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2017年3月

維新史跡を巡る

  「明治維新」というのは、どうもよく解らないところがある。

  勿論、教科書レベルの表面的な知識程度は、持ち合わせて

  いるつもりだが、さて、なにが真実か・・となると どうも

  すっきりしないのである。

  様々な出来事も、例えば「廃藩置県」1つ取り上げても

  教科書では、ほんの数行の説明で事足り、かつそれで

  大体の内容は掴めるので、解ったつもりになるが、

  その時代に生きる関係者等の心情や、政策実施に至る

  労力や困難さ、手順・事後処理等を思うと、今日の時代から

  見ても想像を絶する壁にぶつかるのである。

    - - -

  あれやこれやで、まあ老後の暇潰しに恰好と、素人の

  歴史探訪で、過日も京都に行った折に、明治維新に

  因んだ史跡等を訪れてきた。

  壬生寺、 島原・角屋(もてなしの文化美術館)

  幕末維新ミュージアム(霊山歴史館)

  護国神社(維新の道・坂本龍馬等の墳墓)

    (個人的な余談

      今回角屋では、館長にもお会いして、兄上とは

      幼き日に某所で一緒だったことが確認できた)

    - - -

  今回は、以下に護国神社で収めた龍馬等の墓の写真を

  掲げておくことにしたい。

Dsc00894            坂本龍馬 中岡慎太郎の墓

Dsc00900            木戸孝允(桂小五郎)の墓

Dsc00902             高杉晋作の墓

Dsc00903Dsc00897            護国神社より市内展望

                                   以上


                   



枝分かれの秘密

   Dsc00889_3
Dsc00890

   近くの公園に聳える大樹2葉である。

   散歩の折に、ぼんやりとこれらの風景を眺めては

   様々な事柄に思いを巡らすことがある。

   これらの大樹も、元は小さな苗木であったことだろう。

   遠くなるような年月を経て、成長、進化し、今や

   枝を縦横に張り巡らし、天に向かうが如しである。

      - - -

   この写真を持ち出したのは、

   ある作家の「進化すると分かれる」という、何気ない

   ひと言に触発されたことによる。

   別段、聞き流してしまうような言葉でもあり、その真意を

   正しく解したかは、こころもとないが、妙に心に刺さり、

   自分なりにあれこれ考えるきっかけとなった。

   この写真の大樹のように、進化するということは、

   そのまま図体が大きくなるということではなく、

   「分化」 すなわち 細かく枝分かれしていく様相の方に

   力点があるのではないか。

   それは、自然界だけでなく、人間社会においても

   当てはまるように思われてくるのである。

     - - -

   進化すればするほど、一定の成熟期に達すると、

   やがて枝分かれのように 細かく分化し、複雑化する、

   というのは一面の道理かもしれない。

   やや強引にしかも次元の低い話になるが、

   昨今の社会現象から、それらしき実例を思い付くままに

   出してみると次の通りである。

   プロ野球の投手起用

     昔   エース級の投手は誰もが 完投ー完封ー

          ノーヒットノーランー完全試合 を目指す。

     今   先発、中継ぎ、抑え と分業体制に移行

      (これが野球フアンにとって歓迎かどうかは別)

   歌謡界

     昔   国民的歌手と言われるような歌い手が主流

     今   グループで歌い踊る・・が主流

      (これも1つの時代の進化なのであろうか)

   演芸(バラエティ)界

     昔   落語、漫才、コントと独立したお笑いが主流

     今   ひな壇と称する席で大勢の芸人たちが

          ワイワイやるのが昨今の風潮

      (これもまた進化の表れなのか)

        - - -

   やや強引な実例だが、これら3例を並べてみると、

   進化(世の流れ)の様相が、偶然同じ・・とも

   思えないのだが、果たしてどうだろうか。

   そのうち社会現象として、どこからか「新説」が

   でてくるかも(と、自画自賛!)

   あれやこれやを踏まえ、改めて大樹をじっくり

   眺めると、文字通り、「進化すると分かれる」 という

   言葉を具現した象徴に見えてくるから不思議である。

     - - -

   さて この「進化」から「分化」への流れ、

   果たして その先は・・・。

   「回帰」 なのか あるいは 「退化」 か。

   この先は、それこそ社会現考学者にでもお任せしましょう。

 

 

 

   



       



解説者花盛り

    - 諧謔の中にも批評精神が息づく -

  野球解説者のお言葉

     両チームゼロ点のまま延長戦に、

     11回の裏、すでに2アウト

     戦況を聞かれた解説者のお言葉

      「ここで1発出れば、勝ちに繋がるのですがね・・」

           ・・・

     9回裏2アウトだが、走者2.3塁で1発逆転のピンチ。

     投手の対応を聞かれた解説者のお言葉

      「何も考えず、まず目の前のバーターを

       押さえることです」

           ・・・

     球界において実績と権威ある解説者のお言葉

     誰もが有難く拝聴する。

     「当たり前じゃないか!」なんて言えません。

     どの世界でもよく見かけることでございます。

        - - -

  国会中継にも解説者を

     なんでもかんでも解説者を取り揃えて番組を

     盛り上げようとするテレビ局の事、国会の

     テレビ中継にも解説者を・・というのは如何ですか。

     引退した大物政治家あたりを呼んで、縦横に

     「解説」して頂く。勿論与野党関係なく、生温い

     質疑には鋭いツッコミや、時には、政治の裏話など

     織り込んで・・・。隠蔽や弁明も、し辛くなります。

     勿論野党側も的外れの質問には即ダメ出し。

      (お遊びが過ぎますが)

     その日質疑の中で立派な議員には、終了後、

     解説者から「ヒーローインタビュー」

     選ばれた大臣から

     「これからも応援宜しくお願いします」の決め台詞。

     高視聴率間違いなし、で国会開催中は毎日中継

     することになり、国民の政治への関心益々高まり、

     国会議員も常に国民の注視のなか真剣に政治に

     取り組むとの相乗効果も期待される。

     以上の結果、この「解説者」採用新番組大成功で

     ございます。

 

 

 

 

 

霞が関世情

   どう考えてもなんだか変という、如何にも脇の甘い

   出来事が頻繁する世も困ったものだが、

   締め付けの厳しい窮屈な世の中も勘弁願いたい

   ものである。

     - - -

   経産省が、全ての執務室に施錠し、外部からの出入りを

   規制するとの由。

   確かに官・民に関わらず、一定の情報管理は必要だが、

   「施錠」するまでに至るこの「世情」には驚いた。

   この感性というか、感覚はタダモノではない。

   なんだか変と思っていた矢先、更なる事態が表面化した。

   その施錠された内部で、異様とも思える日本礼賛本

   (世界が驚く日本)や万博誘致の「関西弁報告書」が

   多額の税金を使って、作成されていたとのこと。

   流石にこの関西弁の品性の無さに、大臣も不適切

   だったと即撤回のお粗末。

   さらに付け加えると、この関西弁報告書の作成過程が

   如何にも役所的!

   「博覧会推進室」という立派な部署で、「有識者」らによる

   検討会まで行っていた由。有識者の見識如何(遺憾?)

   さらに制作には、関西弁に「精通」した人も加えたという

   この念の入れよう・・・・でこの有様。

   どこから突っ込まれても釈明できるよう、形式的な

   手順はしっかり押さえるが その結果がこのテイタラク。

   なんだか、時折見かける典型的な役所のお仕事。

   だと思いませんか?

     - - -

   さて経産省の「施錠」のニュースを聞いて、

   思い出した昔話を1つ。

   何十年も前、現役時代のある時期、月に1度大蔵省

   (現財務省)に報告書を届けていたことがある。

   一応正門で、形式的にチラッと社員証を見せれば

   中は自由。

   報告説明も、直接執務室の中に入り、担当官の

   デスクで行う。

   資料で埋まる机、個々に電話中や、打ち合せの担当者。

   それら雑然とした雰囲気のなかで、担当官からの

   質問に答えていた。

   ただ、先客があると、廊下で立ったまま順番待ちである。

   そんなことを今も覚えている。

   天下の大蔵省は、お世辞にも立派なオフィスとは言えず

   比較的出入り自由、雑然とフランクなものであった。

   ただ、流石に大臣・次官クラス(入ったことはない!)の

   部屋の前の廊下は赤絨毯。

   当時経産省も同じような雰囲気と記憶しているが、

   今や その全執務室に「施錠」とのこと。

   官僚の世界が変わってきたのか・・・

   それとも 世の中がそのように変ってきたのだろうか。

 

箸休め

  以下はほんのジョーク紛いの箸休めにてご容赦!

  春近しというのに、国内外共になんだか不可解な

  事柄が起こり、うっとおしい日々。

  暫し気分を変えて・・・。

    過日 「句読点」について駄文を呈したが、

    その繋がりで 教科書には出てきそうもない

    問題文(解読)を思い出したので、付け足しまでに以下。

   問1  ウラニワニワニワニワニワニワニワトリガイル

   問2  スモモモモモモモモモモモモニモイロイロ

       - - -

   賢明なる諸氏には、バカバカしい程の問題でしょうが、

   念のため解答文は次の通り。

    1. 裏庭には二羽、 庭には二羽、 鶏がいる。

    2. 李も桃、 桃も桃、 桃にも色々。

傍観の合間で

  歳の所為にする訳でもないが、段々と政治や社会問題で

  口角泡を飛ばすような議論をすることも稀になってきた。

  諦観というとなんだか聞こえがいいが、まあ「傍観」と

  いうのが順当なところである。

  それでも時折、「俺にも言わせろ」と思わず言いたくなる

  ような事柄に出くわすことがある。

  最近では 「国有地売却問題」然りである。

  内容そのものについては、理解不能なものも含めて

  アレコレ出回っている途中であり、ここでは控えるとして、

  国会でのやり取りを聞いていて、一寸気になった事を1つ

  だけ取り上げておきたい。

  「官僚たちの答弁」についてである。

  今更青二才的なことを言うつもりもないが、彼ら官僚たちは

  誰のために仕事をしているのであろうか。

  勿論その前に「御身大切」の気持ちは痛い程解るが、

  本件におけるような国会での質疑は、特に国民(主権)に

  よって選ばれた代議員によって経由される、いわば国民の

  「なんだか変」と感じる疑問の集大成である。

  したがって、官僚たちの答弁は、本来国民に向けた答弁

  説明でなければならない。

  が、現状ではその視点が全く欠落しており、解り易く

  事実を説明しようとする姿勢よりも、最初から弁明ありき

  のように聞こえてしまうのはどうしてだろうか。

  官僚とは一体何?と改めて考え込むのである。

    - - -

  官僚のなかには、資質・能力に優れ、人間的にも

  立派な人を多く知っている。

  したがって安易に無責任なレッテルを貼るつもりはないが、

  他面、官僚たちが、実質的、実際的に、この国の在り方に

  大きく影響していることも忘れてはいけないと思う。

  確かにあらゆる決定は、国会等の表舞台で行われるが

  その裏の舞台では、常に官僚が下書き・デッサンを描いて

  いるということを・・・。

  官僚の知的・質的レベルがこの国のレベルにも成り得る。

    - - -

  余談ながら、現在全国地方自治のトップ(知事等)の

  6割以上が官僚出身である。

  それが、いい悪いではなく、彼らのネットワークと

  中央(集権)との結び付きによって、地方自治が機能

  しているというのも「一面」の現実である。

  だからこそ、現役の官僚にも「国民・市民のための仕事」

  を自覚してほしいのである。

  なんだか官僚に対する辛口のコメントになったが、

  本来の職務に邁進してほしいとの願いを込めた

  「エール」でもある。

 

 

割り切れない数字

  将棋盤は9×9=81の升目(戦場・フィールド)で勝ち負けを

  競う。

  ある棋士曰く、 81という如何にも変則な升目が、将棋という

  勝負事をより深いものにしている。80+1 このプラス1を

  縦横に、より有利に活用出来ないと、プロとして生きて

  いけない。と言う。

  常に大局的に戦況を掌握し、全体を活用、使い切るという

  事なのであろうか。

  あらゆる勝負事や、経営(組織)にも通じる言葉では

  ないだろうか。

  この81という升目、何気に見過ごしているが、将棋という

  ゲーム(戦い)において、この「割り切れない」半端な数字が

  如何にも絶妙に見えてくるから面白い。

  やはり10×10 や 8×8ではしっくりこないのである。

  何故なのだろうか・・・。

    - - -

  少し話が飛躍するが、戦国時代、戦いの場における陣形

  には、偶数の陣容(組・人数)が、二手に分かれ易いと

  いうことからも、常識的なものであったらしいが、実際の

  戦場(戦いの場)では、必ずしも整然としたものではなく、

  予備的な遊軍や影の軍団とかが多く、要するに敵方に

  容易に読まれない陣形(割り切れない数字)が主流という

  説もある。

  なんだか将棋の布陣を彷彿とさせるではないか。

  横9マスなので、必然的に前線の歩(歩兵部隊)は9コマ

  である。戦いをより深いものにしている。

   - - -

  別途、陣形〈組織)における飛車・角という夫々異質の

  存在も意味深い。

  現在、様々な組織でも、夫々持ち味の異なる二枚看板の

  参謀が重要な役割を発揮しているケースは多い。

  (例えば 外ー外交・営業  内ー総務・管理 等)

  あたかも将棋の飛車・角の如しである。

    - - -

  又々話が変るが、 スポーツ(戦い)の世界でも、

  「割り切れない数字」と縁が深い。

  たとえば、 野球は9人、 サッカー11人 バレー6人(9人)

  ラグビー15人(7人)等である。

  特に野球の場合、1~3塁に夫々一塁手、二塁手、三塁手

  でいいようなものだが、あえて「遊撃手」を加えて9人と

  するあたり、相当なものである。(当然イニングも9回)

  勝負の世界は、「整然」を好まない!

  「割り切れない数字」が、より戦略、戦術を高度なものに

  している・・・というご隠居の仮説?である。

 

 

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