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2016年2月

親父の教え

  少々身内の自慢話めいたところはご容赦。

  我が親父の話である。

  いかにも明治の男(明治42年生まれ)らしいというのか、

  あるいはらしくないのか、 激動の時代を生きてきた割に、

  ある意味で「面白可笑しく」人生を堪能した一生では

  なかったかと、息子から見てもそう思う。

  勿論、その陰では、言うに言われない苦労の連続だったと

  思うのだが、目一杯やることをやって、70歳にしてあっけなく

  亡くなってしまった。

  戦中戦後の灰色の時代背景のなかで、時代に流されること

  なく、いい意味での「遊び心」を充満させた人生だったのでは

  ないだろうか。

  因みに、親父が若い頃から手掛けた事などを、知っている

  範囲で列挙してみると次の通りである。

   社交ダンス

      昭和15年にダンスホールが全面閉鎖となったが、

      戦後間もなく解除になったのであろう、

      私がまだ小さい頃、競技会に出場した親父のことを

      微かに覚えている。

      ゼッケンを付けて踊っている親父の写真が残っている。

   乗馬

      当時の青年男子は誰でも経験していたのかも

      しれないが、制服を着て凛とした馬上の写真が

      残っている。

   ビリヤード

      これは本人の申告のみ、特に証拠?は残っていない。

   長唄

      ある時期、家で毎週稽古日があった。

      門前の小僧・・ではないが、「松の緑」とか「筑波嶺」

      が今も耳に残っている。

      長唄会での舞台上の写真がある。

   ゴルフ

      中年以降に始めたと思うのだが、凝り性なのか

      本格的に取り組み、数々の優勝トロフィを得ている。

      ホールインワンも経験済である。

      晩年に撮ったのであろう、中村寅吉と二人で写って

      いる写真が、今も実家に飾ってある。     等々

     - - -

  如何なものであろうか。

  気骨ある明治男の面目躍如というべきか、あるいは

  らしくないというべきか、 なんともいやはや 息子から

  みても凄い人生を過ごしたものである、と改めて驚嘆!

    - - -

  この親父、学校なんてほとんど行っていないのである。

  昔の高等小学校くらいで、後は実社会という学校で

  人生を学んだ。

  それでも、字を書かせたら家族の誰よりも達筆であった。

  青・壮年時代から、「遊び」だけでなく、地域社会貢献も

  それなりにやっていたようである。

  地元の消防団長、学校関係や地域振興団体の役員、

  さらには仲人も頼まれて、恐らく30組以上はやっている

  筈である。

  親父をみていると、つくづく人間なんて、学歴は関係ない

  と、思い知る。

  有難いことに、親父の葬式には、700人近くの人達に

  来て頂いた。

  特に依頼したわけではないが、昔の縁なのか、現役の

  消防団の人達が、急遽制服を着て、交通整理・案内を

  してくれた。頭の下がるエピソードである。

    - - -

  自ら学校生活の経験が薄かったこともあってか、子供の

  教育には一切口出しすることはなかった。

  小さい頃から親父から「勉強しろ」と言われたことはない。

  ただ、学歴のない者が、学歴社会を生き抜くためには、

  様々な悔しい思いをしたことであろう、そのためか、

  子供にはせめて大学に・・という思いは強かったように思う。

  今振り返り、親父のこころを思うとなんだか切ない。

  その親父から、直接教えられたことはあまりないが、

  そのなかで1つ、今も強烈に覚えていることがある。

    - - -

  就職志望先への私の「履歴書」に珍しく目を通した親父から

  「捺印はまっすぐにしっかりと押すものだ!」と厳しく叱責

  されたのである。

  恐らく適当に少し斜め気味に押していたのであろう、

  全面書き直しをさせられたのである。

  印鑑の押し方くらいという考え方もあるのだろうが、

  今思うと、それが親父の生き方に繋がると思うと合点がいく。

  押印1つにも、その人間の精神・姿勢が滲みでるという

  ことなのであろう。

  さらには、学生時代には許されることであっても、実社会

  では通用しないことが多々ある現実の厳しさを言外に

  教えてくれたのかもしれない。

  今もこころに残る「親父の教え」である。

 

 

 

梅香る季節

   自宅から自転車で国立(くにたち)の図書館に行く。

   数紙の朝刊に目を通した後、 自転車をそのまま置いて、

   近くの谷保天満宮へ・・・ 散歩の始まりである。 

   天満宮といえば 梅である。

   丁度今が盛りの梅園を楽しむ。

    Dsc00628
  

    Dsc00629

   その高台の一角から、天気の良い日には富士山が

   見える。

   知る人ぞ知る ビュースポットである。

   さてそれから・・・国立のメインストリート一橋大通りへ。

   一橋大学あたりまで約1キロ強の散策コース。

   同大学も昨今社会人向けの各種催しに力を入れており、

   登録しておくと、様々なイベントや講演会について、

   その都度メールで案内して頂ける。

   関心のある講演などに出向いた折に、学内をふらりと

   散策するのも恰好の気晴らしとなる。

   また時には大通りに面した喫茶店で一息。

   学生達が、静かに本を読んでいたり、書き物をしていたり、

   またノートパソコンに向かっていたり・・・。

   ご隠居も、目立たぬように、静かにコーヒーの香りを

   楽しむ。

   再び大通りの復路で 図書館に向かう。

   適当に月刊誌などを手に取り、面白そうなレポートに

   目を通す。 

   心地よい疲れの後、さて帰るとするか・・・置いてあった

   自転車で自宅まで。

     - - -

   梅香る季節、平凡にして静かに過ごすご隠居の

   ある日のスケッチである。

 

   



ルネサンスの至宝

   今年は、「日伊国交樹立150周年」とのことである。

   1866年8月25日の日伊修好通商条約の締結を起源と

   している。

   時は明治維新の夜明け前、急激な時代変化の時期である。

   同年6月25日には、英国・米国・フランス・オランダの列強

   4国からの圧力から不本意ともいえる「改税約書」(兵庫港

   の早期開港、関税率低減等)を締結している。

   長い鎖国から開国への混乱した様相が覗える事象である。

   いずれにしろ、イタリアとは、国交樹立150年ということから

   今年は両国の協力のもと、様々な記念イベントが計画されて

   いる。

   現在上野の美術館で開催されている「ボッティチェリ展」も

   その1つである。

   周知の通り、ボッティチェリは、ルネサンス期を代表する

   画家の1人として、その作品の「ヴィーナスの誕生」「春」

   等は世界的に有名である。

   その作品類の国外持ち出しは、希有のようだが、今回

   大使館等の尽力もあって、日本での展覧会が実現した

   とのことである。

   流石に、今回は「ヴィーナスの誕生」等は含まれてないが

   それでも20余の作品と、彼と関連する画家、時代の作品

   80余が一同に展示された、華やかな展覧会となっている。

   この機会に是非にと、私も過日上野に足を運んできた。

     - - -

   作品のあれこれについては、専門家に任せるとして、

   少し絵画鑑賞の本筋から離れるが、私なりに一寸

   興味を持った事柄について触れておきたい。

   ボッティチェリの生涯についてである。

   要約すると、彼は1445年に生まれたとされているが、

   20代にしてすでに自らの工房を持つまでの才能に

   恵まれていた、とされている。

   当時権勢を誇っていたメディチ家当主ロレンツォにも

   認められ、その厚い庇護のもとで 確固たる地位を

   築くに至った。

   ところが、ロレンツォの死後(メディチ家自体も没落の方向)

   時代の変貌のなかで次第に絢爛・華美の風潮が廃れ

   そうした中で修道士サビオナローナの権勢が高まる。

   ボッティチェリもその修道士の教えに影響を受けるように

   なり、その画風までもすっかり変わってくる。

   その結果すっかり人気も凋落し、最晩年には、

   あの巨匠ボッテイチェリも借金まみれで死んでいった。

   ということである。

   改めて「人にはそれぞれの歴史あり」ということを

   考えさせられた。

   500年以上も過ぎた今日、遥か遠くの日本で

   華やかにその展覧会が開かれ、多くの人達が

   詰めかけている。

   そんなことを彼は知る由もなく静かに眠っているに

   違いない。

 

 

 

 

戦前の世相

   我々の世代は、戦前の戦争に至る時代の様相を直接知って

   いるわけではない。

   さらに言えば、今の学生も同様のようであるが、我が国の

   近現代史を学校で体系的に学んだこともない。

   自らの興味と関心の赴くままに、各々が断片的ともいえる

   知識の寄せ集めをしているに過ぎない。

   それも、どの情報源から得たかによって、解釋にもバラツキが

   あるという具合である。

   そうした中で、最近、何気に目にしたり、耳にすることに、

   年配者の「最近の世相が、なんだか戦前の様相に似てきた」

   ということがある。

   それも「なんだかキナ臭い」というニュアンスで伝わるので

   ある。

   戦前を知らない我々世代は、これをどう受け止めれば

   いいのだろうか。

   あるいは、無視 ないしは一笑していていいのだろうか。

   直接戦前を知らない我々が、軽々にアレコレ論じることは

   出来ないが、少なくとも、今少し我々も戦前の歴史事実を

   学び直す必要があるのではと、思いあぐねているところ

   である。

   さらに、自分の生まれた年(昭和18年)前後の世相に

   ついて、ただ「戦時中」という一言で終わらせないで、

   真にどういう時代であったのか・・という個人的関心も

   湧いてきている。

     - - -

   仰々しい「学問」的アプローチをするわけでもなく、

   あくまで素人の「趣味」レベルの話である。

   手始めにというか、取っ掛かりとして、昭和10年代

   (昭和10年~20年)の様々な出来事を洗い出し

   「年表」を作ることにした。

   「手作り」というところがミソで、様々な出来事や事件を

   時系列に一表化すると、思いがけない発見があるもの

   である。

   まだ諸に付いたばかりであり、とりあえず現段階で、

   興味深く感じた些細なことなどを2~3取り上げて

   おきたい。

     - - -

   双葉山の69連勝は、大概の人が知るところである。

   その連勝が途絶えたのが、昭和14年1月15日。

   関脇安藝の海に敗れている。

   14年といえば、すでに戦時体制(日中戦争)の渦中。

   前年には東京オリンピックの中止、国民総動員法可決

   成立、14年5月にはノモンハン事件(日ソ両軍の衝突)

   7月には米国が日米通商条約の破棄を通告している。

   悪雲が忍び寄る世相の中での、双葉山の快挙、と

   考えるとまた違った感慨が生じる。

    (余計なことながら、モンゴル出身の力士が横綱を

    占めるという今日の大相撲の姿を誰が想像し得たで

    あろうか)

     - - -

   いわゆる軍靴の音が響きつつある時代の一方で、

   次のようなことが為されているのも 注目すべき点で

   あろう。国威高揚と同時に、こういうことで人間は

   無意識のうちに精神のバランスを取っている・・というのは

   考え過ぎだろうか

     昭和10年   第一回 芥川賞 (石川達三)

        同年   日本ペンクラブの設立 (会長島崎藤村)

        12年   文化勲章の制定

        15年   皇紀二千六百年の記念式典

                  18年   日本育英会の開設

     - - -

   今回の年表作りで、具体的な戦争への決断過程を

   自分なりに理解を進めることが出来た。

    昭和15年7月   第二次近衛内閣成立

       同年10月  大政翼賛会の成立 

                 一党独裁体制の確立

       16年7月2日 第一回御前会議 

                 対米英戦争(不可避)の決意

          9月6日  第二回御前会議

                  同 準備

         11月5日  第三回御前会議

                  同 決定

                 大海令  永野軍令部→山本長官

            6日   陸軍南方派遣軍編成 

                   寺内最高司令官任命

            8日   真珠湾攻撃  開戦

   とりあえず 戦前の世相について白紙の大きな紙を

   作ったので、これにどれだけのメモや表を書き込めるか、

   まあボチボチと「趣味」の1つとして楽しむこととする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

加齢なるままに

   他人の加齢に関わる話など、聴きたくもないものだが、

   それでもなお、一寸触れてみたくなるのが加齢の為せる業。

   加齢も料理人の腕で、旨くなったり不味くなったりするもの。

   さて、本日の味は・・・。

      - - -

   「加齢」という川の流れにどう対処するかは、ある一定の

   歳を重ねた人にとっては興味深いテーマとなる。

   廻りを見渡すと、その流れに必死に逆らい立ち向かって

   いる人、流れのままに身を任せている人、様々である。

   それらの人々を全て包み込み、今日も加齢という大河は

   悠々と流れている・・・と考えてみると、

   なんだか人間の生きる姿も微笑ましいものである。

   果して、この俺は・・・

   流れに身を任せながらも、達観の境地にも遠く、

   無駄な抵抗と知りつつ、あれこれと齧っては、

   何もしないことへの不安と対峙している・・といったところ

   であろうか。

   我ながら如何にも「せこい」加齢対策である。

   ただ、この世の中、この「せこさ」が、案外 「加齢」には

   程よい加減ということもある。

   長年歯を喰いしばって身体を鍛えていた人が、ある年齢

   に達するやポッキリと枯れてしまうというケースを垣間見る

   ことがある。

   なんともいやはや誠にもって人生は不可解である。

     - - -

   さて、以下はわが身の加齢にかかわる他愛のない話

   である、

   現役時代の30~40年間、血圧はほぼ120台をキープ。

   検診に引っかかったことは、ほとんど無かったが、

   リタイア―後は、徐々に血圧も記録更新、ついに医師から

   「高血圧」とのお言葉。

   精々140台、時折150台というところだが、「お薬」を、

   との宣告。

   急に食事内容や、生活環境が大きく変わったわけでも

   ないので、原因は明らかに「加齢」と自己診断。

   医師からは、塩分控え目、適度な運動を、と言われるが

   今までも、「高潔・厚」い日常生活で、正常血圧をキープ

   してきた実績があるだけに、皮肉にも、そのような事で

   効果テキメンとは思えない事態。

   仕方なく、医師の勧めによって薬を服用となった次第。

   ところでこの高血圧の薬について・・・、

   はたとあることにぶつかってしまった。

   医師からストレートに言われたことではないが、

   血圧の薬は、一度飲み始めると、止めてはいけない

   (止められない?)と言う「風聞」を耳にしたのである。

   中には、「一生飲み続けなければならない」という

   話まで聞こえてくる。

   「そんなバカな !」というのが第一観。

   医師のニュアンスは、「自己判断で勝手に飲み始めたり

   止めたりしないように」ということだと思うが、確かに

   長期に亘り飲み続けるモノであるらしい。

   「一生飲み続けなければならない」なんて聞くと、

   その真意は兎も角、根が批判精神旺盛なわが身の事、

   「今流行りの覚せい剤じゃあるまいし」と、それこそ

   一応の水準のところで、それこそ自己判断の 「薬控え」。

   という顛末。

     - - -

   ところが、ある朝、なんだか身体の調子がおかしく、

   早速血圧を測ってみると、なんとわが身長並みの数値

   ではないか。

   これは「やばい」と・・・ 何はさておき再び「お薬」の

   お世話になったという次第。

   流石に私もそこで考えた。

   我が思想・信条もヤマイには勝てない、ということを。

   そして、加齢には、理屈で歯向かってはいけないことも。

   廻りの人達の言うことを素直によく聞いて「好々爺」に

   なることが1番である。

     - - -

   ここで終えると、如何にも優等生的で後味が不味い。

   「加齢」の流れに身を任せるとしても

   牙のないライオンで長らえることを欲しない。

   時には、流れにあえて竿刺し、

   「反骨」精神を発揮してこその人生。

   そういう「ご隠居」でありたい、と切に思う。

   如何なものでありましょうか ご同輩!

 

 

 

 

 

 

籤の話

   「くじ」の話など、大概知れ渡っていることを、今更・・・と

   承知の上で取り上げるのは、外でもない。

   まず 「籤」という漢字を見ただけで、なんとなく「理屈」が

   有りそうに感じるではないか。

   「籤」は、「ひご」とも読み、竹を細く割って削ったものの

   ようであるが、どうやら籤(くじ)もこの辺からきている

   らしいと、一応推測できる。

   この「籤」にも、それなりに中身を紐解いていくと、結構

   面白い話に出くわす。

   そのあたりを素人の好奇心で2~3取り上げてみる。

     - - -

   1つのキッカケは、内閣総理大臣も、「籤引き」で決まる

   ことが、「有りうる」と言う事実からである。

   現行の法規定によると、総理の指名選挙では、上位2名

   による決選投票により選出されるが、もし同票の場合は

   「籤」による、とある。

   総理大臣も、「籤」で決まる事があるのだ、と思うと、

   他人事ながら一寸ドキドキするではないか・・・。

    (因みに今まで籤で総理が決まったことはない!)

   さらに、世間を見渡すと、結構格式のある選挙などは、

   大概最終的には【籤」により確定の決まりがある。

   市町村の首長や、東大総長(過去に籤で選ばれたケース

   がある由)など皆そうである。

   このように考えると、【籤引き」も、社会に絶大な影響を

   与える可能性を有しており、軽々には取り扱えないので

   ある。

     - - -

   さて、ここで少し歴史を遡ってみよう。

   賢明なる智者は、「籤」といえば、即 思い浮かべられるに

   違いないが、室町幕府第6代将軍 義教が「籤引き」に

   よって即位が決まったという歴史的事実がある。

   経緯・詳細は略すが、当時の籤引きは、今日とは少々

   ニュアンスが異なり、「神事」として、その結果は、「神の

   お告げ」と言う受け止め方があったようである。

   このケースも、石清水八幡宮で執り行われ、すでに

   仏門に帰依していて、幕府政務に全く未経験の義教が

   即位という結果となった。

   籤引きで選ばれた将軍が結果的に、社会不安を助長させ

   その後の「戦国時代」への扉を開いたという説がある。

   「籤」に纏わる1つの歴史的エピソードである。

     - - -

   近世代に入ってからの「籤」の話をもう1つ。

   明治時代の 元号「明治」についてである。

   ものの本によれば、

   「明治」は、「易経」の 「聖人南面して天下を聴き

   明にむかいて治む」 からとられたという。

   この決定に際して、幾つかの候補が選ばれ、最終的に

   明治天皇が「籤」を引かれ「明治」と決まった。 とある。

     - - -

   我々の知らないところで、まだまだ多くの「籤」が

   歴史を作ってきたのかもしれない。

   ひとりひとりの人生も、案外【籤」によって足跡が形成

   されてきた部分もあるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

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