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2016年10月

1つ選ぶ(京都の庭編)

   先に京都の名刹のうち、1つ選ぶとすれば・・・というような

   ことを記したが、古都の庭園も百花繚乱。

   果たして1つ選ぶとすれば・・・・。

      - - -

   名庭といえば、竜安寺 天龍寺 大仙院 等々が思い

   浮かぶが、これらを選ぶのは、いかにも定番過ぎて

   あえて取り上げることもないだろう。

   確かまだ学生の頃だったと思うが、大徳寺の塔頭の1つ

   「高桐院」の庭を観てある種の衝撃を受けたことがある。

   それ以来、何度か足を運んでいるが、 やはり1つ選ぶと

   なれば、私の場合 「高桐院」ということになる。

   まず、庭に至る導入部(参道)の独特の雰囲気は秀逸で

   ある。人はまずこの参道で「古都の美」を味わう。

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   さて、ここの庭を一言で言い表せば、

   「なにもない・・・魅力」とでも言ったらいいのだろうか。

   高い木々の借景に横に長い庭、一面苔に覆われたその

   中央あたりに、灯篭が1つ・・・あるだけの庭である。

   他の多くの名庭、特に枯山水の庭は、1つの石、1本の

   草木にも計算され尽した精緻な作庭にその魅力がある

   のだろうが、 ここの庭は、一切の無駄を省いたような

   このシンプルさに、学生の頃の私は、おもわず衝撃を

   受けたというわけである。

   「高桐院」の庭は、素朴にして純の美である。

   あえて 1つ選んだ庭 の所以である。

      - - -

   (付記 1)

    「高桐院」は細川家に関わる寺である。

    細川忠興 ガラシャ夫妻 及び細川家代々の墓がある。

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  (付記 2 余計な事ながら) 

    過日の京都行の折にも、久しぶりに「高桐院」を

    訪れて庭を拝観した。

    正直に記すと、参道の素晴らしさは相変わらずだが、

    肝心の庭の印象が少し違うように感じた。

    仮に「聖と俗」というものさしで例えると、「俗」の比重が

    高まったように感じたのである。

    「高桐院」の名誉のために言っておくと、

    決して、高桐院が俗っぽくなったというのではなく、

    観る側の感応度の変化ではないかと感じたのである。

    若い頃感動したことも歳と共にその心も薄れてくる事も

    あれば、逆に、若い頃には、その良さや値打ちが

    解らなかったことが、歳と共に解ってくる・・・ それが

    「歳月」の重みということではないか。

    今回高桐院の庭はそんな事を私に教え、考えさせて

    くれた。



   




静寂の寺

   京都出身ということから、 「数多くの名刹のなかで、

   1つ選ぶとすれば・・・?」 という質問を受けることが

   ままある。

   天龍寺 大覚寺 知恩院…等々 京都に行く度に 

   何度でも訪れたい寺院は数多く、それこそ次々に

   頭に浮かんでくるが、

   さて、そのなかで1つを選ぶとなると、思案、難渋と

   いうことになる。

   そうした場合、一寸奇をてらうわけでもないが、

   私がいつも、ここと お答えしている寺がある。

   哲学の道 脇にある「法然院」である。

   当院は、観光バスが連なる著名な大寺院でもなく、

   名物の土産物屋や食べ物屋が軒を連ねる観光名所

   でもない。

   その「法然院」を選んだ理由をあえて言葉にすれば、

   「静寂にして凛とした雰囲気」とでもいうのだろうか。

   それでいて気の張る堅苦しさがあるわけでもない。

   ただ、荘厳な大伽藍をイメージして行かれると

   期待外れとなる。

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   なお、「法然院」とのご縁はよく知らないが、墓地には

   「谷崎潤一郎」の墓がある。

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   先日も、京都に行った折、銀閣寺から南禅寺までの

   哲学の道 を歩いた。

   「法然院」にも立ち寄り、京都の秋を満喫して

   きたところである。


 

年寄の冷や言

    まあ分相応に楽しく過ごしていますが、

    なんだか、今の世の中、段々とつまらない方向に

    進んでいるように思えて仕方ありません。

    ご同輩もそう思いませんか?

    いやなに、決して厭世的な気分で言っているのでは

    ありません。

    いたって冷静に世の中を眺めているつもりです。

    偉そうに言うわけではありませんが、

    とんでもない事をやらかす輩や事件が多発しているわりに、

    なんだか、どの分野の人間も「小粒」になったように

    思えて仕方ありません。

    特に「政界(国会議員・地方議員)」のレベルは、如何な

    ものでしょうか。

    政治の世界に有能な人が集まらない・・・

    というのは偏見でしょうか。

    昨今、なんだか政界を目指す人達の中で、

    一部その心根が、芸能界を目指す人達と、

    根っこの発想が同類のように見えて仕方ありません。

    偶々時流に乗って当選したが、あたかも「一発芸」で

    終わる・・・誰とは言いませんが、何故この人が

    国会議員?という人もいるではありませんか。

    勿論、どの分野においても、

    目立たないところで、黙々と精進している多くの

    人達を知っています。

    そういう人達や分野に、積極的にスポットを当てる

    気運が高まれば、少しは変わってくるのでしょうが、

    メディア等の眼力が落ちているように感じます。

    全般に、どの分野も目先の利得に追われて

    「育てる」という余裕を失くしています。

    時代を写す鏡、テレビをみていればよく分ります。

       - - -

    時代の流れに対し、肝心の人間が立ち遅れ、

    成長が止まって、小さく固まってしまったように

    感じるのです。

    やれ ITだ AIだと、科学、先端技術は、脅威的な

    伸展を見せています。

    それに比し、人のこころが追い付けず、「せこい」

    ところで留まっているようです。

    自分のことで精一杯、経済感覚だけが先行し、

    単純なモノサシだけで、勝ち組、負け組と騒ぎ廻って

    いる・・・ように見えてくるのです。

    いやなに、

    このご隠居も含めてという事にしておきますが・・・。

      - - -

     日本も、明治維新の時のように、原点に

     戻って、という気構えが必要かもしれない。

     その第一歩は「教育」の在り方かも。

       クラーク博士

         「 若者よ  大志を  抱け 」

 

道具の変遷

   先日も国内最大手の燐寸製造会社が、今期末で製造

   中止との報道があった。

   確かに、昨今燐寸を使うことがほとんど無くなった。

   我が家も、燐寸そのものが無いという状態である。

   最盛期15億の売り上げが今や1億台との由である。

   往年、客商売の店々では、自前の宣伝媒体用の燐寸を

   客に配っていたものである。

   燐寸箱のデザインに夫々工夫を凝らし、いかにも

   店のイメージに相応しいレベル(ラベル)の高いもの

   も多く、その燐寸箱の収集まで流行ったことがある。

   それもまた時代の流れ、その頃が懐かしく感じられる。

     - - -

   そう言えば、文房具にも時代の変遷が見られる。

   最近の小学校の実情を詳しく知るわけではないが、

   たとえば、コンパスや分度器なんかは、今どうなって

   いるのだろうか。

   また、我々の子供時代は、「そろばん塾」が全盛で

   あったが、電卓の普及で果たして「そろばん」の

   現状は如何?

   そろばんについては、多少やっていたお蔭で、今も

   2桁程度の足し算なら暗算でなんとかなる。

   そろばんの恩恵である。

   この電卓時代、子供たちの計算能力は?

   他のゲーム等で案外凄いのかもしれないが。

   まあご隠居が心配することでもないか。

   他面、余談ながら高校時代、1年間だけだが選択科目

   で、タイプライターをやったことがある。

   が、社会人になって以来今日まで、タイプライターに

   触れたことはない。さっぱりしたものである。

     - - -

   時代とともに、当たり前のように 長年身近に置いて

   使っていた道具類が、いつのまにか他のものに

   とって代わられるご時世。

   AI(人工知能)とかの発達で、そのうち「人間」も

   うかうかしていられない。

 

 

 

腹一杯のジョーク

   オリンピック準備対応のテイタラク、築地移転問題、

   一部国・地方議員の不祥事続き 等々

   古い奴だとお思いでしょうが・・・

   「右も左も」 真っ暗闇じゃござんせんか という

   昔流行った科白を思い出す。

   全くスジの通らぬことばかりでございます。

   個人的には、真っ暗闇でもなく、まあなんとか楽しく

   日々過ごしていますが、それにしても、「せこい」世の中に

   なったもので御座いますネ。

   腹のなかには、しっかり「批判精神」を持っていますが、

   それはそれ、我々庶民には、「笑い」こそ救いの清涼剤。

   ただ、「笑い」といっても、ある人曰く、笑いには上質と

   下品の2種類がある、その違いは 「知性」の隠し味が

   有るか無いか、と 厳しいことをおっしゃる。

   このご隠居、 知性の欠けたところを なんとか「年の功」

   とかでカバーして、

   以下 腹三昧のジョーク その一部分。 

     - - -

      背に腹は代えられず

             セは原が替えられた

     - - -

    腹が立つ・・・ 屈辱におもわず「立ち上がり」相手に

             迫り寄る様

    腹が座る・・・ 匕首を覗かせる数人の与太者に

             取り囲まれる

             まあ 座って話そう

    腹が拗ねる・・ ビールは喉越し

    腹が走る・・・ ゲテモノ食い

    腹が笑う・・・ 「腹を抱えて笑う」、なんて実際やって

             ごらんなさい 少しも面白くありませんから

    腹の探り合い・・・ 最近巷で流行のゲーム

    腹に仕舞う・・・ カンガルーだけじゃない 

              人間だって秘密の袋が・・・。

    腹にイチモツ・・・ 新知事も背に重い荷物を背負わされ

                大変、お察しします

      - - -

      高段者 流石に貫禄  ・・・  三段腹

      アノ人達の得意技   ・・・   腹芸 

      - - -

            以上 ほんの 「腹八分目」。

 

 

 

 

「10月1日」随想

  今年も10月、子供たちにとっては遠足、運動会の季節。

  散歩の折、通り掛かった中学校も丁度運動会であった。

  身内が居るわけでもないが、郷愁にかられて・・という

  ことなのか、なんとなくふらっと校内に入り、暫し観覧

  させて頂いた。

  運動会の雰囲気は、我々の時代と同じようなものだったが、

  流石というか、今どきの運動会で驚いたことは、

  80mハードルや走り高跳びといった競技種目があった事。

  「ハイカラ」になったものである。

  走り高跳び(個人競技)は、時間的にも、恐らく選抜の

  生徒だけなのだろうが、大観衆注目のなか、競技に

  チャレンジする生徒にとっては、貴重な経験で、恐らく

  記憶に残る「10月1日」になったことだろう。

  失敗した生徒にも、勿論大拍手!

     - - -

  今から何十年も前の話。

  ある時期1年程西武池袋沿線に住んでいたことがある。

  高田馬場乗り換えで、時折、同駅に途中下車し、周辺の

  店にも立ち寄ることがあった。

  偶々、若い頃にやっていたバスケットの先輩と、帰りが

  一緒になると、駅近の寿司屋(といっても一間間口、

  数人で満席になるカウンターだけの気軽な店)で、

  呑んだものである。

  その先輩も早くに亡くなり、恐らく今、その時の店も

  無くなっていることだろう。 時の流れである。

  また、当時駅から少し歩いたところに、「あらえびす」という

  喫茶店があった。

  知る人ぞ知る、老舗の「名曲喫茶〈茶室)」である。

  2,3度しか行ったことがないが、ある日、なんとなく

  気になり、急遽途中下車して行ってみると、なんと

  その日が店仕舞、最終日だったのである。

  名曲喫茶に似つかない、名残りを惜しむ常連客で

  満員の盛況で、残念ながら、席もなくそのまま引き返す

  こととなった。

  丁度その日が、「10月1日」。

  遠い昔の話である。

 

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