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2016年6月

潮流を読む

   「潮流を読む」とは、我ながら大きく出たものである。

   いやなに、ほんのいつもの「遊び心」の「出来心」。

      - - -

   世界の潮目が変わりつつある。

   英国のEU離脱の報を接しての第一観、である。

   テレビでは、相変わらず 「EU」と「ユーロ」の区別も

   曖昧なようなコメンテーター達が、観てきたような解説を

   して頂いている。

   勿論、スジ違いのことは言われていないが、

   我々素人でも思い付くような「常識論」が大半。

   知りたいのは、事の本質と「潮の流れ」。

      - - -

   一見、離脱の本質と離れるような話になるが、

   結果の良し悪しとは関係なく・・・

   今回の「国民投票」、そのものに、何かを考えさせられる。

   他山の石、として・・・。

   そもそも、国民投票とは  そこから得られる民意とは、

   そもそも、その民意は常に正しいか。

   そもそも、・・・突き詰めていけば民主主義とは。

   そう言えば、「民主主義は常に発展途上」という言葉が  

   あった事を思い出す。

   日本国民も他人事ではない。

     今回の参考データ

         投票率    約70%

         離脱賛成  約52%

         残留賛成  約48%

     - - -

   今回の国民投票、 背景の1つは 「移民問題」

   EU諸国が抱える共通問題。

   移民問題自体が、世界を取り巻く「格差社会」の

   潮流を背景とし、各国の対応も、微妙にこの「格差社会」

   が、影響を持つ、と見ておきたい。

   今回の国民投票の結果にも、その影響が濃い、と

   見ている。

     - - -

   倫理や道徳観とは別に、人間の経済社会では、

   何らかの「格差」が生じることは必然とも言える。

   したがって、一定の経済、社会的地位等での上位層が

   発言力、決定力を持って社会を動かせていくのも、

   1つの成り行きである。

   ただ、民主主義の成熟過程で、その抑止力が高まって

   いくことも1つの成り行きである。

   ここで、注目しておきたい点として、

   経済分野にあっては、「数の論理」は不変ともいえ、

   たとえば、株主は保有株数で歴然と差が生じるが、

   政治の世界では、たとえば選挙権はその人の

   地位・立場に関係なく「一人1票」。

   そこには何ら格差は生じない。

   実はこのことが、今後の世界の潮流と大いに関係して

   くるのではないか・・とみている。

   今回の国民投票の結果も、現実の格差社会で、

   比較的下位層の人達の声が大きく反映されて

   いるのではないだろうか。

   米国の大統領候補 トランプ(本人は大富豪)が、案外

   根強い支持を得ているのは、同様の図式では・・・

   と、推測しているのだが、果たしてどうだろうか。

   やがてその潮流も日本に・・というのが

   「遊び心」から出たご隠居の細やかな読みである。

 

 

 

 

 

 

 

最近のニュースより(追記)

  昨日のブログで、

  「違法ではないが、不適切」という流行語にでも

  なりそうな言葉に関連させて、

  「世の中、適切だが違法ということもありえる」 と書いた。

  これに対して、

  「主旨は洒落ていてサビが利いているが、

   世の中に、適切だが違法なんて事があるのかよ」

  と、鋭いツッコミというか、クレームがあった。

  そこで、私なりの返信。

    たとえば、卑近にして些細な例として、

    「この柵を乗り越えて勝手に立ち入ることを

     禁じる(不法侵入)。という立て看板のある

     敷地内の池で子供が溺れている、

     おもわず柵を乗り越えてその子供を助けた」

  ルール(法)を犯すことになるが、極めて「適切」な

  判断・行動ではないか。

  「法」という価値基準より上位に人間としてのあるべき姿。

  と、解答(釈明?)した。 ・・・・「了解」のメールあり。

  ここに あえて私信を公(おおやけ)にする。

  私なりの 「説明責任」(笑)デアル。

最近のニュースより

   思いつくままに・・・一言寸評

  (違法ではないが不適切)

      世の中、適切だが 違法ということもありえる。

      その為に 情状酌量という措置がある。

      だが、適法だが不適切の場合には

      情状酌量の余地はない。

      何故なら、事自体が 「不適切」なんだから。

  (参院選挙告示)

      そもそも、現状の「参議院」 必要ですか?

      衆議院と同じ政党構造で、与野党間の論争。

      政党政治だからといえば恰好よく聞こえるが

      世間ではこれを単なる二重構造という。

      せめて議員数大幅リストラでもしませんか?

  (オリンピック招致資金問題)

      お祭りにも、陰の部分があるという事でしょうか。

      「必要悪」という言葉が浮かんできました。

      それにしても、「召致」に関する総経費が

      150億円。使途明細は??

      すでに召致委員会は解散。

      うやむやのうちに…2020年。

  (株主総会の時期)

      総会屋ジリ貧に代わって、昨今アクティピストが

      台頭の由。

      海外投資ファンド等のモノ言う(大)株主の事である。

      その中には、目先利益要求型や、人事介入型など。

      最悪、乗っ取り思惑型まで。

      外圧に弱い日本企業もうかうかしていられませんぜ。

 

 

 

6月の風景

   東京の空に立ち込めていたもやもや感を一掃。

   写真のみ記載。 感性自由気侭

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                                以上






















鴎外の庭

   漱石や鴎外の旧居跡があることから、東京・千駄木は

   「文豪の街」とも言われる。

   森鴎外記念館は、その千駄木、団子坂を少し下ったところ

   にある。

   明治25年から亡くなる大正11年まで住んでいた旧居

   (観潮桜)の跡地である。

   2012年に、新たに「文京区立森鴎外記念館」として

   生まれ変わった。

   過日何拾年振りに訪れたのだが、すっかり以前のイメージ

   とは異なり、近代的ビルに代わっていた。

   図書室やカフェも併設された記念館は、鴎外の家系から

   その生涯の足跡までの展示や遺品等々 極めて充実した

   もので、鴎外研究の徒はもとより、一般愛読者にも十分

   興味深い記念館であった。

     - - -

   それはそれとして・・・

   私は、一面で、ある種のこころ寂しさを感じたのも

   本当のところであった。

   立派なビルになったことで、私には、鴎外旧居の匂いを

   感じることが出来なくなってしまった。

   以前訪れた時(遠い記憶)には、確か、旧居の庭の

   ベンチに座り、鴎外もこうしてこの庭を眺めていたのか

   と、子供っぽい感慨に耽っていた・・という記憶が

   あったのである。

   古きものから新しきものへ・・・これも世の流れと

   いうものであろう。

   私自身が、 「知」よりも「情」にこころ動かされる

   年頃?になったということかもしれない。

    (追記)

    記念館展示より 鴎外の言葉

     「 学問の自由研究と芸術の自由発展とを

       妨げる国は 栄えるはずがない 」

                   - 文芸の主義 より -

 

 

 

渡世(都政)の話

   「流石にうんざりしますぜ」という都民の方も多かったに

   違いありません。

   都知事の辞職で一応1つのヤマを越したことになる。

   ここで、大群衆が発する論調と同じような事を一緒になって

   「ハモッテ」いても今1つ面白くない。

   こういう時は、大群衆からそっと離れて、独りになって

   みるのも1つの手である。

   また違った風景が見えてくることがある。

   「裸の王様」に出てくる子供になったような眼で、

   一連の騒ぎを見てみる事にしよう。

   恐らく常識ある大人達からは、何も解っていないと、

   一笑に伏されるような話になるだろうが・・・。

   東京都は、所詮地方自治体の1つに過ぎない。

   (スケール的には、中クラスの国に匹敵するが・・・)

   そもそもその自治体のトップの人選や何やかに、

   何故「国政・政党」がしゃしゃり出てくるのか。

   その選挙結果が、何故政党の勝ち負けになるのか。

   東京以外の各地方都市においても、その首長選挙が

   国政選挙の前哨戦とか言われる事が多いが、

   地方都市の首長は、その地方独自の行政を担当する

   組織のトップに過ぎないのではないか。

   その地域独特の問題・課題を踏まえた行政に精通し、

   それらを適格に判断し、実行する人材で十分である。

   まして、地方自治体は、国との関連を無視した運営は

   現実的ではないが、少なくとも国の出先機関(支店長)

   ではない筈である。

   本来、どの政党から選ばれた(推薦・公認)かは、

   ほとんど参考程度の事だが、現実は、それで当落が

   決まるところがある。

   民間企業においても、昨今社外取締役の導入や、

   トップまでも社外から招聘というケースも散見されるが、

   大半は、その企業独自の業態に精通し、経験豊富な

   人達の中から、トップに相応しいと認められた人が

   そのポストについているのが普通である。

   このいわゆる「生え抜き」をトップに据える体制を、

   地方自治体が取れない決定的な理由は何だろうか。

   そういう人達よりもやはり政党推薦で、選挙によって

   選ばれた人の方が、そのポストに相応しいという

   1つの儀礼通過による安心・納得感か・・・。

   公共的・独占業務というのなら、あえて民営化に

   踏み切った 郵政やJR各社の社長との決定的な違い

   はどのあたりにあるのだろうか。

   百歩譲って、今回都知事が任期途中で辞任することで、

   何十億掛けて選挙、ということになるが、

   今任期末まで、副知事が代行する、ということを何故

   できないのだろうか。

   それでは忽ち都行政が頓挫してしまうという致命的な

   理由でもあるのだろうか。

   (世間的にはよくあるルールの1つ。

    そういう「決まり」だからという次元の話ではなく・・・)

   子供の眼から見ると、

   今の東京都は、図体ばかりが大きくなり過ぎた

   マンモスのように見えます。

   あまり大きくなり過ぎて、

   自分のことを自分で制御できなくなってきています。

   仕方なく「第三者」に頼ることになります。

   思い付くままに書き綴った事・・・

     「何も解っていない」と、一笑に伏される方は

     常識に溢れた大人です。

 

 

 

 

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