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2017年5月

悠遊の5月

    デジタルカメラをポケットに、ふらりと出歩くには

    程よい季節である。

Dsc00906

         5月は薔薇の季節。

         某競馬場の薔薇も見頃。

         馬の駆けっこ(賭けっこ)は門外漢

         散歩の途中でふらっと競馬場に入るのも

         大人の風流。

Dsc00907       「どうだ!まいったか」 と言わんばかりの

       ひなげし(=虞美人草)の乱舞。

       都会にだってこの程度の風景は結構あるものです。

       じっと観ていると、1輪、1輪がしっかり自己主張

       しています。

       遠くからみている地球上の人間と同じかも

       知れませんね。

Dsc00915       花の5月。 蜻蛉にだって夢や希望があります。

       蜻蛉の寿命は成虫になってから4~5ヶ月とのこと。

       ほぼ1シーズンの命ですが、蜻蛉なりの喜怒哀楽が

       詰まっているのでしょう。

       地球は人間だけのものではないことに気付きます。

Dsc00912       妙に技巧にはしった枝ぶりの盆栽は、

       年月とともに飽きがきます。

       凡庸のようだが、ただそこに在る、だけで気分が

       安らぐ。そんな盆栽が好ましい。

       人間だって、結局そういうものではないでしょうか。

       凡才が選んだ盆栽です。    

                                   以上

 

       

 

       

 

 

 

ほん(本)の一行

    読書の愉しみは、人それぞれであろうが、

    1つは、なんとなく気になる語句・言い回しや、

    1行に邂逅することではないだろうか。

    なんということもなく、読み流してしまうような

    文面のなかに、ふと気になりだして、改めて

    読み直す、と結構深い意味合いに驚く、という

    ことがある。

    とりあえずその1行をメモしておく、という具合である。

    先日もおもわずメモした1行は・・・

      「 およそ (歴史) には (作者) がいる 」

    たったこれだけの短い1行だが、 何度も読み返し、

    歴史というものの本質を見事に貫通して痛快にすら

    感じた次第である。

    別途、ここから 歴史は勝者によって造られる

    (書かれる)という云い様が生まれる。

    現代(史)においても、その出来事の多くは、

    テレビや新聞等の作り手という「作者」から

    情報を得ている。

    当然、1つの政治・経済・社会の出来事も

    作者によってその捉え方が違ってくる。

    新聞を数紙読み比べれば如実である。

    まして況や、大昔の「歴史」など・・と 細やかながらも

    思考は次々に拡がっていく。

    これこそ読書の愉しみの1つではないだろうか。

                       ある日の読書メモより

 

コモンセンス

    非常識な立ち振る舞いには、寛容になれない方である。

    自らも、常識を弁えることに神経質、と自負している。

    だからこそと言うべきか、時には「常識」そのものを

    疑ってみる、ということも必要かなと思うのである。

       - - -

    日本人の常識として、

    「自分のことを棚に上げて、偉そうな口をきくな!」 と

    いうのがある。

    誰もが、その通りと認める「常識」である。

    だがこの常識も、改めてじっくり考察すると、結構意味深い

    話へと拡がるところがある。

    例えばということで・・・・

    野球場や国技館での観客の「野次」。

    大概、自分のことを棚に上げないと、発せられない

    ものである。

    「じゃあ お前 土俵に上がってこい!」 

    なんて言われてもね・・・。

    斯様に世の中を眺めてみても、 常識として解っていても

    如何に「自分のことを棚に上げた」発言・会話が、充満

    しているかに気付くのである。

    棚に上げないと、窮屈で会話にならない、ともいえる。

      - - -

    逆に言えば・・・

    万人が、自分の度量、器(うつわ)、技量の範囲内でしか

    モノを言わない、 そのような世の中なんて案外つまらない

    のかもしれない。

    常識を破る、常識を超える、といったことで、人間は

    試行錯誤し、歴史を作ってきたのではないか・・・と

    思ったりするのである。

    常識に捉われない柔軟性も時には必要。

    人よ、時には、自分のことを棚に上げて大いに

    偉そうな口をきこうではありませんか。

      - - -

   ( 「自分のことは棚に上げて偉そうな口をきく」

    我がブログの正当性を担保する、深慮な「しこみ」

    でもあることはここだけの話である。 ご隠居 )

 

 

 

 

 

 

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