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2017年2月

若き日の書

   まだ人生のなんたるかも分からずに、ぼんやりと

   過ごしていた若き(紫紺の青春の)日々。

   少し含羞を込めて、 当時読んで、今も微かにこころに

   残っている本、のうち3冊挙げるとすれば、次のような

   ものになるのだろうか。

    (但し、その後の人生に大きな影響を及ぼしたという

     程の大袈裟なものではない)

       亀井勝一郎   私の人生観  愛の無常について

       佐古純一郎   著作集

       飯島幡司    キリスト教の社会理念

   こう並べてみると、結果的に宗教関連ともいえるが、

   その後の人生航路では、特定の宗教に帰依しているわけ

   でもなく、凡庸な平均的日本人、として今日に至る。

   それでも、当時、卒業して、上京したこともあって、

   佐古氏のところを訪れ、直接話を聞いたこともある。

   結構、純な若者であったのである。(今は昔)

   亀井勝一郎の書では、「邂逅」という言葉が、衝撃的で

   あった。

   「人生は邂逅」という言葉に魅せられた。

   友情も恋愛も邂逅から始まる、どの人と出会うか・・で

   その人の人生は大きく変わる、書との出会いも・・・云々

   今も、人との出会いの不思議さを思っては、氏の「邂逅」を

   思い出すことがある。

   飯島幡司の書は、偶々大学がキリスト教系ということ

   からだったのか、相当分厚い本であったが、珍しく

   丁寧にノートを取りながら読んだ記憶がある。

   氏は確か朝日放送の社長等々をされていた実業家。

     以上、若き日の懐かしき読書断片である。

 

違和感

   1市民が、世の中の出来事全てにその正否や善悪を

   適格に判断することには限界がある。

   だからといって、それらの声を軽視してはいけない。

   市民の、「なんだか変」 「なんとなくおかしい」といった

   違和感こそ民主主義の原点であり、そこから全てが

   始まると思うのである。

   なんだか変、という素朴な疑問を大切にしたい。

     - - -

   最近、なんだか変と感じた出来事をメモにしてみた。

   あくまで、ご隠居の個人的な「違和感」である。あしからず。

    某独裁者の兄 暗殺事件

     確かに重大ニュースであることは認めるが、

     今もなお、日本のメディアはそれこそ朝から夜まで

     ニュース番組やワイドショウで最初に取り上げるテーマ。

     それも、「徹底検証」とか「徹底分析」の活字が氾濫。

     一寸乗り過ぎ?ではないのか。

     真相究明は、現地の国なんかに任せて、明らかに

     なった事実関係だけを報道してもらえば、少なくとも

     私はそれで十分である。

    タレントの出家

     某タレントの引退、出家、に国中が大騒ぎ?

     女性の出家が、大きくメディアに取り上げられるのは

     もしかして瀬戸内寂聴以来の快挙?

     なんだかよく分らないが、かといって詳しく知りたくも

     ない。なんだか変・・・と思いません?

     後始末は、当事者だけの問題、で願います。

    国会中継

     ほんの時間潰しに、テレビの国会中継を見る事がある。

     先日も偶々 某法務大臣の答弁を聞く機会があった。

     なるほど、野党ならず、中立的な立場の者でも、

     なんだか変・・・と、違和感を感じさせる出来栄え。

     遊び心からか、川柳まがいのものが頭に浮かんだ。

      この国に必要なもの 「共謀罪より 先に 隠蔽罪」

    天下り問題

      本件についても、なんだか変に感じることが多い。

      少し変わった視点で1つ取り上げると・・・

      長年に渡り、組織ぐるみの仕業だとすれば、

      日頃の「監視委員会」は何をしていたのだろう、という

      疑問。

      それとも、問題が表面化して、初めて活動を始める

      組織なの?

      それなら、会の名称を「監視」ではなく、

      「問題処理委員会」とでもすれば、理解され易いのでは。

      と、余計なお世話か・・・。

 

 

 

句読点

   誰にも読まれそうにないこの「ブログ」だが、

   「ブログ」というからには、雑記帳の「メモ書き」というわけ

   にもいかない。

   中身に一定の責任が伴うのは勿論であるが、体裁も

   一応気になるものである。

   文章の巧拙は、いまさらどうなるものでもないが、出来るだけ

   目を通しやすくという気持ちはあるつもりである。

   やはり、起承転結と句読点の巧拙がポイントかな・・・とは

   解っているのだが・・・。

   体験上、どんなに中身の濃いブログやレポートも、句読点が

   少なく、びっしりと字ズラだけの文章は、途中で読むのを

   止めたくなるものである。

   やはり、文章にも「箸休め」が必要なのだろう。

     - - -

   さて、ところで、「人生にも句読点が必要」と、高邁な

   話はさておき、

   恥ずかしながら、 この句読点、「句点(マル・終止符)と

   「読点(カンマ)」を逆に覚えておりました。

   「句点」のほうが、なんだかカンマのイメージでは・・・と

   (言い訳です)

   案外、逆覚えの仲間も大勢おられるのでは・・・

   (と、また言い訳です)

   そもそも、この「読点」が、解っているようで、案外

   正確には説明ができないことに、改めて気付いた。

   恐らく、日本人のなかでも、パーフェクトにこの「読点」の

   意味や用法を説明出来る人は少ないのではないかと

   恐れながら思うのである。

   こっそりと、ウィキペディアを覗いてみても、今1つ

   しっくりこないのである。

   適当に流し読みしている途中で、一寸面白い例題が

   あったので、それを転記させて頂いて、一先ず「読点」

   いや、「句点」といたします。

    1.ここで、はきものをぬいでください。

    2.ここでは、きものをぬいでください。

       (読点を間違えると、結構笑えますぜ!)

 

 

 

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