、我が国では明治維新。

  丁度その頃、アメリカの「ニューズレター」紙で、鋭い風刺の

  時事評論が評判となり、これをきっかけに当代随一の

  コラムニストとなった男がいた。

  後に、「悪魔の辞典」を編んだ「アンブローズ・ビアス」である。

  その中から、無作為(ということにしておく)に、いくつかの

  言葉を以下に転記させて頂く。((筒井康隆・訳)

   政治    主義主張の仮面を被った利害のぶつかり合い。

          私利私欲のためになされる公の行為。

   経済    牝牛が高価で買えないというのに、同額で必要の

          ないウイスキーを樽買いすること。

   外交    祖国のために嘘をつく愛国的な芸。

   議会    法律をほごにするために会議する集団。

   議論    相手側の間違いを強める方法。

   闘争    舌でほどけぬ政治的なもつれを、歯を

          むき出してほどくこと。

   支持者  期待するだけのものをまだ得ていないので

          ついてきている人。

   堕落    ある一人の人間が、政府高官になるため

          道徳的にも社会的にも進歩していく、

          その段階の1つ。

   政治屋  組織化された社会という建物の土台になって

         いる泥の中のウナギ。

         のたくると自分のしっぽが揺れ動くので、

         組織が揺れ動いているのだと勘違いする。

  じっくり読むと「風刺」の面目躍如。

  まだまだ「えぐい」のが多々あるが、まあこの辺が

  食後に読んでも気分が悪くなることもないだろう。

  それにしても、これらが書かれたのが19世紀の米国。

  今も昔も、そしてどこの国でも、人間社会はそう

  変わらないものと、改めて感じ入る次第。  

 

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