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プロとは?

 旧聞だが、ある有名なお笑い芸人が、自分の母親の葬儀の

 席で終始参列者に対し、ふざけたお笑いを振りまいていたという。

 参列者の、ある後輩芸人は、その先輩芸人の 芸人魂にこれぞ

 本物の芸人と感動すら覚えたという。

 ある新聞もこれを取り上げ、これぞプロ!と称賛の記事を載せて

 いた。

 母を亡くした哀しみは、誰もが解るだけに、この芸人の立ち振る

 舞いが、一層その場の人達にとって胸迫り、感動したということは

 想像し得る。

 また一流のプロとはそういうものかもしれない、とも思う。

 あらゆる業界においても、トップクラスを走る人達は、24時間

 常に「成りきる」という姿勢を崩さない、ものかもしれないと

 思ったりもする。

    - - -

 一方で、この芸人に対するプロ魂の記事に接した時、

 少し違和感を覚えたことも事実である。

 平たく言えば、母親の葬儀の席でもお笑いを振りまく・・・事が

 お笑い芸人としてのプロとしての証なのだろう・・・か? と。

 そして、そもそも プロとは何なのだろうか と。

   - - -

 今もなおボンヤリしたままで、容易に答えが得られたわけ

 ではない。

 なんとか1つ思い付いたことは、

 これらの問題は、なにが正しい(姿)か、間違った(姿)ではなく

 人夫々の感覚、感性のあるがままのものであり、その評価も

 人夫々の感性で様々あっていい・・という一応の中間解答。

 私の感性で、もしその場に居合わせば、感動よりも違和感の

 方だったに違いない。

 私の場合、お笑い芸人も人の子、母親の死に嘆き悲しめば

 いいではないかという立場。

 なによりも、役者も芸人も、舞台を降りれば1市民。という方が

 しっくり収まる方である。

 勿論、プロの生き様には様々有っていいし、現実にも様々な

 プロの姿を我々は知り得ている。

 往年の俳優にも、勝新太郎タイプも居れば、舞台を降りた

 後の私生活をほとんど明らかにしない高倉健や渥美清タイプ

 もいた。どちらも立派な「プロ」である。

 それをどう思うかは、夫々の「好み・好き嫌い」。

 あの芸人の姿に「感動」する人もいれば「違和感」を覚える

 人もいる。 ・・・なんだか変な一応の結論。

 

 

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