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世間の評価

  些細な事柄ながら、ある体験を通して面白い事に思い

  至った。以下はその顛末である。

    - - -

  日中の暑い盛りを避け、出来るだけ朝早くに、近くの

  公園を散歩するようにしている。

  「ウオーキング」と、洒落てみたいところだが、私の場合、

  どうみても「散歩」で収まりがいいというところである。

  ただ、一応「歩数計」を持参、池の淵や森の中という風情の

  一流(自選)コースを約5千歩ほど歩くのである。

  歩く速度だけは、どう見ても「散歩」ではあるが・・・。

  如何せん「体力増強」よりも、「気分爽快」を指向・・である。

    - - -

  さて、肝心の本題だが、

  ある時、ふと面白いことに気付いたのである。

  毎朝、同じように、同じコースを、同じような距離を

  歩いているのだが、微妙に歩数結果に違いが生じる

  のである。

  「人間だもの・・・」その日の体調等々で、「歩き方」に

  変化が生じているのである。

  比較的元気な時は、姿勢も凛々しく、自然と{歩幅」も

  広く、颯爽と歩いているのだが、なんとなく気怠い日は、

  「トボトボ」感で、自然と「歩幅」も狭くなっているのである。

  ということは・・・どういうことになるのか。

  結果として、同じ距離を歩いていても、「歩数計」の

  歩数は、大きく異なってくるという事実!に遭遇。

  極端な言い方をすれば、

     元気な時は   4千歩

     不調の時は   5千歩

  ということに相成るということである。

  さて、話がここで終われば、なんということもないが、

  ここから話を展開させるのが、ご隠居の面目躍如?

     - - -

  世間での評価というものは、大概対象の事柄を「数値化」

  して優劣を明らかにするのが一般的である。

  いわゆる全ての競争は、数字の競い合いでもある。

  さて、高齢化社会を背景として、「歩く」ことが多くの場面で

  推奨される昨今、

  たとえば、1日に3~4千歩歩いている人よりも、5千歩

  歩いています、という人の方が、なんとなく優越感を持ち、

  廻りからも一定の評価の目で見られることは、間違い

  ないであろう。

  たかが「歩く」という行為でも、世間の評価は、その中身や

  実態よりも、歩数計での「歩数(結果)」が優先される。

  歩数なら、どうということもないが、世の中見渡せば、

  重要な事象についても、世間の評価は、案外結果として

  の「数値」に振り回されているのではないだろうか。

  世間の評価だからといって、鵜呑みにしてはいけない・・、

  まあ、そんなことを「散歩」の徒然に思いあぐねていた、

  というわけである。

 

 

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