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2017年4月

政治の裏話

   元国会議員の自嘲めいた話に「そうだ議員」という

   言葉が出てきた。

   どうやら、その人の「造語」らしい。

     国会議員を目指すような人は、皆それぞれに

     胸の内に熱き思いや、気概を持っているものである。

     が、実際その世界に身を置くと、政治の現実の壁に

     ぶつかり、いつの間にか、自らの信条・信念は脇に置き、

     党内上層部のご意向に沿って、そうだ! そうだ!と

     叫ぶことが、その人の立ち位置になってしまっている

     議員のことをいう。

   今や、新人が国会議員になるためには、当該政党の

   お世話や支援がなければ当選は覚束ない。

   必然そこにある種の恩義関係が生じる。

   さらに議員になれば、少数選挙制からの上層部権力

   集中を目の当たりにすることからも、ますます

   常に上層部の言動を意識し、「忖度」せざるをえない土壌が

   生まれることになる。

   これらを背景として「そうだ議員」が出現する。

   上層部も、如何に多くの「そうだ議員」を育てるかが、

   直接安定政権に結びつくだけに、利害?は一致する。

   昔の思想対立というよりも、現在の政党は政策の手法

   方向性等の比重でグループ化してきている面が強いだけに、

   本来党内での侃侃諤諤がもっとあって然るべきだが、

   現実は、衰退傾向にある。

   変に党内意向に反対意見をぶつけて睨まれては、

   冷や飯を食らうだけ。

   それが次の選挙に影響となると・・・そうだ!そうだ!が

   無難という空気となる。

   勿論、「そうだ議員」もベテランになると、同じ「そうだ!」

   でも何種類に使い分ける。

   時には、異論を展開して、存在感をアッピールすることを

   忘れない。

   このあたりのニュアンスに長けてくると、次第に国会議員

   らしい雰囲気が身に付きだし、やがて政務官、副大臣の

   ポストも近くなってくる。

   運がよければ、もしかして大臣もという道が開かれる。

   ただ、これらの「そうだ議員」、多くは、議員本来の政策面や

   専門分野での研鑽、切磋琢磨に欠けるところがあり、

   折角重要ポストについても、失言やつまらない行動で

   墓穴を掘り、長年の下積み生活を台無しにするという

   ケースが時折見掛ける・・・という誠に残念な政治の裏話。

   (道半ばで夢破れた議員の話だけに、さてどの程度・・・・)

 

 

 

 

 

「辞任」あれこれ

   以下は、少々物事を茶化して記すので、あしからず。

   経産政務官が、不祥事で責任をとり辞任するとの由。

   最早びっくりするほどのニュースでもないし、これを

   あれこれ取り上げて論じるほどの趣味はない。

   が、このニュースを聞いて思わず哄笑してしまったことは、

   「政務官」というのは、議員が責任をとって辞任するほどの

   大きなポジションなのかどうかということ。

   まあ、選挙の時には多少プラスに働くとしても、

   本人が思っているほど、我々国民はそう思っちゃいない、で

   おもわず笑ってしまったという次第。

   大臣や議員、を辞めて責任をとるというのなら、立派な

   ものだが、たかが「政務官」である。

   勿論政務官の職務をある程度理解した上での話であるが、

   大臣に何かが生じた場合、副大臣は代行可能だが、

   政務官はその権限を有しない。その程度のものである。

   辞任と同時にすぐ後任が決まり、恐らく省内では一部を

   除いて何事もなかったように日常の業務が進められて

   いるに違いない。

   余人をもって代えがたい仕事をされていたのであれば、

   国民としても誠に残念なことではあるが、遺憾ながら

   どのような「特定の政策」に関わっておられたのか、

   承知していない。

     流石、大臣ポストくらいになると、しがみ付き

     居座る人も多いが、政務官くらいだと、

     (次の選挙最優先)辞任即決ということだろう。

     政治の世界にあって、解り易い方の話である。

 

三猿

   三猿といえば、日光東照宮のそれが有名であるが、

   一寸変わった、面白い「見ざる 言わざる 聞かざる」を

   京都六角堂で拝見したので、写真に撮らせて頂いた。

   次の写真である。

Dsc00904

   三猿の由来は諸説あるらしく、主だったものでは

   やはり、孔子の「四猿」からということのようである。

    礼節に背くことに注目してはいけない  ・ 見ざる

    礼節に背くことに耳を傾けてはいけない ・ 聞かざる

    礼節に背くことを言ってはならない    ・ 言わざる

    礼節に背くことを行ってはならない    ・ せざる

      - - -

   三猿の意味するところは、それはそれで解らないでも

   ないが、人間、時には柔軟に物事を直視し、

   よく耳を傾け、言いたいことを言う、ということもあって

   いいのではないか、 と凡人には思えてしまうのだが、

   はたしてどうだろうか・・・。

   上の写真ともよく対話でもしてみることにしよう。

 

野球選手の年俸

  ある新聞に大リーグの高額年俸について書かれた記事が

  あり、興味をもって読んだ。

  現在大リーガーの最高年俸は約33億円とのことである。

  (決して生涯年俸の間違いでなく、1年間の年俸である)

  この33億円をどう受け止め、どう考えるかは人それぞれで

  あり、第三者がアレコレ言うことでもないが、私も以前より

  違和感を持っていたことは確かである。

  決して野球選手の「仕事」を軽く見ているわけでもなく、

  大リーグで活躍している人たちは、それこそ60億の地球人の

  なかでも、極く限られた技能・才能を有した人達である、と

  理解しているつもりである。

  だが、しかし・・・という意味での違和感である。

  また、野球選手も生身の人間である。高額の年俸を得て

  いても、時には不振の結果でシーズンを終わることもある。

  実際、10勝そこそこで、30億近い年俸の投手もいるらしい。

  日本野球界でも、昨今いつの間にか、中堅クラスでも

  億単位の年俸をもらう時代になってきている。

  ひとりの選手に対して、30億払ってもペイすると考える

  球団経営者がいるわけだから、そのような時代・世界と

  割り切る見方もあるが、上記の新聞記事では、それらを

  踏まえた上で、大リーグ(日本においても)も、社会

  (フアンや地域社会)に還元を考える時期にきているのでは

  ないかと、提言している。

  全く賛成である。

  競争原理が強く働く世界だけに、1球団で実施することは

  難しいが、たとえば、1選手に対する年俸を10億程度に

  抑えて、残りの20億を球界として、社会的な事業や

  支援に還元するようになれば素晴らしいと思う・・・。

  新聞を読んでの感想である。

    - - -

  余計な事ながら野球つながりで一言。

  球史に名を残すであろう、現在も大リーグで活躍中の

  I選手についてである。

  野球選手として、完璧ともいえる魅力的な選手であり、

  現在も頑張り続けている姿に敬意を表するものである。

  それを踏まえた上での話だが、たとえば昨年1年間

  (昨シーズン)少なくとも彼のプレーをテレビで見たことは

  ほとんどない。

  常に見かけるのは、テレビ(地上波)コマーシャルでの

  彼である。

  国内では、すでにコマーシャルタレントとしての彼しか

  見掛けないのはなんとも惜しいというか寂しい気がする。

  勿論スポンサーからみると価値ある「タレント」なので

  あろうが、正直に言うと、彼の 今や手慣れた「こ芝居」

  なんか見たくない。

  やはり彼のスピード感溢れる野球選手としてのプレーを

  見たいのである(BSで・・とかいう問題ではなく)

  テレビに映る彼を見る度そう感じるのである。

  これもまた第三者がアレコレ言うことでもないが、

  私なりの率直な感想である。 あしからず。

 

 

論理矛盾

  国有地売却問題

    不動産売買は、通常売り手と買い手双方の意志・同意

    によって成立する。

    もしその売買に瑕疵・不明な点が社会的に問題になれば、

    売り手買い手双方に説明責任を課すのが道理というもの。

    本件、売り手側の当初の説明(国会における財務大臣

    答弁)は、ルールに従い、正常な手順で行われており、

    なんら問題はない、というものであった。

    (その後もそのスタンスは不変)

    それなら、何故「買手側」だけを国会に呼び、証人喚問

    するのか、明らかに論理矛盾である。

    もし、この売買に関連して、買手が不正に補助金等を

    受給しているとすれば、それは別途刑事事件として

    取り扱い追求すればいい事であって、国会で追及する

    のは本来の問題から離れたスジ違いである。

    本件、何かが隠されているのか、全ての対応が

    歪んで見えてくる。

      - - -

  いわゆる忖度問題について

    忖度というのは、論理的に忖度する側の事象であり、

    忖度される側が、あれこれ論じても、本来説得力は

    ないという性質のものである。

    たとえば、忖度される側が、100回忖度されることは

    ありえないと叫んでも、忖度をする側が、1度でも

    忖度しましたと言えば、忽ち打ち消される。

    これが本来「忖度」というものの本質である。

      - - -

 公人か私人かの議論について

    法的には、明らかにする必要性が生じる場合も

    あるだろうが、通常はあまり重要な議論とも思えない。

    総理は24時間如何なる時も 総理である。

    同様に、総理夫人も24時間 「総理夫人」である。

    ただこれだけのことである。

     (但し、総理夫人は公けの責任はほとんどない)

    たとえば、プライベートでデパートに買物に行かれた

    場合、あくまで「私人」だが、店側は具体的な利便は

    供しないとしても、それなりに気を使う(→忖度)のは

    自然の姿である。

    もし仮に、夫人が何らかのトラブルを起こされた場合、

    店側は、出来るだけそのトラブルが表面化しないよう

    対処(→可能な限り隠蔽)するのもある程度自然の

    姿である。それが社会通念というものである。

    表面化して、その時公人だったか私人だったかと

    議論してもあまり意味はない。

    あくまで「総理夫人」 それだけである。

    夫人も24時間 「総理夫人」なのである。

 

 

 

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