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コモンセンス

    非常識な立ち振る舞いには、寛容になれない方である。

    自らも、常識を弁えることに神経質、と自負している。

    だからこそと言うべきか、時には「常識」そのものを

    疑ってみる、ということも必要かなと思うのである。

       - - -

    日本人の常識として、

    「自分のことを棚に上げて、偉そうな口をきくな!」 と

    いうのがある。

    誰もが、その通りと認める「常識」である。

    だがこの常識も、改めてじっくり考察すると、結構意味深い

    話へと拡がるところがある。

    例えばということで・・・・

    野球場や国技館での観客の「野次」。

    大概、自分のことを棚に上げないと、発せられない

    ものである。

    「じゃあ お前 土俵に上がってこい!」 

    なんて言われてもね・・・。

    斯様に世の中を眺めてみても、 常識として解っていても

    如何に「自分のことを棚に上げた」発言・会話が、充満

    しているかに気付くのである。

    棚に上げないと、窮屈で会話にならない、ともいえる。

      - - -

    逆に言えば・・・

    万人が、自分の度量、器(うつわ)、技量の範囲内でしか

    モノを言わない、 そのような世の中なんて案外つまらない

    のかもしれない。

    常識を破る、常識を超える、といったことで、人間は

    試行錯誤し、歴史を作ってきたのではないか・・・と

    思ったりするのである。

    常識に捉われない柔軟性も時には必要。

    人よ、時には、自分のことを棚に上げて大いに

    偉そうな口をきこうではありませんか。

      - - -

   ( 「自分のことは棚に上げて偉そうな口をきく」

    我がブログの正当性を担保する、深慮な「しこみ」

    でもあることはここだけの話である。 ご隠居 )

 

 

 

 

 

 

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