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2017年6月

八甲田山に眠る兵士

   今から30年程も前になるが、青森の六か所村核燃料

   再処理工場を見学したことがあり、その帰路、八甲田山

   にも立ち寄った。当然東北大震災の前である。

   今改めて思うに、なんとも「心的に」ハードな行程であった。

   その八甲田山では、珍しい体験を余儀なくされた。

   ケーブルカーで登ったのだが、山頂は全くの霧(雲?)の中。

   それこそ1メートル先も見えない、「視界ゼロ」の世界。

   やむなくそのままケーブルカーでUターンという次第。

   ただ、7~8合目位まで、下りてくると、一転澄み切った

   紅葉の秋景色が目の前に拡がる。

   誠に山の天候の不思議さを体感することになった。

   「平和」な時代のひとコマであった。

     - - -

   さて、その八甲田山に関連して・・・

   過日、確か新聞だったと思うが、岡野弘彦氏(歌人)が

   書かれていた記述が、こころに残った。

   次のような内容であった。

     「 明治35年冬の八甲田山雪中行軍の遭難事故の

       跡を訪ね、その死を弔う墓地を見た時の

       心の違和感・・・・ 軍の階級差に従って

       次々に墓石の小さくなってゆく あの違和感は

       背筋の冷え冷えとする感じで・・・」

   八甲田山遭難事故については、映画にもなり、

   周知の通りだが、墓地については未知であった。

   雪中の軍事教練で、約200人の兵士たちが

   亡くなり、その記念館脇の墓地に眠っている。

   その人達の墓地についての、岡野氏の感慨が

   なんとも切ない。

   亡くなってからも 軍の階級が持続・・・・。

   階級に準じて墓石の大きさが定められ、兵士たちは

   亡くなったあとも、整然と列を組んでいるように

   見えたのであろう。

   私にも、なんだか考えさせられる一文であった。

 

 

巨人方式は不滅か

   好き嫌いは別にして、日本のプロ野球を牽引してきたのは

   言うまでもなく巨人であり、今もなおその地位は不動である。

   巨人あってのプロ野球といっても過言ではない。

   だからこそ、「叩きがい」もある、というものである。

      - - -

   その巨人が今期低迷しており、なんと13連敗の記録との

   ことである。

   世代交替が未だ進まず、今もなおベテラン頼み、あるいは

   監督の采配云々と、その低迷原因について、世間でも

   あれこれ騒がしいが、専門的なことは野球通に任せると

   して、巨人軍の悪しき伝統的構造論を、「企業経営」に

   照らし合わせて、私なりに2~3挙げておきたい。

    1. チーム組成の基本方針

        「常勝巨人」という足枷に自らの首を絞めて

        いる如く、長期的視点構想が欠如。

        時間の掛かる選手育成よりも、(FA)大型補強や

        トレード依存構造が顕著。

        これが悪しき伝統の最たるものである。

        今期も12球団のなかでも最大の大型補強を

        やったと言われているが、現状このテイタラク。

        これは、若手育成選手の戦意、伸び悩みに

        繋がりかねないだけに、無視できない問題。

        今の処、強力なブランドで、巨人を目指す有能

        選手も多いが、一方で、期待されながら力を

        発揮する前に消えていく選手も多い。

    2.  長期的投資戦略

        潤沢な資金に恵まれているためか、緻密な

        投資戦略に欠けており、無駄な投資が多い。

        あるデータによると、

        今期巨人支配下選手の平均年俸は6043万円

        (大型補強によるところも大きいのであろう)

        で、リーグ最高。因みに現在リーグ首位の広島は

        2767万円である。

        この差は歴然、年俸と成績の関連で見る限り、

        如何に巨人の投資効率が悪いか、明白である。

    3.  ダブル・キャスト問題

        上記1.2.に関連して生じる事柄であるが、

        ダブル・キャストとは、 たとえば、 折角正位置を

        確保してやる気になっている若手と同じポジションに

        他球団から大物を補強するようなことを平気で

        やってしまう風潮。過去多くの事例が思い浮かぶに

        違いない。

        チーム内で競争・切磋琢磨させ全体としての

        戦力を高めるという意味合いもあるにはあるが、

        従来マイナス効果の方が多い気がする。

        巨人の場合、「補強」の意味合いが少々異なって

        いるのかもしれない。

         - ー -

   これらの構造的悪しき伝統を有しながらも、勝てば官軍、

   で、なんとか今日までそのブランドを保持してきているのは

   流石巨人軍の底力・・であろうか。

   ただ、 負ければ 監督の責任・解任・・・の歴史。

     ー - -

   これらの巨人を、親愛の心を持ちながらも、冷静に

   見続けているひとりの男がいる。 松井秀喜である。

     - - -

   以下はある時、ある席で聞いた興味深い話である。

   (あくまで聞いた話)

   元大リーガー 松井秀喜は、1993年 ドラフト1位で

   巨人に入団。

   元々阪神フアンで、同球団を希望していたが、当時の

   巨人長島監督の熱烈コールもあり、入団を決意した。

   が、なんと同じ年にヤクルトにいた長島一茂がトレードで

   巨人に入団したのである。

   松井は、長島監督から、外野手へのコンバートを命じられ

   (高校時代はサード) 開幕は2軍スタート。

   一方、一茂は一時的にしろ、「4番サード長島」のコールで

   球場を沸かせていた。

   監督は、純粋に松井の将来性等を考慮してコンバートを

   命じたのかもしれないが、若い松井には屈辱そのもの。

   後年、松井はあの時の屈辱は一生忘れられない、と

   話をしたことがある由。またそれをバネにして大リーガー

   への道を歩んだともいえよう。

   彼は、利口なので、巨人時代は、一切その素振りも見せず

   「親巨人」を見事に貫き、 後年奇しくも 長島監督と

   同時国民栄誉賞に輝いた折も、立派に球界の大先輩を

   立てていた・・・という話である。

   果たして将来、松井は巨人の監督になるのだろうか。

   今も 米国に在住のまま・・・というのが少し気掛かり。

   というのがその時の話の結論であった。

 

 

 

 

 

権力小考

   人それぞれ、様々な見方や考え方があっていいわけだが、

   直近の或る週刊誌の見出し、「日本の政治はなぜこんな

   ことになってしまったのか」に、感覚的に同調の思いの人は

   案外多いのではないだろうか。

   その背景は、政策云々以前の問題で、たとえば政治手法、

   国会質疑対応、処理の不味さ、強引さ、言葉足らず、軽さ

   等々、要するに「節度」に起因しているところが大きいように

   思われる。

   今朝のニュースでも、官房長官の談話で、「加計問題は

   たまたま総理の友人で・・・」という表現がなされていた。

   たまたま総理の友人だっただけのこと・・・の説明で「了解」

   となるのだろうか。 

   諸々の意味でなんだか、米国トランプ政権が発進する

   空気と類似するところがあるのがなんとも微妙な話。

     - - -

   「なぜこんなことに・・・」については、左程深刻に捉えて

   いるわけではないが、その原因について、少し考えて

   みると、やや本流から離れるが、2つの遠因が浮かんだ。

   1つが、「小選挙区比例代表並立制」 の導入。もう1つは

   「中途半端な行政改革」である。

   小選挙区制については、勿論利点もあるが、この導入に

   よって、なんだか国会議員が「小粒」になったというか、

   いわゆるサラリーマン化したように思えて仕方ない。

   政党(政権)安定化には働くが、個々の議員にとっては

   不安定化が進み、その分、各議員にどっしりと政策に

   取り組むという余裕が希薄化しているのではないかと

   思えるのである。

   選挙(就職活動)を必死に戦い、当選によって得られた

   就職(議席)をなんとか死守することに汲々。

   長期的視点よりも目先の立場安定が優先で、なんだか

   議員までが、上をみて仕事をする役人かサラリーマンに

   見えてくるのである。

   本来6年間解散もなく、長期的視野で国家の課題に

   取り組むべき参院議員も同様である。

   一方、行政改革については、

   以前、省を統合し、省の数を減らしてスリム化を図り、

   一見行政改革を推進したかに見えたが、左程職員数が

   減少したわけでもなく、無理に「厚生」と「労働」を一緒に

   して「厚生労働省」としたりして、結局昨今は担当大臣を

   増やすことによってかえって組織・機構が複雑になり、

   その結果大臣も省を掌握しきれず、仕方なく官僚任せと

   いうのが散見するようになり、大臣そのもののステータスを

   低める結果となっている。

   これら諸々の事柄から、より権力の一極集中が高まり、

   それが 「なぜこんなことに・・・」に少なからず繋がって

   いるのではないか、というのが私なりの感想である。

   昔、当時のある総理が、オフレコの場で、側近から

   少しやり方が強引過ぎるのではと言われた際、

   その総理は、なかば冗談っぽく「君ィ! それが

   権力というものだよ」 と返した由。

   どこかで読んだことを思い出した。昔の話である。

 

 

 

紫陽花の季節

  「モリ」だ「カケ」だと、一体政治の世界はどうなっている

  のだろうか。

  それも、政府高官、高級官僚、教育機関の学長等と、 一応

  社会的には、それなりの見識と信頼を評価されるべき人達が、

  なんともお粗末な「泥試合」を演じている。

  真実は1つ、誰彼の見解が、「虚偽」か「間違い」なのであろう。

      - - -

  推測の論評は差し控えるが、一般論として以下に少々。

  そもそも政治家の本性として、新人議員からベテランの

  大臣級議員まで、地元選挙民、支持者等からの陳情や

  要望に対し、無関心、無神経な議員は1人もいないであろう。

  然るべく「対応」し「努力」するのが、仕事のようなものである。

  勿論、全てが応じられ、うまくいくようなものではないだろうが、

  なんとか「頑張った」という姿勢をみせるのが、政治家の

  腕でもある。

  ただ、政治家もそれなりの地位に就けば就くほど、「自ら」

  動くようなことをする筈もなく、また、明らかに自らの政治

  生命に疵がつくようなことをするようでは、政治家として

  大成は覚束ない。

  たとえば有能な政治家は、精々タイミングを計って一緒に

  ゴルフをする程度である。

  勿論、なんら法律に触れる行為ではない。

  が、それが「シグナル」になるのが霞が関の世界。

  このシグナルを受け止められない官僚なら、元々出世

  なんかしていない。

  なんとも興味深々の政治の世界。勿論一般論の話である。

    - - -

  さて、もやもやした政治の話はさておき、

  今年も早や6月。

  我が家の紫陽花も花開く。

  その写真でも掲げて、気分一新とする。

Dsc00917
                                   以上

 

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